【1】 ソレイユとルナリア
ソレイユ=ソルシェ公爵は怒り心頭であった。
美しい顔にポーカーフェイスをはりつけているが、近寄りたくない剣呑なオーラが背後からにじみ出ている。
うわーご報告イヤダナーと恐れおののきつつ、ソルシェ公爵家の騎士が小声でささやく。
「上の部屋にいらっしゃいます」
「ご苦労」
宿屋の二階の部屋にいるのは、侯爵令嬢ルナリア。
彼の婚約者である。
これから宿屋でしっぽり逢瀬かと思いきや、ソレイユの表情は険しい。
とてもではないが愛しい婚約者にこれから会おうという男の貌ではない。
(どうしてくれよう)
夕刻、侯爵家に張り付かせていた見張りのものから急報があったのだ。
令嬢ルナリアが家出をした、と。
彼と彼女の婚約は王命であった。
ソレイユは王妃マルグレーテの実弟であり、第1王子の叔父。第一王子を擁立する一派の筆頭である。
対してルナリアは側室ミアンナの従姉妹である。
その父ドリアード侯爵はミアンナの伯父にあたり、つまりは第2王子派筆頭になる。
二つの派閥が仲良くないのは仕方ないが、つまらない小競り合いから刃傷沙汰に発展しケガ人まで出る事件が起こり、静観していた国王陛下も堪忍袋の緒が切れた。
そして派閥の長である二つの家、ソルシェ公爵家とドリアード侯爵家に親族になるよう命じたのだ。
ソレイユは独身であったし、令嬢ルナリアも婚約者がいなかった。両家共に断ることもできず、話だけはトントン拍子に進んだ。
(不満はお互い様だ。ソルシェ公爵家は獅子身中の虫を飼うことになる。このうえ、わたしの顔に泥を塗るか。)
女性のように美しい、と評されるソレイユだが、その分怒るとコワイ。
そりゃもう、甥っ子王子がびびるほどにコワイ。
「良い夜だな、婚約者殿。」
思いっきりケンカ腰で入室すると、表情のない人形のような女が瞬きもせずに彼を見据える。
(いい度胸だ。)
しばし睨み合う。
ルナリアの顔がくしゃっと歪む。
すわ、罵詈雑言が飛んでくるかと思えば。
「うえ」
(うえ?)
「えええええええ」
そのままぐしゃぐしゃに歪んだ顔のまま、ぼたぼたと大粒の涙がドレスに床にこぼれてシミを作る。
「初夜がごわ゛い゛いいいい・・・・」
(今、初夜っつーたか?)
「裸になるとか無理いいいいい。・・・・・しゅ、修道院にまいりますうううう・・・・。」
・・・・ええと。どうしてくれよう???
*
ルナリアは美貌の持ち主として名高かったが、男性の評判はすこぶる悪かった。
ダンスに誘っても、妙齢の殿方の手を取ることはなく、父親の旧知である年上の男性か、従弟甥の第2王子としか踊ろうとしない。
何を話しかけても冷たい一瞥のみ。
社交辞令の時候の挨拶すらさせてくれず、向こうをむいてしまい、油断すると離席してしまう。
「お高くとまっている」
「いくらなんでも礼儀に外れる」
年若い子息たちは憤慨していたが、まさか、これらの行動が、いささか行き過ぎた淑女教育の賜物だとは、誰も想像できなかった。
幼いころ、ルナリアはきれいなお姫様の出てくる物語が好きだった。
王子様のキスで魔法がとけてめでたしめでたし。
ああ、よいお話だったと思う間もなく、「キスシーン」が出てくる物語はすべて取り上げられた。
このような破廉恥なお話は「まだ早い」とのこと。ルナリアはおとなしく、従順な少女であったから、もっと大きくなればきっとご本を返してくれる、そう信じて、素直に従った。
従うしかなかった。
以来彼女に許された本は、歴史やマナー、地理などの実用書と、かろうじて神話。
なので、ルナリアは入手可能な各国の神話に妙に精通していて、神殿の神官に驚かれたことがある。
7歳もすぎるころ、同じ年ごろの子女と、プレお茶会に出席したことがあった。
すでに婚約など調った年かさの少女は、お相手の子息とこっそりキスしたことなどを語ってくれた。
まだ婚約者のいなかったルナリアは、いずれ自分もそうやって婚約者と仲良くするのだな、と漠然と思っただけだったが、彼女たちとは二度と会うことはなかった。
お茶会の話題が侯爵家の家庭教師の耳に入り、そのようなふしだらな話をする子女とのお付き合いは考えた方が良い、と言い渡されたからだ。
元より親が認めた相手としか交流できない貴族の子女の生活で、ルナリアは友達を作るのをあきらめざるを得なかった。
お茶会で会った令嬢方はルナリアに手紙をくれたが、返事をだすことは許されなかった。
返事をくれないルナリアに再度手紙をくれる令嬢はいなかった。
貴族にとっても紙は貴重品だし、もっと楽しい相手はいくらでもいるのだ。
さみしくたって、悲しくたって朝はやってくる。
ひとりぼっちだって今日も明日も命があれば生きていかねばならない。
楽しみと言ったら、食後のデザートくらい。
それだって使用人には与えられない贅沢であり、彼女はいつも自分の生活を有難く思うよう教育された。
父が侯爵であるがゆえに享受できる生活を感謝するよう、毎食母親にそれを説教された。
それ自体は決して間違ってはいないのだが、ルナリアが反発したり不平不満をもらすわけでもないのに感謝を押し付けられるのはいささかウザくないかい?
