地の利って大事
鮮やかな手際でネックリーを葬ると、「凄い……」と、感嘆の声を唯が漏らした。基本、ゾンビかグールを相手にしているため、彼女の前で本気で血液操作を見せたことがなかった。慣れた相手には斧の”兜割り”か魔法による”炎弾”か”氷弾”で事足りてしまう。
たまに血液操作を使ってみたりはするが、こうして本格的に使ったのは練習を除いて初めて。練習の時も人に見られないようにこっそりと行っていたから、知っているのは自分一人しかいない。
血液操作で作られた血の刃は、ネックリーの硬い首を軽々と切断する威力を持っている。最初の三体もこれで仕留めたが、牽制程度のつもりであったため、その威力に使用した俺も驚いた。有効範囲は十五メートル程。自分以外の血液も操作出来るが、魔力の消費がかなり大きい事と、触れていないと出来ないため実用的でない。だけど、それを差し引いても十分な結果に満足である。
難点があるとすれば貧血になるくらいだろうか。魔力の消費も”炎弾”よりも少なくていいのだが、”超回復”がなければ連続しての運用は難しかっただろう。シーリス様々である。
――マスター、お呼びでしょうか?
あっ、ごめん。違うんだ。
名前に反応したシーリスが、自分が呼ばれたと勘違いして現れた。
違うけど、君のお陰で助かってるよ。ありがとう。
――いえ、これが私の役目ですから。では、失礼します。
呼ばれていないと分かったシーリスはすぐにいなくなってしまう。
「また、もたもたしてるとあいつ出てきそうだから、そろそろ移動しよう」
ネックリーの死体と蛆に溢れたアスファルトの地面。極力それを踏まないようにして俺達は移動を開始する。
「どう言うルート行く?」
「あー……今回は散策は特にしないでさっさと目的地に向かいたいけど、アドゥルバみたいな強力な魔物が居てもやだからな……」
「じゃぁ、やっぱりあのマンションから少し偵察します? ホームセンターが良く見えましたからね」
「そう……しようか」
少し言葉に詰まったのは、初めてグールに出会い殺されかけたマンションだからである。しまいには一ヶ月も時間が過ぎていると言うオマケ付き。これはベリルの仕業と分かったが、げっそりとした唯を見た時は生きた心地がしなかった。
結局はシーリスのお陰でキズが癒え、ベリルがキズを治すあいだ守ってくれていたと言う事だったが、あの時の事はまだ心のどこかでしこりとなって残っているようだ。
「お……なかすいタァー」
大通りに出る直前の十字路で、またもネックリーの声が聞こえた。ここはどう言う分けか奴らの巣窟のようによく出会う。魔力を無駄に消費したくない俺達は、近くの民家の塀の内側身を隠してやり過ごす事にする。
ヒタヒタ……。
ちょうど俺達の隠れている塀の向こう側を歩いていく足音が聞こえた。肉が腐った、虫の好みそうな甘ったるく鼻の奥の粘液に溶けて残るような不快な臭いがきつくなる。すっかり嗅ぎ慣れた臭いだったが、ネックリーの臭いは普通のゾンビよりは強烈だ。臭いを少しでも防ぐのと、声が漏れないようにと口元を押さえる。
「……行ったかな?」
足音が遠くなる。ただ、強烈な死臭はまだ残っているため鼻がもげそうだ。
「バレなかったみたい――えっ? なに?」
唯が不思議そうな声をあげる。雨が降ってきた時のように頭に手を当てていた。
「これ……蛆? ひっ!」
彼女は頭に落ちてきた物の正体を見て悲鳴を漏らした。よく見ると、唯の黒い髪のそこかしこに白い物体がついていた。腰まで伸びた長い髪を後頭部でお団子のようにまとめている。その髪の隙間に入り込んだ大量の蛆が入り込んでいる事に気づくと、急いで髪をほどき払い落とす。
「どうなってるの……。えっ! きゃーーっ!」
恐る恐るその原因となるものを確認しようと顔を上に向けた彼女は絶叫する。俺も彼女の視線を追うように同じ方向み見たとき、思わず顔が引きつった。
「いタァァァァッ! ヒヒヒヒッ!」
塀から顔をもたげるように覗き込むネックリーの姿があった。おぞましい顔からは大量の蛆が這い出て雨のように落ちてくる。穴と言う穴から白い物体を撒き散らし、唯の絶叫に呼応するように叫んだ。
「まっでデー」
カタコトで下手くそな日本語でそう言うと、覗き込む顔を引っ込めて、民家の入り口へと向けて走り出した。
「なんなのー……」
瞳は充血して真っ赤。蛆まみれに加えて、ホラー映画のような登場を果たしたネックリーに驚き、彼女は今にも泣き出しそうである。
首の長いゾンビことネックリーは、見た目が普通のゾンビやグールに比べてグロテスクだ。それに相まって、体を越える長い首のせいでアンバランス。振り子のように首を横に揺らしたり、前後に動かしたりと奇妙な動きをしている。足先から頭の天辺までは三メートルくらいあるかな? そいつの初めての遭遇もホラーだったが、今回も同じような登場の仕方をしてきた。
「怒ったからねっ!」
ハンマーを支えに立ち上がった唯は、入り口から入ってきたネックリーを睨みつけるように見やる。
「アヒッ!」
向こうもこちらの存在に気づいたのか嬉しそうに顔を歪めた。
「――せいっ!」
間髪入れずネックリーと接近すると、下から上へとハンマーを振り上げた。家と塀の間での攻防は長い獲物を武器とする唯にとって動きを制限されるため不利である。
「ヒヒヒッ!」
もたげた顔狙って放たれた一撃を、首をくねらせて回避された。
「ザンねん」
こちらの言葉は理解していないが、日本語を話すネックリーは挑発するようにせせら笑う。
「ムカつく!」
知能はゾンビよりもあるが、人に比べたら遥かに劣る。獣に近い存在に馬鹿にされた彼女は頭に血が上り、何度もハンマーを振るうがうねうねと動く頭を上手く捉える事が出来ずにいた。
助けに行こうとするが、人が二人並ぶのが精一杯の広さしかないため、近づきたくても近づけない。頭を狙って魔法を放とうとするが、動き回り狙いを上手くつけられないのだ。
「いっ!」
ネックリーが彼女の左腕に食いついた。肉を噛み千切ろうと顔を揺らす。
「唯!」
彼女の名前を呼ぶが、
「――捕まえた」
頭を鷲掴みにすると、自分の肉が噛み千切られる事などお構いなしに引き剥がす。
「あんまり調子に乗らないでよねっ!」
語気を強めてそう言い放った彼女は、ネックリーの頭を地面へと叩きつける。唯の怪力で叩きつけられたネックリーは土地面に顔が埋まってしまう。後頭部を空に向け、
「終わり」
見下ろす唯は、右手でハンマーを振り下ろして頭を砕いた。顔から放れたところにある胴体が電池が切れたように崩れると戦いの終わりを告げる。
「大丈夫か?」
怪我をした唯に駆け寄ると、左腕を見た。骨が見えるくらいまで肉を抉られ痛々しい。
「ちょっと貸してね」
優しく怪我をした腕を持ち上げると、予備で持っていたポーションを振り掛ける。シュワシュワと炭酸水のように振り掛けた部分が泡を立てる。
痛みが走ったのだろうか、体が強張り硬直したように力が入っていた。何度かポーションをかけると泡が出なくなり、最終的には怪我のない綺麗な白い腕がそこから姿を現した。