敏感な彼女
「はぁ、とんだ災難だぜ。てかよ、あいつが勝てたの完全にまぐれだろ。おい、お前、これでもまだ話すつもりはないか?」
宗田は葵の頭を踏みつけ、そう問いかけるが無言を貫く。
「いや、話せないんだったな」
宗田の言う通り、葵は話したくても話せない。せめて、死ぬくらいなら私を生み出した母……本体に一矢報いたい。
それが、一個体として目覚めた証となるのではないかと思っていた。しかし、本体からの制約で何があっても話すことが出来ないように、回路が組まれている。
それが歯がゆく、地面を力なく握りしめる。
「あ……ア」
「ん? なんだ?」
葵が何か言葉を発しようとする。足を下ろし、様子を見守る宗田。もちろん、不意打ちを食らわないように油断はしない。
「ち……か」
「ちか? それはどう言う? はーん、なる程。分かった」
宗田はその一言から何かを悟ったようだ。
「ならば約束通り、苦しまず死なせてやる」
そう言うと、黒い炎が宗田の手に出現した。
「まぁ、生まれ変わったらもう少しまともな主人を選ぶんだな。あばよっ」
それを葵へと放つ。
「アッ――」
一緒で体全体へと燃え広がると、圧倒言う間に塵も残さず葵は消滅した。
「あー、疲れた。つうか、あいつが本気で戦ってたら、こいつに勝ち目なかっただろうに」
どかりと地面に腰を下ろすと、宗田は悪態を吐く。
「いや……奴は戦闘の中で進化したよな。マジで一度殺されて、ムカついたからな」
ならば最初から黒い炎を使えば良かったのだが、如何せん失敗した時の代償が大きかった。
何せ今、燃やした少しの炎ですら魔力もすっからかん。全身から力が抜けると、真赤の瞳は黒く、尖った耳は丸みを帯びた人間の耳に。鎧も消え去り、宗田が着ていた元の服。尖った指先も牙も消え、普通の人間の姿に戻ってしまった。
「残りの命のストックもないし、危なかったぜ」
はぁー、と盛大にため息を吐き、全身の力を抜く。がっくりと首がうなだれて疲れきっている姿は第三者から見ても明白。
宗田が言う命のストック。ゲームで言えば残機のようなものだろうか。彼の述べた事からするに、恐らく次に死ねば蘇る事が出来なかったのだろう。もしかしたら、あの人から外れた姿は余裕がなかったせいかもしれない。現に戦いを終えて力が抜ければ元に戻ってしまったのだから。
「流石に少し休むか。ん? そう言えばあいつはどうなった?」
宗田は何かを思い出したようで、鉛のように重たそうに立ち上がる。
ずっしりとした足取りで、目的地へと足を運んだ。
「あー、いたいた。無事だったのか」
すやすやと眠っている高梨 晃。宗田が葵を挑発するためだけに復活させたのだったが、葵との戦いに巻き込まれることなく無事だったようだ。
「せっかく俺が戻してやったんだから、簡単に死んでもらっては困る」
頭から手と足が生えた生物から、人間としての姿を取り戻していた。
「デタラメな力だ。さて、こいつは……放置でいいな」
晃を見た時、仇敵を見つけた時のように敵意が漏れた。しかし、それは一瞬の事ですぐ元に戻り、そっと晃の元から離れた。
「どれ――奴の本体を探すとしようか。……いや、流石に今の肉体は弱すぎる。せめて、地獄の炎をまともに使えるようになるくらい魂の位階を上げる必要があるか」
憤怒にとっては欲求不満のようであった。自分の力を存分に使用する事も出来ず、宗田の力に頼っていたからだ。しまいには追い詰められ、敵だった葵を賞賛する気持ちもあれど、自分を追い詰めた事に対する怒りに似た感情が渦巻いていた。
結果として、どうにか倒す事が出来たが辛勝であった。
「となれば、目についくものを殺して――魂を食らうか」
今の憤怒は不完全体。謎の男が宗田に語りかけた時に、飲まれれば世界が破滅すると言っていた。だが、今の状態を見てもすぐにそれは起こりそうになかった。
恐らくだが、宗田の肉体的能力に依存していると思われる。世界に終焉をもたらせるにはまだ、不十分と言うことだろう。
「理性的に戦うのがこれほど辛いとはな。俺を呼べと言ったが初戦が使徒と言うのは、少し調子に乗りすぎたか」
最初の方、憤怒は使徒だからと完全に舐めた戦いをしていた。わざと自分の命を散らし、嬲るように葵を攻めた。
本体の居場所を吐かせるためとはいえ、完全に自分の失態。
「七人の王の使いっぱしりの癖に……しかも、その分身体のような奴にここまでやられるとか……はあ、情けねー」
大罪の一人、憤怒も恐らく七人の王の中に入っている。あくまで王の使い、今回で言えば色欲の使いが葵であった。本来であれば命令する立場にある憤怒が、召使いとも言える相手に追い詰められた。
右手で顔を塞ぎ、盛大にため息を吐き出す。
「たく、色欲にこんなとこ見られたくねーな。ただ、次は何もかも解放して戦いたいものだ」
それは能力的にも――感情的にもだろう。
憤怒の名の通り怒りを司る悪魔の王。
憤怒の憤怒たる由縁とも言える感情を今回の戦いでは見ていないのだ。何かしらの制約がまだあるのかもしれない。
「愚痴はここまでにしてっと。とっとと離れるか」
次の分身体が来る可能性もある。今の憤怒であれば勝てる見込みは少ない。
憤怒がその場から歩き出そうとした時である。
「――宗田さんっ! 無事ですかっ!」
――神崎 唯。
俺を、コイツを、助けに来たのだろう。
しかし、その表情には嬉しさはなく忌々しく唯を睨み返した。
「どうしたの? 怪我でもした? 私に見せて」
と、心配そうに眉尻を下げ不安気に近づいてくる。
随分と今回も愛されてるんだな。憤怒に支配された宗田にとって唯は一番会いたくない存在である。
葵との戦いで模倣を使用し、不完全ながらも唯の魔法は強力過ぎた。どう足掻いても今の宗田には勝ち目がない。
――こいつを演じるか。
そう決めた憤怒は、
「ごめん。さっきまで、葵と戦ってて気が立ってたんだ。また、現れたかと思って警戒しちゃったんだよね」
あくまで今は斎藤 宗田。それを演じる事でその場を凌ぐ事にする。
「……どうした?」
じっと視線を逸らさず、唯は憤怒の顔を見つめていた。憤怒の問いかけを無視し、その目だけをずっと見つめる。
何も話さず、ただ見つめられるだけ。憤怒にとってかなり居心地が悪かった。
完璧にこいつを演じれてるはず。見た目は変わらないんだからばれる訳は――
「――あなた誰?」