ゾンビ?
扉を勢いよく叩く音が屋上へと響く。
硬直する体に激しく脈打つ心臓。
ゾンビか?
そう思ったが違う気がする。
それなら生存者の可能性も? それならあり得るかもしれない。
もしかしたら、ゾンビに追われて屋上に逃げて来た可能性だってあるのだ。
それならば急いで助けないと。
「生存者かっ!?」
扉の向こうに向かって声をかけた。
そうして生存者と思われる扉の向こう側へ居る人物へと声をかける。
もし返事が返って来なければそれはゾンビ。
ならば、扉を開けずにここで過ぎ去るのを待つつもりである。
じっとそれが返って来るのを待った。
「……開け……て」
するとすぐに、潰れたような声で返事が返ってくる。
扉を叩く音が消えて静かになる。
ああ、良かった。俺達以外の生存者のようだ。
そう安堵するとゆっくりとその扉へと近づいた。
「———なん……だ?」
鍵の変わりをしたバールを外そうと手を伸ばしたが、その有様に手を引っ込める。
ありえない力でぐにゃりと曲がったバール。
変形しかけた扉。それをよく見ると手形が付いているようにも見える。
ただ、それは人間の大きさを遥かに凌駕している。
俺の頭くらいならすっぽりと包めるのではないかと思えるような巨大な手。
人でもゾンビでもないならこの向こう側で待っているのはなんだ……?
「……この向こうに何が居るんだ?」
その疑問が言葉になって外に出た。
仮に生存者だったとしても、普通の人間ではないだろう。レベルが上がった人間か?
それなら扉を破壊しかける力も納得できる。
だが、そうなるとなんでもっと声をかけてこないんだ? それ以前にこの大きな手形をどう説明する?
違う言葉をかけて試してみよう。
「……ち、ちょっと待ってくれ! 今扉が歪んで開かないんだ!」
もし生存者なら、「分かった」なんて返事が返ってくるはずだ。
「……開けて」
同じ言葉。
そう思った時に体が反応した。
「———クソッ!」
離れた所で待っていた彼女の所へと急いで戻った。
最悪だ……ゾンビでも人間でもないなら他の化け物と推測してのその行動。
ならどうする? 逃げる? だが、ここは屋上だ。
ならば戦うしかないのだが、得体のしれない怪物。そして、背後には唯。
まだ彼女はレベルが低い。まして、今日初めて外にでたばかりなのだ……それで得体のしれない奴とどうやって戦うと言うのだ。
「あ、えっ……どうしたの?」
凄い剣幕で戻って来ると背中でかばうように彼女の前に立つ。
すると困惑したように彼女が言ってきた。
「唯っ! あれは人間じゃないっ」
「えっ!? でも、人の声が……」
思った事を伝えたが困惑が増しただけで、納得できない様子だった。
「ごめん、今は詳しくは説明できない。ただ、俺より前に出ないようにして」
緊急事態だ。
だから、無理矢理納得させる為にそう言った。
「わ、分かりました!」
そう言われて戸惑った様子を見せたが、鬼気迫る俺の姿を見てどうにか状況だけは理解してくれたようだ。
———ゴクリッ
シンと静まりかえるマンションの屋上。
激しい運動をしたわけでないのに、鼻でしていた呼吸がいつの間にか口で呼吸していた。
扉の向こう側の得体のしれないモノに恐怖する男女。それを庇う男だったが……。
とあるホラー映画のワンシーンのような状況だ。荒い呼吸に鳴きやまない心臓の音。落ちる汗。
妙案が浮かばない絶望感。
仕事で会議にの発表とは違う緊張感。
手を握っていないのに異常なくらい汗をかいている事が分かる。
戦う……しかないよな。
彼女だけでもどうにか逃がしたい。
そう、何度も深く呼吸をすると覚悟を決めた。
俺は指先を扉へ向け炎弾の魔法の準備をする。
接近用の武器は生憎、扉と一体化している。ならば化け物と戦う術は魔法しかない。
得体のしれない化け物を殺す———不意を打つ一撃。
それで仕留めらるかは不明だが、一番威力のある魔法はこれしかないのだ。
その奇襲が失敗した時は囮になるしかないだろう———。
「———えっ? 何? 逃げて? ……誰?」
すると突然後ろで彼女が何かを言い出した? それはまるで誰かと会話しているようだ。
なんだ? 唯がまた気でも触れたかと思った。
「———殺される……逃げて……そう言われても何処に行けば?
えっ! そんなのダメに決まってるでしょ!」
独り言を言っていると思えばそう怒鳴る。
「どうし———」
そう彼女に声をかけようとした時、扉の向こうで動きがあった。
「———開けて」
潰れた声。
「開けて……開けて開けて」
開けてと繰り返す得体のしれない何か。
「開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて———開けろーッッ!」
言葉を繰り返す速度が速くなり、最後は大きな声で叫んだ。
まるで、歌手の歌のようにサビの最後の部分に一番感情を乗せてる。だがそれは売れない歌手。
売れない歌手がどうして俺は、と叫んでいるようだ。
そんな苛立ちを扉の向こうから感じ取った。
「開けろッ開けろッ———あーけーろッッッ!」
何度も何度も扉をガンガンと叩いてそれを破壊しようとしてくる。
その暴れぶりは最初の非ではない。
「———なんなんだよ」
狙いを定めている腕が自然と震え出す。
小刻みに震えるそれを止めるために、左手を添えるたが震えは止まらない。
手だけじゃなく体全体が震えている事にそこで気づいた―――恐怖。
それに屈する心。
いくら深呼吸をして落ち着かせようとするが、一向に収まらない。
それどころか、それに呼応するかのように心臓がより激しく動き、全身に恐怖を送り込んで来た。
「開けろ開けろ開けろアケロアケロアケロアケロアケロアケロアケロアケロアケロアケロアケロアケロアケロ」
まるで動物園に居るゴリラが興奮して檻を大きく揺らすように、扉が激しく揺れている。
そろそろ、扉が限界に近い。
傾きかけて、今にも外れそうになっていた。
その外れかけた扉の隙間からその姿が少し見えたが、人の形をしていなかった。
「宗田さん……」
消え入りそうな声で俺の名前を呼ぶ。
その声色は怯え切った小動物のように震えていた。
「大丈夫……だ———」
「——————アケロッッッッッ!」
そう彼女に言った一言は、ひと際大きな叫び声にかき消される。
その声と同時に扉が爆音と共にはじけ飛んだ。
「———くっ! くらえっっっ!」
震える手で無理矢理、照準をその得体のしれない化け物に合わせると魔法を放った。
銃声のような大きな音を立てて炎の弾が目にも止まらぬ速度で姿を見せた白い怪物へと吸い込まれていく。
———チュンッ!
そいつが異様に肥大化した、右の手の平で防御の姿勢を取るとそこに炎の弾が吸い込まれる。
だがその手を貫通することなく、細く甲高い音を鳴らすと赤い弾は弾かれて屋上の入口の天井を砕いた。
そして。バラバラと砕かれた破片がその白い化け物へと降り注ぐが、そいつは気にした様子もなくこっちを見てにたりと笑みを浮かべる。
笑みを浮かべた口からは鋭く尖ったような歯がびっしりと並んでいた。
まさに、肉を切り裂くためのナイフのような鋭さを持ったそれ。
目の前には新鮮な餌。
それを咀嚼するために悦らえた凶器。
俺は恐怖で体が硬直してしまう。
すると、
「開いたー」
そいつはそう言葉を発した。