第五幕 開幕、ここが私たちの舞台
いよいよ、部活動紹介ウィーク当日が迫った舞風女子学園。
舞風学園演劇部にとっても、記念すべき“初公演”の日がやってきた。
朝――
ひのりの部屋には、ほんのり差し込む朝日と、トーストの香ばしい匂いが漂っていた。
「私、今日……初めての公演なんだよ!」
食卓でそう宣言するひのりに、母がにっこりと笑って返す。
「立派だわ、ひのり。練習の成果、出してきなさいね」
父も新聞から目を上げて言う。
「しっかり演技するんだぞ。演者は舞台に立った瞬間からプロだ」
「うんっ!」
制服のリボンを結びながら、ひのりは玄関に向かう。
「じゃ、行ってきまーす!」
「気をつけてね」
「ワンッ!」
見送りの声に混じって、ラブラドールレトリバーのハッピーが元気よく吠える。
ランドセルじゃなくなっても、家を出る朝の空気はずっと変わらない。
でも今日は、ほんの少しだけ違う。
胸に響くのは――「わくわく」と「どきどき」。
ひのりは軽く深呼吸をして、空を仰いだ。
「よしっ……伝説、作ってこよう!」
朝の通学電車。窓の外を流れる風景に、ひのりは落ち着かない様子でそわそわしていた。
「ふふ、顔に“緊張してます”って書いてあるわよ」
隣に座る七海が、小さく笑って声をかけた。
「だ、だってさぁ……今日が私たちの“初舞台”だよ!? うまくできるか、ドキドキして仕方ないよ〜!」
その前の席で、みこが小声で呟く。
「……私も、すごく緊張してる……。あの、“お姫様”って、ちゃんとできるかな……」
「大丈夫大丈夫! みこちゃんの“どこですか……?”、完璧だったよ!」
ひのりが親指を立てて励ますと、みこはほんの少しだけ笑顔を見せた。
「うん……ありがとう……」
「ま、緊張してるのはみんな一緒でしょ」
と、紗里が軽い調子で肩をすくめる。
「でもあたし、ぶっちゃけ“観客の前でボケ倒す”の楽しみだったりする!」
「そこ、変なアドリブ入れないでね」
七海が鋭くツッコミを入れると、全員に笑いがこぼれた。
⸻
学校に到着すると、校舎の空気はいつもより少しだけ浮き立っていた。各部活が準備に追われ、廊下にはポスターや看板が並ぶ。
「うわ〜、演劇部って初参加なのに、ちゃんと枠もらえてて嬉しいよね!」
「それも、部として登録されたばかりなのにね」
「責任重大ってことよ」
多目的室に入ると、すでに音屋先生と唯香が準備を始めていた。
「おはよう。体調はどうかしら?」
「元気ですっ!!」
ひのりが勢いよく答えると、唯香が静かに言葉を継ぐ。
「じゃあ、最終確認のリハーサルに入りましょう。時間も限られてるから、要点だけ。動線、台詞、照明とのタイミング……しっかり意識して」
制服から衣装へと着替えた4人は、軽く発声と柔軟を済ませ、最初の立ち位置に並ぶ。
「さあ、いよいよよ。ここからは本番モードよ」
音屋先生の一声で、場の空気が一気に引き締まった。
⸻
そして――
午後。体育館のステージ裏。幕の隙間から、観客席が見える。
「うわっ、結構人来てるじゃん……」
「そ、そんなに見ないで……!」
「みこちゃん、落ち着いて〜!」
ひのりは大きく深呼吸し、仲間たちの顔を見る。
「ここまで来たら、あとは思いっきりやるだけだよ。ねっ?」
「……そうね。“伝説”、作らなきゃでしょ」
七海が軽く拳を握って応える。
「どんな失敗もネタになるから、大丈夫!」
「……うん。みんなで、がんばろ……!」
――“物語”が、今、幕を上げる。
(照明が落ち、観客席が静まる)
(暗転。静寂の中、照明がゆっくりと上がる)
ナレーション(唯香)
「ある日突然、舞風学園の部室は、異世界の森へと転移してしまった。
目覚めた彼女たちは、なぜか見知らぬ衣装に身を包み、名前以外の記憶を失っていた――
ここは、記憶も常識も通じない世界。彼女たちの冒険は、ここから始まる」
(暗転→柔らかいスポットライトが当たり、舞台中央にミコリア姫が横たわっている)
ミコリア姫
(目を開き、起き上がりながら)
「……あの、ここは……どこですか……?」
