猫パンチ
「う……またやっちゃったよー!」
半べそを掻きながら俺の元に駆け寄って来た唯は臓物塗れのゾンビさながらの恰好であった。
頭に乗っていた腸のようなそれをどけてやると予備のタオルを渡した。
「べたべたする……」
本気の一撃は、俺の対戦車ライフルと同じくらいの威力。
遠距離か近接かの違いくらい。
そして、俺のように魔力を消費する必要もないと来たら、動く砲台と言っても過言ではない。
「……凄い…………」
あまりの出来事に呆然とする二人だったが、アリスが言葉を漏らした。
「なに……今の?」
アリスも困惑した様子だった。
まさか守る対象から守られるとは思いもしなかったのだろうな。
狐につままれたような顔をして、ポカンと口を半開きにする間抜け面をしているが彼女がそれに気づいている様子はなかった。
ただそれ程驚いたのだろ。
以前、自分達が殺されかけた相手を秒殺。
たった一度ハンマーを振っただけで上半身が粉々となったのだから……。
まぁ、その後噴水となったグールの所為で唯が血みどろになって半泣きになったのは減点だ。
とりあえず凍った時間から二人を解放してやろう。
「あー、何って言われても殴っただけだよ?」
嘘は言っていない。
威力は……まぁ、置いて置こう。
かく言う俺だって驚いてるんだからな。
凄い馬鹿力だとは思っていたがこれ程だったとは誰が想像できたか。
そりゃゾンビの頭なんて木端微塵になるわけだ。
まぁ、魔法についてバレなかっただけましか。
唯の力の鱗片を見られてしまったのだからこのまま彼女には犠牲になってもらおう。
おんぶに抱っこで……俺は無力作戦だな。
「まぁ、こんな感じで彼女は強いんだよね。
魔術は使えないけど十分戦えるって分けだよ。俺はそれに抱っこされてるって感じなんだ。
ただ、そのお陰で今日まで生きてこれた事は間違いないんだけどさ」
今度は半分嘘を付く。
純粋な戦闘力なら間違いなく唯の方が上。
動きを止める魔法まで使われたら手も足も出ないかもしれない。
味方で本当に良かった思えるわ。
「あ、海上さん……これ勝手に借りてすいません……」
汚れてへこむ唯は体をある程度拭き終えると、剛へと武器を返した。
「あ、いや。さ、サンキュー」
明らかに対格差がある二人だが、自分より体格が遥かに劣る唯の方が強いと知ると動揺が隠せないようだった。
戸惑う彼だったが、それを受け取って俺の方へと戻ってくる唯を呆然と見ている。
「宗田さん……すいませんでした」
隠そうとしていた一部がバレてしまったのはしょうがない。
この状況でそれを優先して見殺しにする事になった方が後味が悪すぎる。
「いや、唯が謝る必要は何処にもないよ」
申し訳なさそうにしている彼女を慰め言葉をかけた。
それにしてもこの空気……気まずいな。
俺の後ろにひょこっと隠れた彼女に目を大きく開いて驚く男女二人はこっちを見ている。
それに対して乾いた笑みを返す。
「あー、なんだ……。助かったわ」
剛が困惑したようにお礼を言ってきた。
唯に至っては調子に乗って手だけを出してピースで答える。
「……す、凄いわ! あのグールを一撃って!」
すると興奮したアリスがずいずいと迫ってきて唯の手を握る。
「もしかして、前に助けてくれたのって……いえ、あの人は男の人だったものね」
ぼそりと聞こえたその事に動揺しそうになったが、なんとか表に出さないように堪えた。
やっぱりあの時の事はバレてなかったんだな。
二人には悪いけどもう少し黙ってることにしよう。
とりあえず紫苑と言ったか?
少なくともそいつに会うまでは言うつもりはない。
「でも! 本当に凄いわ!
