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第十六幕 演じるとは何か、自分とは何か

第十六幕 演じるとは何か、自分とは何か


文化祭での公演に向けて、自主制作映画の撮影を終えた演劇部と動画撮影部。今回は部室であさひがパソコンを使って編集作業を行なっていた。


「ひのりちゃん、ここのシーン、気に入ったかな?」


「うーん、なんかあたしじゃないみたいなんだよね」


ひのりは校内を逃げ回る自分の映像を見て何かモヤモヤしてる様子だった。


「どうして?」


「それがさあ、今まで演じてきて本当の自分って何だろうって悩んじゃうんだ」


「ひのりらしくないわね」


七海がひのりにそう言った。


「何か、こんなことやってて良いのかなとか演じることって何だろうって考えちゃって」


ひのりはテンション低めに悩んでいるようで紗里、みこ、唯香、あさひ、りつ、真帆みんな心配している様子だった。


「演じることがひのりらしいよ」


「そうだよ。練習でも舞台でもひのりちゃんは凄く輝いてるよ」


「そんなのやめてよ!余計混乱するから!」


ひのりは珍しく感情的になり、叫んだ。すると室内の空気は急に凍りつくように静けさとなった。


「ごめん、ひのり」


紗里は謝った。


「私も子役時代いろんな役を演じてきたからわかるわ。本当の自分は何だろうって」


「唯香ちゃん...」


「……ひのり、みんなの前では言えないこと、あるでしょ?」


唯香はそっと立ち上がり、ひのりの隣に膝をついた。

「私が聞くわ。だから……少しだけ、外の空気吸いに行こう?」


唯香の手が、ひのりの手にそっと触れた。


「そうするよ」


唯香とひのりは多目的室を出て校舎の裏手、中庭にある木陰のベンチにふたりは腰を下ろした。

静かな午後の風が通り抜け、落ち葉が一枚舞い上がる。

唯香は、少し遠くを見つめながら、口を開いた。



「……私はね、子役だった頃、演技を強要されてたの。

本当は嫌でも、“いい子”を演じなきゃいけなかった」


「……自分に嘘をつくのって、つらいよね」


「そう。思ってもないことを口にして、平気な顔をする。

演技って、時に人を壊すのよ」


「……あたし、“元気っ子”って思われてる。

でも、それが本当のあたしなのか、ずっと違和感あって……」


ひのりの声がかすかに震えた。


「わかるわ。泣きたくないのに泣く演技、

好きじゃないご飯を“おいしい”って言って笑う。

演じるって、楽しいだけじゃないのよね」


「それ……入学式の時にも言ってたよね?」


「うん。本当の自分が見えなくなって、

誰かに合わせてばかりいるうちに、何が本音か分からなくなったの」


「演じるって、ワクワクするものだと思ってた。

でも――逃げだったのかも。小さい頃から、

変な子って言われて……自分の世界でごっこ遊びばっかりしてたから」


「ひのりも、“演じる”ことに迷ってたのね」


「違う自分になれるのが楽しかった。

けど……終わったあとに、ものすごく虚しくなったりしたんだ」


「その気持ち、痛いほど分かる」


「だって……ずっと変な目で見られてきたし、

あたし……七海がいてくれなかったら、とっくに折れてた……!」


ひのりの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。


「いま、自分に正直になれてるわ。

そうやって泣けるのが、ひのりの強さよ」


「……自分に正直って、こういうことなんだね」


「うん。私は、ありのままでいられる時間が限られてた。

朝、誰にも見られてない時とか、寝る前の静かなひとときとか……

本を読んだり、テレビを見たり、やっと“私”でいられる瞬間だったの」


「……」


唯香は静かに頷いた。

そして、少し迷ったように、けれど決意したように口を開いた。


「……私、子役時代、“成功して当然”って空気の中で生きてたの。

誰かに期待されるのは嬉しかった。でも……そのぶん、失敗が許されなかった」


ひのりはそっと顔を上げ、唯香を見つめる。


「カメラの前で一度でも噛んだら、“下手”って叩かれる。

泣けなかったら、“感情が薄い”って言われる。

でも……一番きつかったのはね――

“唯香って、ほんとはどんな子なの?”って聞かれて、何も答えられなかったこと」


「……」


「私は“子役の唯香”であって、“私”じゃなかったの。

誰かが望む私しか、存在しちゃいけないって思ってた」


「……唯香ちゃん、それ、ずっと……?」


「うん。演技は好きだった。でも、それ以上に――

“好きなこと”が分からなくなるくらい、自分がどこにいるか分からなかった」


唯香はそっと自分の手のひらを見つめるようにして、小さくつぶやいた。


「だから、舞風に来たの。誰も私のことを知らない場所で、もう一度“自分”を探したくて」


ひのりの目が大きく見開かれる。


