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だって、お姉様お望みの悪女ですもの

作者: 小蔦あおい



 王国の貴族が通う、セントベリー学園にて。

 日直で教室の鍵を職員室へ返しにいった帰り、イザベル・ファロンは担任からノートを運ぶよう頼まれた。

 ついていないと思いながらも、イザベルは依頼された生物準備室へと持って行く。


「えっ……」

 扉を開けたイザベルは、飛び込んできた光景に目を疑った。実の姉アデルとイザベルの婚約者ロブ・マクウェルの浮気現場に遭遇したからだ。

 混乱してうまく言葉が出てこない中、イザベルは何とか声を絞り出した。


「お姉様、ロブ様と何をしていたの?」

 アデルはイザベルの双子の姉だった。

 ファロン侯爵家に生まれた二人は、二卵性双生児で容姿はまったく似ていない。

 アデルがタンポポの綿毛のようにふわふわとした雰囲気なら、イザベルは灼熱の砂漠に生えている刺々しいサボテンのような雰囲気がある。二人は容姿も雰囲気もまるで違っていた。


 線の細いアデルはふるふると金髪を揺らしながら翠色の瞳に涙を溜める。

「ロブ様とは何も。ただお話をしていただけで……」

 アデルに同調するようにロブが大きく頷く。

「そうだ、イザベル。アデルとは他愛もない話をしていただけだ」

 二人の白々しい答えに、イザベルは乾いた笑みを浮かべた。


「抱き合ってキスまでしていたのに?」

 頬に掛かっていた金褐色の髪を耳に掛け、イザベルは紅色の瞳をスッと細める。

 嘘がバレたアデルは顔を青くし、ロブは言葉を詰まらせた。

 一部始終を見られていたなど、二人は想像もしていなかったのだろう。だが、往生際の悪いアデルは否定した。


「違うのよ、私たちは……」

「不貞を働いていたのに何が違うの?」

 イザベルは言葉を遮って問い詰める。

 アデルは口元に手を置き、まごつきながらも弁解した。

「私は恋愛がどんなものか知りたくて。ロブ様なら、教えてくれるかもって」

「それで実践してもらってたってこと?」

「そ、それはっ…………あぁっ!」

 突然アデルが胸を押さえて苦しみだす――発作だ。アデルはその場に蹲ってしまった。


「お姉様!?」

「アデル!?」

 イザベルと同時に声を上げたロブは蹲るアデルの隣で膝をつき、背中を摩る。

「うぅ、くる、しぃっ……」

「イザベル、貴様のせいでアデルの発作が出てしまったじゃないか!」

 声を荒らげるロブは鼻面に皺を寄せ、イザベルを睨め付けた。


「アデルの身体が弱いのは貴様も知っているだろう。それなのになんで精神的に追い詰めて苦しめるんだ? 今すぐ謝れ!」

 それを言うならイザベルだって精神的に追い詰められ、苦しめられている。


 婚約者が浮気していたのだ。実の姉と。



 アデルが発作を起こしてしまったのは可哀想だが、もとはと言えば二人に原因がある。

 何故ここでイザベルが責められ、謝らなくてはいけないのだろうか。ショックで何も言えないでいたら、アデルが弱々しい声で言う。


「ロブ様、イザベルを責めないで。私は大丈夫、だから……」

 アデルは肩で息をしながら、隣にいるロブの服の裾を掴む。

 ロブはその健気な姿に眉尻を下げ、アデルの頭を優しく撫でた。


「大丈夫なわけないだろ。すぐ医務室へ連れていく。少し我慢してくれ」

 アデルの腕を自分の肩に回したロブは、お姫様抱っこをして立ち上がる。そして、すれ違いざまにイザベルへ捨て台詞を吐いた。


「おまえは噂通りの悪女だな。まったく、貴様のような女と結婚しなきゃいけないこっちの身にもなれ。そして、アデルの優しさに感謝しろ!!」

 バタン、と勢いよく扉が閉められる。


 残されたイザベルは俯いてこめかみに手を当てた。

「疲れた」

 誰に言うでもない呟きは部屋の静寂に溶けていく。

 ロブとの婚約はイザベルが七歳の時に決まった。彼の実家であるマクウェル伯爵家は伯爵家の中でも由緒正しく、かなりの資産があると言われている。


 イザベル達の実家ファロン侯爵家とも引けを取らない。

 もともとこの縁談に名前が上がっていたのは姉のアデルだったが、病弱なためにイザベルに話が回ってきた。


 この件についてはアデルも承知していた。だからこそイザベルはアデルの軽薄な行動が理解できなかった。

 そもそもイザベルはロブとキスや抱擁はおろか、手も繋いでいない。

(お姉様もそうだけど、ロブ様もロブ様だわ)

 二人に失望したイザベルはため息を吐いた。

(というか、悪いのは二人なのにどうして私が責められないといけないの? 結局、お姉様の発作のせいで謝罪もされなかった。……いつものお決まりパターンね)


 イザベルの人生は物心ついた頃から、身体の弱いアデルを中心に回っていた。

 侯爵家にいる時も学園生活をしている今も、イザベルは身体の弱いアデルにつきっきりで面倒を見ている。これまで一日でも自由に使える時間を持ったことはない。


 本来なら世話役の侍女を付ければいいのだが、何故かその役をイザベルが担っている。

 侯爵令嬢のはずなのに、イザベルは小さい頃からアデルの世話役として働かされていた。


 身体の弱いアデルを不憫に思う両親は、イザベルが世話をするのは当然だと普段から口にしていた。というのも、両親はイザベルがお腹の中にいる時にアデルの健康を吸い取ったと信じているからだ。


(私が恵まれた体質で生まれてきたから、お父様もお母様もそう思うようになってしまったのよね)

 普通の人間と違い、イザベルは生まれながらにして魔力を保有している。

 目を閉じたイザベルは温かな光をイメージしてから再び目を開いた。するとそこには、眩い黄金の玉――光の精霊がふわふわと飛んでいる。


 精霊には水や火などの属性がいるらしいが、イザベルは光の精霊だけを呼び出せられた。言い伝えによれば、魔力を持つ人間は普通の人よりも精霊の庇護を受けやすい。


 だからこそ両親は、イザベルと比べて何も持っていないアデルが可哀想で仕方がなく、彼女の望むものは何でも与えた。

 甘やかされて育ったアデルは、自分の思い通りにならないと癇癪を起こす。それが引き金となってさらに発作も起こす。発作を起こしたら何故かイザベルが両親から叱られ折檻された。


『アデルが可哀想でしょう? 何でも持っているあなたにはアデルの苦しみが分からないのね』

『おまえは姉さんの面倒をしっかり見ろ。それが妹としての務めだ』

 両親はいつもアデルの味方だった。


 だからロブとの縁談が回ってきた時は、希望を抱いた。彼と結婚すれば、イザベルはアデル中心の生活から解放される。ファロン家から出ていける。

 ロブは俺様気質で傲慢なところもあるけれど、この屋敷から出られる唯一の方法であり、救世主だった。

 ――けれど、その希望も今日で終わり。



(思い返せば、数ヶ月前から二人の行動は怪しかったわ)

 イザベルはアデルとロブが休み時間に二人で行動しているところを度々目にしていた。アデルは偶然会っただけだ言っていたが、ただならぬ雰囲気や距離感が近いのが妙に引っ掛かった。

 自分の勘は正しかったようだ。

(二人の関係は今に始まったことじゃなさそうね)

