表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

6.『今、帰るべき場所』

 五月五日、決戦前日の夜。雲がほとんどない月夜。

 私は空を飛んでいた。魔力で出来た白い翼を広げ、移動中の戦艦の甲板の上から月夜に舞っていたのだ。

 自分以外に何も感じない世界。夜風が気持ちいい。

 こんな時間に空を飛んでいるのは単純に眠れないからだ。眠れない理由を上げればいくつかある。今は、それ以上に単身で空を飛ぶのを楽しんでいた。跳ねるより長く、落ちるより自由に、身体が空を泳ぐ。ただ一つ難点を上げるとすれば、離陸が上手く出来ずに風を掴むまでに時間が掛かってしまうことぐらいだ。

 私が甲板に戻ると、ジンが寝転んで星をみていた。

 先ほどまで、私を連れ戻しにきたイヴと話をしていた。けれど既にイヴの姿はみえない。

「アイリス。もういいのか?」とジンが確認してきた。

「大丈夫」と私は返し、「イヴはどうしたの?」と聞き返した。

「しょうもないこといってたから、体験談ぶちまけたら怒って戻った」

「しようもないこと?」

 私の言葉に、ジンは寝転びながら器用に後頭部を掻く。

「俺に、私の戦果を期待しろ、だと。そんなものより生きて戻ってこい。戦果を気にする奴は早死にするから、お前らは気にするな。っていったら、子供扱いするな、だとよ」

「それは言い方が悪い」

「そうだな」

 とジンは認める。そして続ける。

「だけどな。お前ら戦乙女は過去の後悔を正す為に生きている。そんなもんはな、呪いだ。人は自分の選択を後悔したら駄目なんだ。後悔しないように選択をするんだ。失敗はある。妥協もあるだろう。反省は一番望んだ選択肢を選べなかったことであって、それを後悔していたら、余計に後悔する結果を選ぶことになる」

 ジンの顔から眼を背け、

「あなたはそうやって生きてきたの?」と私は少し考えた後に訊ねた。

「いや、俺はそうやって生きてこられなかったから、ここにいるんだろうな」

 とジンは答えた。

「私は祈りだと思う」

「祈り?」

 ジンは不思議そうに聞き返してくる。

「そう。戦乙女の行動理由は祈り。楽しく生きること。誰かに優しくすること、されること。誰かの為に立ち上がれる人になること。勿論、度を過ぎれば、それは呪いって言葉が正しいのかも知れない。だけど、それは悪いことじゃないから」

 私の言葉を聞き終えると、ジンは起き上がり、

「雲が出てきたな。お前も雨に打たれないうちにササッと艦内に戻れ」

と答えを返す代わりにいった。彼はこれ以上、その話題に触れる気はないようだ。彼の中で答えが出たのかも、あるいは出かけているのかも知れない。それを問いただすほど、私は野暮になりたくはない。

