彼女を起こさないように
時間を操る魔法は、憤怒が使っていた。唯を模倣し、”治癒”でも”加速”でもない。時間と言う名前で。
――人の身では負担が大きすぎます。普通の人間であれば、使用した瞬間に体が崩壊する事になるでしょう。
あらかた、シーリスから時間魔法についての説明を受けた。結果から言えば、根源魔法と言われる、世界の法則を支配する魔法の一つ。
人間が使用するには負担が大きすぎるらしく、唯が普通に使ってる事がおかしいらしい。一度、体が融解しかけたのは後遺症との事で、本来であれば神が使用するレベルの魔法との事である。
シーリス、ありがとう。
――いえ、いつでもお呼びください。
一旦、シーリスとの会話を終えた。
いろいろと新しい事も分かり、考える事が増えた。唯には自身の魔法について、後で教えるとして、これから何をするかな。
寝ている唯を起こさないように出来る事と言えばなんだろうか? とりあえず、魔力の操作の練習でもするか。最初の頃は毎日行っていたが、最近は忙しくて出来ていなかった。壁に背中を預けるようにその場に胡座をかく。基本を大事に、目を瞑ると自分の魔力を感じる。ほんのりと暖かく、時より強い熱を放つ。右手から肩に向かって添うように魔力を動かし、頭を通って全身を一周する。それを何度も繰り返し、徐々に速度を速くしていく。
「ふぅ」
一連の流れを一時間行った所で一息吐いた。魔法を覚えたての頃に比べてだいぶスムーズにできるようになった。大きな効果を得る事は出来ないが、これのおかげで魔法の発動時間に密度が変わった気がする。
同じ体勢でいたことで体の節々が固まる。背伸びをすると体がほぐれジワジワとした感じがして気持ち良い。
さてと――
宗田が立ち上がろうとした時だった。
「唯くん、居るか?」
扉がノックされた。この声は紫苑さんだろう。
「どうぞ」
唯が寝ているため俺が変わりに答える。
「む? 失礼する」
男の声が聞こえた事で紫苑が驚いた反応を見せた。
「起きたのか」
「ええ、先ほど目を覚ました所です」
以前の出来事が脳裏に浮かび、紫苑を警戒し慌てて立ち上がった。
「それは何よりだ。唯くんは……ふむ。話は彼女が起きてからにしようか」
紫苑は唯が寝ていると分かると、そう言ってすぐに部屋の外に出てしまう。
「竹内 紫苑か……」
彼は何者なのだろうか? 彼から感じたプレッシャーはこれまでに出会った敵を上回っていた。威圧感に混ざり、若干の殺気も籠もっていたと思う。黒板を引っかかれた時にする不快感と不安感、喉元にナイフを突き付けられたような感覚。他のボスから感じた殺気のそれと同じだった。
あの時ばかりはベリルが現れてくれて助かった。身動き一つ出来ず彼が襲って来たとしたら何も出来なかっただろう。
解決して解決しても問題ばかりだな……。少し疲れた。
「むにゃむにゃ。宗田さん。マグマバーグですよー。あーん」
少し憂鬱になりかけていると、見計らったように唯が俺の名前を呼んだ。起きたのかと思えば、ただの寝言だったようだ。てか、何を食わせようとしてるんだ? そう言や世界一が一変する前に二人で外食したんだったんだな。唯が注文した料理、マグマバーグデイッシュ――口から本当に噴火したんじゃないかと言えるくらいの辛さだった……。よく、平然と食べれたよな、唯は。
懐かしい。あれから、半年くらい経つのか。
「戻りたいな……」
それは誰もが思う事だろう。
待てよ。唯を模倣して、時間魔法で――
――マスター、それはダメです。
呼んでも居ないのに、シーリスが再び現れる。
――そこまで、世界の法則に介入すると肉体が滅びます。
それは、要するに死ぬって事か?