 こうなったらロブとの婚約を解消したい。今すぐに。



「そうよ。私から婚約破棄すればいいのよ。そうすればお姉様とロブが結ばれてハッピーエンドじゃない!」

 ロブがイザベルと婚約解消しても、アデルと婚約し直せば家同士の繋がりは残る。すべてが丸く収まる。

 しかし、すぐに見落としがあるのに気づいた。


「ダメ。アレのせいで私からは婚約破棄できないわ……」

 イザベルにはロブへ婚約破棄を突きつけられない理由がある。それはとある誓約書で、王家の前で誓いを立てているため簡単に取り下げができない。


「こうなったら浮気に関してお父様の方から抗議してもらうしかないけど。無理でしょうね」

 万が一父がマクウェル家へ抗議してくれたとしても、今度はロブが適当な理由をつけて反論してくるに決まっている。


 例えば、イザベルの悪行に耐えられずアデルに相談していくうちに深い仲になってしまった、とか。

 そこまで考えてイザベルは嘆息を漏らした。

「噂がどこから流れているのか分からないけど、私はこの学園で名高い悪女だものね」


 どうしてそうなったのか分からないが、セントベリー学園に入学して一ヶ月と経たないうちにイザベルは周りから悪女だと陰で囁かれるようになった。

 初めてできた友達と親睦を深めたかったのに、根も葉もない噂のせいで周りから距離を取られるようになり、今では用事がない限り誰からも話かけられない。教室ではいつも一人だ。


 噂の内容は、気に食わない女子生徒に陰湿な虐めをしているや、隠れて飲酒しているなど。

 この三年間、友達はできなかったし楽しい学園生活も送れなかった。授業や行事以外で思い出として残っているのは、お茶汲みや着替えの手伝いなどもっぱらアデルの面倒を見ることくらいだ。


 ロブとは入学当初によく食事をしていたが、悪女の噂が流れ出してからは食べなくなった。恐らく、イザベルが自分の婚約者だと思われたくなくて距離を取ったのだと思う。

 イザベルは噂通りの人ではないと否定できたはずなのに、ロブはただ保身に走った。


「本当、嫌になるわ」

 学園では悪女と言われ、プライベートではつきっきりで面倒をみていた姉に婚約者を取られてしまった。これまで気づかないフリをしてきた様々な感情が合わさって、胸が痛く苦しい。視界が涙で歪む。

 イザベルはとうとう嗚咽を漏らした。



「――ねえ、そのノート俺のなんだけど」

 突然、部屋の奥から重低音のある声がしてイザベルはびくりと肩を揺らす。

 ノートと言われ、イザベルは先生に運ぶように言われたノートをずっと小脇に抱えていたのを思い出した。


 それよりも重要なのは、いつからこの準備室に第三者がいたかという点だ。

(ちょっと待って。この醜聞の一部始終を見られていたの!?)

 修羅場を誰かに見られていたと知り、イザベルは顔を赤くした。


 恥ずかしいやら情けないやらで感情はぐちゃぐちゃだ。それよりどうやって口止めをしよう。

 姉妹による三角関係など醜聞好きな生徒から何を言われるか分かったものではないし、ファロン家の威信にかかわる。

(これ以上悪い噂はごめんだわ)

 イザベルは勢いよく後ろを振り向いた。


 そこにいたのは、大きな丸眼鏡を掛けたボサボサの黒髪の青年。

 隣には骨格模型と人体模型が並んでおり、何というかうまく溶け込んでいる。まったく気づかなかった。


(あっ、根暗鴉……じゃない、ウィリアム・バートラム子爵令息!)

 ウィリアムは変わった風貌かつ誰とも連まないことから、生徒たちの間で根暗鴉と揶揄されている。

 同じクラスだし、インパクトのあるあだ名だから覚えてしまっていた。



「バートラムさんはいつからここに?」

「男子生徒と女子生徒がやって来てイチャイチャしだす前からずっといた。ここは俺の研究室なんだ」

「ご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございません」

 イザベルはウィリアムにノートを渡してから頭を下げる。純粋に勉強していたウィリアムの邪魔をしてしまって申し訳ないし、見苦しいものまで見せてしまった。


「何故君が謝る? そう言えば、二人に怒っていたような」

 首を傾げるウィリアムに、イザベルはバツの悪い顔をした。

「先程の男女は私の婚約者と姉なんです」

 イザベルはウィリアムが息を呑むのが分かった。

 事情を分かってもらえてありがたい反面、恥ずかしすぎて穴があったら入りたい。

 心情を誤魔化すように、イザベルはこほんと小さく咳払いをする。


「あの、これはお願いなのですが、先程の内容はバートラムさんの記憶から抹消すると約束してくれませんか?」

「記憶から抹消?」

「そうです。この醜聞を他の生徒たちに広められては困るので」

 一匹狼のウィリアムが誰かに言いふらす可能性はかなり低いだろうが、言わない保障はどこにもない。だからイザベルは言質を取っておきたかった。


 現状イザベルは学園内で悪女というレッテルを貼られている。そこに三角関係まで追加されるとなれば、立場はさらに悪くなる。

 また、アデルの立場が悪くなれば両親は絶対に激怒し、真の被害者であるイザベルを責めるだろう。

(お父様たちに何か期待しても無駄よ。あの人たちはアデルが一番大切だから)

 胸の上で手を重ね、考えを霧散させるようにふるふると頭を振る。


 イザベルはウィリアムを一瞥した。

 顔の半分が大きな眼鏡で覆われていて、何を考えているのか読み取れない。しかし、いつも誰とも連まず一匹狼を貫いているのだからきっと他人には興味がないはずだ。

(バートラムさんは早く研究に没頭したいだろうし、私のお願いを二つ返事で聞いてくださるわ)


 イザベルがそう思った矢先、ウィリアムからは意外な言葉が返ってきた。

「さて。どうしようか?」

「え?」

 ウィリアムの反応に、イザベルは思わず聞き返してしまった。


 ウィリアムは考える素振りを見せると、手にしているノートとイザベルを交互に見る。

「イザベル嬢はさっき光の精霊を呼び出していたよね? 俺は光の精霊だけが呼び出せない。魔力のある人間は貴重だ。だから口止め料として明日から俺の錬金術の助手をしてくれないか?」


『錬金術』という単語にイザベルの心臓が大きく跳ねる。

 それは、自分の身体に宿る魔力を使って精霊から力を借り、あらゆる物質を霊薬に変える術のことだ。


 この世には魔術と錬金術の二つがあり、三百年前まで人々の生活に根づいていた。けれど時代の流れとともに魔力を使える人口が減少し、魔術と錬金術は衰退していった。

 さらに錬金術に関して、ある事件が八十年前に起きた。それは当時錬金術師として名を馳せていた人物が劇薬を作って人体実験を行っていたのだ。


 くだんの錬金術師のせいで錬金術のイメージは急速に悪化。今では錬金術と聞けば眉を顰めて異端と思う人間が大半だ。

 けれど、イザベルは違った。医学で治せないアデルの発作を、錬金術でなら治せるかもしれないと思ったからだ。


 とはいえ、自由な時間を持てないイザベルは、アデルの面倒を見るばかりで本を読むことすら叶わなかった。

(学園に入学してからは図書館で借りた本をこっそり読んでいたけど、錬金術の本はほとんどが焚書されたから詳しい内容のものはないのよね)