(舞台奥、上手からヒノリスが“勇者風”のポーズで登場)
ヒノリス(ひのり)
「なんだこの衣装!? てか、なんで木の上!? うわ、降りれないー!!」
(足をバタバタさせながら、ドタバタと舞台に降りる動き)
(下手側から精霊サリナが回転しながら登場)
サリナ(紗里)
「ひぃぃ〜! 知らないとこに転がってた〜! え、なんかこの木、喋ってない!?」
ヒノリス
(即座に)
「それあたし!」
(観客、くすくす笑い。BGMに木の葉のざわめき)
ミコリア姫
(立ち上がってドレスを見ながら)
「……わ、私……なんでこんな格好……? あれ、私、お城にいたはずなのに……?」
ヒノリス
(駆け寄って)
「そっち大丈夫!? お姫様っぽいけど、名前は? 私はヒノリス、多分“選ばれし者”っぽい人!」
サリナ
「私はサリナ! 自称・導きの精霊〜! ひらひらって現れて、助言とかしそうな感じ〜!」
ヒノリス
「めちゃくちゃフワッとしてるな!」
(その時、舞台後方から白いマントがひらり。スポットライトがナナミスに)
ナナミス(七海)
(静かに歩み寄り)
「騒がしいわね。状況を把握していないようね、君たち」
サリナ
(肩をすくめて)
「えっ、敵!? 味方!?」
ナナミス
「少なくとも、敵ではないわ。私は王国の諜報機関“蒼穹の目”の参謀――ナナミス」
ミコリア姫
「き、記憶を……失った? 私……そういえば……なぜここに……」
サリナ
「うちも〜! 名前は覚えてるけど、それ以外がふわ〜って!」
ヒノリス
(手を広げて)
「ってことはさ、これ……本当に“異世界転移”ってやつじゃん!?」
サリナ
「やばいよ〜、それ漫画のやつじゃん〜!」
ナナミス
(溜息をつき)
「やれやれ……今回の転移者は、特に賑やかね」
(間)
ナナミス
(表情を引き締めて)
「でも、希望はある。“伝説の演劇”――それを完成させれば、元の世界に帰る“扉”が開かれる」
ミコリア姫
「“伝説の演劇”……?」
ヒノリス
「え、それ絶対“誰かが考えた”設定でしょ!? ねえ!?」
サリナ
(指を天に)
「神……かな?」
ヒノリス
(即ツッコミ)
「違うでしょ! 七海ちゃん――いやナナミスでしょ!」
(客席に笑い)
ナナミス
「演じること。それが、この世界で“力”を得る唯一の方法。――試されるのは、君たち自身よ」
(三人、顔を見合わせる)
ヒノリス
「じゃあさ、やるしかないね!」
サリナ
「異世界でも、楽しむしかない〜!」
ミコリア姫
「わ、私も……みんなと一緒に頑張る……!」
ナナミス
(手を掲げて)
「では、第一幕――“伝説の始まり”、開幕よ」
(照明がゆっくり暗転。BGM高まり、場面転換)
第二幕「試練と協力」
(舞台に村のセット。木の立て看板「ねむりの村」と書かれている)
ナレーション(唯香)
「彼女たちは旅の途中、“ねむりの村”と呼ばれる集落に辿り着く。
そこでは、村人たちが不思議な呪いにより、みな深い眠りについていた――
その原因とは……“闇の魔女ヴェルダ”の魔力だった」
(村の中央、ベンチに人形のように村人が数人置かれている)
ミコリア姫
「……まさか、村中の人が眠ってるなんて……!」
ヒノリス(ひのり)
「寝坊レベルじゃないって! 完全に魔法案件でしょこれ!」
サリナ(紗里)
(木を叩いて)
「おーい、起きて〜! 朝ごはんできたよ〜! って、だめだ……全然反応ない……」
(そこにナナミスが地図を持って登場)
ナナミス(七海)
「状況は深刻ね。これは、“闇の魔女ヴェルダ”による呪い。“魔力の結晶”を見つけ出せば、解除できるはずよ」
ヒノリス
「よーし、じゃあその結晶、探してやろうじゃん! みんな、協力して!」
サリナ
「わ、私、探すの得意だよ! 昔からリモコンとか見つけるの早いし!」
ミコリア姫
「えっと……私は、地面の魔法陣の形を調べてみます!」
(それぞれが探し始める。観客にも見えるよう、ややオーバーアクション)
ヒノリス
(木をめくって)
