家に帰ると
「なんとか帰って来れた……な」
アパートの前に到着すると一気に体から力が抜け、その場でへたり込みそうになった。たけど、早く彼女の元に行かないと、と折れそうになる膝に鞭を打ち、アパートの階段の方へと向かった。
アパートの階段は道路の反対側、建物の裏手にある。もちろん玄関もそこにあるのだが、ゾンビが迷い込んでないか確認するのが今も緊張する。しかも、日が落ち周囲は暗い。不意打ちには十分注意しなければならないだろう。慎重に足を運ぶ。
「大丈夫……みたいだな。てか、この辺はゾンビが少ないな」
どうして、向こう側はあんなにゾンビが多いのだろうか? 『ケーツー』と呼ばれるホームセンターには蟻のように群がっていた。何か違いがあるとすれば人が多いと言う事だろうか? あの時は人影は特に見えなかったが、バリケード等が設置されており中に人が居るだろうと予想がついた。
中の人は上手く逃げれたのか? 助けに向かう事も出来ずそれだけが気がかりだった。今考えても意味がないか、とりあえず中に入って唯の無事を確認しよう。
「って、あれ? 鍵がな……い」
焦り、ズボンのポケットを探すが見つからなかった。どこで落としたのか、探しに戻る訳にもいかないし。仕方ない、唯に中から開けてもらおう。あまり大きな声は出せないが、
「唯、居るか? 宗田だ。居るなら開けてくれ」
返事がない。聞こえないのかな? ドアを軽く叩きながら何度か繰り返し呼びかけたが反応がなかった。
「――まさか」
最悪の事を想像する。戻って来てないのか? 逃げる途中に襲われて。
「おい! 居るのか!?」
焦った俺は、ゾンビにバレる事も気にせず声を張り上げ扉を叩き続ける。
「嘘……だろ? 唯? 返事してくれよ……。あれ? 扉が……開いてる」
むりやりでも扉を開けようとドアノブを回してみると、扉が開いた。恐る恐る中を覗くが、人の気配が感じられない。
「唯……居るのか?」
玄関を開けると廊下がある。右手にキッチン、左手には風呂場、その間に通路がある。部屋とキッチンを隔てる扉は閉じられ、物音が何もしない。特に争った形跡もなく、出て行く前の状態を保っていた。
「中に居るのか? ——うっ!」
部屋への扉を開けると、刺すような酸っぱい臭いが鼻孔の奥をえぐり、胃の中の物を引っ張り出そうとする。
「唯……?」
部屋の中は悪臭に包まれていた。だけど、毛布を頭まてま被り、座る人の姿が視界に入るとそんな物はどうでも良くなった。慌てて駆け寄る。
「——だ、大丈夫か!?」
彼女に声をかけるが、目はうつろでどこか遠くを見ている。唇はカサカサで頬はやつれ、まるで何日も食事を取っていないようにやつれていた。数時間の間にいったい何があったのか? 部屋にあった食料も水も散乱して殆どなくなっていた。
「しっかりしろっ!」
「あ……そ、宗田……さん?」
「そうだ。俺だよ! 唯、何があったんだ!?」
「ぶ……無事……だったんですか。良かっ……た」
俺に気付いた唯は目を瞑り何も言葉を発しなくなる。いったい何が……いや、今はそんな事よりも唯に何かを飲ませないと。彼女を抱き上げると、散乱していた食料の袋やペットボトルを足で避けてそこへと寝かせる。
荒い呼吸。辛うじて意識を保っているのか何かを俺に伝えようとしていた。
「お……かえ……り」
「唯っ! 喋らなくていい。少し待ってろ!」
どうする? こんなに唇が乾燥してると言うことは体が脱水症状を起こしているだろう。ただ、ここで普通の水を飲ませてもすぐに体が吸収する訳じゃない。なら、普通の水じゃなくて、
――イメージは活力
――無尽蔵のスタミナが湧き上がる
――ポーション『活力』
空いたペットボトルに、ポーションをイメージして魔法を行使した。うっすら緑色の薬のような液体が五百ミリのペットボトルを満たす。効果あがあるか分からないが、賭けるしかない。
ただ、それをどうやって飲ませるかだ。意識があるけれど自力で飲める状態にない。
「唯には悪いけど……こうするしかないか」
口にペットボトルに入ったポーションと思われる液体を口に含む。酸っぱい酸味がかった味がしたが、意外と不味くはない。後はこれを彼女に飲ませるだけだ。
ゆっくりと唯の顔へと近づく。弱々しい吐息が顔にかかる。ごめんねと心で呟き、唇を重ね口に含んだポーションを押し込んだ。
「唯、頑張って飲んでくれ」
すると、ゴクリと喉が動いたのが分かる。良かった。俺は繰り返し口移しでポーションを飲ませ続けた。
半分ほど飲み終えた辺りで、彼女は寝てしまったのか吐息が聞こえる。後はポーションが効いてくれる事を祈るのみだ。
「それにしても、唯に何があったんだ?」
部屋の状況、彼女の状態はたったの数時間じゃ起こりえない有り様だった。もしかして、暴漢か何かに襲われた? いや、だけど部屋の中は汚れていたが荒らされた形跡はない。結論が出ず悶々とする中、こんこんと眠る彼女の様子を確認すると少しだけ顔色が良くなったように見える。
ポーションが成功して良かったと、胸をなで下ろす。
「少しだけ換気するか」
音を立てないように立ち上がると、窓を少しだけ開ける。夏のねっとりとした風が部屋へと注ぎ込まれ、充満した悪臭を薄れさせてくれる。
「ゾンビは近くにいないな」
あれだけ大きな音を立ててしまったのだから、集まって来てもおかしくないが、窓から見た感じは大丈夫のようだ。一応、外の様子も見ておこう。玄関からそっと顔だけを出して様子を見たが、何の気配も感じない。
後は彼女が起きるのを待つことにしよう。
――――――
――――
――
「んっ……朝になったのか?」
彼女が起きるのを待っている間、壁に背中を預け休息を取っていたら、いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。目に眩しい光があたり、意識が覚醒した。って、こんな寝てる場合じゃない!
「——唯っ!」
慌てて彼女に近寄り顔を覗き込む。
「良かった……」
静かに寝息を立て、寝ている彼女を見て安堵のため息を漏らす。このまま起こすのは忍びないと、そっと彼女から離れると散らかったゴミ等を袋に入れてまとめ始めた。分別も何もなく適当に袋に詰め込み、外のゴミ置き場にそれを置きに行く。ゴミを捨てるだけでもゾンビには気を使わなくてはいけないが、一応外は明るく視界が良い。周囲の確認もついでに行った。
「遠くにゾンビらしき影が見えるな……いや、敢えて倒す必要はないか」
ゾンビらしき姿は見えたが、こちらに気づいた様子もなく放置する事にした。部屋に戻ると唯は寝ている。昨日の件が気になりはするが、
「んっ……」
唯が小さく嗚咽を漏らす。目が覚めたのか、もぞもぞと動き出した。