27話 防衛戦
酒場に入ると、笑い声が聞こえる。
マクワノが立って笑いながら酒を煽っていた。
「盛り上がってるね」
リリの声に反応して、モスカの大きな耳が動く。
「あら、リリさん、おかえりなさい」
マクワノが存在に気がついたようにリリを見た。
「なあ、こいつらがキャラリックメルでどんな交渉したのか知らないか?」
周囲の冒険者達もリリを見る。
ナリダが呆れたと言いたげな顔でマクワノに言う。
「あんた、まだ諦めてないのね」
「言わないって条件を飲んだのはお前らなんだから、聞いたっていいだろ」
リリは、自分がいない間に、空を走る光がキャラリックメルでどんな交渉をしたのかで、盛り上がっていたのだと思った。
(まあ、苦労して交渉したって盛り上げたんだから気にはなるよね)
リリは、思い出しながらテーブルに近づく。
「交渉する前のみんなに声かけたら、ウィルに吐きそうな気分だって笑って返されたのはよく覚えてるよ」
「リリさん、そこは覚えてなくていいんだよ」
ウィルは少し照れたように言った。
空を走る光は確かに言っていたと思い出して笑っている。
キオットの陽ざしはウィルがそう思う程の緊張感を、想像しようとしているようだ。
「吐きそうなくらいプレッシャーのある交渉とか想像できねえな」
「失敗したらって考えたらちょっと分かるかも」
「うん、ビルデンテがなくなったらどうしようって、やっぱり考えちゃうよ」
「ビルデンテがなくなったら、隣にある私達の国にだって影響が出ますからね」
そういうもんか、という様子でマクワノは言う。
「ふーん、だけどよ、失敗してもグレイトホーンなんて何体出ようが防衛戦なら平気だった――」
「あ、こら、マクワノ、しっ!」
モスカが鼻を使って、マクワノの頭を上から押さえつけ、テーブルにぶつけて黙らせる。
頑丈なテーブルだったが、ジョッキが落ちそうになったので全員が抑えにかかった。
マクワノの言葉を聞いて、冒険者達からブーイングが聞こえる。
「平気な訳あるか!」
「お前らは平気だろうけどなー!」
「私達の負担も考えろー!」
「それお前達しか残らないだろ!」
酒場中から聞こえる声に、リリは酔っぱらいってこんな感じかーと辺りを見渡す。
マクワノが、うるせー! とモスカの鼻を勢いよく跳ね除けた。
「そんなに元気があるなら、ちょっと運動に付きあえよ!」
と言って、マクワノは近場の冒険者に殴り込みに行った。
また始まったと慣れた様子で、キオットの陽ざしはお酒を飲み始める。
リリは、空を走る光も気にしていない様子なので、殴り込みについては気にしないことにして、聞く。
「さっき言ってた防衛戦って何?」
モスカが、全くもう、とマクワノを見てからリリに言う。
「ビルデンテでは聖なる木が私達のことを守ってくれているって、リリさんも知ってるわね?」
リリは知ってるよと頷く。
「防衛戦は強い人を聖なる木の周りに配置して、聖なる木だけは守り切ろうっていう作戦のことよ」
リリはここだけ聞くとブーイングが起きるような作戦には聞こえなかった。
「何が問題なの? もしものために聖なる木の所に誰かいた方がいいんじゃない?」
「この作戦はね。もしものためにではなくて、確実に大量の魔物が入って来るって分かってる時にやる作戦なのよ」
リリは少し考えて、町に被害が出たとしても、聖なる木を守り切れれば人が住める環境は残るから良いという発想の作戦だと、思った。
(住民が全滅しても土地さえ残ってれば勝ち判定だったら、私達が協力しなくても一応勝ててたのかな。良い悪いは別にして、これがありならビルデンテって元々落ちる可能性なんてなかったんじゃない?)
