嫉妬とギャップ
「宗君、ここから気を付けて」
胸の辺りまで伸びた髪を邪魔にならないようにと、頭の天辺付近でお団子にしている和美人の真奈が、真剣な表情でそう言った。
ただでさえ美人な彼女が真顔でそう言うと、少し怒っているようにも見えるのが損だと思う。
怒っているとか不機嫌ではないのだろうが、冗談を言えるような雰囲気でもない。
剛とアリスの両方も視界に入ったが、顔が強張っていた。
「何かあるのか?」
そう聞き返すと、真奈は静かに頷いた。
「ここは他の所に比べてゾンビの出没が多いの」
避難所となっている学校から離れて、かなりの距離を奥に進んだ。この辺までが間引きの範囲ギリギリとのことらしい。
距離にして500メートルくらいだったかな? 地図を見せれられて説明していた時に、紫苑さんがそう言っていた気がする。
ただ、この辺のゾンビが多い理由がよく分からない。
「それと、グールとの遭遇頻度もかなり多いわ」
「何か理由でも? 元々は避難所にゾンビが集まっているんじゃなかったか?」
「えぇ、この辺一帯に関してはそうね……だけど、ここは特殊。
ゾンビの数が一点に集中しているのよね。恐らくこの先にあった元避難所が関係していると思うのだけど……そこまで近づけていないから正確な所が分からないわ」
元避難所? もしかして、交流のあった避難所がここか?
「前に紫苑さんが言ってた、交流のあった避難所がこの辺に?」
「そうよ……連絡が取れなくなって……いえ、こうして近づけなくなって向こうの様子が分からないけど、恐らくは——生きている人が居るなら助けたいけど……私達もそこまで人員を割く事は出来ないの」
悲しそうに目を伏せる彼女は胸元をぎゅっと握り悔しそうである。
「そうか……」
俺はそう返すしかなかった。
ゾンビだけならまだしも、グールの出没も多くなると流石に無理だ。
複数——それも三体以上となると俺も唯も手を持て余す。今は五人だからもう少し大丈夫だろうが、安全マージンはかなり狭くなり、死ぬ確率が大いに跳ね上がるだろう。
「ただ……ここから漏れて来るゾンビがこっちの避難所に回って来るのも事実なのよね……それもかなりの数。
恐らくグールも私と紫苑さんの見解では、ここから来ているんじゃないかと思っているの」
それだけ大量の人間が死んだからこそ、グールに進化するゾンビも多いか……厄介だな。
「それで、今日はテストも兼ねてこの辺一帯のゾンビの間引きを手伝って貰いたいわ。基本は危険すぎるから私が担当をしているんだけど……宗君も唯さんも居てくれるし、かなり数を減らせると思っているわ……頼めるかしら?」
それに関してはもちろん手伝うつもりだ。だけど、どうしても気になる事があった。
「なぁ、もし俺がそこまで戦えなかったらどうするつもりだったんだ?」
「それは、ここに行くまでの過程で決めるつもりだったのよ……要するに十分戦力になると判断したの。ただ……」
少し口ごもる真奈。
「ただ?」
「宗君をあまり危険に巻き込みたくなかったのよ」
情報交換の際も、俺が危険に合う事に関して異様に反応していた彼女だったが、あの難しい表情はどうするか迷っていたのだろう。
ある意味では断腸の思いで俺をここに連れて来たのかもしれないな。
「そうか……だけど、心配する必要はないよ。俺もだけど、唯もそれなりに戦えるからさ」
「そう……みたいね」
俺を唯の両方を見た時、何故か唯を見る目が敵を見る時のような目つきになっていたような気がした。
どうしてこんなにも互いに敵対心剥き出しなのか?