 考え込んでいたら、痺れを切らしたウィリアムが口を開く。


「嫌なら断ってくれて構わない。けど、さっきの一部始終を広められて困るのは君なんじゃないか?」

 イザベルは渋面になるのを隠さなかった。

 ウィリアムは一枚上手だったようだ。

 けれど、魅力的な誘いに心はわくわくしている。躊躇いなんてなかった。


「分かったわ」

「交渉成立だ。明日からよろしく、イザベル嬢」

「ええ、よろしくね。バートラムさん」

 ウィリアムから差し出された手をイザベルはしっかり握り締めた。






 それからのイザベルは授業以外の時間をウィリアムの助手として過ごすようになった。

 あれ以来、アデルとロブには一度も顔を合わせていない。向こうが謝罪をしにきたら口を利くかもしれないが、自分からは行動しないと決めた。

 放課後、生物準備室へ行くとウィリアムが実験器具を使って何かを作っていた。


「バートラムさん、頼まれていた野草を森から摘んできました」

 イザベルは指定された野草を机の上に並べていく。これは昼休みに摘んできたものだ。指定される野草は知っているものばかりなので集めるのは簡単だった。


 売店で軽食を買い、学園の北にある森でウィリアムに頼まれた野草を摘みながら昼休みを過ごしている。

 これまで教室で一人軽食を取っていたが、今はピクニック気分を味わっている。これはこれで楽しい。楽しいけれど、イザベルには一つ気がかりがあった。


「あの、バートラムさんは私が怖くないんですか?」

 イザベルはずっと気になっていた質問をする。いくら一匹狼であるウィリアムでもイザベルの悪女の噂は耳にしているはずだ。

 自分がウィリアムの立場なら、イザベルの弱みを握ったとしても距離は置いておきたい。ただでさえ悪い噂のあるイザベルと関わって、何かの拍子に汚点がついては困るからだ。


 ウィリアムは顔を上げ、くすりと笑った。

「何故怖がる必要がある? あ、そこの夜に摘んだ満月花の蜜を取ってくれ」

 ウィリアムの指差す方向を確認すると、棚の一番上に『満月花の蜜』とラベルが貼られた瓶がある。イザベルは背伸びをして瓶を取り、ウィリアムのもとへ持っていく。


「私は学園一の悪女と言われています。私のような悪い噂だらけの女を助手にしようなんて普通は考えませ……きゃああっ!!」

 足もとに積まれていた本に気づかず、イザベルは躓いて転びそうになる。

 瓶を割らないよう咄嗟に腕の中へ抱え込む。受身の体勢は取れそうにないので、ぎゅっと目を瞑って衝撃に備えた。すると、床の板材よりも先に柔らかい何かにぶつかった。


(あれ?)

 恐る恐る瞼を開くイザベルの目の前には、白のワイシャツがある。じっと観察すると、ウィリアムがしっかりと身体を支えてくれていた。

「大丈夫か?」

 イザベルは顔を真っ赤にした。

「す、すみません……」

 慌てて離れようとイザベルは足を後ろに下げる。だが、身体はびくともしない。

 否、ウィリアムにがっちりと両腕を掴まれていた。これでは離れられないと抗議しようとしたところで、ウィリアムに引き寄せられてしまう。


 眼鏡越しに彼のキラキラと輝く青い瞳とぶつかる。星空のように美しい瞳に吸い込まれそうになった。

 イザベルの心臓がドキンと跳ねる。顔に熱がさらに集中して熱い。

「ちょ、ちょっとバートラムさん!」

 イザベルが非難の声を上げると、ウィリアムはやっと解放してくれた。

 眼鏡で覆われているのでどんな表情をしているのか分からないが、くつくつと笑い声が聞こえてくる。


「少し触れただけで赤くなる君のどこが悪女なんだ? 悪女はそんなウブじゃない」

「どういう理屈ですかそれ」

「君は可愛いってこと」

「は、はぁ?」

 こんな揶揄われ方をするのは初めてで、どう対処していいか分からない。向こうが心底楽しそうにしているのだけは伝わってくる。


 イザベルは机の上に音を立てて瓶を置き、ウィリアムを睨んだ。

(一匹狼で勉強熱心だから女性慣れしてないと思っていたけど、バートラムさんは女性の扱いが上手みたい。もうあだ名を根暗鴉からエロ鴉に変えてやろうかしら?)

 イザベルが睨んでいるにもかかわらず、ウィリアムは涼しい顔をしている。


 作業に戻ったウィリアムは、イザベルが摘んできた野草を一つ取り、皿の上に置いた。

 そこに火をつけたマッチを入れ、聞いたことのない言葉を唱える。普通なら赤く燃えるはずの火が青く燃え上がる。

 野草はあっという間に燃えてしまったが、灰はどこにもない。なんとも不思議な光景だ。


「今、この部屋を浄化した。空気が悪いと精霊が寄り付かず、力を貸してくれない」

 言い終えるや、室内には数え切れないほどの光の玉が集まっていた。前にも話していたように、ウィリアムは光の精霊を呼び出すのは苦手らしい。集まってきたのは光の精霊以外の精霊たちばかりだった。

 それでもこの光景は圧巻である。


「バートラムさん、空いている時でいいので私に錬金術を教えてくれませんか?」

 感動したイザベルは思わずウィリアムに申し出た。

 この国に錬金術を扱える人間はほとんどいない。関連する書物はほとんど焚書され、学園の図書館にもほんどない。独学といっても入門が限界だ。


 錬金術を研究しているウィリアムに出会えたのは幸運だった。これを機に錬金術を教わりたい。

(お姉様の霊薬を作って健康にする。それで私は自由を手に入れるわ)

 ロブとの問題は残るが、少なくともアデルが健康になればイザベルは世話役という立場から解放される。

「ダメ、かしら?」


 助手を求めているくらいだから、ウィリアムは自分の研究で手一杯かもしれない。教えるのが難しいならどんな勉強をしてきたのか教えて欲しい。

 イザベルが固唾を飲んで見守っていると、ウィリアムは快く引き受けてくれた。

「錬金術仲間ができるのは嬉しい。参考書と纏めたノートを準備しておくから明日から教える。ところで、光の精霊を呼び出してくれないか? 俺の研究には光の精霊の力が必要なんだ」


「お役に立てるのなら構いませんよ。因みに、バートラムさんは錬金術で一体何の研究を?」

 この三日間、イザベルは頼まれた薬草を集めているだけでウィリアムが何をしているのかは知らない。錬金術で作れるものは霊薬だが、果たして何に対しての霊薬を作っているのだろう。


 ウィリアムは困った様子で頬を掻く。やがて、遠くを見つめるような目で天井の一点を見つめた。

「…………大事な人を癒す薬の研究だ」

 あまり詮索されたくないのかウィリアムは小さな声で呟くと、作業に戻ってしまう。

 けれどその声音はどれほど切望しているか物語っていた。


 錬金術と聞けば大半の人は眉を顰める。彼は霊薬を完成させるために後ろ指を刺されながらも、完成を追い求めてきたに違いない。

 イザベルはウィリアムの研究に真摯に取り組もうと改めて思った。






 イザベルがウィリアムの助手になってから一ヶ月が過ぎた。単位を取り終えているイザベルは卒業までの間、本格的に錬金術の勉強に取り掛かった。

 普段は周りの生徒へ話しかけるなオーラを出しているウィリアムも、イザベルには気さくに(主に錬金術にはなるが)話してくれる。


 イザベルはウィリアムから借りた参考書やノートを使って錬金術の勉強を進めた。日中は参考書とノートで勉強し、昼休みに野草の採取、放課後はウィリアムの研究の手伝いと実践を行なっている。

 基本的にウィリアムから頼まれるのは、野草の採取と光の精霊を呼び出すことなのでそれほど苦ではない。


 野草はリストと付箋つきの図鑑を渡されるため素人でも困らない。困らないが、たまに種類が多くて昼休みで終わらない時がある。

(残り三種類、やっと集められたわ)

 今日のイザベルは放課後も北の森に入って野草を摘んでいた。


 採集した野草はいつも森を管理している用務員に預かってもらっている。昼間に預けていた野草をもらったイザベルは、急いで生物準備室へ向かった。

 近道をするために普段使わない廊下を通る。するとそこで、ある単語が教室から聞こえてきた。

「アデル、泣かないでくれ」

(アデル?)


