一枚岩じゃない
何やら勘違いをしてしまった彼女はせっかく落ち着いたのだが、またおどおどし始めてしまう。
「あぁ、勘違いしないでね。助かってるよって意味だから。紫苑さんからは、レベルを可能な限り上げてくれって言われてるからね」
自分のせいで危険な目に合っていると勘違いしている雫さんへそう言うと、安心した表情になり肩の力が抜けた。
「ちなみに、見えると言っても建物とか邪魔じゃないの?」
学校の屋上は民家に比べれば高い。だけど、建物の視覚やビルのように高い場所の向こう側は見えない。見える範囲は限られているが、そこはどうなんだろうか? と言う疑問が湧いた。剛もまだ復活しなさそうだし、彼女の事について聞いてみようと思う。
「あの……私、魔力……も見えるんですよ」
何それ。凄いんですけど。
「魔力って、魔力?」
「はい……靄がかかったように見えて、それが濃いか薄いかで判断してます」
彼女はかなり優秀な斥候になるんじゃないかと思う。
「建物も関係ないの?」
「はい……。そう言った物も貫通して見えるようで……こうして屋上から街を眺めてます」
遠くも見えるし魔力も見えるとなると、サーモカメラのような物を想像してしまった。
「兄のように戦う事はできないですが、少しでも皆さんのお役に立ちたくて……」
「お兄さんいるんだね。昼の警備隊の人?」
「あっ……はい。ただ……」
兄の話をしようする彼女の表情はすぐれなかった。雨が降る一歩手前の空のように泣き出しそうに顔をしかめてしまう。
「先日――行方不明になりました」
震える声でそう言った彼女はしゃがみこんでしまう。顔を抑え声を必死に殺すが、嗚咽が漏れる。まさか、剛がさっき言って行方不明になった警備隊の一人の妹だとは思いもしなかったのだ。
自分の失態になんと声をかけていいか分からず、彼女の事を呆然と見ている事しかできない。
「雫……晃さんはきっと無事だから大丈夫だ」
いつの間にか復活していた剛が、雫さんに近づくとそっと肩に手を伸ばし優しく声をかけた。
「はい……すいません。う……ぐっ」
彼女が落ち着く事を待つことにした。少しだけ二人の甘酸っぱいような空気に当てられて気まずく、空をなんとなしに眺める。自分で巻いた種だったが、初対面の俺が何か言うよりは剛に任せた方がいいだろうと思ったのだ。
それに、剛のこの感じは彼女の事が――。と考えれば余計にこの場から離れたくも思ってしまうが、地面に足を縫い付けられたように動けなかった。せめてお邪魔虫にならないように、息を殺して気配を出来る限り薄くする事で二人の空気を壊さない事に専念する。
それにしても、雫さんが行方不明になった警備隊の人の妹とは思いもしなかった。完全に自分の失態であるのは申し訳ないと思う。てか、剛が事前に話してくれればいいのにな、と思いもしたが、たられば的な事を言えば際限ない。早急にその考えを辞め、日が上りきった空を大人しく眺める。
しかし、蜘蛛のようなゾンビか……。見たことがないそのゾンビの事が気になるし、同時に行方不明となった雫さんの兄の事も気になった。関連性がなさそうで、どこか繋がっているような嫌な予感がするのである。
「あの、斎藤さん……すいませんでした」
視線を戻すと、申し訳なさそうにしている雫さんが目の前にいた。目を充血させ、まぶたを腫らした彼女は、剛のお陰で落ち着いたようである。
「いや、俺も知らなかったとは言え申し訳ないね」
と、謝罪の言葉を述べる。彼女の背後に立っている剛もペコリと頭を下げ、こちらに謝罪の意志を見せていた。
「あの……私、これから仕事をしなくちゃいけなくて……」
「邪魔しちゃってごめんね。じゃぁ、俺もそろそろ寝ようかな。剛はどうするんだ?」
「俺はもう少し残ってるぜ!」
いつもの調子で返されて安心する。二人に「おやすみ」と告げると屋上を後にした。
――――。
「――――以上です」
夜になり、真奈から間引きのために昼の部隊からと雫さんからの情報を伝えられる。夜の部隊は五グループの総勢十人だ。警備隊の中でも腕が立つメンバーが揃えられている。
