訪問
「へー、それでその変なゾンビから逃げてきたの? でも、無事で何よりです。モグモグ」
「でも、そのゾンビはちょっと見たくないですね~。普通のゾンビも気持ち悪ですけど。モグモグ」
そう、会話をしながら夜の食事をする。
食事中にする会話ではないのだろうが、一か月も生き残った二人にとっては些細な事なのだろう。
女性二人はワイワイとグロテスクな事を言いながら食事を口に運んでいた。
たくましく育った彼女達。
今日の出来事を聞いてもそこまで気にした様子もない。
「あー、缶詰は美味しいけど物足りない……」
人が命がけで持って帰ってきた食べ物にケチをつける唯。
じゃあ、食うなよ!
ゾンビには囲まれるし、変なのは出るしこっちは災難だったんだぞ。
そう心の中で叫びながら涙を流すと。
「でも~、食べれるだけ感謝ですよ~。宗田さんありがとうございます~」
おおっ! 君は天使か!?
今日初めて出会ったが人だが中々見所があるではないか。
何処かの偉い将軍のような物言いで彼女を褒めた。
物足りなさげに机に突っ伏している彼女に臍のゴマを煎じて飲ませてやりたいものだ。
ここはきっぱりと言ってやろう。
「ほら、唯も佐川さんを見習え」
「むむむ。はい。ありがとうございます! 宗田様が手に入れて来たご飯を美味しく頂いております。
……これは私が見つけた奴だけど」
最後にいらない事を言ったような気がするが……まぁ、いいだろう。
てか、食事途中にテーブル頭を突っ伏すな。
最近の若いのはマナーがなっていないな。
そんなこんなで俺達は唯一の楽しみである食事を終えた。
少し佐川さんとも話をしてみたが、おっとりとしていていい人そうで安心した。
これなら、しばらくは一緒に行動を共にしてもいいんじゃないだろうか?
——————————。
「あ、んっ、はぁ……熱い……です~。んっ!」
なまめかしい声。熱気の籠った部屋。汗と人の匂いが鼻孔をくすぐる。
幼い顔から見せる妖美な色気。
それは熟した果物のように甘美な味を秘めている。
それを堪能する度に声が大きくなり。
次第にそれが最高潮へと達しようとしていた————。
声だけを聞けば勘違いするであろう。そんな声を出す佐川さん。
恥ずかしいから辞めて欲しい……な。
ほら! 唯が鬼のような表情をしているじゃないか!
―――ヒッ! 怖!
その様子に全く気付かない彼女は、今も色気づいたような声を出していた。
ただ、魔法の事を教えてるだけでこんな声を出されていたらこっちも気が気じゃないんだが……。
集中、集中、集中。
――――――深く深く、海より深く息を吸う。
――――――俺は大海原に浮かぶクラゲ。
――――――流れに任せて揺ら揺らと。
――――――何色にも染まらずそこに存在するだけ。
まるで魔法を使うよう、そうイメージして自分の中から疾しい感情を消し去ろうとする。
動じた様子を見せないで俺は魔法のレクチャーを続けた。
「そう。それを動かしてみて」
とりあえず魔力操作の事から教える事にする。
「あぁっ! 駄目ッ! あ、それ以上されたらっ……!」
――――――南無南無南無南無南無南無。
念仏を唱えて邪念を取り払う。
出来る限り彼女を見ないようにして———やっぱり気になる。
少しだけ。
そうして覗いた彼女の表情は恍惚としていた。
ダメだ!
