第十二幕 階段で夏の記憶
7月下旬、夏休みの始まり。
紗里とみこの地元でお馴染みの見晴駅に降り立った私服姿のひのり、七海、唯香の三人を、駅前の夏の空気が迎える。
改札を抜けると、蝉の声と熱気――
それだけで、この町に“帰ってきた”気がした。
「あっつ〜〜〜!これぞ“夏!!”って感じ!」
ひのりが首元をパタパタと仰ぎながら、にかっと笑う。
「……また来ちゃったね、見晴町」
七海がそうつぶやき、駅前の小さなロータリーと商店街を懐かしそうに見回す。
唯香もゆっくりと頷いた。
「前に来た時と、同じ場所なのに……少し、違って見える」
駅前の古びた案内看板が、前に来た時と変わらないままそこにあった。
「そりゃあ私たち、あれからちょっとだけ“地元のヒロイン”になったもんねっ!」
ひのりが得意げに言ったその時――
「なに調子乗ってんの、アンタだけヒロイン扱いされてないでしょ」
その声と共に、駅の反対側からやってくる二人の姿。
紗里とみこが、駅前の坂を駆け下りてくる。
「わぁ、久しぶり!……って言っても、あれからまだ一週間くらいしか経ってないけど」
みこが少し息を切らせながらも、笑顔を浮かべる。
「みこちゃん、浴衣持ってきた?うちら、今年はちゃんと“主役サイド”で祭り出るんだからねっ!」
紗里が元気いっぱいに声を上げると、ひのりは「あーやばい、テンション上がってきたー!」と腕を振り上げた。
「見晴町、ただいまーっ!」
「……それ、わたしたち地元じゃないんだけどね」
七海が呆れたように言うが、その声色もどこか柔らかい。
「“ただいま”って言っても、いいと思うよ」
みこの言葉に、全員が一瞬だけ静かになって――そして、笑い合った。
この町での再会。
祭りの一日が、また新しい思い出になっていく。
やがて、木造の引き戸が特徴的な、古びた駄菓子屋「ふるや」が姿を現す。色褪せた「氷」の旗がゆらゆらと風に揺れている。
「こんにちはー!」
ひのりが元気に声をかけると、奥から店のおばあちゃんがうちわ片手に顔を出した。
「あらまあ、紗里ちゃんにみこちゃん。それに、この前のお友達も。こんな暑い中、よく来てくれたねぇ」
「こんにちは!」
紗里が元気よく手を振る。
「また来ちゃいました」
みこも小さく笑って頭を下げた。
「前はごちそうさまでした」
七海がぺこりと頭を下げる。
「今日は夏祭りに来たんです!」
「そうかい、そうかい。祭りの日は町も賑やかになるからねぇ。まあ、まずは座っていきな」
そう言っておばあちゃんは、奥から小さなトレイを持ってくる。
冷えたラムネの瓶が五本。
そして色とりどりの駄菓子が並べられていた。
「さあさあ、暑かっただろ。飲んでいきな」
「えっ……いいんですか?」
七海が驚いたように尋ねる。
「いいのいいの。紗里ちゃんとみこちゃんは、小さい頃からここに来てるんだから。お友達も遠慮しないで」
「やったー!」
ひのりが嬉しそうにラムネを手に取り、ビー玉をポン、と落とした。
カラン、と涼しげな音が鳴る。
「……こういうの、落ち着くな」
唯香が静かに口にする。
「昔から変わらないんだよ、ここ」
紗里が店内を見回しながら言った。
「うん……夏になると、よくここでラムネ飲んでた」
みこも懐かしそうに頷く。
おばあちゃんはそんな二人を見て笑った。
「昔は二人とも、もっと小さかったのにねぇ。紗里ちゃんは今と変わらず賑やかで、みこちゃんはいつも隣で笑っててさ」
「今と全然変わってないじゃん!」
ひのりが笑う。
「……そんなに変わってないかな」
みこが少し恥ずかしそうに俯いた。
蝉の声、風鈴の音、少女たちの笑い声。
