慈悲深い聖女
「――えっ?」
声を発した真奈。突然目の前から消えた唯に驚いた様子である。
少なくとも距離が離れていれば、細かい動きは見えないにしろ、大きな動きは見えるだろうと考えていた。だけど、それを簡単に覆させられる。
彼女は移動したのだろうが、それを一切視認する事ができなかったのだ。
「鬼さんこっちだー!」
唯の声がした。標的を見失ったグールはまた同じようにキョロキョロとする。
「よし! 成功!」
新しい魔法が成功した唯は拳をぎゅっと握り嬉しそうにしている。
「魔力の消費も思ってた程じゃないし、この感じなら動きを止める魔法よりは使いやすいかな」
そう感想を漏らすと、
「だいたい分かったから……後は――」
また姿を消した唯はグール達の群れの中心に現れる。
「――死んでいいよ」
すると次の瞬間、複数のグールが空を飛んだ。
いや、打ち上げられたと言った方が正しいだろう。唯を中心にその群れにぽっかりと穴が空く。そのどれも顔が潰れ紅色の花を咲かせた。
事切れた仲間を見たグールは何が起きたか理解できなかった。そして、それを理解すると戦慄を覚える。
自分の主、アドゥルバと同じレベルの畏怖の念を感じるが、主からの命令は絶対だ。殺せと言われそれに逆らう事ができない。そして、人のようにグールには感情がないように見えるが、初めてそれらしい感情を見せた。
シンと静まる空気。一体のグールが吠えた。まるで恐怖し怯えるように。はたまた、この命令を下した主に何かを言いたそうに、自分がそれに逆らえない事を呪うように、天に向かって雄叫びを上げるとそれが伝染するかのように、周囲に波及する。
「うるさいな……少し静かにして」
グールの雄叫びに対して唯は目を細めると、底冷えしたような声色でそう言い放つ。苛立ちを多分に込めたその声は、決して怒鳴るような感じではない。だけど何故かグールの雄叫びより、よく聞こえた。
グールは一斉に声を上げたかと思うと、逆に黙り込む。まるで主が変わったかのように唯のその言葉に従った。
「いい子だね」
そして、唯は微笑んだ。
まるで聖女のような微笑みを見せた彼女は、グールに向かってそう言うと、怒られた子供が許して貰えたと安堵するように怯え顔を綻ばせる。
だけど、
「じゃあ、これから全員殺すね」
彼女に慈悲はなかった。血みどろのハンマーをゆっくりと正面に構える。
「じゃぁね。――加速」
また同じように魔法を行使するために、言葉を紡いだ。
瞬間、姿が消えたと感じる暇もなく。
「――ギッ!」
ほぼ同時に、数十体のグールの頭が破裂した。一秒にも満たない刹那の時間にそれが起きる。
「壊れちゃった」
姿を見せた唯だったが、どこか寂しそうな表情をしていた。右手をじっと見る。杭を打つ用のハンマーはみるも無惨な形になり果てていた。
持ち手はひしゃげ、ハンマーの頭部分はどこかに行ってしまったのか無くなっている。ただの棒切れと変わらないが、それすら歪み役に立ちそうにない。
彼女の怪力と魔法が重なり、酷使されたその武器は耐え切れなかったようである。
「アッ! アァァアアッ!」
これを好機と見たのか、グールが動きだした。
「これ……あげるよ」
唯は投擲するようにそれを投げると、見事にグールの頭を貫いた。
「武器が無くても……大丈夫かな?」
ちらりと真奈の方を見て、あのバットを奪おうかと思ったが辞めた。とりあえず素手で何処までやれるか試すようである。
不恰好に構えると、グールへと向かってかける。
「シネッ!」
グールは鞭のようにしなる長い手を、なぎ払うように振るった。唯はひょいっとしゃがんで避ける。沈んだ体の反動を利用して、ジャンプするようにアッパーを繰り出した。
「――ギヒッ!」
顎が砕け、顔の下半分は原型を留めていないグール。だけど、まだ生きていた。
無くなった歯や顎に頬、しいて言えば長い舌が残ったくらい。収納する場所が無くなったそれはだらりと垂れ下がり、出来の悪いネックレスのようになっていた。
「意外といけるけど……少し手が痛いかな」
唯の拳を見ると少し赤くなっていた。皮膚が少し裂け肉が見えている。グールの堅い皮膚に、自分の怪力に耐えれないようだった。
「まっ、いいか――治れ」
それを合図に拳が緑色の光に包まれた。
「アギィッ! フーッ!」
口を失ったグールは上手く言葉を発せないが、まだ動きを止めていない。油断している唯に向かって叩きつけるように、その腕を振り下ろす。
「ふふっ、せっかちさん――加速」
そして、次の瞬間には、
「――アヒッ!」
花火のように頭が破裂して仰向けに倒れた。
「んー、弱点が頭って狙うの大変だな……身長小さいしさ…………あっ! そうだ! 良いこと思いついたよ」
唯がそうごちると、また加速と呟いて魔法を放つ。
そして、次の瞬間には
「――完了」
唯は手の汚れを払うようにパンパンと叩きながらそう言った。
「あ……」
グールの間の抜けた呟きと、何か重いものが落ちるような音。
「これで簡単に頭を破壊できる」
唯は嬉しそうにグール達を見下ろした。瞬きするような一瞬で、両手両足を破壊すると全てのグールが地に体を伏せた。
どうにか立ち上がろうと必死にもがくが、もがれた手足でどうする事とできない。
「さて、これで全員かな? 残ってる子はいない? 大丈夫?」
唯は周りを見てそう言うと、残ってるグールがいないか確認する。
「いないね――じゃぁ……いいかな?」
そして、ゆっくりと倒れてるグールに近づくと足で頭を踏みつける。
「一体目――」
まるで蟻を踏み潰すように力を込めると、グールはその中身をぶちまけた。
一体を葬ると、ゆっくりと次の標的へと向かう。
――――――
「――百二十体目っと……おっ、次で最後かな?」
ようやくこの戦い……グールにとっては殺戮が終焉を迎えようとしていた。
どの死体も四股を引き千切られ頭が潰れている。みるも無惨な惨殺死体となったグールが、そこかしこに転がっていた。
「あれ? この傷って」
最後の一体、そのグールの引き千切られた手を見て唯は呟く。
「ふーん、あなたがここまで誘導したグールだね」
そのグールには斬られたような跡があった。傷は腕の中程にまで到達している。唯はそれに見覚えがあったようである。
「宗田さんが付けた傷だよね?」
そう確信すると、その頭を鷲掴みにして持ち上げる。
「しぶとかったけど、ご愁傷様」
「――ヒッ!」
一瞬、怯えたような悲鳴を上げたグールだったが、なんの躊躇もなく頭を叩きつける。動かなくなるまでそれを繰り返した。
「あー、やっと終わった……っと、宗田さん待ってるかな?」
全てのグールを倒し終えた唯は、宗田が戦っているであろう方へと振り向いた。
唯の中では宗田がアドゥルバを倒して、私の事を待っていると言うストーリーが出来上がっている。
しかし、唯の目に写ったものは、
「――嘘……でしょ?」
左腕を失い、倒れた宗田に向かって腕を振り下ろそうとしているアドゥルバの姿だった。
「えっ? ――嫌っ! やめて!」
叫ぶが、遅い。アドゥルバの強靭なその右腕が宗田を捉えようとしていた。
加速と言った魔法を使えば助け出すのは間に合うのだろうが、予想外の出来事にそこまで頭が働かない。
停止した思考で、宗田とアドゥルバを見ていることしか出来なかった。