「ない! こっちもない!……おやつの袋しかない!」
サリナ
(舞台袖からぬいぐるみを持って登場)
「じゃーん! 変な生き物拾った〜!」
ナナミス
「それは呪いと全然関係ない!」
(再び全員が捜索、BGMやや緊迫)
(ミコリア姫がステージ下手奥で何かを拾い上げる)
ミコリア姫
「……これ、光ってる……!」
ヒノリス・サリナ・ナナミス(同時に)
「それだーーーっ!!」
(舞台全体が青く照らされ、BGMが転調)
ナナミス
「魔力の結晶……これで、村人たちの目覚めが可能に!」
(パッと照明が切り替わり、村人の人形が静かに“起き上がった”演出)
ミコリア姫
「よかった……!」
サリナ
「ミッション完了! これで伝説に一歩近づいた〜!」
ヒノリス
「ってことで、次はボスの城ね!? いよいよクライマックスじゃん!」
ナナミス
「油断しないで。闇の魔女“ヴェルダ”は、この世界で最も強大な存在。
だけど、あなたたちの“心がひとつ”になれば、きっと乗り越えられる」
(間)
ヒノリス
(拳を握って)
「よーし、やってやろうじゃん!」
サリナ
「怖いけど、仲間がいれば平気!」
ミコリア姫
「……私も、強くなりたい。みんなと一緒に、最後まで……!」
ナナミス
「次の目的地は“闇の城”。そして――物語の終幕が、始まるわ」
(照明がゆっくり暗転、音楽が壮大に)
ナレーション(唯香)
「ひとつの試練を乗り越え、結束を深めた少女たち。
その歩みは、最後の決戦の舞台“闇の城”へ――」
(暗転)
舞風学園演劇部 劇中劇:第三幕『闇の城と最後の演劇』
(舞台上、暗闇の中に不気味な城のシルエット。不協和音のようなBGM)
ナレーション(唯香)
「“ねむりの村”の呪いを解いた少女たちは、ついに“闇の魔女ヴェルダ”が棲む“闇の城”へと辿り着いた――」
(中央の玉座に、黒いローブに身を包んだ**ヴェルダ(音屋先生)**が座っている。客席を圧倒するような静けさ)
ヴェルダ(音屋先生)
「ふふふ……よくここまで来たわね。“転移者たち”よ」
(スポットライトが、舞台袖から登場する4人を順に照らす)
ヒノリス(ひのり)
「あなたが……この世界に“呪い”を撒いた張本人ね!」
ナナミス(七海)
「“魔力の結晶”の根源……全ての因果は、あなたに通じていた」
ミコリア姫
「私たちは帰る……でも、その前に、あなたを止めなければ!」
サリナ(紗里)
(小声で)「ううう……今までで一番ボス感強いんだけど……」
(ヴェルダ、ゆっくりと立ち上がる)
ヴェルダ
「“演劇”などという“偽りの物語”で、この世界が変えられると思って? 笑わせないで……そんなもの、私が砕いてあげるわ」
(ドンという効果音。舞台が赤く染まり、不穏な音楽)
ヒノリス
「砕かせないよ! この物語は、私たちが紡いできたものなんだから!」
ナナミス
「この世界が信じる“力”は、私たち自身。虚構じゃない、“生きた物語”を見せてあげる!」
サリナ
「めちゃくちゃ怖いけど! でも……私、ここまで来られたの、みんなのおかげだから!」
ミコリア姫
「私も、演じるってこと、少しだけわかった気がします。誰かの心を動かすって、きっと……本当の“魔法”なんです!」
(音楽が転調。4人がヴェルダに向かって手を差し出すようなポーズ)
ヴェルダ
「そんな……光が……!」
ナレーション(唯香)
「彼女たちが見せたのは、“誰かを想う心”。
それこそが、“伝説の演劇”の真の力。
物語は、今――“本当の結末”を迎える」
(舞台全体が白い光に包まれたまま、ゆっくりと照明が戻る。ヴェルダは膝をつき、静かに微笑んでいる)
ヴェルダ(音屋先生)
「ふふ……こんな結末、私にも演じられなかった……
あなたたちが紡いだ物語……それこそが、本物だったのね……」
(ヴェルダがゆっくりと立ち上がり、黒いローブを脱ぎ捨てる。中には白の衣装。仄かに笑みを浮かべる)
ヴェルダ
「ようやく……長い夢から、目覚められた気がするわ。
さあ……もう行きなさい。“あなたたちの世界”へ」