犬猿の仲とも思える彼女の言動が気になる……何か問題が起きなければいいのだけど……そうなる前に二人で話が出来ればいいんだけどなと思う。
「ここからは私達も戦うわ。ある意味ではテストも合格だから、そこまで気にしなくて大丈夫よ」
合格と聞いて安堵した。
「宗田さん、やったね!」
「おめでとー!」
「兄貴、流石っす!」
合格と聞いて三人が寄って来て賛辞を送って来る。
「どういたしまして」
そう笑顔で返す。
「ねぇ、唯ちゃんやっぱり私に——」
「——だめ! 絶対ダメ!」
「ふふっ、宗君は彼女に凄い好かれてるのね」
「あぁ、唯とずっと——」
横目で真奈を見た時に、背中に大量の氷を入れられたように冷たく感じると、反射的に背筋を無理矢理真っ直ぐにさせられた。
氷を張ったようなその笑みは、表情こそは緩んでいるがそこには優しさや温かみと言った物をまったく感じさせない。
——嫉妬の使徒。
謎の声が言ったそれを思い出した。
嫉妬の使徒がどう言う事を指しているかは分からないが、その嫉妬と言う言葉だけから想像すると……真奈が俺達に嫉妬していると捉える事が出来る。
まさかな……?
終わった関係で、恐らく紫苑と真奈は出来ている。だから、わざわざ俺に嫉妬する事もないだろうし……気のせいだろう。
でも、そうなると今の冷笑とも言える笑みは何だったのか。
「さ、みんな行くわよ」
考えがまとまる前に真奈が合図をすると、先に歩き出してしまった。
俺達は慌てて後を追う。
結局はさっきの笑みの事は分からず仕舞いで終わってしまった。とにかく二人で話す時間をどうにか取れるようにしよう。
そして、互いの事をしっかりと話したいと思う。
「——はぁっ!」
真奈が大きく振りかぶった、金属のバットを振り下ろした。
べこべこに凹んでいるそのバットはかなり使い古されて、血がべっとりとこびり付いている。
本来の用途とは全く違うが、人の頭を破壊するには十分だった。
唯のような怪力は無いが、彼女のもそれなりにレベルが上がっているのだろう。一撃の元にゾンビを倒している。
「そろそろこれもだめかしらね」
今しがたの攻撃で、変な方向を向いてしまったバットを眺めてそう呟くと、それを道路の隅の方へとそっと置いた。
そうして、新しいバットをリュックから取り出すと、何度か振ってその感触を確かめる。
「隊長ってあんなに美人なのに、武器がバットって凄いギャップだよねー」
横に並ぶアリスが、耳元でそう囁いてくる。
「なんか、狂気すら感じるんだが……」
うっとりとした様子でそのバットを下から上になぞるように視線を動かして恍惚としている真奈。
まるでバットフェチのようにうっとりとした様子で、真新しいそれを眺めている。
「素敵……」
そう声を漏らす彼女の表情は熟したトマトのように赤みを増していた。
「いつもこうなのか?」
「そうだよー! 皆には、バットフェチとか戦闘狂とかって言われてるからな。あ、勿論悪い意味じゃないよ。それに本人も認めてるしね」
見た事ない彼女のその姿に少しだけ思う事もあるが、それをグッと飲み込んで耐える。
再び歩み出した俺達は、線路沿いを進む。道すがらに出会うゾンビを次々に葬るが、ほとんどを真奈が倒してしまうため俺達に出番は殆ど回って来ない。
「さて、そろそろ休憩でもしましょうか」
そう言って振り返った彼女の顔は血でべったりと、マスクのようにそれがこびりついている。
流石に引いた……。
「……これ使って」
「あ、ありがとう」
見るに見かねた唯が、タオルを渡すと素直に受けっとたが少しだけ意外そうな表情をしている。
「ふぅ、助かったわ。どうしてもバットだと、いろいろな物が飛び散って困るのよね」
幾分マシになったが、完全に落としきれず薄い泥が付いたようになっている。
「この辺に休憩するための、仮の拠点があるからそこで少し休みましょう」
そう言って俺達はそこに向かおうとした時だった。
「——ご、はんー!」
その声が聞こえた瞬間に俺と唯は駆け出していた。