小さな駄菓子屋には、昔から変わらない夏の時間が流れていた。
その時――
「おばちゃーん! ラムネまだあるー?」
元気な声が店の外から飛び込んでくる。
ひのりたちが振り向くと、小学校低学年くらいの女の子と、その少し年上らしい少女が駆け込んできた。
「あるよ、あるよ。走ると危ないよ」
おばあちゃんが笑って迎える。
二人の少女は店内にいるみこを見つけると、ぱっと表情を明るくした。
「あっ、みこお姉ちゃん!」
「久しぶり!」
みこも穏やかに笑い返す。
「二人とも元気だった?」
「うん!」
ひのりが首をかしげる。
「みこちゃんの知り合い?」
「この辺に住んでる子たちなの。小さい頃から、この店でよく会うんだ」
みこが説明すると、おばあちゃんも頷く。
「この店に来る子は、年が違っても自然と顔見知りになるんだよ。紗里ちゃんとみこちゃんも、昔はこんな感じだったねぇ」
「へぇ〜。駄菓子屋って地域のたまり場なんだ」
ひのりが感心したように店内を見回す。
二人の少女は、ひのりたちを興味津々に見つめている。
「みこお姉ちゃんのお友達?」
「うん。同じ学校の演劇部のみんなだよ」
「演劇部なんだ!」
姉妹のように仲のいい二人は目を輝かせた。
その様子を見て、ひのりがにやりと笑う。
「じゃあさ、ちょっとだけ演劇ごっこしてみる?」
「えっ!? いいの!?」
二人は顔を見合わせ、嬉しそうに頷いた。
ひのりが立ち上がると、ビー玉の残ったラムネ瓶がカランと音を立てた。
「じゃあ、今からこの駄菓子屋は《魔法の塔》ってことにしよう!」
「えっ、いまここで!?」
年下の少女が目を丸くする。
「大丈夫。最初は誰でも“ごっこ遊び”から始まるんだよ」
唯香が、そっと笑った。
その穏やかな言葉に、二人は顔を見合わせ、コクンと頷いた。
「よーしっ! 私たちは《魔法の塔》に迷い込んだ旅人! そして二人は、この塔に住む見習い魔法使い!」
「わたし、火の魔法使いたい!」
「じゃあ……私は風!」
「決まり! じゃあ始めよう――“夏の宵の魔法使いたち”!」
駄菓子屋の店先、風鈴の下。
古い扇風機がブンブン音を立てる中、ひのりはスカーフをマント代わりに肩へかけ、芝居のナレーション役を買って出た。
――やがて、即興の芝居が終わる。
店先に自然と拍手が起こった。
「……これが、演劇?」
年上の少女がぽつりと尋ねる。
「うん。正確には演劇ごっこだけどね。でも、それで十分。演劇って、ごっこ遊びから始まるものだから」
ひのりが笑う。
その隣で、唯香も二人に語りかける。
「今日みたいに、誰かと一緒に楽しんで、なりきって遊ぶ。それだけでも立派な始まりだと思う」
「楽しかった!」
年下の少女が笑顔を見せる。
その様子を、おばあちゃんは店の奥から嬉しそうに眺めていた。
「まったく、今日はずいぶん賑やかな店になったねぇ」
「またここでやってもいい?」
少女が尋ねる。
おばあちゃんは笑った。
「もちろんさ。ここは昔から、子どもが遊びに来る場所だからね」
夕暮れがゆっくりと町を包み始める。
ひのりたちは、少女たちと駄菓子屋のおばあちゃんに手を振りながら「ふるや」を後にした。
その時、おばあちゃんがひのりを呼び止めた。
「ちょっと待ちな」
「はい?」
差し出されたのは、小さな手持ち花火の袋だった。
「祭りが終わったあとにでも、みんなでやりな」
「えっ、いいの!?」
「せっかくの夏休みだろ。楽しんでおいで」
「ありがとうございます!」
ひのりは嬉しそうに袋を受け取った。
その花火が、あとで五人の夏の夜をもう少しだけ長くしてくれることになる。
ひのり達は、手を振る姉妹と駄菓子屋のおばあちゃんに別れを告げながら、再び駄菓子屋を後にした。
