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唐揚げ編-3

 亜弓は少女小説レーベルの編集者である。栗子の担当編集者でもあった。もう今年分の仕事は大方終わらせているが、慌ただしく午前中の仕事を終える。


 昼休憩になり、昼出版の一階に降りると文花がいた。元不倫相手の妻である。


 正直なところあまり会いたい相手では無いが、事件に巻き込まれてアイディアをもらったり、その後もメールのやりとりもしている。文花の夫・田辺はすっかり丸くなったと聞く。不倫もしていない様で文花も落ち着いたのかも知れない。


「文花さん!」


 亜弓が声をかけると、文花は無表情だったが、やっぱりいつもよりも表情が柔らかに見えた。このまま田辺が不倫をしなければ、文花も落ち着くかもしれないと思わせる。たぶん今日は、昔のように田辺の不倫のクレームをつけに昼出版に来たのでは無いのだろう。


「今日はどうしたんですか?」

「いいえ、今日は都内にあるオーガニック食品店に行った帰りでちょっと寄っただけなのよ」


 大きな用もないようだが、田辺の新作でもあり、文花がモデルになった『愛人探偵』が最近また重版し、普段から敵対している文芸局編集長の紅尾豊にマウントをとってきたとケラケラ笑っていた。相変わらず性格は極悪のようで亜弓は若干引きながら文花の薄ら笑いを見ていた。


 たち話もなんなので、一階のロビースペースで缶コーヒーを片手に話す。


「そういえばクリスマスに栗子さん達とパーティーしたのよね。楽しかったわ」


 この文花の言葉は本心のようで、本心からの笑顔を見せていた。珍しく笑顔だ。いつもそうしていれば良いのにと思うが、余計な事を言っても自己中的な文花は人の話など聞かないだろう。


「あなたが仕事で来られなかったのよね。残念ね」

「まあ、でも田辺先生に顔を合わせるには気まずいですよ」


 その点においては亜弓もメゾンヤモメで開かれたクリスマスパーティーを参加しないでよかったとは思う。


「文花さんはまた事件を解決したんですよね。社内でまた噂になってますよ」


 文花はつい先日、殺人犯を捕まえた。包丁をもった犯人を挑発しまくり、油断させたところを文花の知り合いの探偵事務所社長が捕まえたのだと言う。昼出版社内で文花に好意的な人間は全くいないので噂に尾鰭おひれがつき、ますます文花の悪評が広がっていた。


「まあ、いいじゃない。今回の犯人は坂井智香の時のインチキ占い師よりはショボかった気がする」


 そんな事も平然と話す文花改めて恐ろしい女だと思う。


「インチキ占い師だなんて、結構な言い方ですね」


 文花の口の悪さが面白く、亜弓もつい笑ってしまう。


「占いなんて全部インチキよ。そんなのが本当だったら、とっくに私の夫の心は帰っていたでしょうね。あのインチキ占い師は不倫されるのは奥さんの前世が悪いなどと言ってたし最悪よ」


 どうやら文花も占いが嫌いらしい。亜弓も同感であるが、メゾン・ヤモメのおばさん二人は「願いが叶う唐揚げ」の話題に夢中である。今朝も栗子と桃果はその話題で盛り上がり、お昼にさっそくミチルの唐揚げ店に行くと言う。


 亜弓はこの唐揚げ店の事を話題に振ってみた。文花は一体どんな反応するか、少し気になる。


「ハァ? 願いが叶う唐揚げ? 食べたら願いが叶うの?」


 文花は顔を顰めて、ちょっと口角を上げている。馬鹿馬鹿しいと言いたげに薄ら笑いも浮かべ始めた。


「そんなのがあったらとっくに私は夫が不倫しませんようにって願かけてるわよ。こんなの嘘よ、インチキよ、詐欺かもしれないわよ」


 やはり文花はこのての話題にはホイホイ乗る事はなかった。夫に不倫された事はよくないかもしれないが、こうして地に足がついているので、詐欺の類にあう事はないだろう。悟っているというか、夢みがちのところが一切無い文花は、あまり嫌いでは無いかもしれない。ただ、逆に少々お花畑で変わり者の栗子や世間知らずそうな桃果が心配になって来る。


「栗子先生達はその唐揚げの噂を信じてるのね…」


 文花も栗子達を心配していた。


「気をつけて。あのインチキ占い師の事件のとき色々調べたけど、詐欺みたいにお金とってるスピリチュアルな連中多いから」

「そ、そうなんですね」


 文花に実感が伴って言われると、亜弓も頷くしか無い。


「あなたがちゃんと栗子さん達を見張ってるのよ」

「そうですね。やっぱり願いが叶う唐揚げなんておかしいですよね」


 動画を見た限り、唐揚げ店店長の熊澤ミチルはおかしなところはなく、むしろアイドルのように可愛らしい女だったが警戒するには越した事がない。


 文花と別れ、亜弓は自分の職場のフロアに戻った。


 栗子はちょっと抜けている。あの事件の時も犯人の色仕掛けにもあっさり引っかかっていた。頭が悪いわけでは無いが、少々自分の欲望を優先しすぎる所もある。


 そう思うと文花の忠告はありがたく、あの変な唐揚げ屋に栗子が騙されないようにしなくちゃと思う。


 そんな事を考えながら商店街のベーカリー・マツダで今朝買ってきたガーリックトーストや塩バターパンを食べて昼食を済ます。


 ベーカリー・マツダはクリスマス時期はサンタクロースをかたどったクリームパンやツリーを模したチョココロネを売っていたが、今はすっかり普段の様子になっている。福袋の告知も始まっていた。店員の和水に聞くと、毎年争奪戦になるので早めに正月は並んだ方がいいとアドバイスされていた。


 そんな事を考えていると、文芸局編集長の紅尾に声をかけられた。


 隣のフロアであるがあまり顔を合わせる事はない。元上司であり、新人時代から仕事も一通り教えてくれた人物でもある。50歳超えていて見た目は少し怖いタイプだが、奥さんの尻に敷かれている愚痴を聞くと親しみやすい人物だ。


「紅尾さん、お久しぶりです。こっちに何かありましたか?」

「いや、今って亜傘先生の担当って滝沢だっけ?」

「そうですけど」

「実はさ、田辺先生の『愛人探偵』が今、意外と人気出てしまってさ」


 紅尾は心底悔しそうにつぶやいた。おそらく文花に嫌味でも言われ、腹に怒りが溜まっているのだと察した。


「まあ、文花さんが事件で目立ってしまって『愛人探偵』は話題になりやすいですけどね」

「まあ、それはいいんだけどさ。これを機に他にもライトミステリも出版出来たら良いと考えてるんだよ。亜傘先生も昔ライトミステリ書いていたんだよな。ライトミステリの企画を募集中で、亜傘先生にも是非企画を出して貰いたいんだが」

「え?」


 亜弓は驚きで目をパチクリさせる。


「亜傘先生はコージーミステリっていうちょっとニッチな殺人事件が起きるミステリを書きたがっているのですが」

「そうそう、そういうので。愛人探偵』も殺人あるしね。日常の謎解きじゃなくて、殺人事件があるライトミステリがちょっと欲しいんだよな、だからちょっと亜傘先生にこの事伝えてくれる? まあ、後で俺も連絡するけど」


 亜弓は驚きで顔が固まっていた。栗子にコージーミステリを書くチャンス到来?


 あれだけ絶望的だった事で、栗子は10年以上コージーミステリの企画を出していたが、全くその企画が通る気配などなかったのに。


 どういう事?


 まさか、あの唐揚げ効果?

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