一時帰宅
「あの~。私も一緒でいいんでしょうか~?」
ちょっとおっとりとした話し方で語尾を伸ばして話すのが特徴の佐川さん。見た目詐欺の、社会人である。隣をちょこちょこと歩きながら、様子を伺っている。
「一緒に?」
一緒に行動していいのかと言うことだろうか? 困った時はお互い様だろう。気にする必要なんてない。
「いえ~。お二人はお付き合いしてるんですよね~。それなのにお邪魔したら申し訳ないと思いまして~」
「ぶっふぅっ!」
唯が盛大に吹き出し、慌てふためく。
「ち、違います! 私と宗田さんはそんな関係じゃありませんよ! でも、もしかしたら……」
最後の方は声が小さく聞き取れなかったが、唯がちゃんと否定してくれた。だけど、このモヤッとする感覚はなんだろうか? 胸の辺りがチクチクと痛むな……。
でも、佐川さんが一緒に行動するかどうかは本人に任せようと思う。今日会ったばかりだし、行きずりの関係のようなものである。
「あれ~? そうなんですか~? 二人とも、とても仲がいいので、そう言ったご関係なのかと~」
「いや、違うよ。俺と唯は職場が一緒だったんだよね。んー、ゲーム仲間……友達かな。だから、気にする事はないよ」
「そうなんですか~? それなら、少しの間お邪魔しますね~」
佐川さんはほんわかとして、どこか掴みにくい。
「ん? 唯、どうしたんだ?」
「いえ、なんでもないです!」
何故か不機嫌そうに顔を逸らされてしまう。特に思い当たる節もなく、キョトンとしていると、
「唯ちゃん、宗田さんは取らないから大丈夫ですよ~」
「ち、違います! って、こんなことしてないで早く戻りますよ」
俺と佐川さんは目を合わせ、首を傾げると先に行ってしまった唯を追いかけた。
「待ってください~」
佐川さんと二人で小走りで追いかける。
横を走る彼女にチラリと目を向けると、たゆんたゆん揺れるメロンがつい気になってしまう。小柄なせいで余計に目立つし、暑いせいでシャツの第二ボタンまで開けている。ちょうど俺の位置から覗き込むような感じに見えるため、気になってしまう。目の保養……いや、この状況においては毒だろう。
これから唯と佐川さんの二人と生活をする。そうなれば、自ずといろいろな一面を見ることになるだろう。だけど、俺達はあくまで異性なのだ。発散できる方法もなければ、場所もない状況で溜まるだけと言うのは辛すぎる。だから、俺は彼女の胸元から意識を遠ざけ出来る限り考えないようにした。
「追いつきました~。唯ちゃん、一人で行かないでください~」
佐川さんが唯と並んで歩く。唯も女性の中で小柄な方と思ったが、それよりも佐川さんは小さい。まるで、姉妹のような二人を微笑ましい気持ちで見ていた。唯としては同性の仲間が増えて良かったんじゃないだろうか。
俺としても、新しい仲間は歓迎である。人数が増えればそれだけ散策も進むし、一人を見張り役として行動すれば危険も減るだろう。だけど、人数が増えたことでデメリットもある……食料だ。今しがた、少ないけれども食料を見つける事が出来た。だけど、二人で三日分くらい。三人となれば切り詰めて二日持てばいい。ひっ迫した食料事情はの対策が急務だ。
「おお~。ここが宗田さんのお家なんですね~」
ゾンビに遭遇する事なく、我が家へと到着した。
「お邪魔します~。初めて男の人のお家に入りました~。初体験です~」
初体験って表現はどうかと思うぞ。なっ、唯。
「へっ……唯?」
彼女を見るとギロリと睨まれる。
「鼻の下伸ばしていやらしい!」
えっ? 俺そんな顔してたか。彼女の背後から燃えたぎる炎が吹き出てるのが見えた気がする。不機嫌そう膨れっつらとなった彼女は、俺を置いて中へと入ってしまった。
「なんで……怒ってるんだ? 何もしてなくないか?」
玄関先にポツンと取り残され、しばし考えたが答えが出ないため諦めて中へと入った。
「お邪魔してます~」
佐川さんは部屋のクッションの上にちょこんと座っていた。柔和な笑みを浮かべて出迎えてくれるが、それとは対照的に唯はご機嫌斜めのようだ。テーブルを挟んで向かい合って座る両者。それを境に春と冬に別れている。いや……極寒と言って差し支えない。
「――宗田さん」
「はひっっ!」
思わず変な声が出る。
「な、なに?」
「喉渇きました。水を貰えませんか?」
凍てつく瞳に貫かれ、背骨が氷の柱へと変わりむりやり背筋を引き伸ばされた。
「あー、今持ってくるから待ってて」
平静を装いながら準備をする。
――イメージは清流。
――そして、極寒の氷。
――水道水。
『イメージ』と言うフレーズは俺が適当に思い付いて使っているのだが、この一言を入れるたけで魔法の精度も威力も上がるのだ。俗に言う、詠唱なのだろう。無詠唱でも使おうとすれば使えるが、詠唱有りと同様の事を求めるならばもっと訓練が必要だと思う。
適当な詠唱だったが、見て欲しい。完璧な冷えた水だ。こんなにキンキンに冷やすには冷蔵庫でも無理じゃないのか? 魔法の出来映えに満足するとコップを三つ棚から取り出し水を注いだ。
「お待たせ」
二人にコップに入った水を差し出す。
「ありがとうございます。ん、んぐ、ふぅー、美味しい」
「私もいただきます~。ひゃっ、冷たい!」