ねぇ、剛もそう思わない? あのグールを一撃よっ!」
「ああ…………そうだな。
これで俺達の戦力も増えるし、学校にいる奴らも更に安全になったな」
一瞬だが口ごもる剛だったが首を何度か振るとアリスの言った事を肯定した。
きっとこんなに小柄な女性に守られたことで自分のプライドが刺激されてしまったのだろうと思う。
逆の立場なら俺もそうなるだろう。
だけどそれを認めた彼は偉いと思った。
「実は宗田さんも凄いんじゃないの?」
俺は……実際たいしたことないよ。
そんな事より唯を離してやってはくれないだろうか。
いつの間にか抱きしめられている唯はまたその豊満な胸に顔を押しつけられていた。
てか、唯に付着したゾンビの返り血で汚れますよ。
「俺かー……だといいんだけどな」
悟られないような、はぐらかすような、そんな感じで誤魔化すように言うと。
「へぇ……怪しい……まぁ、これから一緒に生活すればいずれ分かるからいいわ」
思っていた以上に呆気なく引き下がってくれた。
内心追及されたらどう切り返すか考えていたのだが、それも無駄に終わったようで何より。
「ほら! 剛! ぼさっとしてないで先に行くよ。
グールが出たこともリーダーに伝えないとなんだからさっさと行く!」
剛ははっとして身を翻すとまた先頭を歩き出した。
苦労してるな……こりゃ尻に敷かれるだろうな。
「唯、俺達も行こうか」
「あ、はい」
歩き出した二人を追うおようにして俺達も着いていく。
その後は特にグールに出会う事もなく順調。
しいて言えば、剛の調子が少しおかしかったくらいかな……まだ、さっきの事を引きずっているようで二人の連携が最初に比べればぎこちない。
それに比べてアリスはケロッと何でもない感じだった。
うーん。悪い事したかな?
自信を無くすような事になってしまったが、命が助かっただけ良かっただろう。
だからそれで許してほしいな。
ゾンビを蹴散らしながらそんな事を思っていると。
「剛、横の道から他のゾンビが現れたわ!
もう何やっているのよ! 前に出すぎって何回言えば分かるのっ!」
「———くっ! す、すまん!」
だけど剛は違うゾンビを相手にしてそれ所ではない様子。
前方に5体。横の道から抜けて来たゾンビが1体。
ちょうど十字路に当るこの場所で、剛だけが交差する部分の向こう側へと行ってしまった。
ゾンビを倒しながら一人で先に進んでしまった彼をアリスは叱りつける。
「唯、お願いしていい?」
そう言うとすぐに了承してくれた。
残念な事に、アリスの持つ日本のナイフでゾンビに止めを刺すのは難しい。
だから唯にお願いする事にした。
「……分かりました」
ここはあくまで彼女に全てを任せる。
こっちに向かってくるゾンビを追撃するために俺とアリスの前に出た唯は、なんちゃって拳法のような可愛らしい構えをとる。
見た目はウサギやリス、でもその実はライオン……または熊か。
「アァァアアアアッッ! イギ……ガアアアアッ」
相変わらずの薄気味悪い声を上げるゾンビは、唯へと向かって動きを加速させる。
だけどそれでも動く気配がまったくない彼女はじっと視線を外さず真っ直ぐそいつを見ていた。
「———」
一瞬ゾンビの姿が止まったように見えた。
きっと彼女が魔法を行使したに違いない。
「———えいっ!」
可愛らしい声と可愛らしい猫パンチ、でも威力は悪魔級。
ブンっと離れている俺にも聞こえる風切り音にパンッと弾けるゾンビの頭。
拳一つで頭を吹き飛ばした彼女はすうっと息を吐いて構えを解いた。
「———すごっ!」
またも感嘆の言葉を漏らすアリスは唯をぎゅーっと抱きしめる。
バタバタともがく唯に。今も地面でビクビクとしているゾンビ。
それは異様な光景だった。
いや、早く剛を助けに……って必要ないみたいだ。
もう全部倒してこっちに走って来る姿が見えた。