【2】今更ながら婚約者とむきあいました
ソレイユは宙を仰ぎたくなった。
(なんかバカらしくなってきたぞ・・・・)
婚約が決まってから今日まで、ソレイユは婚約の解消が決してなされないのをいいことに、意図的に「何もしなかった」。
手紙を送ることも。
贈り物をすることも。
訪問して交流を深めることも。
挙句、夜会にはわざと他の女性をエスコートした。
(ただし親類の女性というのが妙なところで良識派。)
プライドの高いルナリアは、さぞ腸が煮えくり返っているだろう、せいぜい怒り狂え、と思っていたわけだが、まさか、真剣にソレどころですらなかったとは・・・・。
二の句を継げることもできず、しばし無言で向き合うことになってしまった。
とつとつと自身のことを話すルナリアは、作り話で同情を引こうとしているようには見えなかった。
むしろ、侯爵家の教育についていけない自分を不甲斐なく思っているようで、もう自分に政略結婚相手としての価値はなく、修道院に行って神に祈る生活を送りたいと訴えてくる。
(けどねえ。)
「ルナリア嬢。残念だとは思うけど、わたしたちの結婚は王命だ。」
「・・・・」
「だから、わたしたちの一存ではどうにもならないんだよ」
(なんでなぐさめてるのかなー、わたし。)
「・・・・そう、でした。」
涙は止まったが、顔色がどんどん白くなっていく。
(あ、これやばいやつ・・・・。)
変に行動力あるから、これは帰ったら自殺するかもしれん、とソレイユは思った。
その前に箱入り状態のルナリアがよく家出なぞできたものだと感心してしまう。
正直、このままルナリアが自宅にもどって死んでくれれば、ソレイユにとっては非常に都合がよろしく、願ったりかなったりなのだ。
だが、目の前のルナリアがこのまま儚くなって、消えていなくなってしまったら、と思ったときに、ほんの少しだけ不快感を覚えてしまった。
自分でもよくわからない感情に戸惑いながら、とりあえずあたたかいお茶をだしてやる。
「ありがとうございます・・・・」
「まあ、大事にならないうちに見つかって良かった。」
ルナリアの声に力がないので、ソレイユはやや声音を柔らかくして語りかけた。
「わたしも反省した。」
驚いた様子でルナリアが顔をあげる。
「夫婦になろうというのに、君とわかりあえるわけなんかないと思い込んでいた。」
ちゃんと婚約者として一度でも会うべきだった、と続ける。
これはけっこう本気で。
「そんな風におっしゃっていただけるなんて、思いもよりませんでした・・・・。」
「わたしも考えが変わるなんて思ってなかったからおあいこだね。」
令嬢方が黄色い悲鳴を上げると言われる微笑みで彼女の目を見る。
まっすぐにソレイユを見返すルナリアの表情は固い。
目を伏せて自分の頬をさする。
うれしいのに、いったいどんな顔をしたら良いのかわからない。
だって喜んでいいのかよくわからないのだ。だが、せいいっぱい心からの言葉を口にする。
「怒らないで話をきいてくださって、ありがとうございます。」
(怒らないで)
つまりルナリアは散々怒られて生きてきたのだ。そうしてソレイユからも怒声を浴びせかけられると思っていたのだ。
実際、ソレイユもどう罵ってかろうと思っていたが、最初に毒気を抜かれてよかったと心から思った。
このさみし気な令嬢に怒鳴ったりしなくて本当に良かった。
今、自分から怒られなかったことが不思議そうなルナリアを見ていると、なんだか胸が締め付けられるような気がするのだ。
*
さすがにソルシェ家に連れて行って泊めるわけにもいかず、ドリアード侯爵家に送っていくことにする。
知らせを受けたドリアード家では、当主自ら門外まで出てソレイユを迎えた。
苦虫を潰したような顔をするドリアード侯爵は、ソレイユの前でなければルナリアを怒鳴り散らしていたのではなかろうか。
「あまりご令嬢を叱りなさるな。」
ドリアード侯爵は目を瞠った。
「事を大きくしたくないのは当家も同じ。ご令嬢も今日は疲れていることだろう。話はまた後日。」
ルナリアに視線を向けると、深く頭を垂れる。
今「近日」「ルナリアと面談する」と言外に告げたことで、後で誘いの手紙出しても無視されることはないだろう。
「感謝申し上げる」とドリアード候が渋々告げる。
今一度ルナリアと目が合う。
口の動きだけで「おやすみ」と言うと。
これまた会釈で返す。
少し安堵したようなルナリアの表情に、思わずソレイユも口元が緩みそうになる。
*
ソルシェ公爵が帰った後、ルナリアはすぐに父当主の部屋に呼ばれた。
叱責に身構えていると意外にも父はにこにこと上機嫌で語りかけてきた。
「でかしたぞ。」
何か、褒められるようなことをしただろうか、ルナリアは困惑した。
「あの鉄面皮を誑し込むとは、いい仕事をしてくれた。」
(鉄面皮とはソレイユ=ソルシェ公爵のことを指すのだろうか。)
そもそも交流がないので、表情がない方とも知らなかった。
表情がないと言われることに関してはルナリアは他人様のことを言える立場ではないから、そこはまったく気にならないな、とナナメ上の思考をしていた。
だが、「誑し込む」は聞き捨てならない。
殿方を誑し込むなど、令嬢にあるまじき恥ずべき行為なのではないだろうか?
一体自分は何をやらかしてしまったのだろうと肝が冷えるが、黙って父の話を聞く。
「見たか、あの顔。すっかりお前に夢中じゃないか。」
なんだって?!
「少なくとも、お前に好意を抱いているのは間違いない。」
あまりのことに口がきけない。
いや、もともと父の話の最中に口をはさんだりはしないが、何かの間違いじゃないだろうか?
「男の考えは男が一番良くわかるものだ。うん。」
父がそういうのならばそうなのだろう。
だが、それを信じてしまっていいのか、と逡巡する。
だって、それはあまりにも、ルナリアに都合がよすぎる。
そんな「うれしいこと」が彼女に起こるはずがないのだ。
だが、ほんの少し、結婚相手がソレイユで良かったと、宿で一緒に飲んだお茶の時間に想い馳せる。
平民が利用するような安い宿の一室で、お茶だって高級品とはいえなかった。
だが、あたたかいひとときだった。
そうしてそれから毎晩、ルナリアは彼と飲んだお茶のことを思い出しながら眠りについた。