生贄の花嫁編-5
亜弓と雪也が町のスーパーにいるちょうどその頃、栗子はケーキ屋スズキの前で拓也を待っていた。
「わぁ、もう栗子さん来てたんですか?」
「ええ」
「じゃ、さっそく行きましょう」
配達用のチルドバッグを持った拓也と一緒に真凛の家に向かって歩き始めた。
「プロのケーキ屋さんに渡すのは、ちょっと恥ずかしいんだけど、これお年玉!」
栗子は紙袋の中からお年玉袋風のクッキーを拓也にあげた。
「えぇ、お年玉! 嬉しいですよ。まあ、俺は別に新米なので今はプロのケーキ職人っていうわけじゃないですけど、嬉しいなぁ」
拓也はニコニコと人懐っこい笑顔を見せて喜んでいた。本当にスランプ中なのかと怪しんでこない。やっぱり、お年玉大作戦は成功していると思い、栗子は一人ニンマリとした笑顔を見せる。
「店番は誰がしてるの?」
「俺が配達中はお袋がやってる。まあ、クリスマス終わって福袋販売し終えるとそんな忙しいわけでもないんだけどね。次はバレンタインとホワイトデー、それにひな祭り超忙しいけど」
「そうなの? そういえばケーキ屋スズキの記事が地域新聞に載ってたわね」
「ええ、年末に親父が取材受けたんですよ」
「いいな〜。私も取材受けたい。少女小説家はマイナーだから取材受ける事なんて滅多にないのよ」
そんな事を話しながら、真凛が住むマンションに到着。駅のすぐ裏にある便利なところだ。駅の方はコンビニやスーパーもあるから、商店街に近いメゾン・ヤモメより少し便利かもしれない。このあたりは比較的小さな子供がいる若い家族が住んでいる。
三階に真凛の家があるらしく、拓也と一緒にエレベーターで上がる。
「佐竹さん、こんにちは。ケーキ屋スズキです。真凛ちゃんに約束したケーキの配達に伺いました」
インターフォンで拓也がそういうと、母親の優奈と真凛が揃って玄関から出てきた。
「あらあら、本当にケーキ頂けるんですか?」
優奈は恐縮しきって頭を下げた。
「約束したもんな!」
「うん!」
真凛は拓也に懐いているようだった。ちょっと憧れが混じった目線で拓也を見ている。このぐらいの子供なら年上のお兄さんは憧れに対象なのだろう。ケーキの箱を拓也から受け取ると、子供らしく無邪気に笑っていた。
優奈と真凛は栗子に気付きいた。栗子はつかさず羊のような人の良い顔を作り、真っ赤な嘘であるがスランプ中でどうしても自分のファンである真凛に会いたいと頼んだ。
「だったら皆さんでお茶でもどうです? どうぞ上がって」
「いや、俺はこれから仕事がありますので」
「そうなんだ」
拓弥が買えると真凛はガッカリした表情を見せていた。とはいえ、栗子は真凛の家に上がって話を聞く事に成成功した。
「どうぞ、どうぞ」
優奈にリビングに通された。きちんと片付き、チリひとつ落ちていない綺麗なリビングだった。
「栗子先生、座って!」
真凛に促され、ソファに座る。真凛も栗子の隣に座り、ニコニコとしていた。ちょっと甘えるような視線だった。憧れの作家に会えて興奮しているのか、真凛の頬はピンク色に染まっていた。
「これ、さっきのケーキとお茶です」
優奈はテーブルにフルーツケーキと上品なティーカップに入った紅茶をおく。真凛のカップは子供らしいクマや動物のイラストが描かれたものだった。
「綺麗なおうち。うちはシェアハウスだけど、人が多いからすぐ散らかっちゃうのよね。リビングもポテトチップスやせんべいのカスがいっぱいで後で掃除しなくちゃ」
「ふふ、大変ね。特に掃除はちゃんとやった方がいいですよ」
真凛が戻ってきたのか、優奈の顔には余裕が溢れていた。一時期の思い詰めた表情が嘘のようである。
「掃除すると運が良くなるんです」
「へぇ、そうなの?」
優奈はそう言っていたが、信じられなかった。
「ママはスピリチュアル大好きだもんね」
「へぇ、そうなんだ」
「ええ、この失くしものが戻ってくるというパワーストーンが効果あったのかも!」
優奈は誇らしげに右手首の巻きついたパワーストーンを見せつけてきた。
「香水先生のところの鑑定もさっそく申し込んじゃった!」
ちょっと不自然に思うほど、優奈は機嫌が良い様子だった。やっぱり真凛が帰ってきた一件で香水信者になってしまったようだ。一回27000円もする個人鑑定を申し込んだと言っていた。想像以上の値段の高さに栗子は目を丸くする。
