4・違う、そうじゃない
「ふンぬばぁーー!!」
バコン!と音を立てた大きな岩が粉砕する。
身長の三倍はあるだろう大岩は私の拳により見事に木っ端微塵に弾け飛んだ。
「おっし!!今日も快調!」
─あれから一年。
私は毎日取り憑かれたようにトレーニングに明け暮れた。さすがに10㎞走れる場所は目立つので見付からず、お隣の辺境伯様の領土の境目にある山まで毎朝走り、そしてそこでトレーニングをしてお昼ご飯にはまた走って帰り、午後からは教会の図書室でお勉強。そんな生活を一年続けていた。
毎日魔力量の底上げのため瞑想だって欠かさない。雨が降ろうが雪が降ろうが私は修行僧の如く励んだ。そのお陰か豆粒はバランスボールくらいには上がったよ!私凄い!
修行を半年くらい続けていたある日、ふと気が付いた。
─あれ?私格闘家になるんだっけ?
違う、そうじゃない!何か足らないと思ったら剣だよ、剣!私ずっと素手であれこれやってた。このままじゃただのメスゴリラになってしまう!
慌てた私は父の短剣を借り、剣の特訓をすることにした。しかし教えてくれる人も居ないし困ってしまう。そこで目に留まったのは辺境伯様の領地にある軍隊だった。
辺境伯様の領地は魔の森と呼ばれるモンスターが発生するとても危険な場所があるので領内に軍隊が置かれている。高い塀に囲まれたお屋敷の中にある訓練場はこの山から見下ろすことができ、ロベルトから借りた望遠鏡で訓練を覗きつつ、剣の稽古も頑張った。
そして体力も付き魔法も扱え、剣だってそれなりに使えるようになった。この山の付近には魔の森から出てきたモンスターがそこそこウロウロしているので戦闘で実証済みだ。
勿論二ヶ月に一度のランデブーも欠かさない。この一年でエルナたんとはとっても仲良しになり、最近では笑顔も見せてくれるようになったのだ。初めて微笑みかけてくれたときは鼻血が出そうになり、エルナたんには大層心配された。
「エルナたぁーーん!」
今日は待ちに待った公爵様視察の日。公爵様の視察はいつも午前中なので、山での修行は午後に変更した。
馬車から降りてきたエルナたんに大きく手を振って駆け寄る。今はまだ私が子供だからこんな風に公爵令嬢のエルナたんに馴れ馴れしくしてても何も言われないだろうけど、大人の眼は何か失礼なことをしないかとヒヤヒヤしている。
そろそろ甘えるのも控えなきゃかなぁ。
「ラピス!久しぶりね。今日はラピスにお土産があるのよ」
そう言ってふわりと微笑んだエルナたんは私の頭を撫でてくれた。
ここ一年でエルナたんは身長が伸びて、私は追い抜かれてしまった。拳一個ぶんは違う。そのせいなのかエルナたんは私をひどく小さい子扱いするようになった。まぁそりゃたまに噛むけどさ。同じ年なのにぃ~。
「今日はチョコよ」
「ちょこぉ~!!」
この世界では庶民にチョコレートは嗜好品で、めったに食べられない。何ヵ月か前にこの世界で初めてチョコを食べたとき私がとても美味しいと言ったことを覚えてくれていたようだ。
「ほら、座って」
「うん!」
いつも通り噴水の縁に並んで腰掛ける。
執事のおじさんが布に包まれた物をエルナたんに差し出すと、それをそのまま私の膝に置いて布を開いた。
出てきたのは綺麗な化粧箱でもうそれだけでお高そうな感じだ。箱を開けるとまるで宝石のように艶々したチョコが綺麗に並んでいた。
「はい、あーん」
そのひとつを摘まみ、エルナたんが私の口許へ運ぶ。なんと言うご褒美。鼻血が出そうです!
