猫みたいな彼女
ふぅ、さっぱりしたな。
椅子に深く腰をかけて一息ついてる。
ご飯を食べてから、アリスに案内されたのは学校のプールだった。外から見えないようにとグルリとコンクリートのブロックで囲われていた。
そこで、学校の裏手にある井戸から水を汲んでそれで体を洗ったのだが、これまた冷たかった。
夏の昼下りに歯を鳴らすほど体が冷えるとは思いもしない……今も少し肌寒く感じるくらいである。
そうして上がったら応接室で待っててとのことで、こうして一人の時間を堪能しているわけなのだが……特にする事はない。
日課の魔力循環を行って、唯が戻ってくるのを待つことにした。
目を閉じて意識を体の内側へと向けると、深呼吸を数回行う。瞑想のそれに近い行為を繰り返していると、体の中心に光が見えた。
そうしてそこに意識を向けるとゆっくりと動かし始める。
最初だけ虫が這うようなぞわぞわとした感覚がして、それだけは慣れない。
だけどそれを続けていると次第に不快感は消え、魔力が通った所がほんのりと暖かくなる。
冷えた体が熱を帯び少しだけ寒い感じが遠のいていくのを感じると段々とそれが心地良くなって来た。
最初の頃は少し動かすのにも苦労していたが、今は多少なら別の事を考える事も出来るようになった。
これを続けて何か効果があったかと言えば、少しだけ魔法の発動が楽になったような気がする。
例えるなら詰まりが無くなった感じかな? 目に見えた効果は無いかもしれないが、少しでもメリットがあるなら続けていきたい。
「――あれー! 寝てる?」
慌てて目を開けるとアリスの顔が目の前に合った。青い瞳で覗き込む彼女は、吐息が掛かるくらい至近距離で俺を見つめている。
「……起きてるよ」
部屋に入ってきた事にまったく気づかなかった。
驚きで心臓の鼓動が早くなる。
「あっ、起きてた」
彼女がそこから離れた瞬間、風に乗って甘い匂いが漂ってくる。
目でアリスの事を追うとそこには唯の姿もあった。
彼女も体を洗い終えたようだが、タオルをかけて二の腕部分を反対の手で擦っている。
小刻みに震える唯の唇は青く血の気が引いていた。どうやら彼女も俺と同じでかなり体が冷えてしまったようだ。
「大丈夫か?」
「だだだだだ大丈夫!」
じゃなさそうだな。
「ちょっと冷え過ぎちゃったみたいだから、毛布持ってくるから待ってて!」
そう言って部屋を出て行ってしまった。
「そ、宗田さんは寒くないの?」
隣に座った彼女は体を丸めて、まだ小刻みに震えていた。
「俺も寒かったけど、もう落ち着いたよ」
って、こんなになるくらいならさっと洗って上がれば良かったのにな。
「あー、ちょっと待ってて――火よ」
短くそう呟くとソフトボールくらいの火の玉を出現させると、ふわふわと空中を漂わせて震える彼女の前まで移動た。
「暖かいーっ!」
焚き火に当たるように両手を近づけて暖を取る。
「触らないように気をつけてね」
夢中で熱を吸収しようとしている彼女に対して注意だけしておいた。
後はアリスに見つからないようにしないとだな。
でも、毎回体を洗うのがこんなだと流石に辛い……何かいい方法はないものか。
「はぅー、だいぶ体が暖まってきました。幸せー」
その言葉通り震えは落ち着いたようで、嬉しそうに目を細めていた。
「――あっ、アリスちゃんが戻って来るって!」
急いで宙に浮いている火の玉を消すと、何事も無かったかのように自然を装う。
唯に至ってはわざと体を小刻みに震えさせていた。
「お待たせー!」
その手には冬に使うような茶色の厚手の毛布を抱えて、唯の言った通りアリスが戻って来た。
誰かから聞いた素振りだったのは、恐らく謎の声――ベリルが教えてくれたのだろう。
「あ、ありがとう」