「えっ……それ、初めて聞いた……」


「誰にも言ってなかったから。

でも、ひのりになら……今なら言える気がした」


「唯香ちゃん……」


「ひのりはいいわね。ちゃんと泣けて。ちゃんと“わからない”って言える。

私、ずっとそういうの隠してた。

強がって、平気なふりして、でもほんとは怖くて――自分が空っぽになるのが」


ひのりは小さく首を振った。


「唯香ちゃん……強がってるんじゃなくて、ちゃんと強いんだよ。

“演じる”って、何かになることでもあるけど――

“何かを守るための盾”みたいでもあるよね。

あたしも……そうだったかもしれない」


風が、二人の髪をそっと揺らした。


「……今の話、ありがとう。

唯香ちゃんが“誰にも言ってなかった”って言ってくれたこと、すごく嬉しい」


「こちらこそ。ひのりが、泣いてくれたから、言えたの」


二人は、ふっと微笑み合った。


沈黙の中に、ほんの少しだけあたたかい空気が満ちていた。


ひのりが空を見上げながら、ぽつりとつぶやく。


「……演じること、嫌いになりたくないな。

怖くなっても、また“好き”って思いたい」


唯香はその横顔をじっと見つめて、やわらかく笑った。


「それでいいのよ。怖いって思いながら続けるのが、

本当の“好き”ってことだと思うから」


ふたりの影が少しだけ伸びていく。

落ち葉が風に舞い、地面をすべるように走っていった。


唯香がふと立ち止まり、ひのりに背を向けたまま言う。


「……ありがとう、ひのり。あの頃の私が、今日の私を見たら、ちょっとだけ誇れる気がする」


ひのりは小さく笑い、唯香の背中に向かってつぶやく。


「未来のあたしも、今のあたしを好きって言ってくれるように……

もうちょっとだけ、頑張ってみるよ」


「ふふ、いい答えね」


唯香が立ち上がると、ひのりもゆっくり頷いた。


「うん。でも、ちょっとだけ遠回りしない? この気持ち、もう少し噛みしめていたいの」


「……いいわよ。今は、そういう時間が一番大事かもしれないしね


ふたりは校舎の裏の静かな小道を、並んで歩き始めた――。


風が少し冷たくなってきた。

校舎の裏手から続く、誰もいない石畳の小道を、唯香とひのりは並んで歩いていた。


しばらく無言だったが、先に口を開いたのは唯香だった。


「……さっきはごめんね。私、つい話しすぎちゃった」


「ううん、聞けてよかったよ。唯香ちゃんの“ほんとの声”って気がしたもん」


「ほんとの声、か……。自分の声って、自分では意外と分からないものよね」


「そうだね。あたしも最近まで、“元気な自分”がほんとだと思ってた。

でも――やっぱ違和感あって……」


ふたりの足音が、落ち葉を踏むたびにかさりと響いた。


「……さっきみたいに涙が出るときってさ、たぶん、自分の芯みたいなとこから何かが溢れてくるんだと思うの」


「ひのり……そうやって言えるの、すごいわ」


「え? すごくないよ。泣くのなんて、恥ずかしかったし……あんなの、初めてだったし」


唯香は微笑みながらも、ふっと目を伏せた。


「でもね、演技って、感情に“触る”作業じゃない? だから私、今日のひのりを見てて思ったの。“この子、ちゃんと届いてるな”って」


「……届いてる?」


「自分の感情にも、相手の心にも。あの涙は……演技じゃ出せない。本当のひのりだったから出たのよ」


ひのりは、少し照れたように笑ってみせた。


「唯香ちゃんって、やっぱり凄いな。あたしが思ってること、ちょっと先回りして言ってくれるし」


「それ、役者としては“悪癖”かもしれないけどね。台本ないときも、つい“先のセリフ”考えちゃうの」


「……あたしもあるかも。誰かの顔見て、“この人、今こう思ってるのかな?”って妄想しちゃう」


ふたりはふっと笑い合う。


「じゃあ、似た者同士ってことね」


「そっか。演技の始まりって、もしかして“妄想”なのかもね」


「かもね。妄想して、想像して、誰かになってみて……

でも最後には、必ず“自分”に戻る場所がなきゃいけない。じゃないと、壊れちゃう」


「その“戻る場所”って……」


「部室であったり、仲間の言葉だったり、あるいは――こうして一緒に歩いてる、今かもしれないわね」


そう言って唯香は少しだけ、ひのりの手に触れた。

ふとしたそのぬくもりに、ひのりは小さく「ありがとう」と呟いた。


「……あたし、唯香ちゃんのこと、前よりずっと好きになったかも」


「私も。ひのりの“本当の声”が聞けてよかった」


ふたりは、ゆっくり歩きながら、記憶をたどるように話し出す。


「ねぇ……あの時のこと、覚えてる?」


「もちろん。あの魔法使いごっこ。

あれね……今思えば、私にとっても“救い”だったの」


「わかる。あたし、あの頃いつも1人でごっこ遊びしてたんだ。

紙で作った“王国の地図”とか、傘を“神の杖”にしてさ。

“今日からお前は、選ばれし勇者だ!”とか自分で言って……