 姉の名前が耳に入り、条件反射的に歩みを止めてしまうイザベル。『泣かないで』ということは、泣いているのだろうか。

 この一ヶ月、人生で初めてアデルの面倒を見なかった。

 向こうが謝ってこないのを理由にイザベルは直接会いはしなかった。


 それでも心配で仕方がないので、わざとアデルのクラスの前を通ったり、寮母に気に掛けるようお願いしたりして見守ってはいた。

 泣いているのが気になったイザベルは、扉の隙間からそっと中の様子を窺う。扉の近くにいるアデルは確かに泣いている。泣いているが、イザベルはその光景に目を疑った。


 ポロポロと大粒の涙を流す彼女は、ロブに抱き締められているのだ。

 浮気が発覚してからも二人の関係は続いているらしい。

 イザベルは野草を持っていない手で口元を押えた。

 心のどこかで、いつかは浮気の謝罪に来てくれると信じていた。けれど目の前の光景からそんな日は一生来ないと悟った。


 呆然とするイザベルの耳に、二人の会話が嫌でも入ってくる。

「イザベルが私の面倒を見なくなったのは、全部私のせいよ。だって私、あの子の大切なあなたと恋に落ちてしまったんだもの」

 アデルは頬に伝う涙をハンカチで拭う。すると、腕を緩めたロブがアデルの頭にキスを落とした。


「アデルは悪くない。俺たちが惹かれ合うのは当然で、必然だったんだ。それに、あの女はアデルに手をあげて怪我をさせている。あんなのと結婚するなんて一族の恥だ!!」

 イザベルは謂れのない内容に驚きを隠せなかった。どちらかといえば、これまでイザベルの方が両親から手をあげられてきた。アデルは誰からも危害を加えられていない。


「怪我といっても痣だから痕は残らないわ。それよりもイザベルを悪く言わないで。あの子、みんなに構ってもらえず生きてきたから気を引きたくて必死なの。この前も一年の女子をいびってたけど、あれだって今まで我慢させられてきた反動みたいなものだから」

 アデルの口から出る嘘の数々にイザベルは戦慄した。身体の震えが止まらない。


(女子生徒を虐めている噂を流した黒幕は、アデルだったのね)

 イザベルは一気に奈落の底へ突き落とされた気分になった。入学してからこれまで、根も葉もない噂に散々苦しめられてきた。その度にアデルに相談して慰めてもらってきたのに。

(私は噂を流した張本人に話を聞いてもらっていたの?)

 真実を知り、気が遠くなるイザベル。自分はなんて馬鹿なのだろう。思わず失笑しそうになる。

 すると、今度はロブからとんでもない話が出てきた。


「なあアデル、俺と婚約しないか? 病弱でも構わない。もともと俺はアデルと婚約するはずだったし。今父上に頼んで誓約書の取り下げを王家に申請している。あの女の素行の悪さを説明すればきっと王家も理解してくれるだろう」

「まあ、嬉しいっ!」

 感極まったアデルは頬を赤らめ、ロブの胸に顔を埋める。


「ロブ様とすぐに婚約できないのがもどかしいわ。あの子の背中にある、醜い傷のせいでロブ様には迷惑を掛けてしまっているわね」

「まったくだ。あの女が婚約中に傷物にならなければ、誓約書なんてものは要らなかった。すぐに婚約破棄できた」

「そう言わないであげて。あれは私を庇ってできた傷だから」


 イザベルは背中に手を回し、指先で傷痕に触れる。

 浮気現場に遭遇して、イザベルが婚約破棄を切り出せなかった真の理由は、イザベルが傷物になり両家が王家を通して誓約書を交わしたからだった。


 誓約書の内容として、マクウェル家はイザベルの醜い傷を理由に婚約破棄をしないこと。一方のファロン家は、この誓約書がある限り婚約破棄をしないというものだ。

 要するに、マクウェル家側は醜い傷以外の理由では婚約破棄ができるが、ファロン家側はどんな理由があろうと婚約破棄できない。


「あいつは学園の誰もが知る悪女。最近は俺が流した噂も追加されて男漁りの激しい悪女になっている。王家が調査に入ったところで、皆が噂についてあたかも真実かのように話すだろう」

「あらロブ様ったら人が悪い」

 イザベルは、ロブにまで悪い噂を流されていたなんて思ってもいなかった。


 身近な人たちに裏切られ、もう誰を信じていいか分からない。

 アデルは妹が不幸になろうと自分の幸せのためならどうでも良いらしい。現に楽しそうに笑っている。

 イザベルは幼い時から献身的にアデルの面倒を見て支えてきた。

 背中に傷はあるけれど、ロブの相応しい婚約者になろうと努力してきたつもりだ。

 真剣に向き合ってきた二人にここまでぞんざいに扱われるなんて、憤りを通り越して虚しい。


「アデルと婚約し直せるならどんな手段だって使う。そうだ、一週間後の卒業パーティーであいつを糾弾して婚約破棄してやろう。全生徒が証人となり、俺たちは晴れて本物の婚約者になれるぞ!」

「きゃっ、それはとても楽しみだわ!」

 イザベルはキュッと唇を引き結び、逃げるようにその場から離れた。





 ***


 アデルは鼻歌交じりに卒業パーティーで着るドレスを選んでいた。

(色は何が良いかしら。ピンク、レモン、それともクリーム? うーん、どれも似合いすぎて迷うわ)

 ベッドの上に並べたドレスを取っては姿見で確認するアデル。これらは一ヶ月前にカタログから選んで注文し、両親に送ってもらった。


 ドレスだけでなく、装身具もそれなりの数を送ってもらっている。靴だけで三足、宝飾品だけで五点。

 イザベルにどんなものが送られたのか気になるが、所詮大したものではないだろう。昔からイザベルの服は質素だったから。


 アデルは自分だけ特別扱いされて優越感に浸る。

(ほんと、お父様もお母様も私には甘いんだから。まあ仕方がないわよね。私は身体が弱くてすぐに発作を起こしてしまう可哀想な娘なんだもの)

 アデルは机の上に飾ってある、ガラスドームの中のドライフラワーに目をやる。それはこの国で一年中どこにでも咲いている白くて小さな花、ミュゲル。


 花に近づいたアデルは、口角を吊り上げた。

「私の身体が弱いですって? ふふ、そんな訳ないじゃない。私はただこの白花(ミュゲル)アレルギーなだけ」

 アデルは物心ついた時から息苦しさを覚え、よく発作を起こしていた。心配した両親が医者に診せたところ、病弱だと診断された。


 ありきたりな花のアレルギーだったなんて医者は思いもしなかったのだろう。また、身体の弱いアデルが外には出ていないと聞いていたので、それこそ植物アレルギーなど疑わなかったのかもしれない。

 では、どうやってアデルは白花アレルギーと気づいたのか。答えは簡単だ。


 身体の弱いアデルを不憫に思った乳母が、せめて外の世界を味わえるようにと毎日白花の花束を届けてくれていたのだ。

 白花が大好きな乳母はアデルにもその花を愛でて欲しいと口にしていた。だが、その思いやりのせいでアレルギーに苦しめられる日々は続いた。


 アデルが七歳の時、乳母は目が悪くなったのを理由に屋敷を辞めていった。

 こうして彼女が去り、白花が届けられなくなって一週間後。アデルは息苦しさも発作も起こらないことに気づいた。



 原因を知ったアデルは震えた。それは、乳母が知らず知らずのうちに自分を殺そうとしたからではない。

 自分中心の世界が崩壊するかもしれないという危機感に恐怖を覚えたからだ。

 これまで病弱を理由に、アデルはイザベルを召使いのように扱ってきた。健康になったらそれができなくなる。

 何よりもイザベルと比べられ、万が一にも立場が逆転したらと思うとゾッとした。


(イザベルは召使いで私の引き立て役に過ぎないの。双子の妹として生まれてきただけでも厚かましいのに。あんな子にお父様たちの関心を持っていかれるなんて絶対イヤ!)