リリは気になったので、首を傾げてウィルに聞く。
「聖なる木さえ守れれば勝ちなら、ビルデンテって落ちなくない?」
ウィルは、うーんと悩む様子の後言う。
「例えばだけどグレイトホーンが4万出てきたとするよ」
偵察で4万いたことを知っているリリには、言外の訴えが聞こえた気がした。
リリは例えばだねと姿勢を正して頷く。
「防衛戦では4つのSランクパーティが1パーティずつに分かれて、4つある聖なる木の防衛につくことになるんだ。そうすると城壁で2万減らせたとしても、4等分で1パーティにつき5千相手しないといけなくなるんだよ」
リリには5千はやばそうという気持ちと、空を走る光とグレイトホーンの実力差を考えると守る範囲狭いし頑張ればいけそうという気持ちの、両方があった。
リリは悩んで言う。
「……みんなならギリギリいけそうだよ」
ウィルはここで高評価は複雑な気分だという表情を浮かべる。
「城壁で減らせた数がもっと少なかったり、数が偏ったりしたら?」
「……さすがに体力の限界がきそうかな」
リリはゲームのキャラじゃないからと一応納得した。
キオットの陽ざしはウィルの仮定を聞いて笑っている。
「4万は思い切ったわね」「4万は盛りすぎ」「4万ってやばいよ」「そこまで数が増えたら困ってしまいますね。ホッホー」
ウィル以外の空を走る光のメンバーも、笑顔でお酒を飲み干している。
リリは4万はそういう扱いになるんだねと、しみじみと思った。
その時、入口の方からおお、すげえ、どうなってんだ、など盛り上がっている声がする。
リリは声の方に視線を向ける。
リリ達の近くから続くように冒険者達が点々と床に倒れており、入口付近ではまだ元気な冒険者達がいて、面白がるようにヤジを飛ばしていた。
中心では見たことのある人影が2人、戦っているように見える。
(マクワノさんとファーストだよね。何やってんの……)
マクワノが攻撃をして、ファーストは全て避けているようだ。
ファーストが何か話しているように口を動かしていたので、リリは集中して聞いてみる。
「……う一度言います。即刻攻撃を中止してください」
「俺の攻撃を避けられるような奴に会ったのに、止めるわけないだろ! 俺に言うことを聞かせたいなら、俺に勝ってから言うんだな!」
マクワノは力強い突きを繰り出すが、ファーストの長い縦ロールの髪にすら当たることはなかった。
「これ以上の攻撃行為があった場合、無力化を行います」
「はっ! 望むところだ! やれるもんならやってみな!」
マクワノは確実に当ててやろうと構えた。
リリはハラハラした様子で2人を見ている。
リリの視線を辿った空を走る光が分かりやすく動揺した。
ウィルが駆け出しながら言う。
「止めてくるよ!」
マクワノは邪魔される前にと踏み込む。
ファーストも構えをとった。
ファーストがどうやって無力化するつもりなのか知っているリリは急いで言う。
「ウィル! 止まってこっち見て!」
ウィルが振り返るのと、ファーストが閃光を放つのは同時だった。
酒場が真っ白になって何も見えなくなる。
何か重いものが床に落ちる音がする。
光が収まっていくと、光を直視してしまった冒険者達が両手で目を押さえている様子が見えた。
中央で平然としているファーストは、対象が沈黙したことを確認している。
「やはり冒険者の酒場は危険な場所のようですね」
ウィルはファーストに近づいて、倒れているマクワノを見ながら聞く。
「ファーストさんが無事でよかったけど、生きてるよね?」
ファーストは頷く。
「生きてはいます」
ウィルは、言い回しが気になったようでいぶかしげにファーストを見たが、何も触れずによしとしたようだ。
リリはなんとかなって良かったという雰囲気で、丸テーブルに視線を戻す。
空を走る光とキオットの陽ざしはどうにか状況を確認しようと目を瞬かせているが、よく見えないようで焦点があっていなかった。
(見ちゃったんだね。ただのカメラのフラッシュのはずだけど、薄暗いから結構効いたのかな?)