これは見ちゃいけない奴。
少女の見た目をした彼女は、女の姿へと変態している。
視線が定まらず至る所を見てしまう。
だが、そこで助け舟が現れた。
「あー! もう、うるさい。宗田さん、もっと真面目にやってくださいよっ!」
唯がそう言って注意を促してくる。
俺はただ教えているだけなんだが……とは思ったがそれで現実に引き戻されて少しだけ安心する。
「これ、中々激しいですね~」
何が激しいのやら。
そうして魔法の練習をなんとか終える事に成功した。
ちなみに今日は魔力操作しか教えていない。
そうして、後の時間は三人で談笑して過ごした。
一人増えるだけで賑やかなもんだ。
きゃいきゃいと楽しそうに話す、美人二人を俺は暖かい目で見ている。
心が暖かくなるそんな風景。
そうして時間が過ぎ去っていく———。
「それじゃあ、宗田さんおやすみなさい。夜に一人で何処かに行かないでくださいね」
一日の終わり。
眠くなったら寝るスタイルを取る事にする。
今日は佐川さんがいつの間にか寝てしまった。
だから、俺も唯も寝る事にした。
すやすやと可愛い寝息を立てる佐川さん。無邪気な子供のように気持ちよさそうだ。
そっとそれにタオルをかけながら、唯に返事を返す。
「そんな事はしないよ。それじゃあ、おやすみ」
流石に女性二人と寝るのは気が引ける。
そのため、キッチンで寝る事にした。
狭いけど寝れないことはない。
適当に毛布を敷いて体が痛くならないようにするとそこに転がった。
そして、今日一日の事を思い出しながら目を瞑った。
あー、疲れた。
今日もいろいろあったな。
まぁ、生き残れた事に感謝しよう。
………………………………。
………………………。
………………。
………。
ヒタッ……。
水が滴るような音がする。
ヒタッ……。
少しだけその音が大きくなった気がした。
ヒタヒタヒタ……。
音が早く大きくなる。
寝苦しい………息苦しい。
だが、体が冷たい……。
その違和感から目を覚ました。
なんの音だ?
外から足音のような音が聞こえる。
それはぺたぺたと動いては止まりを繰り返し何かを探しているようだった。
夜の来訪者?
間違いなく人間ではない———となると。
「ゾンビか?」
もしそうなら、ここにゾンビが来たのは初めてじゃないか?
物音を立てないように斧を手に取った。
「ふぁー、眠い……。
あー、近くに居るって分かると気が散るからさっさと倒してしまうか」
大きく欠伸をしながら立ち上がる。
瞼が重い。
ただ、ゾンビなら早く始末しないと後々厄介だ。
もう一度出そうになる欠伸を嚙み殺して外に出ようと玄関のドアノブへと手を伸ばした———。
———ゾワッ!
全身の毛が総毛立った。
指先まで冷気で包まれたように一気に冷たくなった感じがする。
震えが止まらない。
真夜中の玄関は夜の闇に包まれ黒を放っている。
震える手、動かない体、乱れる呼吸。
視線だけで目の前の壁を見るとより黒が黒く染まっていくように見えた。
それはまるで開けるなと警告されている気がして止まない。
死の闇。深淵より這い出るおぞましい者。
それがその向こうで待っている気がした。
———ここから離れないと。
金縛りにあったように動かない体。
指先だけに力を込めてどうにか動かそうとする。
「———っ!」
そうして何とか動けるようになると、一歩また一歩と後ろへと下がった。
その間も玄関から目を離さない。
どんどんと広がる闇から逃げるように更に俺は後退した。
「なん———だよ」
夏の蒸し暑い夜に歯がガチガチと音を立ててなる。
真夏の冬———それが急速に部屋の中に満ちた。
そうして真冬の寒さが吹雪へと変わろうとした時……。
「……どコォぉ…………」
そう、不気味な声が外から聞こえて来た。
奴だ———ここまで追ってきやがった。
おぞまし姿のあいつだ。
伸びた首。ボロボロの皮膚に湧く虫。
あの首の長いゾンビが俺を追ってきた。
乱れる呼吸をどうにか抑えようと歯を食いしばる。
どうにかやり過ごせないかと息を潜める。
もし、あいつに俺の居場所がばれたら……。
唯と佐川さんを守りながら戦えるのか?
それは無理だろう。
「ドコなノーぉぉ!」
どんどんとその不気味な声が大きくなる。
探し物が見つからずイラついているようなその声がすぐそこからする。
すると今度は屋根の上からドタドタと走り回る音が今度は聞こえた。
このアパートから離れる気配が全くしない。
見つかるまで探すつもりだろう。
でも、どうしてここがばれたんだ?
もし、居場所がばれれば二人が危険になる。
それならば俺が囮になるべきじゃないだろうか?