 アデルは病弱で可哀想な自分を演じ続けるために、皆に隠れて白花アレルギーの研究をした。どれくらいの量を摂取すれば息苦しくなって発作が起こるのか徹底的に調べた。

 その結果、花を一つ食べれば発作が出ると分かった。



 時を同じくして、アデルとイザベル宛にエインズワース公爵家からお茶会の招待状が届いた。

 たまには同年代と交流するのも悪くないと思ったアデルは参加すると返事をした。

 この時のアデルはこのお茶会で人生が変わるとは思ってもいなかった。そして会場に着いたアデルは出会ってしまった。


 自分の理想すべてを詰め込んだ完璧な容姿の少年――ルーシャン・エインズワース公爵令息に。

 将来を約束された顔立ちはどの角度から見ても精巧な彫像のように美しい。歩くたびに揺れる髪は栗色で、湖を思わせる青い瞳には強い光が宿り目が離せない。


 アデルは一瞬で恋に落ちた。

(私はルーシャン様と結婚する。どうやったらお近づきになれるかしら)

 ルーシャンと会うのは今日が初めてだ。これまで一度も交流はない。どうにかして関係を築かなければ。


(そういえば、ここの玄関ホールの階段は急だったわね。あそこで転んで怪我をすれば、彼は私を覚えてくれるかも。それでお見舞いや手紙のやり取りが始まって……)

 想像を巡らせてにんまりと笑みを浮かべるアデルは、即行動に出た。目的の玄関ホールに人通りはなく、最高のタイミングだった。



 アデルは階段を登る。二階から落ちて本当に大怪我をしては本末転倒なので、踊り場から落ちると決めた。踊り場までの階段を登り切り、そのまま倒れるようにして身を投げる。

 けれど、階段から落ちていく最中に背後から声がした。

『危ない!』

(イザベル!?)

 声の主が誰なのか察したアデルは後ろを振り返る。背後には数段階段を登り、両手を広げるイザベルがいた。


 イザベルは倒れてくるアデルを守るように抱き締め、一緒に転がり落ちる。

 誰かの悲鳴が聞こえた後、全身に鈍い衝撃を受けた。近くで陶器の割れた音がする。

『大丈夫?』

 耳元でこちらを気遣うイザベルの声が聞こえる。


 大丈夫なはずがない。イザベルのせいで計画が台無しだ!

 内心怒り狂っていたが、顔を上げたアデルは声が出なかった。

 何故なら、近くに立っている侍女が花瓶を落とし、飛び散った大きな破片がイザベル背中に突き刺さっていたからだ。


 どうやら階段から転がり落ちてきた自分たちに驚いて、侍女が落としたらしい。

『申し訳ございません、お嬢様!』

 顔色を失った侍女は今にも泣き出しそうだった。

 貴族の令嬢に怪我を負わせてしまったのだから一大事である。解雇は免れないし、処罰も受けるだろう。


 イザベルはアデルが無事か確認した後、侍女に向かって微笑んだ。

『大丈夫だから落ち着いて。すぐに医者を呼んでくれると助かるわ』

 侍女は何度も頷いて、大急ぎで医者や執事を呼びに行った。


 すぐに客室へ案内されたイザベルは医者の手当てを受けた。だが、怪我の傷は一生残ると診断された。

 主催者であるエインズワース公爵とルーシャンは深謝してくれたが、イザベルがこれは事故だから誰の落ち度もないと答えていた。


 気丈に振る舞うイザベルに、アデルは憎悪を覚えた。

(イザベルが後ろにいなければ今頃私が心配されていたのに。これじゃあ、あの子の方がルーシャン様の記憶に残ってしまう。悔しい。悔しい悔しい悔しい!!)


 アデルは一人廊下に出て悔し涙を流した。

『あの』

 突然声を掛けられてアデルは振り返る。そこにはルーシャンがハンカチを差し出して立っていた。

 驚いてぱちぱちと瞬きをするアデルに、ルーシャンが優しく言う。

『辛い経験をされましたね。どうか、元気を出して下さい』

 自分のためにわざわざ追いかけてくれただなんて。嬉しくて天にも昇る気分だ。


『あ、私はアデル・ファロンです。以後お見知りおきを』

 スカートの裾を軽く持ち上げて挨拶をしてから、ハンカチを受け取るアデル。自分が可愛く見えるように微笑んだ。

『お優しいルーシャン様。ハンカチは必ず洗って返します』

 アデルはルーシャンに会う口実ができたと密かに喜んだ。けれど、彼と会う日は二度と来なかった。

 父によると、彼は十五歳になるまで隣国の祖父のもとで暮らすらしいのだ。


(十五歳ってことはセントベリー学園に入学しに帰ってくるってことよね。それまで待っていればいいわよね?)

 必ずセントベリー学園で再会できる。そう信じていたアデルだったが、ルーシャン・エインズワースという生徒は入学してこなかった。

 意識を現実に引き戻したアデルは、机の上の白花のドームを人差し指で突いた。



「はあ、ルーシャン様がいてくれたら私の学生生活は完璧だったのに。ロブ様を誑かしたのはただの気まぐれだったけど、イザベルの苦しむ顔が最っ高に楽しかったから良しとするわ」

 卒業パーティーでイザベルに婚約破棄を突きつけた後、ロブからの婚約を申し込まれるだろうが、もちろん拒絶するつもりだ。


(何かの行き違いだったって説明すればお父様も納得してくれる。いつもみたいに私の主張を通してくれるわ。それに家格はうちが上だし。向こうは泣き寝入りするしかないわね)

 あくまでもアデルの本命はルーシャンで、彼と結婚するのが人生の目標。

 ロブなんかと結婚なんてあり得ない。自分の人生が台無しになる。


「まっ、今は一週間後のパーティーが楽しみ。イザベルはどんな顔をしてくれるかしら?」

 ニヤニヤと笑っていると、扉を叩く音がする。

「今開けます」

 アデルはいつものか弱く儚げな表情を作った。両親やイザベルの前ですら本性を見せないよう徹底している。


 外を確認すると、寮母が実家からだと小包を持ってきてくれた。

 小包の中は香水が入っていた。試香してみたら、甘くも爽やかな香りがする。自分好みのいい香りだ。

「素敵な香り。気に入ったわ。毎日つけましょう」

 アデルはその日から香水を愛用した。






 ***


 セントベリー学園の大ホールでは、煌びやかに着飾った若い男女が集まっていた。もうほとんどの生徒が集合し、仲間内で談笑している。

 そんな中、カツンとヒールを響かせて一人の女子生徒が会場内に入ってきた。

 スリットの入った真っ赤なドレスに身を包み、上には黒のボレロを纏っている――イザベルだ。


 金褐色の髪を綺麗に結い上げ、耳にはルビーのピアスをつけている。普段はしないメイクをしっかりしているのも相俟って妙に色っぽい。

 イザベルのいつもとは違う凛とした雰囲気に、男子生徒だけでなく女子生徒も釘づけになった。

 それまで賑やかだった会場は水を打ったように静まり返る。


 全生徒の視線が集まる中、イザベルは手にしていた黒の扇子を広げて優雅に扇ぐ。堂々とした佇まいは周りの視線なんて気にしていない様子だった。

 すると静寂を破るように、鈴を転がすような声が響いた。

「ああイザベル、今までどうして会いにきてくれなかったの? あなたが面倒見てくれないと私は生きていけないのに。あの時のことは謝るからどうか許して!」

 生徒たちの間から現れたのはロブを引き連れたアデルだった。


 アデルはフリルがたっぷりついたピンク色のドレスを着ていて、色味に合わせて真珠のイヤリングとネックレスをしている。金色の髪もふんわりと纏め、耳の辺りに白花を挿していた。


