第二幕 伝説を作ろう
舞風学園に入学してから、数日。
本宮ひのり、伊勢七海、小塚紗里、城名みこ――。
それぞれに不安と期待を抱きながら、少女たちはついに“演劇部”としての第一歩を踏み出す。
放課後――
教室から出てきた本宮ひのりは、待ちきれない様子な笑顔を浮かべていた。
「待ちに待った演劇部、楽しみだよ〜っ! わーいっ!」
制服からジャージに着替えたひのりは、多目的室に入るなり、まるで運動場のように軽やかに駆け回っている。
その様子に、冷静な幼馴染、伊勢七海は呆れながらも言った。
「……あまりはしゃがないでね。もう高校生なんだし、少しは落ち着きなさい」
「わかってるってば〜」
元気いっぱいに返すひのりだったが、その姿はまるで小学生のようだった。
多目的室にはすでに、小塚紗里と城名みこも到着していた。
「なんかさ、幼稚園の頃のお遊戯会を思い出すなあ」
と懐かしむように紗里が笑えば、
「わ、私は……舞台に立つなんて、とても想像できないよ……」
みこは不安げに視線を泳がせている。
「でも、あの宝唯香ちゃんって子なんて、子役時代から映画もドラマも舞台も出てたんでしょ?」
「うん、私たちだってきっとできるよ。少しずつ、ね!」
ひのりは両手を広げて、前向きな笑顔を見せた。
そこへ、扉が開く音がして、顧問の音屋亜希先生が姿を見せる。
「みんな揃ったわね。じゃあ、今日から本格的に練習を始めましょうか」
柔らかい笑顔で語りかける音屋先生の声に、自然と場の空気が引き締まる。
「まずは、柔軟体操からよ。演劇も身体が基本だからね」
先生の合図で、4人は床にマットを敷き、準備運動を始めた。
「両手を上にぐーっと伸ばして――はい、今度は前屈ね」
足を伸ばして屈伸運動、肩を回し、首をゆっくりとほぐしていく。
「普段から身体を動かしていないと、舞台の上でバテちゃうからね。しっかり慣れておこう」
先生の言葉に、ひのりは息を切らせながらも満足げ。
「ちょっと大変だけど……楽しい!」
「それじゃ、少し休憩しましょうか」
先生の声に、みんながペットボトルの水を口にすべくる。
ふと、ひのりが尋ねる。
「ねぇ先生、音屋先生は演劇経験あるんですか?」
「ええ。私は大学の頃、ミュージカルをやってたのよ。卒業公演で主演も務めたわ」
「へぇ〜! 音屋先生も演劇やってたんだ!」
そんな会話の最中、ノックして扉が再び開いた。
静かに入ってきたのは――
赤いロングヘアが印象的な、制服姿の宝 唯香だった。
「唯香ちゃん!」
「……演劇部に入りたくなったの?」
ひのりが声を弾ませて尋ねるが、唯香は淡々と答える。
「違うわ。ただ、どんな活動をしているのか見に来ただけ」
「でもさ、唯香ちゃんって朝ドラにも出てたんだよね? すごいよね!」
紗里が感嘆の声を上げると、唯香は静かに頷く。
「まあ、そうね。それがどうしたの?」
「だから、演技のこと……色々教えてほしくて!」
その言葉に、唯香の瞳が少しだけ柔らかくなる。
「教えるだけなら、いいわよ。入部するつもりはないけれど、指導ならできる」
音屋先生もその言葉に頷いた。
「それは心強いわ。唯香ちゃんは現場経験も豊富だし、きっといいお手本になると思う」
こうして、正式な部員ではないものの、唯香が“コーチ役”として加わることになった。
――そして、レッスンの第一歩が、静かに、けれど確かに始まったのだった。
⸻
「それじゃあストレッチはもうやったね?発声練習から始めましょうか」
宝 唯香の声に、ひのりたちは思わず背筋を伸ばした。
「発声練習?」
「演劇は声が命。舞台の上では、マイクなんて使わないから。遠くまで通る声を出すことが基本中の基本なの」
そう言うと、唯香は真っすぐに立ち、はっきりとした口調で言葉を発した。
「あ、い、う、え、お!い、う、え、お、あ!う、え、お、あ、い!え、お、あ、い、う!お、あ、い、う、え!」
彼女の声は、部屋の隅々にまで届くような響きだった。
「すごい……声が、綺麗に飛んでる……!」
みこがぽつりと呟く。
「それじゃあ、みんなも真似してみて」
唯香の合図で、4人は揃って声を張る。
「あ、い、う、え、お!い、う、え、お、あ!う、え、お、あ、い!え、お、あ、い、う!お、あ、い、う、え!」
「かきくけこ!きくけこか!くけこかき!けこかきく!こかきくけ!」