(スポットライトが4人に当たり、光のゲートが後方に浮かび上がる)
ナナミス(七海)
「……元の世界に戻れる。でも、どこか少しだけ寂しいわね」
サリナ(紗里)
「うぅ〜……もうちょっと、この世界にいたかったなぁ〜」
ヒノリス(ひのり)
「でも! これで“伝説の演劇”は完成したんだよね! それって、最高じゃん!」
ミコリア姫
「……うん。ここで過ごした時間、全部大切な思い出です」
ヴェルダ
「あなたたちの魂が刻んだ物語は、きっと誰かの心に残るわ――
それが、“演じる”ということだから」
(ヒノリスがヴェルダに向かって深く一礼)
ヒノリス
「ありがとうございました! わたしたち、帰ります!」
(4人がゲートへ向かい、一歩ずつ進む。光が強まり――)
ナレーション(唯香)
「こうして、少女たちは元の世界へと帰還した。
その胸には、“物語”を演じきった誇りと、仲間との絆が刻まれていた――」
(照明が切り替わり、“学園の部室セット”へ。制服姿の4人が目を覚ます)
ひのり(地のまま)
「……あれ? 戻ってきた……? ここ、部室……?」
七海(地のまま)
「夢……じゃないよね。今でも、手が震えてるもの」
紗里(地のまま)
「でも……不思議だったけど、楽しかった〜! これが演劇なんだねっ!」
みこ(地のまま)
「……演じてる間、自分じゃない誰かになれるの……なんか、好きかも」
(4人が顔を見合わせ、微笑み合う)
ナレーション(唯香)
「それぞれの想いを胸に――
少女たちは、“舞風学園演劇部”としての、最初の舞台を終えた。
でも、彼女たちの物語は……まだ、幕を下ろしていない」
(観客への一礼のポーズ)
4人(揃って)
「ご観劇、ありがとうございました!!」
(音楽が高まり、カーテンコール)
(暗転)
――終幕。
舞台の幕が下りると同時に、客席から大きな拍手が鳴り響いた。
スポットライトの熱が消え、代わりに胸の奥がじんわりと熱くなる。
舞台裏――終演直後
拍手が鳴り止まぬまま、幕が下りる。
ひのりたちは、ステージ袖に駆け戻ってきた。
「……やった……!伝説作ったよ!」
誰よりも先に声を上げたのは、ひのりだった。
ひのりの目に光るのは、涙ではなく、燃えるような達成感だった。
「最高だったよね……!」
と、紗里が顔をくしゃっとほころばせて、ひのりに手を差し出す。
パチン。
ふたりの手の音が、空気の中で弾けた。
「……あ、わ、私も……!」
みこがおずおずと手を出すと、ひのりがすぐにもう一方の手で応えた。
「もちろんだよ!」
「はい、全員集合」
と七海が言えば、自然と全員が手を合わせ、円を作る。
唯香も遅れて輪に加わり、そっと声を添えた。
「……いい舞台だった。自信、持っていいよ」
全員の頬に、笑みが浮かぶ。
ひとりずつ、言葉を交わすでもなく、けれど確かに想いを伝えあう。
音屋先生が、静かにその輪に近づく。
「みんな、よく頑張りました。……とても素敵な舞台でした」
言葉は短くても、それだけで胸に響いた。
ひのりは思わず先生にぺこりと頭を下げると、ふと一歩だけ輪から下がり、舞台のほうを見つめた。
真っ暗な舞台。
でもその向こうには、観客の笑顔と拍手が、まだ熱のように残っている気がした。
ひのりは、胸に手を当て、そっと目を閉じた。
(――これが、“演じる”ってことなんだ)
(誰かの言葉を、自分の声で。
誰かの人生を、自分の身体で。
誰かの想いを、みんなで伝える)
(私、ずっと“なりきる”のが好きだった。
だけど今日、わかった気がする。
それは“逃げ”じゃなかった。
“伝える”ための、私なりのやり方だったんだ)
(舞台の上で、私は確かに“本宮ひのり”じゃなかった。
でも、あの瞬間だけは、どこまでも私だった)
(笑ってくれた人がいた。
見てくれる人がいた。
心が動いた気がした)
(だったらきっと、私はまだ――
この舞台の先に、もっともっと行ける)
(これは、ただの初舞台なんかじゃない)
(ここから、私たちの“演劇”が始まるんだ)
⸻
続く。