生き物
「殺……して…………お願……い」
――異形の者が発した言葉は俺達がまったく予想しない言葉だった。
苦しそうに人の顔を歪めて、懇願するように放った言葉。四足の魔物は俺達に襲いかかろうともせず、そこからじっとこちらを見つめて動こうともしない。ただ、苦しそうに男の声で、何度も「殺して」と言葉を発するのみ。
グルリと目を上に回転させ、白目を向き、だらしなく舌を垂らしている。垂れた舌と四足だけを見れば犬を連想させるが、そいつの全体を見ればそんな考えは吹き飛ぶだろう。人の上半身をむりやり何かにくっつけ、それを四足の動物のように地面に這いつくばらせている。足の変わりは人の手、こちらからは見えないがうっすらと尻尾のような丸い物体が下半身についていた。
――殺して。
俺と唯は異様な雰囲気に金縛りに合ったかのように身動きがとれなかった。何度目かのそのフレーズを聞いたとき、その異形の存在が動いた。
「なんだよ……これ」
異形の存在は俺達に後ろを向けると、尻尾と思っていたものが視界に入った。だけど、凄惨な姿に思わず顔を歪ませる。
「酷すぎるよ……」
唯も同様の事を思ったのか、震えるように声を漏らした。
尻尾と思った物体が声を漏らす。
「殺して……ねぇ……お願い」
今度は女の声で。
何をどうしたらこうなるのだろうか? 俺が尻尾と思った部分は女性の顔だった。更によく見てみれば、下半身と思っていた部分は女性の上半身。証拠に特有の膨らみが見える。人間の上半身同士がくっ付いた異様な姿。犬のような蜘蛛のような異様な存在。その全貌を完全に理解した時、怖気、全身を小さな突起が物がふきだした。
「こいつは……剛が言っていた魔物か?」
いや、恐らくそうだろう。蜘蛛のような姿に人の言葉を発する。たしか、屋上にいた女性……雫のお兄さんが見たと言っていた。その後に、行方不明となったと言っていたが、こいつに何かしらの秘密でも隠されているのか。
俺は意を決してそいつに近づこうとした時、
「アァァア……キィィイイッー!」
甲高い金切り声で叫びだすと、蜘蛛が地面を歩くように走りだした。どっちが前か分からないが、男の顔があった方を先頭に屋上を物凄いスピードで駆け回る。
「ぐっ!」
いつ襲って来てもいいように構えを取るが、いつまでも訪れなかった。
「何なの!?」
唯が叫ぶ。そいつは俺達を中心に駆け回っているかと思うと、
「待てっ!」
屋上から飛び出してしまう。
慌てて駆け寄るが、地面を走るそいつのスピードは驚くほど早く、瞬く間に闇に溶けるように消えてしまった。
「今のもゾンビなの……かな?」
唯がそう呟いた。
「どうだろう? 俺には……」
異形の魔物は生きているように見えた。ゾンビ達はあからさまに生気と言うものを感じないが、さっきの蜘蛛のような魔物からは――生きている者の気配を感じたのだ。ただ、それが事実なら恐ろしい。生きた人間同士を何らかの方法でくっつけ、更に人の意識を残している。死にたくても死ねない、何かに操られているのかもしれない。今思うと、あの魔物の放った言葉からはそう感じ取れる気がするのだ。これも魔王の仕業なのか? それとも……。
「いや……分からないな」
異形の存在が消えていった方向を見据えながら、呟くように返事を返した。
屋上から姿を晒してしまったことで、建物の下に居るネックリーに見つかってしまった。俺の姿を見つけたことで、興奮したネックリーが狂喜乱舞を踊るのを苦笑して見やり、屋上の内側へと身を潜めた。
長丁場になりそうだな。と俺は思う。さっきの得体のしれない異形の存在も気になるが、ボス討伐の報酬と今の出来事を伝えるには俺達が無事に学校へと戻る事が必要事項だ。ならば、何か妙案でもあるかと問われればそれは否。今は少しでも集まったネックリー達が諦めて何処かに行ってくれるのを待つしかないと思うと、最初に座っていた位置まで戻り、唯と一緒に腰を降ろした。