慣れない発声に戸惑いながらも、五十音を言い終えて部屋の空気がにぎやかに震える。
「どうだったかしら?」
「すごく……口が疲れるけど、ちょっと楽しいかも!」
ひのりが笑顔で答えると、紗里も続いた。
「滑舌良くなりそうだね〜。こういうのって、演劇っぽい!」
「みこちゃんはどう?」
「うん……うまく言えてないけど、頑張りたい……!」
「それでいいのよ。大事なのは気持ち。続けていれば絶対に慣れるから」
唯香の声はどこか温かく、真剣だった。
「次は、早口言葉よ。ちゃんと言えるかしら?――『生麦生米生卵』!」
ひのりが手を挙げて勢いよくチャレンジする。
「なな麦!なな生米? なな卵! ……あはは、噛んじゃった〜!」
みこがそっと名乗り出る。
「な……なまむぎ、なまごめ、なま……たまご……っ」
みこのたどたどしい声に、唯香はそっと頷く。
「大丈夫よ。最初はみんなそんなもの。ちゃんと伝えたい気持ちが出てた」
七海と紗里も続けて挑戦し、それぞれのペースで練習に励んでいた。
「子役の時はいろんな演技してきたけどこうした練習見ると初心に帰れるわ」
唯香の過去の話に、みこは少しだけ安心した表情を浮かべた。
唯香はほんの一瞬、視線を落とす。
「……毎日、違う“誰か”にならなきゃいけなかったからね」
その声は、かすかに遠くを見るような響きを帯びていた。
一瞬、空気が少しだけ止まる。
ひのりが、不思議そうに首をかしげながら尋ねた。
「それって……楽しかった? 大変だった?」
唯香はすぐに答えなかった。
代わりに、ごくわずかに――ほんのわずかに笑った。
「さあ、どうかしらね。少なくとも、忘れたことはないわ」
その言葉に、七海が一瞬だけ視線を向けた。
彼女は何かに気づいたように、でもあえて口にはしなかった。
そんな空気を振り払うように、紗里が手を挙げて元気に叫ぶ。
「よーし! 次何やる!? どんどん動きたい〜〜!」
「じゃあ次は――パントマイムをやってみましょうか」
唯香は一歩前に出て、静かに壁に手を当てるような仕草を見せる。
「ここに、見えない壁があると思って。……でも、本当にあると思って動かないと、観客には伝わらないの」
唯香はゆっくりと前へ進もうとするが、ピタリと止まる。まるで本当にそこに透明な壁があるようなリアルさだった。
「うわ……ほんとに止められてるみたい……」
と、ひのりが目を輝かせる。
「さ、みんなもやってみて。ひとりずつ、ね」
まずはひのりが挑戦。
「えいっ……う〜ん、これ、なんか……あっ、私が勢いでぶっ壊しそう〜!」
バンッと手を突き出して“壁”を思いっきり叩くひのり。勢いが良すぎて全員が吹き出す。
「それは“壊しにいってる”のよ……ちょっと力強すぎ。壁の存在をもっと丁寧に感じてみて」
「は〜い……むずかし〜!」
次に七海。
「……ふむ。たしかに。壁の“厚み”を感じさせるのが難しいわね」
無言でスッと手を当てて、ゆっくり撫でながら演技をするその姿に、唯香は小さく頷く。
「悪くないわ。表情はまだ硬いけど、“違和感”を伝える演技になってる」
三番手は紗里。
「こういうのはノリでしょっ!」
バンッと両手を前に出して、全身で「どりゃあ〜〜っ!」とぶつかって跳ね返される動作。
「……痛っ、って感じ出てた?」
「……バラエティ番組じゃないのよ。もうちょっと抑えて、“リアル”を意識して」
最後はみこ。
「わ、私……できるかな……?」
そっと壁に手を伸ばし、戸惑いながらも一歩進んで――ビクッと驚いたように止まる。
「……あ、当たっちゃった……」
ぎこちないながらも“見えない壁”にぶつかって驚く表情は、どこかリアルで愛らしかった。
「……悪くないわ。ぎこちないけど、むしろそれが“初めて壁に触れた感覚”として自然だった」
「ほ、本当に……?」
「ええ。みんな、それぞれの表現の仕方で壁を“見せられてた”。上出来よ」
「演技って、喋るだけじゃないんだね〜。なんか、もっと色々やってみたくなってきた!」
「じゃあ次は、歩き方の練習よ」
唯香は多目的室の真ん中に立ち、真っ直ぐな姿勢で歩き出した。その動きは堂々としており、無言のままでも「この人は自信を持っている」と感じさせた。
「たとえば“自信のある人”。それは立ち方、歩幅、視線ひとつで伝わるの」
