懺悔
「――させるかっ!」
暗闇の中で唯の声が聞こえると、体に衝撃を感じる。それと共に光が戻ると浮遊感に襲われた。
「ぷはっ! 唯、助かった! 今度こそ!」
萎れるように崩れかける、長い首を次々にはね飛ばす。唐紅の剣は糸も簡単に顔と首を両断した。
「とどめは任せて!」
鈍器を持つ彼女が、跳ね飛ばした頭を餅を付くように叩き潰すと、割れた水風船のように中身を撒き散らした。
「宗田さん! 大丈夫?」
上半身を食われかけた俺に駆け寄ってきた唯が心配そうに俺を見る。体が唾液でベタベタするが大丈夫そうだ。ってか、あっけなかったな。もう終わりか?
「助かったよ。でも、どうにか倒せたみたいだ」
「そうだね……。でも、あの体凄く硬くて……今も凄い手が痺れてる」
ハンマーを置いて両手をひらひらとさせる彼女。ちらりとさっきの化け物の体を見たが、少し背中の甲羅のような物が割れて紫色の血が出た程度でほとんど無傷だった。唯にお願いしたのは二階に上ってからの奇襲だ。彼女の力を全て利用した一撃は落下の勢いとあいまって途轍もないものだった。さっきの化け物の体こそ無事だったが、周囲が陥没し、クレーターのようになっていた。それでも破壊されない硬度ってどれだけだよと思うが、頭を破壊された化け物はもうぴくりとも動かなかった。
あっけない結末に、本当に終わったのかと思いもしたが、アドゥルバのように再生する事もなく死体が転がっているだけ。俺は警戒を解くと唐紅の剣を解放する。
「終わったんだけど……」
「どうしたの?」
唯の表情が冴えない。何かを言いたそうにしているが口ごもっている。
「上の階に行った時なんだけど……」
と言うが、最後まで言い切らず黙ってしまった。
「何かあったのか?」
心配になり聞き返すと、
「……死体が……たくさんの死体があった」
その言葉を聞いたとき、頭の天辺から足の先まで一気に血の気が引いた。さっきまで火照った体が急激に冷えると、
「痛い!」
いつの間にか彼女の肩を強く握っていた。
「ご、ごめん」
慌てて唯の肩から手を離す。震える手をどうにか押さえようとするが、一向に止まらない。恐怖とはまた違う怯えに似た感情に、心が晒されると喉の奥から酸っぱい物がせり上がってきた。
「うっ!」
耐えきれず膝をつき、その場で吐いた。
「宗田さん! 大丈夫!?」
慌てた唯が優しく背中をさすってくれたが一考に、不安、怯え、恐怖、が入り混じったような混沌とした感情がヘドロのようにへばりついて離れてくれない。消えるところか嫌な記憶を追体験するかのように心を切り刻んでくる。あの時は仕方なかったんだと、何度も自分で慰めるが結局は虚しく自分の罪悪感は消える事はなかった。
「……うぐっ!」
涙と鼻水と涎まみれた酷い顔。こんな顔を彼女に見られたくないと思うけれど、隠す余裕もない。醜態を晒すが彼女はいつまでも寄り添って背中を撫でてくれた。もし、唯がいなかったら俺はどうなっていたんだろうか? きっと体よりも先に心がもたなかったと思う。
――この感情はなんなんだ? 自問自答を繰り返し、ようやく少し落ち着いてくる。結局の所は罪悪感もあるが、あの事を誰かに見られていたらと思うと咎められるのではないかと言う不安もあるのではないだろうか? 親に怒られる前のような気分。もしくは犯罪がばれないかと怯え隠れる犯人のような。いっその事、誰かが攻め立ててくれれば良かったのに。そう思うが、その事実を知っているのは自身と唯だけなのだ。
「ごめん……もう大丈夫だから」
涙を拭うと顔を上げる。口元と鼻をいつもポーチに入れているタオルで拭いて、魔法で水を出して口をゆすぐ。それでも、苦くて酸いた不快な味はなくならないが、幾分かは良くなった。
「無理しないでね」
彼女の言葉に声を出さずに頷く。
「唯……俺も上を見に行くよ」
喉が焼けてガラガラとした自分の声に少し驚いた。
「え? でも……」
「大丈夫だから。ちゃんと自分の目で見たい」
そう告げるが首を縦に振ってくれない。珍しく「今日は辞めよう」と、彼女は頑なに拒んできた。だけど、ここで逃げてしまったらまた後悔する事の繰り返しになると思い説得を試みた。
「心配かけてごめんね。もう、大丈夫だからさ。それに……それにちゃんと自分の目で見ないと何度も思い出して後悔しそうなんだ」
心の内を正直に打ち明ける。
「だから、今日……今ちゃんとここの人達がどうなったか見ておきたい」
困ったような顔をした彼女は、
「うー、そこまで言われたら私もダメって言いにくいよ……ずるい」
これは肯定と取っていいのかな?