 イザベルは扇いでいた扇子を顔の前で止め、視線だけをアデルに向けた。アデルは目に涙を浮かべて必死に許しを乞うている。側から見るとその姿は非常にいじらしい。

 イザベルの妖艶さに魅了されていた生徒たちはアデルの発言から疑念を抱き始めた。


 美しく着飾っているが、所詮中身は底意地の悪い女ではないかと胡乱な視線を向けている。

 場内の空気が変わったのを肌で感じ取ったロブは、しめたとイザベルを糾弾し始めた。

「実の姉の面倒も見ず、謝罪を受け入れようともしない。貴様は薄情な女だな!」

 ロブに便乗するように、周囲からもイザベルを非難する声が聞こえ始めた。


「悪女の噂はあれど、入学してからアデル嬢の面倒をみていたから家族にだけには優しいと思っていたけど、そうじゃなかったのね」

「結局、噂通りの悪女ってことだろ」

「こんなのが妹だなんて、アデル嬢がお可哀想だわ」

 イザベルへの非難が大きくなる頃合いを見計らって、ロブは高らかに宣言した。


「イザベル・ファロン。貴様のような残忍極まりない悪女との婚約を破棄する。そして俺はアデル・ファロンと婚約すると決めた!」

 周囲からはロブを称賛する声と拍手が沸き起こる。気分が良くなったロブは、続いてイザベルの秘密を暴露した。


「ここに集まる男子生徒諸君に有益な情報を提供しよう。イザベルは今後誰とも結婚ができない。どうしてかって? それは背中に醜い傷があるからだ!!」

 ロブから指を差されたイザベルは紅色の瞳を見開いた。

「ロブ様やめて。それは家族とマクウェル伯爵家だけの秘密よ」

 深刻そうに俯き、憂えを帯びた声でアデルが窘める。この場に居合わせた聴衆の目には、慈愛に満ちた聖女のように映っているに違いない。


 けれど、イザベルには見えていた。俯くアデルの口端が僅かに吊り上がっているのを。

 バレていないと思っているアデルは祈るように手を組み、涙を流しながら顔を上げて周りに懇願した。


「お願いです。どうか妹の秘密はここにいる皆さんと私の秘密にして下さい。このままでは妹はどこにも嫁げません。でも皆さんが秘密にしてくだされば、年上の貴族くらいには……」

「どこにも嫁げないというのなら俺がイザベルを貰い受ける」


 アデルの発言を遮るように、誰かが大声で叫ぶ。声がしたのは入り口の方からだ。アデルが顔を動かすと、そこにいたのは根暗鴉ことウィリアムだった。

 普段ボサボサの髪は綺麗に整えられ、白の正装に身を包んでいる。意外な人物の申し入れにアデルとロブ、それから周りにいた生徒たちが困惑した。

 ロブがこちらにやって来たウィリアムに尋ねる。


「バートラム、正気か? この悪女は傷物だぞ?」

「本気だ。それとイザベルに傷なんてない」

「ハッ。見たこともないくせに」

 ロブが小馬鹿にした態度で笑う。すると、これまで黙っていたイザベルが口を開いた。


「それならあなたも見たことありませんよね? そもそも、私の背中の傷を家族が見たのはもう十年も前の話です」

 イザベルは近くにいた生徒に扇子を渡し、くるりと背を向けてボレロの留め具を外していく。外し終えたボレロがしゅるりと床に落ちる。


 ぱっくり開いたドレスから覗く背中には、傷なんてどこにもなかった。あるのは陶器のように滑らかな肌。

「家族もロブ様も私に興味がなかったので申し上げませんでしたけど、私の背中に傷はありません。少し前に治っていました」

 向き直ったイザベルが事実を口にすると、ロブが喫驚する。


「傷がないだど? なんで言わなかった?」

「訊かれなかったので興味がないのかと」

「俺はずっと心配していたんだぞ。貴様が素直に話してくれていればこんな風には……」

 眉尻を下げたロブは額に手を当てる。

 事実を話さなかったイザベルに非があるよう、ロブは遠回しに聴衆を誘導している。このような結果を招いた原因はイザベルだと言わんばかりだ。

 だが、その茶番も終わりだ。


 何故なら、ウィリアムの手が懐に入っていたから。

「それなら俺が素直になれるよう手伝ってやる」

 ウィリアムは小さな香水瓶を取り出し、中身をロブに吹きかけた。

「何をするんだバートラム!」

 突然攻撃を受けたロブは抗議するが、すぐにそれもできなくなる。

「今吹きかけたのは俺が錬金術で作った自白薬だ。質問には嘘偽りなく答えてしまう。さてマクウェル、君はアデル嬢と浮気をしているな?」


 唐突な質問にロブは一瞬動揺するが、すぐにいつもの調子に戻る。首を横に振り、否定するために口を開いた。

「そうだ、浮気している……っ!?」

「いつから? イザベルは愛しているか?」

「半、年前っ、これっぽっちも、愛していな、い」


 ロブは慌てて口を手で塞ぐが無駄だった。唇を必死に噛み締めても声は漏れ出てしまう。

「イザベルの悪い噂を流していたのは、アデル嬢と婚約するためか?」

「っ、そうだ。素行の悪い女だと分かれば、両親も誓約書を取り下げてくれる」


 ロブの話を聞いていた生徒たちは、イザベルの背中に傷がないことや浮気の暴露、悪女の噂を流していたのが彼だと知って一気に軽蔑し始める。もちろん、妹の婚約者に手を出したアデルも同罪だ。


 アデルは俯いて身体を小刻みに震わせていた。その間にもロブが弁解しようと口を開く。

「俺はっ」

「何も言わない方がいい。自白薬は一日中効果が続く。取り繕おうとしたって真実しか話せない」

 顔を青くして冷や汗を掻くロブ。何を言っても無駄と分かり、完全に反抗心は削がれたようだ。

 イザベルはロブの前に立ち、胸に手を当てる。

「ロブ様、あなたの婚約破棄は謹んでお受けします。もう赤の他人ですので、こうやって話す機会は金輪際ないでしょう。さようなら」

 イザベルが別れの挨拶をすると、ウィリアムが手を差し出してきた。


「これで俺と婚約できるな、イザベル」

「ええ」

 返事をしたイザベルは差し出された手に自身の手を重ねる。

 フッと笑ったウィリアムは、掛けていた大きな眼鏡を外した。その途端、近くにいた女子生徒たちから悲鳴に似た黄色い声が上がる。


 きめ細やかな白い肌に、大人の色気と少年の愛らしさを兼ね備えた美麗な顔立ち。パーツ一つ取っても絶妙な位置に配されていて完璧としか言いようがない。

 何よりも湖のような青い瞳は神秘的で目が離せなかった。


 あまりにも美しい容姿に数人の生徒が倒れてしまう始末だ。イザベルはその様子に苦笑する。

「移動しましょうか。ここでは落ち着いて話せません」

「そうだな」

 イザベルは周囲の注目を浴びながら、ウィリアムと共に大ホールを後にした。






 ウィリアムの隣で肩を並べるイザベルは外廊下を歩いていた。夜だと言うのに今夜は月が明るく、周りがよく見える。

(夜は孤独を感じていたけど今夜は違う。隣に彼がいるからかしら?)

