アドゥルバ
「人間はさぞ愉快だな。イヒッ!」
腰を落とし、手に持った斧を下に向けて構える。
アドゥルバは俺を敵とすら認識していないのか、腕をだらんと下げた状態で、にやけたままこっち見ていた。
「自分一人で逃げれば助かるものの……種族愛など――くだらない」
こちらを何処までも馬鹿にするような奴の言動。だけど、その挑発に乗っては思うつぼだと、その言葉に耳を貸さないようにする。
「――はあっ!」
地を駆け下から上へと斬り上げる。
「まずまずだな」
それを左の手の平で軽々と受け止められた。
ぶつかり合った瞬間、火花が飛び散りカメラのフラッシュのように周囲を照らす。
これが防がれるのはもちろん予想済だ。
――左手で斧を振る。
二本借りた内のもう一本を左手に隠し持ち、油断しているであろう奴の胴体目掛けてそれを振るう。
防ぐ暇もなく、それが胴体へと直撃するが。
「――っ!」
強靭な肉体により傷一つ負わせる事ができない。むしろこっちの手が痺れ、斧を落としてしまいそうなった。
「イヒッ! 残念でしたー!」
両手の肘をから腕を曲げて、それを上に向けて万歳するような格好で紫色の舌を出して小馬鹿にするような態度を取るアドゥルバ。
俺の全力の攻撃が一切通用せず、後ろに飛んで距離を開ける。
「なにっ――!」
後ろに飛んだそれにあわせてアドゥルバも動いた。
右の拳を握り俺に目掛けてそれを突き出す。
まだ、地面に着地していない俺にはそれを避けるすべはない。
ダメージを軽減しようと手を交際させてその拳を受け止めた。
「ジャストミートゥゥゥッ!」
振り切られたその拳は俺を軽々と吹き飛ばす。
ボールのように地面を何度もバウンドすると、敷地内に倒れていた重機に激突してようやく止まった。
「かはっ……」
呼吸が出来ない。
威力を少しでも殺そうとしたけど、それは無駄だった。
レベルが……いや、次元が違いすぎる……。
俺にとっての必殺の一撃も、奴にとってはお遊び。今も遠くでシャドーボクシングのように何もない空間目掛けて拳を繰り出してふざけていた。
「はぁっ……ぐぅ……」
ようやく呼吸が出来るようになったかと思うと、鋭い痛みが走る。
その痛みの元凶に目をやると見るも無残な姿へとなっていた。
「見るんじゃなかった……」
それを視界に入れて後悔する。
その両腕はあられもない方向を向き、折れた骨が肉を突き破っていた。
辛うじて斧を手放さなかったのは奇跡と言える。
それを目にして激痛がより悪化したように感じる。
「ぐっ……ポーションで治し……きれるか?」
出来る限り濃縮したポーション。出来るだけ傷が治る所を鮮明にそれをイメージする。
そうして、火球ならぬ水球を作成した。
「二割近く魔力を持ってかれたな……」
だけどその分効果は期待できそうだ。
それを操作して口元まで運ぶと、顔を動かしてかぶり付いた。
「——うぇっ! くそ不味い!」
普通のポーションは酸味がかったような微炭酸で少し美味しい感じもしたが、この濃縮されたポーションはえぐみが増してまさに粉薬を水無しで飲んだような酷い味がした。
「良薬は口に苦しだけど、これは……酷い」
痛みと、そのポーションの所為で額に脂汗をかく。だけど、それに見合った効果は得られたらみたいだ。
ゴキゴキ、バギ、と人体からはあまり聞きたくないような音が聞こえると、逆再生したかのように折れて捻れた骨が元に戻り、それを覆っていた皮膚も元通りとなる。
骨が戻る様子は見ていて痛々しかった。飛び出た部分が中が皮膚の中に無理矢理戻ると、捻れた部分がまっすぐになるように肉の向こう側で動いていた。
それが動く度に皮膚が波打ち、突っ張ったような感覚がした。だけど……不思議と痛みは感じず少しだけ違和感があるくらいである。
「ポーション様々だな」