「宗田さん、今日は少し眠そうだね」
唯にそう言われて欠伸をかみ殺す。
「いやさ、剛の筋トレに付き合ったら予想以上にハードで、寝ても疲れ抜けなかったんだよね」
しかも、案の定筋肉である。後で適当にポーションを作って飲もうと思うけど、それまでの我慢だ。
「後で、治してあげる?」
唯にはそう言われたが、こないだの一件があるため、あまり魔法を使わせたくなかった。
「これくらいなら大丈夫だよ。ありがとうね」
やんわりと断ると、唯の表情が一瞬だけ影が差したように見えた。
「――それで、宗田君達にはこの場所に行ってもらいたいんだけどいいかな?」
真奈は人前では俺を宗田君と呼ぶ。特に本人に聞いたりはしないが、こう言う場において公私の区別をするためだと勝手に思っているからだ。
テーブルの上に広げられた、この辺一帯が載っている地図の一部を真奈が指さした。
「ここは……」
あの、ホームセンターがあった場所である。
「高梨 雫を知ってる?」
「ああ、今朝初めて出会ったよ」
「そっか。なら、彼女の能力も聞いた?」
「一応な。魔力が見えるんだろ?」
と言うことは、真奈が指をさした場所は彼女が見て魔力の濃度が濃いと言うことになるのだろうか? 靄がかかるとは聞いていたが、強く感じるとどう見えるかまでは聞いてなかった。
「それなら話が早いわね。この辺りに住んでたなら分かると思うけど『ケーツー』と言うホームセンターがあるわね。そこに向かってもらいたいのよ」
真奈は更に話を続ける。
「ここから少し遠くに位置していたから、あまり気にしてなかったけど……雫からの報告によるとその範囲が日に日に拡大しているとの事らしいわ。これの調査と……可能ならば元凶の討伐をお願いしたい。頼めるかしら?」
以前集まっていた大量のゾンビ達の事を思い出す。恐らく避難した人が大勢いたはずだ。俺が覚えている最後はゾンビに攻め落とされた姿である。一度は見捨てた場所に向かわないといけないとは……なんの因果か。ただ、大勢の人が食われたとなるとアドゥルバのようなボス級の存在がいるかもしれない。危険だが、討伐できればそれなりの報酬は得られるのではないだろうか。
自分の罪の一つを直視するようで、あまりいい気分ではないが、真奈の話を受けようと思った。
「分かった――」
「――ちょっと待てよ」
俺が真奈に返事を返した時、チンピラのようなガラの悪い男が話に割って入ってきた。
「真奈さんよ、いくらなんでも新入りに肩入れしすぎなんじゃないかい?」
「……それはどう言う事かしら?」
「いやーね。こんな新参者に美味しい所ばっかり貰われてたら、こっちの立つ背が無いって言うの」
「でも、これは紫苑からの指示よ? 聞けないのかしら?」
喧嘩越しで詰め寄るチンピラに対して、真奈は毅然とした態度で返す。
「そう言うわけじゃないんだけどよー。ちっとこいつらの実力が信用出来なくてね。グール百体? 誇張し過ぎるにもほどがあるんじゃないでしょうか?」
「言いたいことはそれだけ?」
どんなに凄まれても動じることをしない真奈。感情の映らない瞳でそのチンピラ風情の男を見やる。
「……てめっ! ちっとおとなしくしてるからって舐めてんじゃねーぞっ!」
キレたチンピラは真奈に掴みかかろうとした。
「辞めろ」
俺は掴みかかろうとしたチンピラの腕を掴んでそれを押さえた。
「ぐっ! 離せっ!」
その手を振り解こうとするが、びくりとも動かない。レベルの差がここで顕著に表れた。必死にもがくか俺も離すつもりはなかった。黙ってその男を睨みつける。
「分かったよ! たく、離せよ!」
降参の意を表した所で手を話す。その男は乱暴に扉を開く。ガラピシャと激しい音を立て横開きの扉が暴れた。ドタドタと足音を立てながら歩くチンピラ風情の男は、苛立ちを隠しもせず、そのまま外に出て行ってしまった。
「さ、私達も仕事に取りかかりましょう」
何事もなかったかのように真奈がそう言うと、各々教室から出て行く。