リリは店内の照明として光っている石を眺める。
テーブルからぼやく声が聞こえる。
「……閃光なんて聞いてないよ」
「……不覚」
「……今のはやばかったな」
「……まだはっきり見えません」
モスカが目を揉みながら言う。
「リリさんは平気?」
「私は平気だよ」
モスカは、なら良かったと笑い、立ち上がって言う。
「私達も、もっと頑張らないとね」
モスカは入口の方に歩いて行った。
リリは、モスカがファーストに謝っているのを見て、この件はファーストに任せることにする。椅子に座って、さっきまで飲んでいたお酒を手に取った。
キオットの陽ざしの3人は、はぁー、とため息をつく。
「モスカ絶対特訓するつもりだよ」
「目がチカチカするまでやる」
「回復魔法で治るといいのですが」
回復魔法と聞いて、目を揉みながらルティナが言う。
「ヒール使ってみますね。〈回復〉、……見え方にはあまり効果ないみたいです。でもスッキリはしました」
メガネをくいっと上げてポコロも言う。
「では私も〈回復〉、……! これは教会に報告が必要なようですね。このような小さな不調まで治せるようになっているなんて、さすがです!」
ポコロは虚空に向かってありがとうございます、と祈っている。
エルニアがやれやれという雰囲気で言う。
「ポコロー、ありがたいのは分かるけど、見え方が治ってないならそこまで考えてないんじゃない? 閃光に対応する魔法もどこかにあるかもしれないし」
「むむ、確かに洞窟で閃光を放ってくる魔物がいるという話はありますし、それに対応する魔法があるならヒールにそんな効果はない気も……」
ポコロはハッと目も口も見開いて、気づいたように羽ばたく。
「いえ、そんな効果はなかったとしても効果が出てしまっている。つまりこれは愛の深さ!」
ポコロはまた、今度は立ち上がってから、虚空に向かってありがとうございます! と祈っている。
同じテーブルの面々はまあ、いっか、というように放置し始めた。
リリはこれが素なのか気になったので聞く。
「ポコロさんて酔っ払ってるの?」
キオットの陽ざしの3人はリリを見て面白そうに笑う。
「私は酔ってないですよ。ポッポー」
「ちょっとは酔ってるだろうね」
「素でもたまに暴走する」
空を走る光は目を合わせてから、ダグが言う。
「リリさん、俺達を呼び捨てなんだから全員呼び捨てにしようぜ」
「えー」
リリは距離感がバグってる人になると思った。
リリの後ろから声がかかる。
「リリさん、私達はそれで構わないわよ」
「俺たちを呼び捨てにするなら、全員やってくれよな、リリ様」
リリは、そうは呼ばないだろうと思う人の声が聞こえて後ろを振り返った。
モスカとマクワノは、リリが驚いているのを見て笑っている。
ファーストは満足そうだ。
ウィルはリリに同情するような視線を向けている。
リリは一部始終を見ていたはずのウィルに聞く。
「なんで様呼びになったの?」
ウィルは少し言いよどんだ。
「……マクワノがリリさんのことを呼び捨てで呼んだんだよ。それを聞いたファーストさんがマクワノに、私が勝ったからこれからはリリ様と呼ぶようにって」
「それで言うこと聞いちゃったの……」
マクワノは笑ってリリに言う。
「俺に勝った奴の言うことだからな。それにしても俺のことを呼び捨てにして、俺が様をつけて呼ぶなんて、すげー目でみられそうだな」
マクワノは、はっはっはっと豪快に笑う。
テーブルにいた面々は、マクワノに言われたら終わりだねーとお酒を飲んでいる。
リリは呼ばれ方については、ファーストが満足そうなのでいいということにして聞く。
「一応聞いておきたいんだけど、全員呼び捨てってどこまでを含めてる?」
「あら、誰か呼びにくい人でもいたの?」
リリは、ちょっと考えてぼかす。
「すごそうな役職持ってる人って呼びにくくない?」
全員が、リリが今日あった人はと考えるような顔をする。
モスカは分かったと笑う。
「ランカルちゃんね」
モスカがギルド長をちゃん呼びしたので、リリはその呼び方はと視線を向ける。
キオットの陽ざしが、ふふっと笑う。
「ランカルちゃんは迫力あるよね」
「ランカルちゃんは呼び捨てできないかも」
「くくっ、俺もランカルちゃんって呼ぶか」
「ホッホー。私達もランカルちゃんは呼び捨てできてませんから、一緒ですね」
モスカが笑顔でリリに、一緒にどう? と聞いてくる。
リリはキオットの陽ざしは直接会っても言いそうだと思った。
「ランカルちゃん呼びは前向きに検討するよ」
リリの言葉に冒険者達が笑っている。
リリは、もうそれでもいいかなという気分になった。