 イザベルはちらりとウィリアムを盗み見る。彼のお陰で悪女の噂を払拭し、婚約破棄での立場も逆転させられた。


 イザベルは一週間前を振り返る。

 アデルとロブの浮気がまだ続いていると知ったあの日。憔悴した顔で生物準備室へ向かった。実験をしていたウィリアムはイザベルの異変にすぐに気づいて、何があったのか尋ねてくれた。

 一人で抱えきれなくなっていたイザベルは、洗いざらいウィリアムに話した。


『なんだかどうでもよくなったわ』

 卒業パーティー当日に二人は自分たちが有利になるように話を進めてくるだろう。イザベルがどれだけ無実を訴えても、これまでの悪い噂のせいで払拭はできそうにない。


『婚約破棄されたら、私は錬金術ができるところへ逃げようと思います』

 ウィリアムから教わった甲斐もあり、基本的な薬までは作れるようになった。後は錬金術に寛容な国へ渡って、生計を立てるために働きながら勉強していこうと思っている。


 イザベルが今後について話し終えると、突然ウィリアムが眼鏡を外して跪いてきた。

『そんなこと言うな。俺はあの時励ましてくれた君を救うために、約束を守るために、ずっと研究を続けてきたんだ』

 イザベルは眼鏡を外したウィリアムを見て息を呑む。



『あなた、ルーシャン・エインズワース様?』

 目の前にいるのは初めてのお茶会で出会った少年だった。顔立ちは大人びて、髪は栗色から黒に変わってしまっているけれど、変わらずの美貌を持っていた。

 イザベルはあの日の出来事を鮮明に覚えている。忘れるはずがない。


 それは受付で逸れてしまったアデルを探している時のこと。

 イザベルは庭の隅で泣いている少年を発見した。彼の足元には汚された本が落ちていて、タイトルには『錬金術』の文字があった。

 この国で錬金術と聞くと大半の人間が異端だと眉を顰める。彼の身に何が起きたのか容易に想像がついた。

 イザベルは、本を拾い汚れを手で払った。そして、手渡しながら勇気づけた。


 何かに興味を持ち没頭するのは悪くない。先人が悪に利用して悪い印象を持たれているなら、あなたが善に利用して良い印象へと変えればいいだけだと鼓舞したのだ。

 この時のイザベルは時間を自由に使える少年が羨ましかった。だから、夢を諦めずに自分のやりたいことに情熱を注いで欲しいと切に願った。

 その後すぐに、イザベルは悲劇に襲われた。背中に怪我を負い、傷が残ると医者から宣告されてしまった。


 両親はアデルの心配ばかりで、怪我を負ったイザベルを気遣いもしない。

 いつものことだと済ますには悲しすぎた。

 そんな時、あの少年が手を握って言ってくれたのだ。


 ――君の傷痕を治す薬を完成させ、必ず迎えに行く、と。


 最後の言葉は、恐らくどこにも嫁げなくなるイザベルを慮っての発言だろう。

 イザベルは既にロブと婚約していたのだが、まだ内々で進められていたのでルーシャンが知らなくて当然だった。

 イザベルは嬉しくて頷いた。錬金術で一番作りやすいのは身体を元気にする回復薬。

 万能薬や特定の薬を作るにはそれなりの年月が必要になる。


 当時イザベルたちは七歳だった。あれから十年以上もの時が流れている。子供同士の約束だし、とっくに忘れていると思っていた。

『……まさかずっと私のために研究を?』

 尋ねたらルーシャンは大きく頷いた。


『両親から錬金術なんてやめろと言われ続けてきた。唯一味方になってくれたのは隣国に住む祖父、そして君だけだった。あの時お茶会で泣いていたのは、同年代の子供に気味悪がられて本を捨てられたから。でも、君が励ましてくれたお陰で俺は錬金術を続けられた』

 ルーシャンは机の上にあった薬の瓶をイザベルに差し出した。中の液体は蜂蜜色をしている。


『イザベル、約束の傷痕を治す薬だ。これを完成させるには光の精霊の癒やしの力が必要だった。だから俺は、また君に救われた』

 ルーシャン曰く、個人の保有する魔力の質によって好かれる精霊の属性が違う。ルーシャンは光の精霊以外は呼び寄せられる。その中でも特に水の精霊に好かれていた。

 水の精霊の力は湿布や痛み止めの薬を作るのに向いていて、肝心の傷痕を治すのには向いていなかったらしい。


 イザベルはルーシャンから完成した薬を受け取る。

 蜂蜜色をした薬をじっと眺めた後、一気に飲み干した。

 少し時間を置いてから背中に手を回してみる。触るだけでも感じていた傷痕の膨らみは消えていて、イザベルは嬉しくて泣きそうになった。


『ありがとうございます。これでロブ様に婚約破棄されてもまだ次がありそうです』

『悪いが次はない』

 何故かルーシャンに即否定されてしまった。

 いつの間にかルーシャンに距離を詰められていたらしく、彼の顔が目と鼻の先にある。


 ルーシャンはイザベルの両頬に手を添えて言う。

『言っただろ、君の傷痕を治す薬を完成させたら迎えに行くって。あれはまだ有効だ』

『あれは子供の頃の話です。ルーシャン様はもっと相応しい女性と結婚すべきで……』

 反論の言葉を遮るようにルーシャンがイザベルの唇に親指を押し当ててくる。


『あの時、イザベルの励ましがなければ今の俺はなかった。だから俺はイザベルしか選べない』

 ルーシャンは真っ直ぐにイザベルを見つめ、はっきりと口にする。

『イザベル、君を想わなかった日はない。俺と結婚してくれ』


 実直な言葉やその真剣な眼差しから、ルーシャンの告白が本気であるのが伝わってくる。イザベルは、これまで身近な人に真摯な態度をとられたことがなかった。

 両親はいつもアデル優先。アデルやロブは自分勝手。誰もイザベルを大切に扱おうとしてくれなかった。


(お茶会の時からルーシャン様は私のために、諦めずに薬を作り続けてくれていた)

 そんな人がいてくれただなんて、分かっただけで心が震える。

 この十年以上、ずっと陰で想ってくれていたルーシャンに応えないわけにはいかない。

『はい、喜んでお受けいたします』

 イザベルの返事を聞いたルーシャンは破顔した。彼の幸せそうな表情に思わずイザベルも頬が緩む。


『ところでイザベル。俺と一緒にあの二人へ意趣返ししないか?』

 突然の提案にイザベルはきょとんとした表情をする。

 ルーシャンの説明は簡潔だった。しかもその意趣返しに錬金術を使うというのだ。

 イザベルは黙考した。現状は二人の方が優勢だ。けれど錬金術があれば、状況を打開できるかもしれない。

 イザベルはルーシャンの話に乗り、卒業パーティーに向けて一緒に準備を始めた。



「ルーシャン様のお陰で上手くいきましたね」

 イザベルが話し掛けるとウィリアムは歩みを止め、こちらに身体を向ける。

「イザベルがあの大勢の中で頑張ったからだ。演出のために選んだ衣装だが、最高に綺麗だ。俺の見立て通りだな」


 イザベルが着ているドレスや装身具はすべてルーシャンが用意してくれたものだ。

 何でも強い女性に見えるように取り揃えたのだとか。実家から届いたものは明らかに粗悪品だったのでこれは非常にありがたかった。


「何から何までありがとうございます」

「そんなにかしこまるな。俺たちは結婚する身だ。もっと砕けた話し方をしてくれ」

 蕩けるような甘い表情のルーシャンがイザベルの頬を撫でる。イザベルは胸の奥が疼くのを感じた。


 告白を受け入れてからルーシャンの甘さが日に日に増している気がする。普段から美しい顔なのに、色気がプラスされて心臓に悪い。イザベルは胸の鼓動が速くなっているのを感じた。

「ど、努力するわ」

 イザベルが詰まりながらも答えていると、後ろから声がした。



「ねえちょっと!」

 声に反応してイザベルたちは振り返る。そこには、息を切らしたアデルの姿があった。慌てて追いかけて来たのだろう。緩くまとめていた髪は解れ、その顔には戸惑いが滲んでいる。