そう言うと、次は足音を消すように、やや猫背になってすり足で歩いた。今度はまるで、警戒しながら進む庶民の娘のようだった。
「キャラクターによって“歩き方”はまるで違う。あなたが演じる人物になりきるには、まず身体から変えるの」
それぞれが順番に前へ出て、言われた通り“自信のある人”や“恥ずかしがり屋”になりきって歩いてみる。
ひのりは胸を張って歩くも、どこかアイドルの登場シーンのように軽やかすぎて、唯香に笑われた。
七海は姿勢は綺麗だが、少し堅すぎて「軍人みたい」と評され、
紗里は体育会系らしく力強いが、ややガニ股気味で「男前すぎる」とツッコまれ、
みこは背を丸めて、そろそろと小さな歩幅で前に出た。
「……こう……かな……?」
その姿には、みこ自身の性格がにじみ出ていた。
「ええ。今の、悪くなかったわ」
唯香は優しく頷いた。
「じゃあ、最後は“表情”の練習よ」
唯香は鏡の前に立ち、柔らかく言った。
「役者の基本は“喜・怒・哀・楽”。セリフがなくても、感情を伝えることができる。
まずは、自分がどんな顔をしてるのか、ちゃんと見てみましょう」
4人は順番に鏡の前に立ち、それぞれの表情を作り始めた。
最初に前へ出たのはひのりだった。
いきなり目を大きく見開き、両手を頬に当てる。
「やった〜〜〜〜っ!! やったやったぁ〜〜〜!!」
「……テンションが子ども番組のお姉さん」
七海が即座にツッコミを入れる。
「うっ、ちょっとやりすぎ?」
ひのりは苦笑いを浮かべながらも、鏡の中の自分をじっと見つめた。
「でも……楽しい。表情って、こんなに動かせるんだね!」
「ええ。観客に伝える力はあるわ。あとは“抑える”ことを覚えればいい」
唯香は微笑んでそう言った。
次は怒りの表情。
七海が一歩前に出る。彼女は派手な動きをせず、目元を鋭くし、口元をわずかに引き結んだだけだった。
それだけで、空気が少し張りつめる。
「……」
「七海ちゃんは表情のコントロールが上手ね。目の演技ができてる」
「……ありがとう。でも、少し照れるわね」
三番手は紗里だった。
怒った顔を作ろうと眉に力を入れるが、どうしても口元が緩んでしまう。
「ふふ……なんか怒るの難しい〜。ずっと笑ってきたからさ!」
「それも立派な強みよ。無理に消さなくていいわ」
場の空気は自然と和らいだ。
――最後に残ったのは、みこだった。
鏡の前に立った彼女は、小さく息を吸い、緊張した面持ちで顔を動かしてみる。
喜びの表情。
控えめに口元を緩めるが、どこかぎこちない。
怒りの表情。
眉を下げようとするが、目線が定まらず、すぐに泳いでしまう。
そして――哀しみ。
みこは何も作ろうとしなかった。
ただ、少しだけ首を傾け、視線を横に逸らす。
その瞬間、鏡の中の表情がふっと変わった。
「……うん。今の“哀しい顔”、すごく良かった」
唯香の声に、みこははっとして顔を上げる。
「え……?」
「無理に形を作らなくていい。“気持ち”を先に置くの。みこちゃんは、それが自然にできてる」
「わ、私……そうなんですか……?」
照れくさそうに俯くみこに、ひのりが明るく声をかけた。
「みこちゃん、ナチュラルな演技派かもよ〜!」
「な、なにそれ……!」
小さな笑いが起こり、張りつめていた空気がほどけていく。
これが「楽しい」というものだった。
少女たちは鏡越しに自分の姿を見つめながら、
それぞれ違う形で、“演じる”という行為の奥深さに触れていた――。
「いやー、演技って凄い楽しいよ」
「そうよ。声、動き、表情、全身を使って演じるんだもの。ひのりちゃんは何かやってみたい劇、演じてみたい役あるの?」
ひのりがぱっと手を挙げた。
「やってみたいのある! ……ねぇ、“魔法少女ひのりん”でやっていい?」
唯香がくすっと笑う。
「もちろん。演じたい役があるのは良いことよ。じゃあ、他のキャストは?」
ひのりは即座に振り向き、指を差す。
「紗里ちゃんは悪の魔女ね! みこちゃんはお姫様役! 七海ちゃんは……助っ人の青騎士ってことで!」
「おっけー!悪役楽しそう!」
「えっ……お、お姫様……?」
「……仕方ないわね。じゃあ私は剣士風で行くわ」
座って見ていた音屋亜希先生が言う。
「動画撮影も勉強になるわよ。唯香ちゃん、監督役やってみたら?」