小声で彼女と談笑をして時間を潰す。唯もさっきの異形の存在が気になるのか、何かと話題にさっきの出来事について話してくる。互いに考察を交えるが、結局は推測の域はでない。
しばらくその話題で話していたが、不意に数秒だけ会話が途切れた。おおよそ、自分の思っていることを話し終えたのだろう。少しだけ沈黙が気まずく感じた。俺は話題を探すために宙に視線を彷徨わせていると、空が視界に入る。
「あっ、もう朝……」
と、声が漏れた。俺の言葉に反応した唯が少し顔を傾け、空を見た。
ついさっきまで、濁った銀色をしていた空には、鮮やかなオレンジ色が混ざりだす。夜明けに違い色をしていた空は、眠りから目を覚まさんと言わんばかりに色を変えて俺達に朝になると告げている。
「本当だね。もう、朝になっちゃう。みんな心配するかな?」
「そうだな。だから、早く戻りたいんだけど」
まだ、ネックリーが居るのか耳をすますと物音が聞こえるのだ。
「ちょっと、覗いてみる」
唯にそう告げると、顔だけを屋上の外側に出して、下の状況を確認した。
「おっ? いない……?」
俺が見える範囲にはネックリーの姿はなかった。恐らく諦めて何処か立ち去ったのか、建物の内部に入り込んでしまったのだろう。だけど、これは好機と唯を手招きして、近くに呼んだ。
ひょいひょいと近づいて来た彼女は、俺のすぐに横に並ぶと同じように顔だけを屋上から出して下を覗きこんだ。
「誰もいないね」
呟いた彼女を横目で見ると、目と目が合った。凛と整った顔がすぐ近くに。少しだけ吹いている生暖かい風に乗って、彼女の匂いが漂ってきた。女性特有のいい香りに、少しだけ汗のような匂いがしたが、不思議と不快には感じない。それを感じて、少し胸が高鳴った。こうして改めて見ると、化粧もしてないのにその辺のアイドルよりも可愛いと思う。何度もいい雰囲気になった時も会ったが、不意に感じる瞬間が一番来る物があるのだ。それを悟られまいと、彼女の言葉に頷きだけで返事を返えし、視線を戻した。
「どうする?」
顔を引っ込めた彼女がそう言った。
「ああ、このまま居てもしょうがないから、そろそろ脱出しようか」
このまま屋上から飛び降りて、走って逃げればなんとかなるだろう。三階から飛び降りるのは怖い部分はあるが、恐らく大丈夫だ。レベルアップで普通の人間よりも格段に身体能力は上がり、それに相まって頑丈にもなっている。仮に怪我をしても、”超回復”か”ポーション”で怪我を直してしまえばいいだろ。
「一気に飛び降りて、走って逃げよう」
「分かった」と、唯は返事をすると、数回深呼吸を繰り返した。彼女も三階から飛び降りるのが怖いのか少し震えて見えた。
「大丈夫か? もし、無理そうなら唯を背負って飛び降りるけど」
仮に俺が大怪我を負っても、超回復があるため問題ない。それならばと、そう提案したが彼女は首を横に振って拒否した。
「宗田さんに密着できるのは……じゅるり」
「魅力的な提案だけど」、鼻息荒く。たまに現れる可笑しな唯に変貌するが。
「今回は遠慮するね」
と、いつもの彼女に戻ってそう言った。
「分かった。じゃぁ――行こう」
俺は苦笑しながら、頷きを返す。彼女も同じように頷いた。
そして、屋上の縁から距離を取ると――
「さて、早く帰ろうか」
そう言って、俺達は一気に駆け出した。
あっという間に屋上の縁たどり着き、助走をつけて飛び降りた。浮遊感の後に重力によって、地面に押し返され、ジェットコースターで味わうような体が強張る感覚と共に、地面が急速に近づいてきた。