「どうしてイザベルがルーシャン様と一緒にいるの?」

「お姉様は彼がルーシャン様だと分かったのね」

 アデルがルーシャンを覚えていたのが意外だったのでイザベルは眉を上げた。


「当たり前じゃない。私があのお茶会を忘れるわけないわ。だけどどうしてウィリアム・バートラム子爵なんて名乗っていたの?」

 ルーシャンはアデルの質問に答える。

「ウィリアムはミドルネームで、バートラムの爵位は祖父から賜った。ルーシャン・エインズワースの名前で入学すると、擦り寄ってくる者や目の敵にしている者の相手をしなくてはいけない。何かと不便だから名前を少し変えて入学した。大きな眼鏡を掛けていたのも自由を得るためだ」

「そうだったの。けど、それならイザベルだけじゃなくて私にも教えてくれたら良かったのに」


 アデルは眉尻を下げてルーシャンに不満を漏らす。

 それに対してルーシャンは眉をぴくりと動かし、冷たく言い放った。

「何故あなたに教える必要が?」

「えっ……だって私は、私の夢は……」

 アデルは頬をほんのりと染めて指をもじもじと動かし始める。ルーシャンは面倒くさそうに小さく息を吐いた。


「俺が眼鏡を掛けて人との交流を絶っていたのは、君のような勘違いする人と無駄な時間を過ごしたくないからだ」

 アデルは思わず頬をひくつかせる。けれど、すぐに微笑みを浮かべた。


「ルーシャン様、一つ忠告してあげる。あなたが婚約者に望んだイザベルはロブ様との誓約書があるの。誓約書はまだ取り下げ中だから、この子とは婚約できないわ」

 アデルは申し訳なさそうに眉尻を下げる。そして次にある提案をした。

「そんなにファロン侯爵家との繋がりをお望みなら、この私と婚約しましょう。私ならすぐにでも婚約できるわ」


 ルーシャンに拒絶されたばかりなのに、アデルはまだ自分に望みがあると思っているよう。

 それに水を差したのはイザベルだった。


「心配しないでお姉様。私とロブ様の婚約はエインズワース公爵のお力添えもあって無事に取り下げられたから。それとお姉様は既にロブ様の正式な婚約者になっているわよ。来月には挙式をするみたいだから、これから支度が大変ね」

「え?」

 アデルは目を白黒させて口を半開きにしている。

 イザベルはアデルを見つめ、紅色の目を細めた。


「お姉様が知らないのも無理はないけど、実は誓約書はもう一枚存在するの。うちは十二年前にお父様が投資に失敗して財政難に陥り、マクウェル伯爵に借金をしていた。負債すべてを払いきれないから、借金の半分を帳消しにする代わりに私たち双子のどちらかを嫁がせるという誓約を結んだのよ。だから姉妹のどちらかは絶対に嫁がなくてはいけない」

「はあっ!?」

 アデルはか弱い自分を演じるのも忘れ、素っ頓狂な声を上げる。完全に寝耳に水だ。


 この誓約書の話はイザベルも知らなかった。誓約書の取り下げ手続きをする際に発覚したことで、ルーシャンから教えてもらったのだ。

 そして、もう一枚の誓約書の存在を知ったイザベルはやっと合点がいった。


 これまでアデルの世話役としてイザベルが働かされていたのは、屋敷の人件費を抑えるためだった。

 また、アデルのために使っていたお金は母の花嫁道具や貴金属を売り、そこから工面していた。したがってイザベルに当てるお金はほとんどなく、いつも質の悪いものばかりだった。


 両親は可哀想なアデルのためにいつも必死で動いてきた。今回の誓約書取り下げの経緯を公爵家の者が説明すると、二人はロブとアデルが相思相愛であると知って手放しで喜んだらしい。


「これで大好きなロブ様と結婚できますね」

「それは……」

 何か言おうとしたアデルだったが、開きかけた口を噤む。その口もとは酷く歪んでいた。



「後、先日香水が届いたと思うけど、あれは私が錬金術で作った霊薬なの。体内で過剰反応している成分を無効化するものだから、もう発作は起こらなくなるわ」

「え……まさか!」

 アデルはハッとした。そんなはずないというように慌てて髪につけていた白花を一つ手に取り、口の中に放り込む。


「嘘、嘘嘘嘘。発作が起こらない! これじゃ病弱でいられない!!」

 狼狽するアデルに対して、真実に辿り着いたイザベルは呆れ返った。

「いつもタイミングよく発作が起こるから変だと思ってたけど、やっぱり偽装していたのね。お陰でずっと私はいいように使われ続けたわ」


 アデルは勢いよく顔を上げた。いつものか弱さは消え、恨めしそうにイザベルを睨んでいる。

「……そんなの当然でしょ。妹のおまえは姉の私より下なんだから。敬い仕えて当然よ」

 アデルの傲慢さに我慢できなくなったルーシャンが迫ろうとするが、イザベルがやめるように手で制す。

 イザベルは大丈夫だと口だけ動かした。


「今日でそんな日々も終わりよ。お姉様は健康になってマクウェル家に嫁ぐ。私はエインズワース家に嫁ぐ。もう同じ屋根の下で暮らすことはないの」

「嫌よ、私は病弱なの。ロブ様とも結婚しない。これからも白花を摂り続けるわ!」


 するとそれまで黙っていたルーシャンが口を開く。

「では俺から一つ有益な情報を。白花は臓器の解毒代謝の機能を低下させる。君も気づいているんじゃないか? 最近小さな薄いシミのようなものができていることに。近いうちに君の白い肌は老婆のようにシミだらけになるだろう」

 アデルには思い当たる節があるようだ。頬をペタペタと触っている。


「白花で私の肌が? まだそんな歳じゃないわ。シミだらけなんて、老婆みたいだなんて……いやああっ!!」

 絶望したアデルはその場に崩れ落ちる。激しく振った頭からは、髪につけていた白花がぽろぽろと落ちていった。


「イザベル、おまえは残酷だわ」

 アデルはおどろおどろしい声で呟いた。

「どうしてそう思うの?」

「だって白花の発作を無効化する霊薬が作れるなら、シミを消す霊薬も作れるでしょ? 今すぐ作りなさいよ」

「これは病弱だと偽っていたお姉様が悪いんでしょう? 今までのツケが回って来たのよ。それと、無効化の霊薬は回復薬の応用だから作れたけど、シミを消すとなると完成まで何年掛かるか分からない」

 イザベルの返答に、アデルは叫んだ。


「だからそれをなんとかして!」

「私はもうお姉様の面倒はみない。霊薬は作らないわ」

 アデルは髪を振り乱し、酷く顔を歪める。

「作らない? 馬鹿なこと言わないで。おまえが分を弁えないから私がこんな辛い目に遭っているのに!!」

「私は弁えているわ。お姉様がいつでも悲劇のヒロインになれるよう今この瞬間にも」

 イザベルはアデルに近づくと腰を折り、耳元で囁いた。



「だって、お姉様お望みの悪女ですもの」



 そう告げたイザベルはにっこりと笑った。

 言葉の意味をやっと理解したアデルは絶望する。

「嫌。こんな形は望んでない。全然違うわ……」

 アデルは泣き喚くがイザベルが構う必要はない。

 すべては彼女の身から出た錆なのだから。


「行きましょうルーシャン様」

 くるりと背を向けたイザベルはルーシャンと共に、月夜に照らされた廊下を歩いて行った。



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― 新着の感想 ―
使えねー娘を厚遇して使える娘を冷遇する、愛玩子と搾取子を育てる親はいつも意味不明。 自分たちが先に老いるのに、家を維持して老後の面倒見られる教養と実務能力と健康な肉体のある子に負の感情を植え付けて見捨…
現実でもアレルギー源の摂取は病状悪化を招きますからね。自業自得。 病気してから健康の大事さが身に染みたので、故意に発作起こす様な輩はムカつきますね~。
ロブとアデルの罪は同等なのに アデルだけ酷い目に遭うのはなんだかなあ… 同姓への嫉妬ですかね
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