治った腕を動かして、手を握ったり開いたりを繰り返して問題ないか確かめる。
「大丈夫そうだな……」
油断しまくりのあいつはこっちにとどめを刺しにすら来ない。こうしている間に追い打ちをかけてくれば一瞬で決着がつくはずだ。
「あの野郎……」
完全に舐めた態度のそいつに腹が立った。だけど、だからこそ絶好のチャンスでもある。
今のうちに周りの状況も確認しておきたい。
あいつにばれないように目だけを動かして周囲を確認する。
かなり建物の方へと吹き飛ばされたようで、唯と真奈の状況もしっかりと確認できた。
「良かった。生きてる」
グールが一カ所に蟻のように群がっていた。二人の姿は見えないが、時たま空を舞うグールの姿や、真奈の魔術なのか光を放っているのが見える。
それを見て少しだけ安堵した。
そして、肝心のアドゥルバと名乗ったグールだが……その場に胡座をかいて座り込んでいる。
人が寝るようにコクリコクリと頭を上下させ、完全に油断しているようだった。
「ここから魔法を……いや、避けられる可能性があるよな」
まだ、俺が魔法を使えるのはばれてないはず。ならば、確実に当てることが出来るタイミングでそれを使いたい。
「もう少し足掻いてみるか……」
体の痛みは……ないな。
怪我は完全に回復したみたいだ。濃縮ポーション様々だな。
さてと――やりますか。
そうして、すっと立ち上がると向こうもそれに気づいたようで、にやけながら立ち上がった。
「すぅー……はぁー」
たっぷりと深呼吸すると斧を両手に駆け出した。
――全力で地を駆ける。
こんな世界になるまで戦いなんて経験した時はなかった。もちろん、格闘技の経験なんてない。
だから、基本もへったくれも知った事か――ただ、がむしゃらに斧を振り回すだけ。
「――らっ!」
左側から回るように迫ると、走った反動を全てその一撃に乗せる。
更に体に捻りを加え、威力を極限まで高める。
大砲から打ち出された玉のようになった俺は、その限界まで込めた力が逃げないようにと、左足で地面を踏みしめた。
その瞬間、トラックが衝突したような衝撃音と共にコンクリートで舗装された地面が簡単に砕けちった。
巻き上がったコンクリートの破片が顔に当たり頬を切ったが気にせず右手に持った斧を横になぎ払った。
「ぐうっ!」
初めて苦悶の声を上げたアドゥルバ。油断してた所為で防御が間に合わない。
俺の一撃がわき腹に直撃すると――その黒い皮膚を切り裂いた。
吹き出る赤い血液が服の一部に付着するが、構わず次の一撃を繰り出す。
「――兜割り」
そう口で呟くと左手に持った斧を縦に振り下ろす。
「あまり――調子に乗るな!」
だけど奴も黙ってはいない。
兜割りの一撃を左腕で受けるとそれが中程まで食い込む。
だけど、そんなは気にしないと言わんばかりにその食い込んだまま左腕を払った。
「っと、危ない」
致命傷にはならなかったが、俺の攻撃が通用した事で少しだけ希望が見えた。
最初の一撃はどうにも体が上手く動かなかった。
奴の威圧のせいなのか、俺の心が恐怖に臆していたのか分からないが――今は違う。
唯が、真奈が、必死に生きようとする姿を見て諦めかけていた心に火を付けてくれた。
力は奴が上。だけど、素早さはこっちが上だ。
その証拠にさっきは俺の動きについて来れていなかった。
これならいけるはずだ――
「――イヒッ!」
顔を押さえ、肩を揺らし不気味に笑い始める。
「ヒヒヒヒヒヒヒッ!」
そう言えばさっきからガソリン臭いような……。
「ウヒヒヒヒヒッ! …………イヒッ」
ひとしきり笑い終えると双白の瞳が俺を捉える。
なんだ……傷を負ったと言うのに何が楽しいって言うんだよ? その得体のしれない不気味さに思わず一歩後ずさった。
「人間……やるではないか」
静かに話すそいつの目元は三日月を横にしたように、細く鋭く鋭利に笑っていた。