「確かにそうだね。じゃあ、私が動画で撮るわよ。位置について……よーい、アクション!」
唯香は音屋先生から促され、スマホで動画を撮り始めた。
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【ひのり=魔法少女ひのりん】
【紗里=悪の魔女サリーナ】
【みこ=攫われたお姫様ミコリア】
【七海=青騎士ナナミス】
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ひのり「さあっ、出てきなさいサリーナ! このお姫様は、私が必ず取り返す!」
紗里「アッハッハッハッ! このミコリア姫は、わらわの呪いで100年眠らせる予定じゃ〜!」
みこ「た、助けて……!うぅぅ……(ちょっと本気で震え声)」
ひのり「そんなのさせない! 魔法少女ひのりん、いざ出撃っ!」
紗里「ふんっ、ひのりんよ。ならばこの私の闇の魔力を受けてみるがいい!」
(バシィッと手を突き出すポーズを取る紗里、ノリノリ)
ひのり「うっ……さすがに手強い……!」
七海「――その戦い、加勢しよう。青騎士ナナミス、ただ今参上」
ひのり「ナナミス! 来てくれたんだ!」
七海「共闘よ。ひのり、合わせ技で行くわよ!」
ひのり「うん! いっけぇー! 二人の力を合わせて――!」
二人「バーニング・ストーム・フラッシュ!!」
紗里「ギャアアアアア! こ、この私が……こっぱみじんに……っ!!(ばたん)」
みこ「た、助かった……本当にありがとう……ひのりん、ナナミス……!」
ひのり「もう大丈夫だよ、プリンセス・ミコリア!」
⸻
「はい、カーーーット!」
唯香がスマホを下ろして言うと、全員が思わず笑い合う。
多目的室は、小さな舞台になっていた。
「演技は……まだ粗削りだけど、気持ちはすごく伝わってきたわ。特にひのりちゃん、演じることが本当に好きなのね」
「えへへっ……なりきるの、大好きなんだ!」
「やっぱ悪役、楽しいわ~。あたし、ハマりそう」
「わ、私は……お姫様……緊張したけど、でも……楽しかった……かも」
「即興でここまでできるとは思わなかったわ。……まぁ、私は“合わせ技”の名前が気になったけど」
「今、名付けた!」と誇らしげなひのり。
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唯香は、そんな4人の様子をじっと見つめながら――ほんの少しだけ、口元を緩めた。
(……この子たち、本当に“演じる”ことが好きなのね)
(私も、あんなふうに舞台が眩しく見えた頃……あった気がする)
(……いつからか、“役”に入るのが当たり前になって。
気づいたら、自分がどこにいるのか分からなくなってた)
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音屋先生も多目的室の隅でその様子を見て、目を細める。
「……いいわね。ちゃんと“表現する喜び”が芽生えてきてる。これがきっと、最初の“魔法”ね」
その言葉を、ひのりは遠くから聞いていた。
ふと立ち上がり、部屋の真ん中に出て、大きく両手を広げる。
「ねぇ、みんな――!」
全員が振り向く。
「伝説を作ろうよ! 私たちの“演劇”を! “青春”を!」
その瞳は真っすぐで、まるで舞台のスポットライトを浴びているかのように、きらきらと輝いていた。
「この舞風学園演劇部の物語は、今、始まったばかりなんだよ! だから、3年間! 全力で頑張ろう!!」
しんとした空気の中、一拍遅れて。
「……ふふっ、なんか熱すぎ」
と七海が微笑み、
「でも、いいじゃん!やる気出る!」
と紗里が拳を上げ、
「わ、私も……できるところから、がんばる……!」
みこが小さく頷きながらも笑顔を見せる。
唯香は口元をそっと手で押さえて、ぽつりと――
「ふふ、あなたって……ほんと、まっすぐね」
そして音屋先生が言った。
「さあ、ひとまず今日はおしまい。みんなお疲れ様。続きは、明日からよ。まだまだ、たっぷり時間はあるんだから」
ひのりは胸に手を当てて深呼吸しながら、はっきりと噛みしめるように思った。
(これが、私の場所……)
(そしてここからが、私たちの物語――)
こうして、“舞風学園演劇部”は、ついに動き出した。
続く!




