黒い液体
ここは何処なのだろうか? 謎の液体に腰まで浸かっていた。周囲は赤黒い明かりに包まれ、俺以外は誰もいない。てか、さっきまで俺はビルの中にいたはずなんだが、なんだここは? てか、晃は何処に行った?
「誰かいないかー!?」
と、大声を出してみたが反応はない。
「少し歩いてみるか……って、歩きにくいな」
腰まである謎の液体に動きが阻害される。
「この液体はなんなんだ?」
手で掬って確認してみる事にした。
掬っては下に流し、臭いを嗅いでみたりといろいろしてみたが、コールタールのように真っ黒で、少しだけ粘性を持った液体と言うこと以外は分からなかった。
とりあえずもう少し先まで歩いてみるか。
――――――
「――出口もなければ、誰も居ない。本当にここは何処なんだ?」
一時間くらい歩いただろうか? 本当に何もない。上を見渡しても赤と黒の入り混じった空間が永遠と続いている。
「気が滅入りそうだ」
このままここから出る事が出来ないんじゃないのか? 考えれば考えるほど負の悪循環に陥り、不安と焦燥感が平常心を保っていた心を内側から食い破ろうとしてくる。
「誰か! 誰か居ないのかっ! 晃、居るのか!」
声を張り上げ叫ぶが、
「返事は……ないか」
その事実は余計に絶望の色を与えてくる。
少し座って落ち着きたいと思うが、黒い液体がそれすら拒む。ならば水面に浮かべばどうだろうか? 何で出来てるか分からないけど、粘性を持つなら体くらいは浮くんじゃないかな?
「どれどれ、試しに――」
「――それは辞めた方がいいよ」
不意に背後から見知らぬ男の声がした。
「誰だ!?」
声がした方向に慌てて振り返る。
「座るのも、浮くのもだめ。ちゃんと立ってて」
今から行おうとしていた事を見透かしての発言、俺の行動を止めた彼は水面に立って見下ろしていた。
黒いマントを羽織り、それを頭まで被せている。下から覗き込むような形で見上げているが、この薄暗い空間のせいか彼の顔が見えなかった。
「お前は誰なんだ? それに……ここは何処なんだ?」
「まぁ、少し落ち着いて。僕は■■■。そして、ここは君の心の中さ」
まただ。聞こえてるのに理解できないあの現象が、ここでも起きた。それに……俺の心の中ってこいつは言ったよな?
「それは……どう言う事なんだ?」
「そのままの意味さ。それに、君は僕の名前を理解できなかったよね」
「ああ……そうだが……なんで分かった?」
「それはね……君は僕で、僕は君なんだよ。特に言葉なんて交わさなくても分かるさ。だから、僕は斎藤 宗田と言っても間違いないよ」
あー、本当に訳が分からない。なんで、俺が二人居るって事になるんだよ。
「混乱するよね。でも、大丈夫。いつかちゃんと理解出来るようになるから」
ベリルもコイツも秘密ばかりだな。あー、もういいや……それについては一旦置いておこう。何を聞いた所で無駄なんだろうし。
「聞きたいんだが、なんで座るのも、浮くのもだめなんだ?」
「ふふ。切り替えが早いね。これも成長かな?」
「そんな事、どうでもいいから教えてくれ」
「今回の僕はせっかちみたいだ。まぁ、睨まないでくれ」
なんとも勿体ぶる奴である。
「この液体はね――君の憎悪なのさ。これに飲み込まれてしまうと、体を乗っ取られ…………バッドエンドまっしぐら。世界が終わるかもしれないんだよ」
さらりととんでもない事実を告げてきた。体を乗っ取られのはなんとなく分かる。でも、世界が終わるってのは理解できない。
俺の体には……いったい何が居ると言うんだ?
「まあ、世界が終わるかは分からないけど。今の成熟してない世界ならほぼ確定かな? 君はここに来る前の事を覚えてるか?」
ここに来る前って、佐川 葵の動向を発信機を通して見てて、それで蜘蛛人間が大量に出てきたんだったよな?
それからは……。
「あっ……もしかして」
「おや? 何かに気づいたかな?」
「――侵食率」
確か、シーリスとは別の機械的な声で侵食率がどうのって言っていたような。それに、安定剤がどうとかっても。
「ご名答。この液体は君が侵食されている事を現している。最後に君の中の存在が五十パーセントと言っていたよね? だから、ほら――腰の辺りまで埋まってるでしょ」
つまりここに潜ろうものなら……自殺するに等しいって事になるのか。
「そうだよ。この液体が頭まで覆った時。彼が解放される。つまりは、ゲームオーバーって事になるね」
待てよ。何かに侵されている感覚はあったのに、どうして今まで気にしなかったんだ? 今思えば異常事態って事くらいすぐに分かるだろうに。
「それは、彼が意識を向けないように、操作していたんだよ」
ゾッとした――知らない何かに少しずつ乗っ取られようとしていた。
「本来ならこの空間には来れないんだけどね。どう言う分けか、今回は来ちゃったみたいだから、特別サービスだよ」
この男は飄々とした感じで話を続ける。抑揚も感情もあまり見えず、かと言ってシーリスのように機械的ではない独特な話し方である。掴み所を感じさせず不思議な雰囲気を醸し出す彼は、何処かベリルのような感じがした。
似ても似つかないはずなのに、何故かそう思うのだ。ベリルに至ってはテンションがいつも高く、例えるなら太陽。だけど、彼はどちらかと言うと月である。相反するが、昼の支配者と夜の支配者……支配するものとしては変わらない。
そんな独特な雰囲気を持った彼は、
「おや? そろそろ時間かな?」
そう告げると、世界がぐにゃりと歪みだす。
「……なんだ?」
「そう、怯えなくて大丈夫。そろそろお目覚めの時間だよ。君を守る子達が頑張ってくれたのさ」
すると、今まで静かだった世界が騒がしく音を立て始めた。
「うわっ!」
波一つなかった黒い液体が、海の波のように揺らめき始める。ザザーと音を立て、まるで海岸線のすぐそこにいるようだ。ただ、押しては引いてを繰り返す波に足元を掬われ倒れそうになるのを必死に堪える。
「それでは、いってらっしゃい」
――意識が暗転した。
――――
――
「おい! どうした! 大丈夫か!?」
えっ? あれ? この声は…………晃か?
ゆっくりと目を開けると彼の顔のドアップが目の前にあった。
「うわーーっ!」
「おいおい。何も返事がないから心配したんだぞ。それなのに叫ぶとかあんまりだろ」
「すまん。目を開けたらこんなに目の前に居るとは思わなくてさ。ところでどれくらい時間が経過した?」
「あー、だいたい二、三分くらいだな」
もっと時間が経って居るかと思ったけど、思ったより時間が過ぎてなくて安心する。
それに、
「良かった……まだ、彼女は動いていない」
あれから動きはないようである。
だけど、さっきよりも蜘蛛人間の数が増えている。それだけじゃなく、晃の頭だけの生物まで集まりだしていた。
数は数えきれない。恐らくこいつらを使って――
――彼女が腕を上げた。
そして、何かを命令するかのように振り下ろし、胸の中間辺りでそれを止める。
「動き出した」
外から中を見る事が出来ない構造になっているが、念のためドアの前に机を運んで扉を開かないようにした。
「これでよし」
うち開きの扉の前には長さ一メートル、幅五十センチほどの大きさの机が置いてある。木で出来ているため、あまり重量はないが外側から開けるのは容易ではないはず。
晃さんに、俺が彼女の行動を監視をしてる間、異常がないから部屋の見張りをお願いし、再び目を閉じた。