代償はつきもの
あれだけ大きな声を出せば、もちろんゾンビが集まらない訳がない。外からゾンビのうめき声が聞こえると即座に俺と唯は反応し外へと出た。数十体のゾンビが、家の敷地の塀を叩き中へと侵入しようとしている姿が見える。
いつも通りとなりつつある光景に、ゾンビを排除するために動こうとした。
「あ、ここは私に任せてください」
「え?」
「ベルちゃんにネタバレされちゃったけど、”加速”で一気に倒しちゃうね」
ベリルが言っていた唯の新しい魔法を見せてくれるらしい。加速と、名前から動きが早くなるんだろうなとは想像できる。バフのように自分の能力が強化されるのだろうか、と思っていたが俺の想像を遥かに越えることになるとは思いもしなかった。
「――加速」
唯は武器となる金槌を持ち、目を瞑ると深呼吸をする。そして、魔法の発動の言葉を唱えた――
「――終わったよ」
魔法を発動してから終わりの言葉を告げるまで一秒とかかっていない。
「どうだった?」
笑顔を見せる彼女。
「え? どう言うこ――」
言葉を言い切る前に重い物が倒れるような鈍い音がして、その方へと視線を動かす。すると、目に映ったのは地面に倒れた人型の姿。そいつらは綺麗に頭を破裂させ、赤い肉片を塀や地面へとぶちまけ、絵の具の入ったバケツをひっくり返したかのように道路の一区画を赤く染めていた。
その光景を目にして、次の言葉を発する事が出来ず、驚き、笑顔の唯とその光景を何度も視線が行ったり来たりする。彼女の新しい魔法は俺の想像を遥かに越えていた。
すると、驚愕に染まった俺を見て彼女がくすりと笑った。
「どうだった? 凄いでしょ」
両手を腰に当てて自慢げな表情をする彼女。言葉通り刹那の時間でゾンビを殲滅した事は、凄いとしか言いようがない。
「凄い……な」
と、声を振り絞って返答する。ただ、少しだけ恐れを感じてしまった。神崎 唯が今は俺の味方であるかもしれない。だけど、それが佐川 葵のように敵となった場合を想像してしまったのである。
彼女が使える魔法「静止」、「治癒」、「加速」、そして「怪力」はどれも強力で頼もしい。単純な戦闘力は俺よりも上なのは間違いないだろう。仮に彼女が敵だった場合を想定して、勝つ手段があるとすれば……暗殺、と言った部類しか思い浮かばないのだ。真正面から戦えばほぼ勝ち目は無いだろう。自分の想定を超えた能力に、畏怖と恐怖を同時に覚えた原因はそれにあった。
俺の心の中で複雑に感情が入り乱れて混沌としている状況だったが、唯はそれには全く気付いた様子がなく、自慢げで驚いている姿を見て嬉しそうにしていた。
「えへへへっ。私が宗田さんを守ってあげる……ね……え?」
目の前で嬉々としていた唯が、何の前触れもなく糸が切れたかのように膝から崩れ落ちて倒れた。
「唯!」
慌てて駆け寄る。
「あれ? なんだろ? 力が入らないな……」
顔を上げて俺を見やる彼女の瞳には本来あるべき物が埋まっていなかった。ドロドロと溶けて、液体となった目だった物が垂れてアスファルトに染みを付ける。
「宗田さん、なんか真っ暗なんだけど? 何か悪戯した?」
あまりにおぞましい光景に言葉を失ってしまう。
「ねえ? なんで黙って……おえっ!」
今度は大量の血液を吐しゃする。すると、顔を上げた唯の耳、鼻、目とありとあらゆる穴から滝のように血液が溢れて来た。
「どう……なってるんだ?」
「やっぱり、こうなっちゃったね……お兄さん、早くポーションを飲ませて上げて」
いつの間にか背後に立っていたベリルがポーションを飲ませろと告げて来る。
「ほら、呆けてないで早く! お姉さんが死んじゃうよ!」
死ぬと言う単語を聞いて我に返った。魔力の殆どをポーションに注ぎ込む事をイメージして造り出す。地面に打ち上げられた魚のように飛び跳ねる彼女を押さえてけてむりやり仰向けにした。
「うっ!」
酷い有様に思わず声が漏れてしまう。めくれ上がった服から唯の腹が見えた。皮膚が解け、肉が溶け、内臓がうっすらと見え隠れしている。臓器が動いている姿が溶けて薄くなった肉から見え、思わず吐きそうになった。
今までゾンビと言う死体で人間の臓器には慣れたつもりでいたが、生の……それこそ生きている人間の内臓を見るのは初めてだ。一つ一つの臓器が別々の生き物のように動いている姿が生々しく、酸っぱい物がこみ上げて来た。だけど、ここで俺が吐く訳にはいかないと喉の奥へと押しやって、濃縮したポーションの水球を宙に浮かべる。
腕の中で暴れるようにのたうち回る彼女が動かないようにしっかりと押さえると、開いている右手の指を口に入れてむりやり開かせる。ぬるりとした感触が指に伝わる。ただ、その中は空洞のようになっており、歯もなければ舌も殆ど溶け落ちていた。そこに、水球を移動して喉の奥へと押し込む。
「あぐっ! が……げえっ!」
いっそう彼女が暴れ、ポーションを吐き出そうとするが口を閉じて吐き出させないようにした。すると、喉が動き少しずつ飲み込み始める。
「うん! これで大丈夫」
ベリルがいつもの調子でそう言ったのを聞いて少しだけ安心した。その言葉通り融解しかけた体がテープの逆再生のように元に戻り始めている。
「はぁ……なんだったんだよ」
いつも通りゾンビを倒すだけだったはずが、まさかこんな事が起きるとは思いもしなかった。唯の魔法にも驚いたが、体が溶けるとは誰が予想できたか。俺の腕の中で意識を失う彼女を見やると、原形を失いかけた顔が、元の可愛らしい顔へと戻っており、安堵の息を吐き出した。
ただ、また同じことが起きるんじゃないかと彼女の様子を観察する。……良かった。大丈夫みたいだ。少し様子を見ていたがさっきのような事が起きずただ静かに寝息を立てて眠っていた。少し血で汚れているが表情は安らかで、さっき起きた事が嘘のように静かである。
「ベリル、今のはなんだったんだ?」
背後に立つベリルへと振り返ってそう言った。
「うん。ちゃんと説明するよ。でも、その前に場所を移動しようか」
ベリルが頷きそう言った。
「それに、ゾンビも集まって来たみたいだしゆっくり説明するのもその後かな」
言われて気付いた。静かに眠る唯を家の中へと運び、そっと布団に寝かせると以前に作っておいた魔力回復のポーションを飲んだ。
「お姉さんは僕が見ておくから任せて!」
胸をドンっと右手で叩いて、自信満々にベリルがそう言った。
「じゃあ、任せたよ」
ベリルが見ていてくれると言ったが、唯の事が心配だ。だから、早く片付けて戻ってこようと足早に外へと出た。
「あー、だいぶ集まったな」
道路に出て、その光景を見て言葉が漏れた。数にして倍くらいか。なるべく手短に終わらせないと更に集まって来るかな。
学校から借りた斧を手に持ち、ゾンビに向かって駆け出した。