パーティープレイ
空は焼かれ赤く色を染めている。熱帯夜の予兆を感じる蒸した陽気が外へと出た俺達を出迎えてくれた。カラスが一度鳴くと激しく羽を羽ばたかせて空へと飛んでいく。人の生活音がまるでしない世界は、かって知ったる地球とは別世界に迷い込んだと錯覚させられそうだった。
「はぁー、久しぶりの外だ」
気持ち良さそうに背伸びをする神崎 唯。ただそんなに気持ちがいい気温ではない。むしろ、吹く風は熱風、まだ空に残る太陽は俺達を焼き払おうと言わんばかりに照らしている。
ただ、それ以上に彼女にとっては窮屈な部屋から、外へと出れた喜びがあったのだろう。頬を緩ませ、胸が大きく膨らむくらいに呼吸をする。
これから、ゾンビを殺しに行くとは思えないくらい清々しい彼女からは、俺が初めて外に出た時のような緊張感はまったく感じられなかった。
「ゾンビは音に反応するから、あんまり大きな音を立てないようにね」
ずっと家に籠りっきりの彼女にとっては夏の暑さなど些細なことなのだろう。一応、注意をすると「はい」と返事が返ってきた。
「じゃあ、行こうか」
彼女にそう告げると緩んでいた表情に緊張の色が浮かんだ。さっきまでの態度は、不安な気持ちを誤魔化すためにしていたのだろうか? 二人でゆっくりと階段を降りる。
やはり、この時が一番緊張するな。アパートの入口は道路の反対側。そして道路に出るためにはアパートの角を曲がらないと出れない。だからこそゾンビが侵入しにくいのかもしれないが、降りてすぐにゾンビに襲われる危険性も同時に孕んでいる。
「ふう。大丈夫みたいだ」
「なんか、凄い緊張しますね……ふふっ」
うっすら口元に笑みを浮かべながらそう言った彼女は、緊張よりも楽しんでいるようにも見えた。夕日が彼女を後ろから照らした事で顔に影が出来る。いい感じに見えなくなった輪郭が、不気味さとミステリアスな雰囲気を醸し出していた。
一度緩んだ表情が真面目な雰囲気に変わったと思ったのは勘違いだったのだろうか? 今もうすら笑いを浮かべて、俺の背後に続く道の先を見ていた。
「宗田さん、手ほどきお願いしますね」
笑みを浮かべる彼女を見て呆けていると突然声をかけられた。一応今日はレベリングと伝えたが、その前に武器の調達をしようと思っている。バールが一つしかないため、彼女の武器がないのだ。レベルを上げるにしてもこれでは効率が悪い。それに身を守るために、もう一つくらいは何かあった方がいいだろうと思ったのだ。
そこで話し合った結果。俺と唯は近くのホームセンター『ケーツー』に向かうことにした。ついでにゾンビを見つけたら、唯に倒してもらってレベルを上げてもらうつもりではあるのだが……問題はどうやって倒してもらうかだろう。
身長は150センチくらいで女性としても小柄。半袖のシャツから見える二の腕はぷにぷにと柔らかそうで筋肉があるようには見えない。そんな彼女が真正面からゾンビと戦っても勝てる可能性は低いだろう。噛まれたらアウトの状況でどうやってゾンビを弱らせるか考えを巡らせた。
んー、手足を捥ぐのが一番早いかと思ったが、実行する時の事を想像すると、ぜひ遠慮願いたいと保留にする。
「先に進もうか」
唯は頭を縦に振って頷く。
「それにしても……すごく禍々しいですね……」
すぐ横を歩く唯はバールを指差した。
「あー、言われてみれば確かに……」
魔工具「バール」――その効果はゾンビに対する特攻。そして、打撃強化、かな。唯に言われ確認してみると、言葉通りの見た目となっていた。塗装は剥げ、赤黒い血が固まったような物がべったりとこびり付いている。
「これが、剣とかだった間違いなく呪われた武器だったわ」
「ふふふっ、そうですね。私も呪われた武器はいらないけど、立派な剣が欲しいですね。あ、宗田さんはもうその装備外せないからね」
「それなら、早く神父の所に行かないとな。あれ、ゴールド足りたっけ?」
ゾンビがまだ現れない事で互いに余裕がある。冗談を交えた会話をしながら俺達は『ケーツー』を目指して歩みを進めた。
「静かですね……」
人の気配がまったくしない住宅街は夕日と相まって不気味な風貌を醸し出していた。静寂に支配され、聞こえる音と言えば俺達の足音と、鳥の羽ばたきくらい。