だが、このまま出れば間違いなく奴らの餌食……死にたくない。
まだ、死にたくない。
生きたまま腸を喰われて奴らの仲間入り。
———そんなの嫌だ。
だったらこのままやり過ごせるんじゃないか?
今ならまだ向こうは居場所が分かってないみたいだし。
じっとしていたらもしかしたら……。
本音がそう漏れた。
———俺は馬鹿か?
恐怖に臆しそうになる心。
まるでごうごうと吹き荒れる雪山で遭難したようなそんな気分。
絶望に心が染められて後は死を待つだけと、生を諦めたそんな感じ。
今すぐにでもそれから逃げ出したかった。
だが、それ以上に守れなかった時の方が怖い。
だったら俺が取る行動は一つしかないだろう———。
「ここに———」
勇気と言う勇気を全て振り絞って死地に向かう。
そう俺は玄関の扉を開けようとした。
だが、それは守るべき対象に止められた。
「———ダメ。行かないで」
不意に腕を掴まれる。
驚いたように彼女を見ると酷く怯えた表情をしていた。
そして、掴んだその手も氷のように冷たい。
「唯……? 起きてたのか?」
そう言うと無言でコクリと頷いた。
「それにあの『声』に教えられた。あれは危険な物だって……だから、外に行かないで」
懇願するように止められる———凍えるように震えていた。
彼女が何に対して恐怖抱いているのだろうか?
外に居るゾンビか、それとも俺が居なくなってしまうことか?
恐らくそのどちらもだろう。
だが、それに打ち勝った彼女はこうして行動に移し俺を止めた。
そう言われてもそれに応じる訳にはいかない。
それで二人を危険に晒したら本末転倒だ。
だから、それを強引に振りほどく———
「———なっ!」
びくりとも動かなかった。
女性のそれとは思えない程の力。
少しも握られた腕が動かない。
どういう事だ?
「私も……宗田さんが居なかった間にレベルを少しでも上げてたんですよ」
少しでこんなにも? それは流石におかしい。
あんなに頑張ったのに、力で負けるなんて……。
心に深い傷を負う俺。
ただ、それに打ちひしがれたお陰で恐怖が何処かに行ってしまった。
「少しでも役に立ちたいって、頑張ってたんです……黙っててすいません」
「あー、俺も似たような事をしてたし、それに悪い事ではないんだから謝る必要はないよ」
そう言うと、彼女から力が抜けた。
っと、そう言えば気配が消えたな。
見つからないから諦めたのか?
だといいんだが……。
「ふぁー……二人ともどうしたんですか~?」
そうこうしていると佐川さんも起きてきた。
眠そうに瞼を半分閉じて目を擦っている。
「あー、起こしちゃった? ごめんね。なんか、夕食の時に話していたゾンビが来たみたいなんだよ」
「えっ! それって大丈夫なんです~?」
そう言われたが分からない。
とりあえず気配は消えたが。
一応窓から見てみるか。
ここは二階だし少し見るくらいなら大丈夫だろう。
「多分大丈夫だと思う。念のため窓からちょっと見てみるよ」
俺は窓の所に移動すると、カーテンをゆっくりと捲った。
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「…………イタぁぁァ、アヒヒひっ」
そこにはあの時の顔があった。
眼球が溶け落ち、唇もぐちゃぐちゃ。
皮膚が裂け、そこから見える白い物体。
その顔が落下防止の部分に顎の部分を引っかけてぶら下がっていた。
奴ら、居なくなったんじゃないのか?
「———ヒッ!」
後ろから小さな悲鳴が聞こえる。
不気味に笑うその顔。
目から大量の蛆が湧き出てきた。
それを見て二人から悲鳴が上がる。
軽くパニックを起こしそうになるのをどうにか堪える。
だが、その凄惨な光景に流石に俺もたじろいでしまう。
「———うっ!」
この隙に一撃をお見舞すればいいのだろうが驚いた俺の体は強張って動かない。
「ソコでー……まってでぇーーーー! アヒヒひひぃっ!」
急に姿がなくなると、外の階段を勢いよく駆け上がって来る音が聞こえた。
———ここに向かってくるつもりだ。
油断した。
あそこでカーテンを開けなければ。
だが、後悔してももう遅い。
そいつの足音がすぐそこに迫っていた。