「ありがとう」
そう言うと、彼女が息を吐き出した。
「でも、宗田さんが思っている以上に……その……かなり――」
――彼女はいったい何を見たのだろうか。
唯が二階へと登った階段は入り口から入ってすぐの所にあった。うんともすんとも言わぬ黒色の階段は、魔王が出現する以前はたくさんの人を乗せて自動で動き、上の階へと運んでいたのだろう。だけど、今はその役目を終えたかのように動きを止め、佇んでいるだけだった。
エスカレーターの手すりに手をかけながら一段一段、上の階を目指した。近づくに連れて、心臓の鼓動が車のエンジン音のように速くなる。これも、唯が見たものが自分の想像とは違っていたからだろう。彼女が嘘をつくわけないと思っているが、俄には信じきれない自分がいた。ただ、それが真実とあればどれほど、残酷な結末を迎えたのいうだろうか。
「あぁ……そんな……」
彼女が言っていたことは真実だった。目に映るは人の死体。時間がたった事で風化し、肉が腐りハエがたかっている。甘く粘つくように、気分の悪くなるにおいが充満するフロアで呆然と眺めた。
「ここで……何があったんだ?」
天井の板が外され、その中に収められた無骨な鉄のパイプが剥き出しとなっていた。二階の一部の壁は全面ガラス貼りとなっており、雲から姿を現した月明かりが入り込む。おかげで、照らされたそれが――よく見える。
割れたガラスからは冷えた空気が髪を揺らし、さらにはパイプの下に吊されたものを揺らしていた。まるで、てるてる坊主を彷彿とされる姿だが、長時間吊された事でだいぶ首が長く伸びていた。佐川 葵の実家で見た両親の首吊り死体よりも腐り、伸びきった首の死体がそこかしこにある。あぁ……そんな、こんなの酷すぎる。倒れた脚立が無数に……これを使ってロープを吊し命を絶ったのか。
茫然とする俺に向かって唯が何かを言っているが理解ができなかった。突然見えるもの全てが白黒へと変わり、昔のそれこそ昭和時代のゲーム機のようなモノクロの世界に俺は入り込んでしまったようである。すると、
「え?」
パチンと乾いた音と共に、微かな痛みを左の頬に感じる。
「宗田さん! しっかりして!」
褪せた色の世界に波紋のように色が広がると、ようやく彼女の声が俺の耳に届いた。
「叩いたのはごめんなさい! 気をしっかり持って!」
泣きそうな声で叫ぶ彼女は、俺の肩を持って揺さぶる。あれ? 唯って、こんなに身長高かったっけ? 見上げるような形で彼女の顔を見て、そんなどうでもいいことを考えつつ、再び床に膝を着いている事に気づいた。
「あ、ど……うして?」
カラカラに乾いた声が漏れる。一度、言葉にしてしまうと、せき止めていたものが簡単に崩壊してまう。
「――ああぁぁぁぁああああっ!」
叫んだ――喉がはちきれんばかりにに叫んだ。ゾンビに見つかろうが関係ない。感情のままに、獣のように叫ぶ。彼女が止めようが、喉が潰れようが激流のように押し寄せる感情のままに叫び続けた。