「あ~んっ」
パクリとそれを口に含み味わうようにモゴモゴする。口腔内の温度でじんわりと溶けだしたチョコの中にイチゴのジャムが入っていた。ちょっと味は違うけど、前世で食べたミルクチョコとイチゴチョコの二層に別れた三角のアレを思い出す。
「おいしぃ~!」
ほっぺが落ちそう。思わず両手で頬を包んだ。
「ふふふ。ラピスが喜んでくれて私も嬉しいわ」
まるで薔薇の蕾が綻ぶ様なふわりとした微笑みに、私も回りにいる護衛の人も頬を緩める。
「はい、エルナたんも、あ~ん」
「まぁ、私にも?…ラピスは優しいのね」
エルナたんの可愛いお口がチョコを含む瞬間ちょっぴり指が唇に触れた。もうそれだけで今晩のご飯三杯はいけそうなきがする。
もう今日は手を洗わないっ。
…っと、危うく戻ってこれない場所まで昇天しかけた。危ない危ない。
「あのね、チョコ…少し持って帰ってもいいかなぁ?お父さんとお母さんとお兄ちゃんにも食べさせてあげたいの」
「勿論よ。これはラピスに貰ってほしくて持ってきた物だもの」
「やったぁ~!ありがとう、エルナたん」
ハンカチを広げでチョコを包もうとするとエルナたんは少し驚いた顔をして「このまま持って帰ればいいわ」と、綺麗な箱ごと私に渡してくれた。
私達の逢瀬はほんの一時間程度。一時間なんてあっという間で、いつも別れ際がとても寂しい。
なので必然的に私の顔が大変なことになる。
ほんの僅かとは言え、推しとのお別れとは辛いものだ。
「ぶぇ~ん!エ゛ル゛ナ゛だぁ゛~ん゛!」
「あぁ…もう。そんなに泣かないで、ラピス」
涙と鼻水でぐちょぐちょの顔を優しくハンカチで拭ってくれる。鼻が詰まっていてハンカチの匂いがほんの少ししかわからないけど、お花の香りがした。くんかくんか。
「また絶対に来るわ。だから泣かないで、ね?」
「ほんと…?」
「ええ、勿論よ。次は6が…つ…」
「エルナたん…?」
急に言葉に詰まったように視線を下に向けたエルナたんが、ハンカチを握り締めたまま少し震えていることに気がついた。
「─な、何でもないわ…。次に会えるのは6月ね。じゃぁまたね、ラピス」
「…?」
それから程なくして公爵様とエルナたんを乗せた馬車は出発した。
私はと言えば最後に見せたエルナたんの表情が気になる。
─何か引っ掛かる。嫌な予感がする。でもなんだろう…?
理由の見付からないモヤモヤした気持ちのまま、私は渡されたお土産の箱を胸に抱いて家路についた。
家に帰った私はお昼ご飯を食べてから修行着に着替えて短剣を装備していつもの場所へと向かった。
一年間ずっと走り続けてきた道なので迷うことはない。道なき道を走り抜ける。
辿り着いた山頂から辺境伯様のお屋敷を見下ろしていると視界の橋に見覚えのある馬車が見えた。
「あれ…?あの馬車って…」
見間違えるはずない。だってついさっき別れたばかりだもん。
あれはエルナたんの乗ってる馬車だ。
6月までまた会えないのかぁ…と溜め息が出る。そしてふとエルナたんが言っていた言葉を思い出して背筋が凍った。
「待って…今6歳で今4月で…!」
─『次に会えるのは6月ね』─
小さく震えてたあの時の彼女の言葉。あれは──。
「間違いない!今日だ!」
私は慌てて馬車の方角へと山を駆け降りた。
心臓が嫌な感じでどくどく脈打っている。焦るなと言い聞かせ足を動かした。
「大丈夫、まだ追い付ける!」
そう。今日はエルナたんにとって6歳の4月。
─視察の最後、辺境伯様に会いに行く途中、公爵様とエルナたんの乗った馬車が盗賊に襲われるのだ。
小説では護衛はほぼ全滅し、残った執事のおじさんがエルナたんを庇って重症を負い数日後に亡くなる。
直ぐに辺境伯様が助けに来てくれたが盗賊は散り散りに逃げて捕まらず、どうにか公爵様とエルナたんは無事だったものの、心に深い傷を負った彼女は不眠になり体調を崩しがちになってしまう。そのせいで小説の中ではエルナたんは病弱と言われていた。
「小説通りになんてさせない!」
絶対に悲しい顔になんてさせたくない。
彼女が笑顔になる未来のため、私は一秒も立ち止まらずに転げ落ちる勢いで山を駆け抜けた。
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