それを受け取って羽織るように体にかけて、演技をする。
「あれ? なんか部屋の中、さっきより暑くない?」
キョロキョロと部屋の中を見渡してその違和感の正体を探す。
「も、毛布を取りに動いたからそう感じたんじゃないのか?」
そう誤魔化すと、なるほどと言って納得してくれたようである。
「と言う唯ちゃんはそんなに震えて……ぬくもりとか必要だったり――」
「――いりません」
食い気味そう言ってアリスの言葉を遮ると、彼女は項垂れて落ち込んでしまった。
「ははっ」
そのやり取りを見て声を出して笑うと、恨めしそうな顔でアリスは見てきた。
「…………とりあえず唯ちゃんが落ち着いたらリーダーのこと呼んで来るね。夜の事と情報の共有がしたいんだとさ」
項垂れたまま俺には恨めしそうに、唯には切なそうな表情を見せると、一度がっくりと肩を落としてそこからむくりと上体を起こす。
感情が世話しなく変わる様子は季節の変わり目の天気。だけど哀愁を漂わせる事はなく、人の心を愉快にしてくれる道化師のようである。
彼女の行動を見ているだけで笑みがこぼれる。
唯も落ち込んだり、睨んだり、いじけたり、と表情の変化を見てくすりと笑顔となった。
「そうか。いろいろとサンキューな」
「いえー。起きるの待ってる間、たっぷり休ませて貰ったからいいよっ」
執事が挨拶をするように右腕を下に下げ、肘の部分から直角に曲げるてそれを胸に当てると丁寧にお辞儀をする。
「もしかして、アリスちゃんずっと隣の部屋に居たの?」
「そうだよー。リーダーから起きたら案内して欲しいって言われたんだよねっ」
「寝ないでずっと起きてたのか?」
そうじゃないと早く起きた時とか対処できないよな?
「あ、それはね。剛と交代しながら起きてたんだよ。でも、二人は寝すぎだよねー」
なるほどな。後で剛にもお礼を言うか。
そん時は唯を連れて行って、ちゃんと仲直りしてもらわないとだな。
喧嘩した訳じゃなかったが、彼が一方的に怯えてしまっていたし……唯が避けられるのはどうにも悲しいのだ。
「……そんなに熱い夜を過ごしたの?」
悪いお代官様のようにニヤニヤした顔で近づいて来て、「ニシシシッ!」と笑うと俺と唯を見比べる。
「あー、アリス……ちょっといいか?」
「何かなー!」
「あのな……」
手招きして彼女を呼び寄せると、耳を貸せと言って内緒話をするような恰好を取る。
そして——
「——わっ!」
「にゃーーっ!」
耳元で大きな声を出すと、驚いた猫のように飛び上がると、一目散に部屋の隅に逃げてしまう。
「な、何するのよっ! 驚いたじゃない」
「はんっ! それは馬鹿な事を言っているからだろ」
左の耳を両手で押さえて、威嚇するように唸る彼女に対して、勝ち誇った表情で彼女を挑発する。
「うー」と威嚇してくるが、俺はわざと腕と足を組み体を仰け反らせて偉そうにする。
「酷いっ!」
抗議するアリスだったが。
「まぁ、アリスちゃん落ち着いてよ」
「は~い。落ち着きます」
ふにゃんと言う音が似合いそうなくらいに脱力した彼女は、およよよっとわざとらしくよろけて唯の膝の上に倒れてしまった。
苦笑する唯だったが、仕方ないなと金色の彼女の頭を優しく撫でると気持ちよさそうにしている。
「体も暖かくなったし、そろそろ紫苑さんを呼んできてもらっていいかな?」
膝の上でゴロゴロと喉を鳴らす猫アリスに対して、リーダを呼んできて欲しいと唯が告げる。
するとガバッと体を起こして、「ラジャー!」と敬礼をすると風のように部屋から出て行ってしまった。
本当に騒がしい奴だな。
急にいなくなって部屋の中が静かになると、ちょっぴりと彼女の存在が恋しく思えた。
それは唯も一緒だったようで、目が合うと互いに肩をすくめて笑いあった。