むしろ使用人の方が、仕事仲間とちょっとおしゃべりをしたり、ささやかながらも自分の好きなものを買い物することができていて、ルナリアよりよほど娯楽があったりしたのだが、ルナリアがそれを知ることはなかった。
年頃になって、美しくなってきたルナリアは周囲の男性のあこがれの視線を向けられた。
ある日、騎士見習いの少年が白い百合の花をルナリアに捧げたことがあった。
「ありがとう」
ほほえむと少年は真っ赤になって、走り去っていった。ただそれだけの出来事だった。
(物語のお姫様になったみたい)
本当に久しぶりにウキウキする気持ちで屋敷に帰ると、小言が待っていた。
「侯爵家の令嬢が騎士見習い風情に微笑むとは何事か」
高貴な女性は笑顔を安売りしたりしない。
みだりに殿方に微笑むと、「安い女」として軽んじられるのだとか。
まさか自分が笑ったことで侯爵家の体面が貶められてしまったとは。
以来ルナリアは男性相手に微笑むのをやめた。
そうして、氷の令嬢という二つ名が誕生した。
さて、いよいよ結婚話が持ち上がった。
彼女としては、父親に従うしかないので特に問題はなかった。
ソレイユが美貌の主であるとか、父の敵対勢力のトップであるとか、わりとどうでもよかった。
いいのかよ!とツッコミ満載なのだが、ルナリアに従う以外何が出来よう。
おとなしく流れに身を任せていれば、結婚式が行われ、嫁ぐ日を迎えることになるだろう。
夢も希望もないのが若い娘の思考として悲しいところだが、逆にあんまり不安はなかった。
だが問題が生じた。
父、侯爵から「夫にはせいぜい冷たくしてやれ」と言われたのだ。
ルナリアは従順に父に従って生きてきた。だから今度は夫に従えばいいやとか気楽に考えていたが、「従いつつ、冷たくする」には高度なテクニックが必要な気がしてきた。
今更、自分の結婚は特殊事情なのだと気づき、ずっと彼女を厳格に躾けてきた家庭教師に、自分のあるべき妻の姿を教授賜りたいと願い出た。
聞きたかったのは婚姻後の身の処し方。
だが、
「それより」
といままで遠ざけられていた閨の講義に移行してしまった。
ドリアード侯爵家の令嬢がソルシェ公爵家に嫁ぐといのは政治的な話である。
家庭教師は厳格な貴族女性であった。
ソルシェ公爵家でルナリアがドリアード家のために動く方法については、自分のような女がでしゃばるべきでない、と、教師はその問題から逃げた。
実際は両親ともにルナリアの教育については家庭教師に丸投げで、あれしろ、これしろとは言うのだか、どのようにして、に関してはまったく教えることはなかった。
それこそずっとルナリアは自分の頭で考えて、「叱られないようにするにはどうしたらいいか」懸命に実行してきた。
話をもどすと、家庭教師が、ルナリアから提示された問題から逃げたわけだが、逃げた先が悪かった。
最悪ともいえた。
なにしろルナリアは、結婚式を挙げさえすれば「自然に」神さまがあかちゃんを授けてくれるものと思っていたのだ。
もちろん女のお腹に赤ちゃんが発生するのは知っている。
だがその前に赤ちゃんを作る行為があり、男性側が子種と呼ばれるものを女性の体に入れると聞いて彼女は仰天した。
(どうやって!?)
その具体的な方法について、またしても家庭教師は逃げた。
「すべて夫君におまかせすれば良きようにしてくださいます。」
丸投げである。
パニックをおこしかけているルナリアに、最後にトドメをさした。
「夫君はベッドの上で女性のお召し物をすっかり取り払ったうえで、ご自身で子種を入れるところをお探しになります。」
お召し物をすべて取る、と言われましたか?
(つまりそれは殿方の前で肌をさらせという・・・・・。)
今までの淑女教育はいったいなんだったのか。
顔面蒼白になるルナリアをよそに、子種をいただくにあたりまして、と神妙に続ける。
「最初は非常なる痛みを伴いますが、とにかくこらえなさいますように」