それを本気で信じてたの。おかしいでしょ?」


「あの時のひのり、本当にすごかったの。台本も何もないのに、魔法使いの設定も、呪文も、全部その場で作って……」


「私は、いつも誰かに“やらされてた”から……自分で作った遊びなんてなかった。あの時のこと、ずっと忘れられなかった」


「……あれ、ほんとに楽しかったな。あたし、あの時のこともずっと覚えてたよ。

でもまさか、あの時の子が唯香ちゃんだったなんて……ほんと運命だね」


「撮影から逃げ出した私にとってもひのりにとっても特別な時間だったわね」


「そうだよね。じゃあ、あたしにとっての“演技のはじまり”は、あの時だったんだな」


「私もよ。あの時だけは、“子役の唯香”じゃなくて、“ただの子ども”だった」


唯香の声が、少しだけ湿っていた。


「……あたし、なんで舞風を選んだのか、ちょっと話してもいい?」


「うん。聞かせて?」


「この学校、学力とか関係ないでしょ? だからね……“変な子”でも大丈夫な気がしたの。

演劇ができて、制服が可愛くて、自分らしくいても怒られない……そんな場所、他になかった」


「私も似てるかも。“知らない場所で、誰も私を知らないところで”って思ってた。

母に逆らって、子役をやめたくて、でもやめられなくて――

夜、ひとりで家を出たこともあったの。カバンひとつだけ持って」


「え……」


「結局、何もできずに帰ったけどね。でも、あの時の私の足は、本気で“逃げたい”って思ってたの。

舞風は……その時の“逃げ場”であり、“再出発の場所”でもあったの」


ひのりは、胸の奥にあたたかい何かが広がるのを感じた。


「唯香ちゃん、すごく強いよ。……怖かったよね」


「うん。でも、こうやって今、ひのりと歩いてると……あの時の自分が、少しだけ報われる気がする」


ふたりは、校舎の裏の角を曲がり、部室のある棟へと歩を進めていった。


「……ねぇ、唯香ちゃん。これからどうしたい?」


「私? ……もう一度、“演じること”を好きになりたい。

誰かに認められるためじゃなくて、自分のために。そう思えるようになったのは、今日のひのりを見たから」


「……あたしも。演技を通して、沢山の人の心を動かしたい。いつか、“あの演技で救われた”って言ってくれる人がいたら……それが一番嬉しい」


空は群青に染まり、やがて星の気配が瞬き始める。

ふたりの歩幅はぴたりと揃い、その胸の奥には――未来への、小さな光が、確かに灯っていた。


部室の扉が静かに開く。


「……ただいまー」


ひのりと唯香が並んで戻ってくると、すぐに七海が顔を上げて声をかけた。


「おかえり」


「ふたりとも、なんだか良い雰囲気じゃない?」


紗里がにやっと笑いながら言い、みこが続く。


「青春してたの?」


「ち、ちがっ……! なんでそうなるの〜!?」


ひのりは両手をぶんぶん振って否定するも、頬がほんのり赤い。


「でも、泣いた顔してるわよ」


七海が目を細めて言うと、ひのりはちょっと照れくさそうに笑って、


「うん……ちょっとだけ泣いちゃった。でも話したら、なんかスッキリした!」


その素直な言葉に、唯香がそっと微笑む。


「いい涙だったわよ、ほんとに」


「だからやめてってば〜、もう!」


ひのりが再び顔を隠そうとしたところに、あさひがパチンと指を鳴らした。


「お、ちょうどいいところに! 予告編、完成したよ!」


「予告編……?」


「うん、本編は当日のお楽しみってことで、今日はこれだけお披露目」


そう言って、あさひがノートPCを操作し、スクリーンに映像が映し出される。


『舞風学園文化祭 特別上映作品』


『これは、“誰かになる”物語ではない』


『“本当の自分”に出会う物語』


練習中のカット、舞台袖で見つめ合うシーン、笑顔、葛藤、涙――

仲間たちの一瞬一瞬が美しいモンタージュとなって流れていく。


『2025年 秋――開幕』


暗転。


「……なにこれ、泣きそう」


みこがぽつりとつぶやき、紗里が「絶対バズるやつだわ」とつぶやいた。


「でもさー、最後にちょっと足りないものあると思わない?」


あさひがぐるっと椅子を回して、ひのりを指差す。


「ひのり、ナレーションやってくれない?」


「えっ、あたし?」


「うん。ひのりの声で締めたい。……だめ?」


「……いいよ! やってみる!」


少し驚いた表情を浮かべたあと、ひのりは大きく頷いた。


「じゃあ、文化祭に向けて――私たちの“本番”も、ここからだね」


七海のその言葉に、部室全体がしんと静まったあと、ふわっと笑顔が広がる。


「最高のステージにしよう」


唯香の言葉に、みんなの目が自然と前を向いた。


文化祭へ向けて――

少女たちの物語は、確かに一歩、未来へと進みはじめていた。


続く


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