旅の始まりと魚の骨
物語ならば第1巻の扉を開いたところだろう。
昨日のうちに旅支度も終えた。
ギルドに来たら、思ったよりもたくさんの物資を準備してくれていた。
シエンタは本当に申し訳ないと思っていたのだろう。
そして、その意見がギルド内で通るだけの信用があるのだろう。
彼女の信用を裏切ってはいけない。
「もう行かれますか?」
シエンタが、ギルドの建物の前まで見送りに来てくれた。
「ああ、行ってくるよ」
「くれぐれも村長のサインをもらってきてくださいね。それが村に行ったエビデンスになりますから。」
「ああ、分かったよ。行ってきます」
「はい!お気をつけて!」
俺の旅の物語が始まった。
はい!王都から6番目の街「アバロン」に来ましたー。
ここまでは来たことがあった。
ルーラで飛んできたので、一瞬だった。
盛り上がりも何もあったもんじゃない。
距離的にも半分くらいは来ただろう。
500kmから600kmは飛んだな。
でも、ここから先は行ったことがない。
俺がこの依頼を受けた理由の一つだ。
俺の記憶の欠落した1巻から3巻があるかもしれない。
手掛かりくらいはあるかもしれない。
それを探す旅でもある。
そういえば、王都ではシエンタが「条件」が足したよな。
最初は「様子を見に行くこと」だけだったのに、「村長にサインをもらってくる」と。
俺がどんなに速く帰ってきても、ちゃんと話が通るように「エビデンス提出」が達成条件にしてくれたのかも知れない。
シエンタのやさしさかな。
こんなのすぐに思いつくはずがない。
その時は気付かないけれど、後になってなんでもない時に気付く。
その瞬間は判断を他人に任せられるのってその人を信じているから。
信じられる人っていいな。
少し気持ち的に盛り上げようと思って、色々言ってみたが、俺の旅は盛り上がらない。
今いる街「アバロン」には入らず、進行方向の西に向かう。
どうもこれからは山だ。
しかもかなり険しい。
普通は、アバロンに着いたらこの山に心が折れる。
数日体力を回復してから山に入るのだ。
俺の場合は、山の山頂を見てそこに飛んだ。
割と険しいから、登るのにも2日くらいかかるのが普通かな。
魔物が出たら3日とか4日とか?
俺の場合は一瞬だから感動も何もない。
しかも、山頂に上ったら見晴らしがいいから10kmは先が見えるようになる。
普通に平地を歩いていたら、見晴らしがよくても2km位先くらいしか見えないらしい。
2kmごとにルーラを使っていたら、いくら何でも疲れてしまう。
普通の冒険者が嫌う山越えは俺にとっては楽なので全然嫌いじゃない。
山越えの次は、さっき言った平地が続くみたい。
こんな時は、上を見て、可能な限り上空に飛ぶ。
落ちている間は怖いけど、出来るだけ遠くを見て、次はそこに飛ぶ。
休憩しながら進んでも1日で楽に100kmは進むだろう。
目標は全部で1200km。
最初に500km飛んだとして、1日目は100km飛び、少なくとも半分は超えた。
トラブルがなければ、1週間ほどで目的の村につく計算だ。
今日は行く手に大き目の池があった。
湖と言うには小さいし、池と言うには大きい。
周囲に人は住んでいないので、この水を生活用水に使っている感じではない。
結構濁っているから飲む人もいないだろうけど。
よく分からないけど、そのまま飲み続けたら病気になりそう。
そこで、ストレージだ。
この「水」を吸い上げる。
収納する物は意図的に選ぶことができる。
水を吸い上げると、水だけが吸い上がる。
つまり、池が濁っている不純物の部分はそこに残しておける。
俺が必要な水だけをストレージに入れることができるのだ。
そして、確認して問題なければ、俺の飲み水になる。
普通水を飲むときは、王都でも煮沸してから飲むが、天然水は条件がいいところの場合そのまま飲むことができる場合がある。
成分が違うのか、理由は分からないけれど、天然水の方がおいしいことが多い。
外で飲むから気分の問題か、おいしい成分が入っているのかは分からないけれど、俺は天然水が好きだ。
結構な量があったので、今日は割と時間を食った。
まあ、貴重な水が手に入ったからロスだとは思わない。
夜は広い場所を見つける。
そこに、収納魔法で納めた小屋を出して寝泊まりする。
俺は「野営小屋」と呼んでいる。
普通はテントとかを出すのだけれど、テントで寝るのは苦手だ。
寝てると背中が痛くなる。
クッションも試してみたけどいまいちだし、虫がいるし、夏は暑いし、冬は寒い。
俺は最低でもこの小屋生活くらいしかできない。
野営小屋は俺が野営するためだけに作ったもので、1DKで風呂トイレ別だ。
なぜか職人に「1DK」が通じなかったので、簡単な図面を書いて建ててもらった特別製だ。
魔法を使って水もお湯も出るので、一度使い始めたら戻ることができない。
話し相手もいないし、俺は黙って野営小屋をストレージから取り出し、少し開けたところに「野営小屋」を出した。
部屋の中は適度な温度だし、片付いている。
キッチンもあるので、ほぼ普段通りの環境で料理をして、テーブルについてゆっくりご飯が食べられる。
寝るときはもちろんベッドだ。
「野営小屋」には窓もあるので、暑い時は開ければいいし、防犯上心配な場所では閉めることも出来る。
快適だ。
俺は食事をとり、風呂に入り、ベッドに横になると、日課の「本」を開いた。
「俺の本」だ。
ストレージから俺の本を取り出すと、静かに開いた。
俺の記憶したことが書かれている。
ある意味「自動日記」のような物だ。
進み具合から1冊で10年くらいらしい。
1巻から3巻までが失われて、現在4巻目という事は、俺は40代なのかもしれない。
「異世界おじさんはチートで・・・」って感じだろうか。
ただ、俺は記憶がない。
本も相当量読んでいるみたいだから、覚えている記憶も自分の物なのか、物語を覚えているのかも定かではない。
今の生活に不満はないし、色々なチート能力のお陰で経済的にもあまり困っていない。
パーティーは組みにくい。
俺のチート能力のお陰でもめ事になることもあった。
そんな時は、別の街に行かないといけないこともあり、流れ流れて現在の王都だ。
今は誰にも能力については話していない。
平和だし、注意さえしていればトラブルもない。
ただ、俺には記憶がない。
今あまり困っていないのだから、未来のことだけを考えて、4巻、5巻と俺の物語を進めてもいいのだろう。
ただ、何か引っかかるのだ。
大事な何かを忘れているような・・・
喉に引っかかった魚の骨。
特に痛くないし、引っかかったままでも息もできる。
ただ、違和感はずっとある。
出来ればこの骨を外したい。
ただ、俺の骨はどこに引っかかっているのか分からない。
ばたぐるって求め続けるしかないのだろう。
いつか俺が死ぬとき、いまわの際で思うだろう。
何もしなかったら、「あの時できる限りのことをしておけば」と思う。
きっと俺の1巻には、俺の名前も書かれているはず。
俺は自分の名前を知らない。
だから「ジョン・ドウ」と名乗ってる。
確か身元不明者の仮の名前だ。
俺はどこで生まれて、どんな生活をしていたのか。
自分のルーツを知りたいと言うのは、自然な欲求なのかもしれない。
チート能力のお陰で、野営中でもほぼいつもと同じ生活ができる。
静かに眠りに落ちて行った。