76・優しい物語
side:エルディアナ
「お母様、今日は良いお天気ですよ」
微風がレースのカーテンをふわりと翻す。
7月に入って気温が上がり、日向に出れば汗ばむ季節になった。
緑が濃くなり、そこかしこから鳥の囀りが音楽のように耳を擽る。
「今日は久しぶりに街にお買い物に行ってまいります。楽しみにしていた本が発売されるのです。お母様も楽しみでしょう?」
部屋の書棚には沢山の本が並んでいる。母は本が好きなのだ。
母の本好きは娘の私にも遺伝したのか、私も本を読むのは好きで落ち着く。
これまで沢山の本を読んできた。けれど今はそれまで読まなかった物語が綴られた書物を好むようになったのだ。
王子様とお姫様のラブロマンス。騎士と姫の禁断の恋。友人同士の旅の珍道中。義賊と令嬢の駆け引き。…面白いかも、と思ったものはジャンルを問わず読んでいる。
物語など架空の話で読む意味など無いと思っていた私。けれどあの子とのお話の種になれば、そう思って読み始めたのだけれど、存外面白かったのだ。
それもこれも、私の話を笑顔で楽しそうに聞いてくれるあの子、ラピスのおかげだ。
「お母様にも私の大切なお友達をいつかご紹介しますわね。とても可愛らしくて、まるでおひさまのような子なのです」
ラピスの笑顔を思い出して自然と頬が緩む。
「それでは行ってまいります、お母様」
一礼し、部屋を出る前にもう一度母を振り返った。
窓から吹き込んだ微風が寝台の上の母の髪を揺らす。
『いってらっしゃい』
そんな声が聞こえた気がした。
「お目当ての物は見つかりましたか?」
「ええ。待ちに待った新刊ですもの」
胸に抱き締めた本は最近市井で流行り始めた物語の続編だ。
完全なフィクションものだけど思いの外面白かったので楽しみにしていた。
もう一人の護衛、ゴートに本を手渡し、会計を済ませてもらう。
貴族ならその場で会計を済ませず屋敷にまで足を運んでもらい支払う者が多いけれど、たった一冊の本のために足を運んでもらうのは気の毒だもの。その時々に支払いを済ませる方が店側も楽で良いと私は思っている。
「テオドールは本は読まないの?」
「そうですね…最近は読んでませんね。お嬢様のお薦めがあれば教えてください」
テオドールは並ぶ本をサッと眺めた後そう言って口角を僅かに上げた。
確かに護衛と言う職業柄、ゆっくりと本を読むのは休日くらいのものだろう。今度軽く読めて面白いものを貸してあげましょう。
「私が読んで面白いものが貴方にとって面白いかは解らないけれど、見つけたら是非お薦めするわね」
「はい」
他にも面白そうな本はないかしら…?
スーッと書棚を視線で流し見していると、ふと一冊の本が目に止まる。
濃く透き通るような青い背表紙に、縁の金糸が目を引いた。
手に取り本をくるりと一周して装丁を見る。綺麗な青い布張りの本は縁を金糸で囲むように美しい作りだが派手ではなく、寧ろ静かな美しさを醸し出していた。
「…これは…異国の文字かしら…?」
スッと指先でなぞったタイトルは私の記憶にはない文字だ。
それならば中身も読めないかもしれない。そう思ったが表紙を捲ってみた。
遊び紙を捲る。中表紙のタイトルはやはり読めず、しかしそのタイトルの下には馴染みのある文字が書かれていた。
─『最愛の友、◯に捧ぐ』─
「最愛の、友…」
そう綴られていたけれど、その友の名前がまたしても読めない文字だった。まるで複雑な記号のようなその文字が恐らくこの作者の指す友の名前なのだろうけれど、読めない。
けれど最愛の友に捧ぐと書かれたその本には優しさが溢れている気がして、気になり次のページを捲った。
「…良かった…読めるわ」
パラパラと軽く中身を確認して安堵の息を吐く。
どうやら内容としては物語のようだ。
「テオドール、この本も買うわ」
テオドールにその本を手渡すと彼は何故か一瞬瞠目したまま本を見詰めた。
「どうかした?」
「…ぁ、いえ…。本の色味がラピスみたいだと思いまして」
そう言うとテオドールは思い出したかのように口角を綻ばせる。
言われてみれば確かにテオドールの言う通りだと思った。だけど─。
「ラピスの瞳はもっと美しいわ」
そう。ラピスの瞳の方が美しい。
その本も確かに美しいけれど、ラピスのあのキラキラと輝く瞳には敵わない。自信を持ってはっきりと言えるわ。
「ふふ…っ、確かに…」
そんな私の答えにテオドールはくつくつと笑った。
「もうすぐ視察ですね。勿論お嬢様も行かれるのでしょう?」
本屋を出た私達は最近人気の菓子店へ向かっていた。その道すがらテオドールが問う。
「当たり前じゃないの。今からとても楽しみだわ」
ラピスに会えるのは勿論、領地を回って人々の暮らしを把握し声を聞くことも楽しみのひとつだ。
直接話すことはなくても噂話やちょっとした季節の出来事などに耳を傾けるのも大切だとお父様は教えてくれた。噂話も馬鹿には出来ないものだよ、と悪戯な表情で笑うお父様を思い出す。
「そう言えば先日おじさまから届いたお手紙では、何だかラピスが大活躍しているそうよ?」
「わぁ…」
テオドールの表情が「何をやらかしたんだろう」と笑顔のまま引き攣る。それがおかしくて私は吹き出してしまった。
屋敷へ向かう馬車の中、私は今日手に入れた本を手に取る。
楽しみにしていた続編ともう一冊。青い装丁のその本はやはりタイトルが読めない。
私には解らない文字だけれど、お父様なら知っているかしら?
お父様がお帰りになったら聞いてみましょう。
この本を買うとき、店の主人が言っていた言葉を思い出す。
─『その本は何処かのご令嬢が書かれたそうですよ。ただタイトルは読めませんし、自費出版らしいので少々値が張りましてね…』─
要は買い手がつかなくて困っていたのだろう。
これだけ美しい作りの本ならば読まずともインテリアとして買う貴族も居そうなものだけど、どうやら綺羅びやかなご趣味の貴族の審美眼には引っ掛からなかったようだ。
まぁそのお陰で私の手元にあるのだから、それも僥倖と言えるだろう。
さらりとした手触りの表紙を捲り、文字に目を走らせる。
物語の主人公は気弱な女の子。その女の子が一人の少女に出会う事から始まるお話だった。
読み進める間、無意識に笑みを浮かべてしまう…そんな優しい物語に私は夢中になる。
一気に読んでしまっては勿体無い気がして、帰ってからの楽しみだと自分に言い聞かせ、私はそっと本を閉じた。
と言う訳で今までまっったく一文字も登場しなかったエルナたんのママンが初登場しました笑
あぁ…五月がもうすぐ終わってしまう…_ノ乙(、ン、)_
誤字、脱字がありましたらお知らせください(*^^*)
当方アホなので度々解釈違いの誤字もあるかと思いますので…(・・;)
ブクマ&評価ありがとうございます(*´ω`*)