――はい。むしろ、人の時間を極度に戻すのですら負荷が尋常じゃありません。
え? でも、憤怒は晃を元の姿に戻したじゃないか。
――彼はそもそも人じゃありません。悪魔の中での神と言える存在ですので、あの程度は問題ないです。現に、神崎 唯は傷を治す程度であそこまでボロボロになったのですよ。
それ程にまで負担が大きいとなると、唯にも使用を控えさせよう。彼女がこれ以上傷つく所を見たくないのだ。
――なので、無闇に使用しないようお願い致します。
了解……と言ってもどうしようもない時は使うから、善処するって言っとくよ。
――善処するですか……分かりました。危険な状態になった時はすぐに止めますのでご了承ください。
オッケー。そん時は頼んだよ。
シーリスが再び居なくなると、手持ち無沙汰な俺は部屋をぐるりと見渡す。何か暇を潰す物はないかと思ったが、特に見当たらない。
この学校に初めて来た時に案内された宿直室。布団が敷かれ、今や機能を果たさないテレビが置いてあるくらいである。
「暇だ」
唯を置いて一人で出歩くのも気が引ける。
「唯の為に、ポーションでも作るか」
入れ物はないから……。
イメージは――創造。
創造対象――ビン
めっちゃ魔力が吸われるな――相変わらず。
何も素材になる物が無い状態での創造の魔法は魔力の消費が著しい。ただ、以前のように頭痛に襲われる事はないが、使い勝手は悪いよな。
イメージは――スタミナ回復ポーション。
ビンを創造すると、中にスタミナ回復のポーションを入れる。
「ふぅ。完成した」
以前なら何かしら入れ物を必要としたが、こうやって何もなくても出来るようになったのは、成長したと言えるのではないだろうか。
そして――
――魔力吸収
これは実験だ。憤怒が大気から魔力吸収で自身の魔力を回復させていた。となれば俺にも彼女じゃないだろうか?
「難しい……けど」
少しずつ魔力が回復する。憤怒のように瞬時にとはいかないが、減った魔力が戻って居るのが分かる。意識を大気に向ける事で、出来るのか……つまり、吸収対象を自由に選択出来ると言う事になるな。
それなら、大気――じゃなく、浮遊する魔力に対象を合わせれば。
「――おおっ!」
まさかの成功。吸収する範囲は自身から三十センチと決まっているが、体全体で吸い込めばかなりの範囲になる。しかも、魔力は気体で出来ているのか、無くなってもすぐに戻っている気がする。
恐らくだが、魔力がなくなった事でその部分が負圧となり、周囲の魔力を吸い込み、均一に保とうとするのだろう。宇宙空間で真空に空気が漏れていくのと一緒の仕組みだ。
性能バグってるだろ……。
嬉しさと感動はあるが、少し後ろめたさはある。
「……んっ」
そんなこんなしていると、唯が目を覚ましたようだ。
「あれ? ここはドンキードンキー?」
「ドンキードンキーは閉店したんだよ」
「え……そんな。マグマバーグディッシュは? まだ全部食べてないのに」
唯は寝ぼけ顔で俺にそう訪ねて来たので、閉店したと言ったら凄い落ち込んでしまった。
「はっ! 違う! 宗田さん……今、意地悪しなかった?」
「おはよう。そんな事ないよ。それより、これをどうぞ」
スタミナ回復のポーションを渡した。
「あっ、おはようございます。えっと、これは?」
「ポーションだよ。スタミナ回復用のね」
「ありがとう。んぐ、ぐ、ごく――ふぅ~、酸っぱい」
唯はポーションを一気に飲み干した。
「どう? 少しは眠気が覚めた?」
そう言うと、ばっちり目が覚めたよ、と唯が細腕で力コブを見せてきた。
「そう言えば、紫苑さんが部屋に来たの」
「あ~、それはきっと私に休めって言いに来たのかも」
「そうか。迷惑かけてごめんね」
「いえいえ! 宗田さんのためならこれくらい平気」
彼女の笑顔には何度も救われた。今回もそれに漏れなく、疲れた心を癒やしてくれる。
「お互い積もる話もあるけど……、一旦は紫苑さんの所に行こうか」
「はい。宗田さんは体は大丈夫?」
「俺はいっぱい寝たから平気だよ。それより、自分で言っときながらあれだけど、唯の方こそ大丈夫?」
「もちろん。宗田液……ポーションで回復したんで大丈夫だよっ!」
なんか、変な単語言わなかったか?
「さっ、行きましょうっ!」
何かを誤魔化すように、唯が立ち上がり俺の手を引っ張ってくる。
俺もそれに合わせて立ち上がり、出口へと向かった。