夕暮れ、それぞれ色とりどりの浴衣に着替え、公民館の貸し更衣室で帯を締め合いながら、わいわいとはしゃいでいた。
「うわ〜〜、紗里、その浴衣めっちゃ似合ってるじゃん!……え、なにその花柄、ズルくない?」
「えへへ、選ぶのに一時間かかったもん」
「みこちゃんも髪まとめて可愛い〜〜〜!」
「そ、そう……?なんか背中ムズムズする……」
「んふふふふ、こういう時のためにって“マイ兵装”を用意しておいたのだよ!」
「ひのり、それ武器みたいな言い方やめて?」
そんな風に支度を整え、五人は提灯の灯りが並ぶ見晴町の夏祭り会場へ。
会場に入った途端――
「わーっ!ヨーヨー釣りだ!あれやりたいっ!」
「じゃあ射的いこう!私、去年の夏、全部外したの!今年こそはっ!」
子どもみたいにはしゃぐひのりと紗里が、浴衣の裾をバタつかせながら先頭を駆けていく。
その後ろを唯香、七海、みこが微笑ましくついていった。
**
ヨーヨー釣りの屋台で、ひのりが真剣な顔で糸を垂らす。
「……今だぁっ!」
ポチャン。
「わあ〜っ!!取れたーっ!!!」
「うわ、マジか!一発で取る!?小学生かよ!」
「ひのりって、こういうとこだけ集中力すごいよね……」
**
射的の屋台では、紗里が「ここだっ!」と狙いを定め――
「おっちゃん、あれ倒したら焼きとうもろこしつけてくれる?」
「おう、姉ちゃんノリええな!一発で倒したら、特別につけたるわ!」
「……マジで!? よーし、これは勝負!」
……結果、倒せず。
「うわぁぁあぁぁ〜〜〜!! かすったじゃんかー!!」
「はいはい、残念賞のうまい棒。……でも面白かったから、おまけに半分だけあげるよ」
「おっちゃん優しい〜!!」
**
そこからは食欲爆発モード。
ひのりは焼きそば、からあげ、かき氷、焼き鳥、フランクフルトを次々に食べ歩き――
「ん〜〜っ、全部うまっ!やばい、胃が祭り!」
「ちょ、ちょっとひのり……それ三人前は食べてるって……太るわよ」
七海が目を丸くする。
「でも太ったってわかんないよ、浴衣だし〜〜」
「いや、浴衣関係ないし……」
「大丈夫!私の体は、夏祭り仕様だから!!(?)」
「あんたが“夏祭り妖怪”とかになりそうでこわいんだけど……」
そんな中、唯香はたこ焼きの湯気を見つめて、またもカロリーをそっと気にしはじめる。
「……8個でだいたい……400……?」
するとひのりがすかさず横から、
「また言ってるー!さっきお菓子とラムネたらふく食べたの、忘れた!?」
「……っ、あれは、おばあちゃんのご厚意だったから!」
「ほーら、また都合いい理由〜!」
「な、なんか唯香ちゃんって、“ちょっと天然でズルい”って新ジャンルかも……」
みこのつぶやきに、唯香はうっすら赤くなりながら小声で返した。
「せめて“器用”って言って……」
提灯の明かりがきらきらと揺れて、少女たちの笑い声が夏の宵に響いていく。
屋台の熱気と人々の賑わい、その中に、かけがえのない「今」があった。
夜風が心地よく吹き抜ける見晴町の夏祭り。
屋台の灯りがゆらめく中、境内の一角に設けられた小さな舞台が、ほのかにライトアップされる。
「さぁ皆さま、本日の特別ゲストじゃ!」
神主の掛け声に、観客の視線が集まる。
ステージに並ぶのは、さっきまで屋台を楽しんでいたあの五人の少女たち――
浴衣姿の舞風学園演劇部員たち。
ひのりが軽く一礼し、手を挙げる。
「レディースアンドジェントルメーン!こんばんはー!えっと……私たち、私立舞風学園の演劇部ですっ!」
「夏祭りだよ。ここは空気読もう」
「今日は、お祭りに呼んでいただいてありがとうございます!