香水信者になってしまった母親に冷たい視線を向けながら、真凛はケーキを食べていた。
「パパが愛人いるから、スピリチュアルにハマってるんだよね。パパが家に帰って来ますようにって。効果あるのかなぁ」
真凛は呆れた顔をそていた。
「こら、お客さんの前でそんな事言うんじゃありません。ごめんなさいね、栗子さん」
「いえいえ。真凛ちゃん、おばさんの小説のファンって本当?」
「うん、大好き!」
真凛は部屋からいくつか栗子が書いた少女小説を持ってきた。どの作品も何度も読み込まれた形跡があり、栗子は驚く。あんな嘘くさい少女小説をこんなに読んでくれていたなんて。コージーミステリを書きたい事は事実だが、こうしてファンに会うと嬉しくないわけがない。栗子はそれらの本にサラサラとサインを書いてあげた。
真凛は目を輝かせ、特に『龍神様の花嫁』が一番素晴らしいと語った。
「本当にヒーローがカッコ良くて! キュンキュンしちゃいます!」
正直、『龍神様の花嫁』の出来は全く気に入っていなかったが、こうしてファンに褒められると栗子は嬉しくなる。ケーキも食べお腹もふくれ、事件の事も忘れそうになるが、こうしてはダメだと気を引き締める。
「そういえば真凛ちゃん。この『龍神様の花嫁』みたいにイケメン神様に連れ去られたって聞いたんだけど、本当?」
さっきまで機嫌が良かった優奈の顔が曇る。確かに真凛は無事だったが、連れ去った犯人が見つかったわけでは無い。また連れ去りに来るかもわからない。他の子供が被害者になる可能性だってあるだろう。楽観的に喜べる状況でもなかったのだ。
「警察にも言ったじゃん。私はずっと龍神様と一緒にいたの」
「真凛、そんな事あるわけないじゃない。お願いだから、本当の事言って。ほら、私のケーキを食べていいから」
真凛は母親に分のケーキもパクパク食べていたが、龍神様に連れ去られた事を撤回する様子はなかった。
どうやら真凛は本当に『龍神様の花嫁』のような状況だと警察に語ったようだ。真凛はいくら劇団で演技力をきたえたとしても、こうして話す姿を見ると嘘を吐いているようには見えなかった。意外と頑固そうな娘だと栗子は思った。
「本当だもん! 龍神様にお姫様みたいに私の事を大事にしてくれたもん!」
真凛は明らかにに機嫌を悪くし、頬もプッと膨らませた。やはり、嘘を吐いているようにも見えない。優奈もオロオロと戸惑っていて、何かこの誘拐事件に関わっているようにも見えなかった。
「真凛ちゃん、その龍神様ってどんなルックスだった?」
「とにかくイケメン! 警察にもそう言ったよ」
この説明だと警察は困っただろう。イケメンと一言で言われても色々とあるし、人によって感じ方は違う。亜弓は塩顔にサブカル男子が好きで、桃果はキラキラアイドル風のレン様が好みだ。栗子は優等生風の少女小説風の王子様タイプが好きだ。これだけでもタイプはバラバラ。真凛が思うイケメンがどんな感じだろうか。
「『龍神様の花嫁』の龍神様様と似てるかも!」
真凛は『龍神様の花嫁』の表紙を指さす。そこには人気イラストレーター・榊原空美子に描いてもらった浮世離れした銀色の髪のイケメンが描かれていた。
『龍神様の花嫁』の中身は駄作であり、実際一巻で打ち切られたが、イラストだけは良いと栗子は思う。しかしますます謎が深まった。こんな浮世離れしたイケメンは居ないし、居たとしても相当目立つのではないだろうか。
その後、真凛に誘拐された当時の事を小説の取材と嘘をついて詳しく聞いてはみたが、「異世界風の綺麗なお屋敷にいた」「龍神様にお姫様扱いされた」というだけで、結局何も分からなかった。真凛は本当に自称・龍神様に良くされたようで、今でも会いたいと恋しがっていた。何か虐待を受けたわけでは無さそうなので安心はしたが、ますます事件の謎が深まってしまった。警察はこの真凛の話を聞いてさぞこ困った事だろう。少女小説作家である栗子が聞いても全く信じられない話である。
「栗子先生、私、実は作家になりたいんだ! 好きな事を仕事にしたいの」
最後にそう言っていて、この誘拐事件の顛末を小説して後で見せてくれると言った。
作家である栗子は「思った以上に好きな事を出来ない仕事だから作家はやめておいたほうがいい」と言いたかったが、子供の夢をいらずらに潰すのも可哀想だ。
栗子は微笑んで、いつでもメゾン・ヤモメで待っていると言い、真凛の家を後にした。