佐川さんはコップを持つと目をぱちくりとさせている。
「えっ? えっ? えぇぇ!?」
「佐川さん、驚いたでしょ? これは宗田さんが魔法で出したんですよ」
「これを魔法で……。凄い。それでは改めていただきます~。ごく、ごく、んっ、ぷっふぅ~、美味し過ぎます」
「気に入って貰えて何よりだよ。おかわりもあるからね」
テーブルの真ん中に麦茶を入れる用のポットを置くと、すかさず唯が手に取り自分のコップへと注ぎ、「私もいいですか~」と佐川さんも同じようにおかわりをした。
「こんなに冷たい水が飲めるとは思いませんでした~」
今度は二人とも、豪快に飲むような事はせず、ちまちまと口に含んで水の味を楽しんでいた。つかの間の急速に心と体を癒やす。
そう言えば唯の機嫌は戻ったかなと、コップで水を飲みながら顔の半分を隠し、向かって右側に座る唯を恐る恐る確認する。
「ん? どうしたの?」
こちらの視線に気づき微笑みを返してくれた。良かった、元に戻ってる。口に含んだ水を喉の奥へと押しやり、静かにコップを戻す。肩の力を抜き、胸に溜まった不安感を外に排出し口を開く。
「いや、なんでもないよ。唯も、いろいろあったけど元気になって良かったなって思ったんだ」
ここで、なんで不機嫌だったの? なんて聞いたら、元の状態に戻る可能性が高そうだ……だから、それは辞めておこう。変わりに別の話題ではぐらかしておいた。
「元気だよー。これも宗田さんのおかげだからね。ありがとっ」
「ほへ~。唯さんも何かあったんですか~?」
「ちょっと、命が危ない時があったんですよ。だけど、宗田さんの魔法のおかげでこうやって元気になったんです」
「宗田さん、凄い~」
パチパチと拍手する佐川さんはキラキラとした目でこちらを見ている。少しばかり、自分の事が持ち上げられ気恥ずかしい。話題を変えよう。
「佐川さんは、ずっとあのコンビニに隠れてたの?」
佐川さんの事について聞いてみた。
「いえ~。あそこにはたまたま隠れてたんです~。それまでは、いろいろな所を点々と、ゾンビから逃げてました~」
「なるほどね。あそこを隠れ蓑にしてた分けじゃなかったんだね」
「そうです~。三日くらい前からあそこに隠れてました~」
「そんなに長く隠れてたんだ」
「はい~。ただ、その時まで一緒にいてくれた人がいたんですが私を庇って……」
しゅんと、小さい体を更に縮こませ落ち込んだ様子を見せる。
「たまたま、食料を求めて探索してたんです。そこに、白いゾンビ? のような奴が現れて、私を含めて四人で行動してたんですが、あっという間に二人が殺されて……。もう一人は私を逃がすために犠牲に……う、うぅぅ……」
ポロリ、ポロリと佐川さんの頬を大粒の涙がごぼれ落ちる。
「ああ、それ以上は無理に話さなくていいよ。ありがとう。ごめんね」
仲間を失った気持ちは俺が思うよりも、何十倍も何百倍も辛いだろう。今、唯に万が一のことがあれば……いや、想像もしたくない。
「ぐっ、ぅぅ……す、すません~」
だけど、彼女だけでも無事で良かった。白いゾンビは恐らくマンションの屋上に現れた奴と一緒だと思う。奴の強さは身を持って体験している。つい先日……実際の時間はもっと経っているが、俺も殺されかけた。
「佐川さん、落ち着いて。もう、大丈夫ですからね」
唯が佐川さんを抱きしめる。
「あ、ありがとうございます~」
ぎゅっとしがみつき、体を小さく震わせる。ここは、女性同士に任せるとしようか。
「二人とも、俺はもう少し食料を探してくるね」
「あっ、え、私も――」
「――唯は佐川さんの側に居てくれ」
今の彼女を連れまわすのは流石に気が引ける。ここは唯には我慢してもらうしかない。本音から言えば、二人とも一緒に来てもらいたいのだが、ここならゾンビも少ないし、しかも二階だから襲撃されることもない。唯からしてみれば、また帰って来ないと心配するかもしれないが、致し方ない。誰かはリスクを取らないと今は生きて行けないのだ。
「……分かりました。気をつけてくださいね」
佐川さんが居るおかげか、今回はすんなりと聞き入れてくれた。ただ、こちらを見つめる彼女の瞳は、不安の色が濃く浮かんでいた。
「大丈夫だよ。早目に帰ってくるからさ」
少しでも唯の心の不安を取り除こうと、優しく笑いかけた。
「はい……」
あまり効果は見られなかったがしょうがない。俺はゆっくりと立ち上がると、準備を始めるためにキッチンへと向かった。
リュックに入った食料を外にだし、流し台の横に並べていく。持って行くのは武器とリュックくらいでいいだろう。ポーションもすぐに作れるし。水も自分で出せるし……これくらいでいいかな。しいて言えばもう少しちゃんとした武器が欲しい所だが。
「それじゃ、行ってくるね」
「本当に気をつけてくださいねっ!」
唯がそう念を押し
「私のせいで、すいません~。気をつけてください~」
二人に見送られ、俺は家を後にした。
「そう言えばここで人が食われたんだっけ……」
階段を下りて、道路に出ると水で濡れたような染みが視界に入る。最初の方に、ここで人が食われた。あの時は、震えるしかなかったが、今はゾンビと戦えている。だからと言って、油断はしない。
気を引き締め直して、アパートの前から移動を開始した。