マスターと呼ばれた
突進を回避したけれど、結局はアドゥルバの爆発により、飛んできたコンクリート片が直撃をして地へ膝を着くはめとなってしまった。怒り心頭と言った感じでこちらに迫って来たアドゥルバは、何の躊躇もなく俺の命を狩り取ろうと、獣の爪のように鋭いそれを振り下ろした。
この状況で避ける事は不可能。それに、それを防ぐ手立てはない。唯のように怪力の持ち主であればもしかしたら防ぐ事は可能だったかもしれない。だけど、それは無い物ねだりだ。
「あっ……」
っと、間の抜けた声が出た。
俺の目の前に迫った爪を凝視する。死を肌で実感するが、何故か恐怖を感じる事は無かった。この世界で数度死ぬかもしれない経験をしたせいで、感覚が鈍くなっているのかもしれない。冷静にそれを眺め、「あっ、死ぬんだな」なんて思っている自分がいる。
その時に、彼女達は無事かなと思って意識をそっちに向けると、唯がグールを倒している姿が見えた。それを倒し終えたのかこちらを見て何かを叫んでいた。
ちょうどその時、全身がゾワリと何かに撫でられるような感覚がした。レベルが上がった? なんで今頃……。もう少し早ければ、
ごめんね。
と心で思う。今度こそ本当に助からないだろう。顔目掛けて襲ってくるその手は無残に、簡単に肉を切り裂き破壊するだろう。
変わり果てた自分の姿を想像すると、背筋がゾッとしたが、あるのは恐怖よりも彼女達にそんな醜態をさらしたくないと言う気持ちだった。
「あー、悔しいな」
もう少しだったのに。あの魔法が上手く直撃してくれればもう少し状況が変わったかもしれない。もしかしたら、唯が駆けつけて失った左腕を直してこのアドゥルバと言う黒いグールを倒せていたかもしれない。
そう、心でごちるが後の祭りである。
俺はそっと目を瞑った。
「………あれ?」
待てど何も起きない。閉じた目を恐る恐る開けた。薄く目を開けると、確かに目の前にはアドゥルバの手があった。それが後数十センチのところまで迫っている。
だけど、
「止まっている?」
これは唯の魔法の影響なのか?
「んっ? 俺の体も動かない……それに、唯も動きが止まっている……よな」
状況が上手く掴めない。目で見える範囲で周囲を見渡すが、その全てが停止している。音も、空気も、風も、しまいには体で感じる五感の目以外の部分以外は全てである。
自分だけしかこの世界で生命として存命していないのではないかのように、アドゥルバも唯も石像のようになっていた。まるで自分だけが別の世界にトリップし取り込まれてしまったかのようである。
原因が分からず、それを探そうとしても体が動かない事にジレンマを感じるが、どうにもできないと早々と諦めた。
いくばかの時間が経過する。
――ガッ……ガガガガ……
頭の中に直接響くように、ラジオのノイズのような音が聞こえた。
――魂の位階が20へ到達。
――マスターとコンタクトを開始します。
この声は以前聞いた時がある。真奈を嫉妬の使徒と呼んだその声。無機質で機械的。まるで感情と言うものが存在しない声色をしていた。
それが、マスターと呼びコンタクトを開始すると言った。
「お前は誰だ」
そう問いただす。
――初めまして、マスター。
――シーリスと言います。
その声の主は自分をシーリスと名乗った。
「シーリス……」
――はい。よろしくお願いします。
と丁寧に挨拶をしてくる。このシーリスと言った存在がなんなのか分からないが、この停止した世界が彼女の影響なのだと言う事は何となく分かった。
――その通りです。
しまいには俺の心も読めるようである。
「何者なんだ? それにこの状況は?」
そう問いかけてみる。
――■■■に造られた斎藤 宗田、生存用プログラム。それが私です。
生存用プログラム? 最初の方は意味が理解できなかったが、これはベリルとの会話でも感じた現象と同じだった。聞こえてるけれど、理解ができない、あの不可思議な事がまた起きた。
ベリルいわく、魂の位階が足りないんだっけ? そもそも位階って、ゲームで言うところのレベルって認識でいいんだよな? ならば、その言葉を理解できるようになるのにはどれくらい必要なのか。
――マスターの魂の位階が一定数を達しました。それにより、接触条件を満たしたため声を掛けさせていただきました。
ベリルと同じような存在なのだろうか?
――ベリル……が誰を称しているか不明ですが、否定と返しておきます。
違うのか? なら何なんだ? 生存用プログラムと言われてもよく分からないな。てっきり、何かしらの繋がりはあるかと思ったがそうではないらしい。予想が外れて余計この存在がなんなのか分からなくなった。
――はい。これからその説明を行います。まず、この状況についてですが、マスターの精神を時間の概念から切り離させて貰いました。
さらりととんでもない事を言ったシーリスに、言葉を失った。時間の概念から切り離すって……だから皆が動きを止めているのか?
時間と言う存在があると言うのは形だけは理解している。平和だった時の世界でも、時間を目安に行動していた。だけど、それをどうこうする事は最先端の科学でも不可能。それを事も無げにやってのけたと言うのだ。
――その通りです。そのため、時間に縛られる肉体は動けません。
なら、何故目だけは動かせるんだ? 体が動かないならそれも出来ないはず。今も試しに目を動かしたが阻害されるような事は無かった。
――それはマスターの勘違いです。今もマスターは目を閉じていますよ?
でも、現に見えているんだが……。言葉に出さず心の中で思うだけで会話が成立する。
――はい。それでしたら、魂で見ているからですね。でも体が動かせないのは肉体と魂が結合しているせいで動かせなくなっています。
よく分からない事が分かったわ。
――今回のマスターはちょっと頭が……いえ、分かりやすく言いますと心の目と言うやつですかね。精神のみ時間の概念に囚われませんので。こうして考える事が出来る事が証拠です。
心の目って、なんか修行したお坊さんが悟りを開いて五感以外の何かに目覚めたみたいだな。心眼や千里眼とかみたいな物だろうか。それならちょっと格好いいんだけど……って、マスターはちょっと頭がって、何か悪い言葉を発しようとしなかったか?
――気のせいです。
はい。そうですか。
――それでは、そろそろ本題に入らせて貰ってもよろしいですか?
「ああ、よろしく頼む」
――承知しました。
得体がしれない存在ではあるが、シーリスと言ったそいつが言うには「生存用プログラム」らしい。その言葉通りなら、敵ではないのだろう。
しかも、アドゥルバの攻撃が目前へと迫っている。回避は不可能。ただ、シーリスがもしかしたら、何かしら助ける為の方法を提示してくれるかもしれない。時間の概念から精神を切り離すと言うことを簡単にやってのけた存在だ。期待していいんだよな?
絶対絶命のピンチに訪れた一本のロープを離さないよう必死に掴む。そして、この状況を打破できるならそうしたい。
それにしても、この世界になってから不思議な事ばかり起きるな。
――マスター、それは勘違いです。
「えっ?」
――私はマスターがこの世に生を受けた時から一緒ですよ。