さっきまで、ヨーヨーとか射的とか、すっごく楽しかったです!!」
観客から小さな笑いと拍手が起こる。
紗里が続く。
「舞台って言っても、今日はガチな芝居じゃないんで安心して。
ちょっとだけ、自己紹介と、おまけみたいなミニ寸劇やります!」
七海は一歩前へ。
「“演じる”って、難しくて楽しくて、何より“届ける”ことが大事だと思ってます。
だから今日は……この場の空気に、ちょっとだけ“魔法”を混ぜますね」
観客がざわつく中、
ひのりと唯香がさっと息を合わせて――
「風よ、そよげ――この願いと共に!」
ひのりが見えない“風の杖”を振り、唯香がそっと手をかざす。
その瞬間、舞台の脇に置かれた風鈴が、偶然かのようにチリンと鳴る。
「……おぉ……」
観客の中から、静かな感嘆の声。
紗里がちょっと照れながらまとめる。
「って感じで、私たちは普段こんな風に“なりきり”して遊んでるんで。
よかったらまたどっかで舞台、観に来てください!」
みこも控えめに一言。
「今日は、ありがとうございました……とっても、うれしいです」
そして最後に唯香は言う。
「……今日は、まるで魔法みたいな時間を過ごせて、すごく幸せでした。
こんな夜が、ずっと続けばいいのに……って、少しだけ思いました」
5人が揃って、ぺこりと頭を下げた。
――その直後、夜空に第一発目の花火が、ドンッと上がった。
観客の歓声とともに、
ステージの少女たちも空を見上げ、浴衣の袖を揺らしながら笑顔を交わす。
ステージを降りると神主は花火が見える場所を教えてくれた。
「こっちの階段を登った先な、祭りの日は誰も来ない“穴場”なんだよ」
昼間、神主がそっと教えてくれた場所。
その言葉を頼りに、ひのりたちは神社の裏手へと足を運んでいた。
提灯の灯りも届かないその先には、
草むらに囲まれたちょっとした空き地と、町を一望できる見晴らしの良い石段。
「……うわ、風が気持ちいい」
七海が髪を押さえながら、感嘆の声を漏らす。
「ほんとだ。なんか……空、近い気がする」
と、みこが見上げる空には、ちょうど一発の大輪の花火が咲いた。
ひのりがぱたぱたと袋を振り回す。
「はいっ!実は駄菓子屋のおばあちゃんがくれたんだ。手持ち花火っ!」
「おぉ~さすが」
紗里が感心したように拍手を送る。
「ひのり、袋に隠してたんだね」
唯香がクスッと笑って、ロウソクを取り出す。
「ねえ、順番にやろ?」
ひのりの言葉に、5人は並んでしゃがみ込み、それぞれ火を灯していく。
シュウゥ……パチパチッ。
石段にしゃがんだ彼女たちの顔を、色とりどりの火花が照らしていた。
「……こういうのって、懐かしいな」
唯香が小さくつぶやく。
「子役の仕事が忙しかった頃、こういう普通の夏の遊び、ほとんどなかったの。
でも……今は、ちゃんと“夏休み”してる気がする」
「今が一番“夏”っぽいってこと?」
七海が茶化すように言うと、
「そういうこと」
と、唯香は少し照れながら笑った。
紗里がふと思い出したように呟く。
「ここって、前にも来たことあったよね……あのときは昼間だったけど」
「うん、前にここ来た時。ひのりが“また来たいな”って言ってた」
みこが答える。
「……あたし、また来れたの、嬉しい」
と、ひのりがぽつりと呟いた。
「ほら、名前をつけるんだっけ? 今日は、“階段で夏の記憶”とか?」
七海が提案すると、
「それいい!それにしよう!!」
と、ひのりが目を輝かせた。
最後に線香花火を灯しながら、五人はただ静かに空を見上げていた。
風鈴の音はもう聞こえず、夜の虫たちの声がしきりに響く。
ドンッ――と、再び遠くで上がる花火の音。
その光が、石段に座る五人の浴衣姿を照らす。
「ねぇ……また来ようね。今度は後輩も一緒に」
ひのりの声に、皆が“うん”と微笑む。
そして、彼女たちの中に――
今日のこの夜が、またひとつ、大切な“舞台”として刻まれていった。
続く。




