誘惑
「いただきます」
唯が手を合わせてそう言った。
お昼ご飯の時間だ。
今日のご飯は、丸君のカップラーメン。俺は味噌味で、唯は醤油。
佐川さんは食欲があまりないためフルーツの缶詰である。
ズルズルと麺をほうばる。
美味しい。
こうしてご飯が食べれるだけで幸せな気分になれる。
「ごちそうさまでした」
スープも全部飲み干した俺。
物足りないが、この家で見つけた飴を一つ舐めてそれを誤魔化した。
「宗田さん、食べるの早い」
唯はやっと半分を食べ終えた所。
佐川さんは小さい口で、ちまちまと食べている。
「ん? 俺は唯みたいにちみっこじゃないからよ」
「誰がちみっこだ!」
そんなやり取りをしていると、佐川さんがくすくすと笑いだす。
「ごめんね。唯はちょっと頭おかしいんだよ。気にしないで食べて」
佐川さんにそう言う。
「いえ~、二人はとても仲良しですよね~。まるで、お付き合いしているようです~」
少しは元気が戻ったのか。
特徴的な間延びした話し方が戻っていた。
「ち、ちょっと! 葵さん!」
顔を赤くした唯がそう抗議する。
おとなしくご飯を食べなさい。
「そうだなー。付き合ってまだ一か月だからさ」
「ええ~! やっぱりお付き合いしていたんですね~」
俺は佐川さんに嘘を教え込む。
「付き合ってないってば!」
顔を茹で上げた唯が耐えきれずにそう叫んだ。
それを見てげらげらと笑う。
こうして何気ないひと時を堪能する。
この時ばかりは残酷な世界になった事を忘れる事が出来た。
「ふぁ~」
欠伸をする唯。
それに釣られて俺も欠伸をする。
「少し眠いかな……」
唯がそう言った。
さすがに疲れが溜まっているのだろう。
食事を終えた唯はゴロンと転がると寝てしまった。
そんな風にしていると牛になるぞ。
そう思ったが口には出さなかった。
「あの~、宗田さん」
不意に佐川さんに声をかけられる。
「んっ? どうしたの?」
床に座っていた俺にずいずいと寄って来る佐川さん。
前屈みになって、はいはいしながら寄って来る。そのせいでTシャツの隙間から怪しからんものが。
男の性か……駄目だと分かりながらそこに目が行ってしまう。
「あの……。いろいろとご迷惑をかけてすいませんでした」
そうして、何度目かになる謝罪を受ける。
「あー、もう謝らなくて大丈夫だよ? お互い無事だったんだからそれに尽きるし」
「でも……」
んー、何やら納得のできない様子。
どうしたものか……。
「あの、私……助けてもらってばかりで何も……
こんな事しかできませんが」
そう言うと彼女が突然ずいっと寄って来る。
そうして、股間を手でまさぐり出した。
「———っ!」
驚いて佐川さんの手を振り払うとその場から立ち上がった。
「だめ……ですか?」
上目遣いでそう言ってくる。
だめ………じゃない。
ただ。
「だめとかじゃないよ。ただ、そう言ったのを助けて貰ったのを理由にはしたくない」
ぴしゃりとそう告げる。
どう言うつもりなのか? 魅力的なお誘いではあるのだろうが。
こんな状況でそう言う事をしたくない。
それに……唯だって居るんだし。
してしまったら彼女に対して裏切っている。そんな気がしてしまうのだ。
少しだけ服がはだけてピンク色の下着が見えている。
半ズボンから出た足がより色っぽさを醸し出していた。
俺は生唾をゴクリと飲み込むと、それから視線を外す。
それを見ていると、どうにも理性が負けそうである。
童顔な彼女。
だが、それ以上に大人の色気が俺を支配しようとする。
今の佐川さんは子供なんかに見えない。
頬を少し赤らめ、目をトロンとさせて俺を見上げている。
その魔性のような魅力。俺はどうにかそれに抗う。
「あの……私……その…………ごめんなさい」
気まずそうにまたそう謝った。
俺もどう声を掛けたらいいか分からない。
「こんな……筈じゃ……うぐ……う……」
すると、顔を伏せて肩がしゃくり上げる。
それに合わせて嗚咽が聞こえてきた。
泣いているのか?
俺はもう一度しゃがみ直すと、自然と頭を撫で始めた。
彼氏でもない男に頭を撫でられるのはどうかと思ったが、自然と手が出てしまった。
落ち着くように優しく撫でる。
きっと辛かったのだろう。
自分の家族が死んだ。
そうして一人ぼっちになってしまって、どうにも耐えれなかったに違いない。
俺は落ち着くまでそうしていた。
「あ……ありがとうございます。もう大丈夫です」
瞼を赤く腫らした顔で佐川さんが俺を見た。
涙は一応落ち着いたようだが、目が少し充血していた。
何も言わずに手をどける。
「私……また、迷惑かけちゃいました」
今の事を言っているのだろうか?
迷惑と言うか、なんと言うか……。
「あー、迷惑ではないよ。ちょっと驚いただけ」
そう返した。
なんて返事をしていいか分からない。
ここで気の効いた一言を返せば男らしいのだが、生憎と俺には思いつかなかった。
「くすっ、驚いたんですね」
「あぁ、そりゃな」
何が面白いのかクスリと彼女が笑いだす。
すると。
「こうするのは許して欲しいです……ダメ……ですか?」
俺の胸におでこをこつんと当ててくる。
佐川さんの髪の毛から、甘い匂いが漂ってくる。
いい匂いだ。
その匂いに胸が高鳴る。
出会ってたった一日しか経っていない。
なのにどうしてか、彼女を気になってしまう自分がいる。
「心臓ドクドク言っていますね」
付き合う前の男女のような甘い時間。
すやすやと眠る唯をしり目にそんな雰囲気になっている。
「宗田さん、かっこよかったですよ」
佐川さんが俺にそう言ってきた。
「え? 何が?」
そう聞き返す。
「えへへ。内緒です~。まるで勇者様みたいでしたよ~」
あの時の事を言っているのか?
あー、勇者か。
そんな大それた者じゃないんだけどな。
必死だったし、それに一度は生を諦めたし。
どうにか足掻いて生き延びた。
ただそれだけだと思うんだが。
「あ~。納得していませんね~。でも、いいんです~。
私が勝手に思っている事なので~」
ぐりぐりと頭を押し付けてくる。
猫が頭を押し付けてくるように甘える佐川さん。
話し方がいつも通りに戻っていたため、落ち着いたのだろう。
良かった。
すると、不意に心地よかった重みが無くなった。
「ありがとうございます~。お陰で元気でました~」
そう言って離れた佐川さん。
満面の笑みを俺に見せてくる。
たれ目を更に細めて、柔らかく笑う彼女。
その姿に少しだけ見とれてしまった。