「あぁ……そうだな」
唯にそう返した時、
「唯――ゾンビだ」
距離にして百メートルくらいか。車が止まっている所に、人影のようなものが見えた。
「よく見えますね……確かに何かいるように見えるけど」
声を潜めながら会話する。近くにあった車の影へと移動した。
「唯には見えないのか?」
「言われてみればうっすらと……ただ、少し暗いので見えにくい……かな」
暗いせいか、彼女には見えないようだ。
「ゆっくり近づこう」
ゾンビまでの道のりには数台車が乗り捨てられていた。持ち主は慌てて車から逃げ出したのだろか? 俺達は身をかがめなが車の影から影へと移動する。
「う……」
風に溶けた悪臭は薄く引き伸ばされても刺激的な香りを届けてくれた。一つ一つが大きな粒子となり、体をベールのように覆い尽くす。穴と言う穴からそれが入り込むと内側と外側の両方から攻め立てた。
口元を右手で覆い顔をしかめた唯は辛そうにしている。かく言う俺もいい臭いには思えない。多少は慣れた、けれども臭いものは臭いのだ。口を開けて呼吸をすれば、その味がするんじゃないかと唇を固く結んだ。だけど、彼女よりは余裕がある。そっと右手で背中をさすると、俺を見て頷きを返してきた。
臭いと言う武器に進行速度は落ちたが、少しずつゾンビの元へと近づく。鮮明になった姿は臭いと同じくらい刺激的だった。食い破られた腹からはソーセージが腐ったような、紫色の腸が垂れ下がっていた。それすらも所々食われ欠けている。千切れた指に、ほじくり返された目、誰が見てもそれが生きているようには見えないだろう。
「大丈夫?」
目と鼻の先。ほんの数メートルのまで迫った所できつく結んでいた口を開く。もちろん出来る限り、悪臭を口に含まないように小さく開いて気遣いの言葉をかける。
「はい……なんとか」
映画のクライマックスシーンのように、五感で感じる不快感は最高潮に達している。彼女が無理をしてそう言っているのは一目瞭然だった。それならば、
「今回は俺が倒すから、そこで——」
「——私がやります」
服の裾を掴まれて最後まで言い切る前に遮られる。
「やらせて……ください。私なら大丈夫なんで……お願いします」
気丈に振るう彼女は口元からゆっくりと右手をどけ、わざと深く息を吸い込んだ。数回深呼吸を繰り返すと俺を真っ直ぐに見やる。その瞳には強い決意のようなものが感じられた。
「分かったよ……じゃぁこのバールを渡すから止めは任せたよ。俺が出て囮になるからその隙に頭に突き刺して」
彼女の決意を汲む事に決める。無難な作戦だが、ゾンビ一体なら大丈夫だろう。念のため魔法は即座に放てるようにと、指先に魔力を集中させる。
「――行くよ」
彼女の頷きを合図に車から飛び出した。
「こっちだ!」
声を張り上げ注意を引く。
「アァッ……ウア、ア、アア……」
すると、のっそりとした動きで俺に気づいたゾンビは振り向いた。足の筋を斬られているのか、右足を引きすりながら不格好に歩いて向かってくる。垂れた内臓がアスファルトに引っかかりメジャーのよう引っ張り出ししているが、ゾンビは気にした様子もなかった。
「ゥアッ! グ、アアッッ」
「やっぱり知能はそこまでないか」
ゾンビは車を避けることもせず俺に向かってくる。体が引っかかってもなお、反対側にいる俺に向かって一直線。回り込めばそれで済むが、ゾンビにはそれだけの知能が残っていないようだ。その姿はおぞましくもあり、哀れにも感じられた。せめてもの慈悲に、これ以上の醜態を晒さないように早目に決着をつけようと思った。
唯に手で合図を送る。すると、視界の端で彼女が動いた。
「——はあっ!」
回り込んだ唯は、バールの先端をゾンビの頭に突き刺した。脳が異常な信号を体に送っているかのように、壊れた人形のように、倒れたゾンビは手をばたつかせている。
「大丈夫かっ!?」
急いで彼女の元に駆け寄る。目をひんむき、まだかすかに動いているゾンビを呆然と眺めていた。
「宗——おえっ!」
俺の存在に気づいたかと思うと、しゃがみこんで嘔吐した。背中をさする。小さい背中に服の上からでも分かるくらい大量の汗を掻いていた。
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