主人公には名前がない、記憶もない
■主人公には名前がない、記憶もない
「もらった―!」
その叫び声と共に魔王軍の大将の爪が俺に向かって突かれた。
狙いは俺の頭みたいだ。
いや、みたいだった。
そう、過去形だ。
後ろからの不意打ちだったので、気付かなかった。
ただ、今は静寂が周囲を包んでいる。
魔王軍の大将は長い爪を俺の頭に向けたところで止まっている。
目の間には、応援と思われる魔物が100体以上見える。
ここは洞窟の中。
俺が魔物討伐のために奥に進んでいる時に、目の前を遮る壁が現れた。
そこで足を止めた瞬間だと思う。
後ろから魔王軍の大将に爪で頭をズドン・・・と言う作戦だったみたいだ。
俺は時を止める能力があるらしい。
俺の知っている本なら、時は停められても5秒とかそのくらい。
だが、俺はいくらでも止めておけるようだ。
時を止めると言っても、今回みたいに不意打ちだったら普通は避けられない。
だが、俺にはもう一つ能力がある。
今回みたいに不意打ちで殺された場合、自動的に時を止めて、5秒か10秒か時を戻すことができる。
時が止まっている中だし、俺自身殺された時なので、5秒なのか10秒なのかわかるすべはないけれど、その位の時間は戻っているようだ。
俺の知っている本なら、「時を吹き飛ばす能力」なのかもしれない。
残るのは結果だけのはず。
今も、恐らく魔王軍の大将に頭を貫かれたのだと思う。
しかし、数秒戻り、時が止まった状態と言うわけだ。
洞窟の中で、前方に魔物達が100体以上いるし、後ろには魔王軍の対処がいるのだけれど、周囲は静寂が支配していた。
時が止まった世界の中では俺だけが動ける。
そして、俺が動けと思うまで止まり続けている。
思えば時は動き出すが、自分の中で区切りをつける意味で指を鳴らしている。
指がパチンと鳴ると時が動き出す。
普通、物語は俺の名前の紹介から始まって、ここがどこなのか、俺は何を目指して、何と戦っているのか、その辺りの紹介から始まるだろう。
ところが、俺にはそれがない。
つまり、記憶がないのだ。
本で言うなら1巻から3巻くらいまでがない。
何が起きたのか分からないが、ぽっかり抜け落ちている。
名前はないと呼ばれるときに困ることがある。
だから、「ジョン・ドウ」と名乗っている。
自分一人では名前は特に必要ないけれど、生きていれば周囲の人間と関わらないといけないこともある。
そう、生きている。
だから、不便はあったが試行錯誤はした。
結果、俺には能力があることが分かった。
読んだ本や聞いた物語の情報を取り込むことができるらしい。
そして、その本や物語の能力を使うことができる。
この「時を止める能力」や「時を戻す能力」は昔読んだ本の能力らしい。
なぜ、記憶がない中、俺のことを長々と解説したかと言うと、この「本の情報を取り込む能力」が重要なのだ。
本の情報を取り込むだけではなく、そこからものを具現化させることができる。
俺は右こぶしを高らかに挙げた。
そして、能力を発動。
次の瞬間には、日本刀を握っている。
日本刀の名前は「おにぎり丸」。
ちょっとかわいい名前だけど、それが名前なのだからしょうがない。
俺はおにぎり丸を構えた。
この魔王軍の大将には恨みはないが、王都ではこいつの放つ魔物で困っている。
困りごとを解決するのが冒険者の務めと言うものだ。
そう、俺は冒険者だ。
冒険者は魔物を倒し、王都の人を助けるもの。
「パチン」
俺の指が鳴った。
次に時が動き出すときは、100体以上の魔物と魔王軍の大将は首をはねられていた。
彼らは何が起きたか分からないままに逝っただろう。
せめてもの情けだ。
魔物たちの死体は、王都で役に立つ。
それら全てを俺のストレージに収めた。
俺の知っている本なら、生き物以外はストレージに保存することができる。
「収納魔法」ってやつだろう。
収納している間は劣化がないので、生ものの収納も困らない。
とても便利だ。
さて、仕事も終わった。
残業しなくてよかった。