「分かった。おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 とジンが返してきた。

 私は雲に隠れていく空を眺めるジンを残して甲板を後にした。



 雷鬼との邂逅の前まで時間は進む。

 ジンが本陣のテントを出て戦場を眺め、指示を出し終えた時だ。

「アーサー師団長。少し気になっていたんだが、イヴをお嬢って呼ぶのは、なんでだ?」

 隣に立って、通信機で小隊の状況を確認し終えたアーサーに声を掛ける。

「それは昔、厄介になっていた恩人がおるんですが、その後ろをついて回っていた時からの縁で、お嬢呼びが癖になってしまいましてね」

 ははは、とアーサーは笑ってみせる。昔を懐かしむように目を細めた。

「お嬢は姐さんの無茶を代わりに行おうとしているんでしょうな…」

 アーサーの口をついて出た言葉に、ジンは少し興味が湧いた。

「その恩人、姐さんって奴は何をしようとしていたんだ」

「いや、なに。大それたことじゃないんですがね、ヴァニルと戦乙女が手を取り合って、戦うなんて話ですわ」

「それは……」

 おかしい。そんなことすら出来ていないのか、と言いかけてジンは口をつぐむ。

「そうですね。多くのヴァニル兵は戦乙女と自分たちが別の存在であるから、戦果を上げるのは当然、強いのだから身体を張るのは当たり前ぐらいの認識しかしてやせんからな。

……酷い奴に至っては、使い捨ての兵器のような扱いなんですわ」

「酷い話だな」

「はい、酷い話ですわ」

 一滴、二滴と水滴が頭を叩く。彼らが空を見上げると、雨が降り始める。

「おい、機材が濡れねえようにシートでも被せろ。弾は湿らすなよ」

 雨に気付いたアーサーは感慨深さなど置き去りにして、咄嗟に部下に指示を飛ばす。

 その姿を眺めていたジンの目の端に、巨大な魔力がいくつかが空から降ってくるのを捉える。

「おい、アーサー師団長。ヴァニルの支援に魔力武装クラスの兵器はあるか」

「いや、そんな話は聞いてやせんし、そもそも、ヴァニルの獣人に魔力武装を使える奴はいないですからね」

 不思議そうな顔をみせたアーサーを傍目に、ジンは通信機を入れる。

 あの位置なら、距離的に近いのはイヴ。そう認識した瞬間に、無意識に指示をだそうとしていた。

しかし、ジンの思考に彼女の身の安全を優先すべきかなどという不必要な思案が湧いた。普段なら気に留めるまでもない、ほんの数分の思考だった。だが火の手が上がってから、ジンは指示を出すことになった。

 そんな思考の間に、雨は本降りに変わっていた。

 しかし彼は自問をやめることが出来ずにいる。

『気付いていた。気付かない振りをしていただけだ。イヴが存在意義を他人に求めていることを。世話焼きなんじゃない。世話を焼くことで、自分の存在を確かめているのだ。よくため息を吐くのは苦労性なんじゃない。他人を心配する立場に座ることで、支える立場を守っていただけだ。考えていないんじゃない。自分で思考しないことで、他人の意見を聞き入れるだけの存在として確立していただけだ。……それじゃ、ダメなんだ。他人の理想を叶えれば、必ず、イヴは死ぬ。特に、彼女が叶えようとしている望みは、そういう類いのものだ。……それを俺は知っている。そうだ、知っていたじゃないか』

 ジンがそこまで思い浮かべたところで、顔をまともに上げられない程の雨量でテントが崩れる。そこで意識が戦場に戻った。

 濡れた髪を掻き上げる。肌を刺すような狂気でやっと状況を認識した。

 厄介な事柄は続けて起きるものだ。

 空から降って来たのは、雨と寄生種雷鬼。

 視覚では、点としてしか認識できない筈のそれは、確かにジンをみていた。その視線は、まるで仇敵でもみつけたといわんばかりの怨念がこもっている。

「寄生種だ。撃ってくるぞ!」

 声を上げるが、誰もが、ぽかんと間の抜けた顔をみせる。

「どこから」

 ジンとアーサーとの情報共有の時間など待たずに、雷鬼は魔力の光線を放とうとしていた。視覚で捉えずとも、膨大な魔力の流れにジンの全神経が警告を鳴らすのだ。

 彼は思考がまとまる前に走り出した。

 被害を食い止めるなら、あの魔術砲撃を受け止めるしかない。雷鬼を倒すなら、ここ如何にして無傷で切り抜けるか、それが最優先だ。本陣には精神的に疲弊しているとはいえ、ローレンがいる。まだ使える戦力を失う訳にはいかないのだ。そう、例え、彼が彼自身の居心地のいい生温い居場所を捨て、シグルズという過去の英雄の身体を使った魔術兵器であると認めることになってもだ。

 だが、予定外の姿が彼の目に映る。

 イヴが射線に飛び込んだのだ。

 イヴの力量では抑え込むことなどできないことは分かるはずだと。あいつなら、我が身の可愛さなど切り捨ててしまうと。彼は理解した。理解して唇を噛み切った。

 イヴに直撃した光線は上に逸れた。けれど力尽きる。あるいは弾き飛ばされ、コントロールを失って、彼女が空から落ちてくると彼は直感した。

 強風が荒れ狂う中、落下地点に向かって全速力で駆け出す。誰よりも早く、私たちが飛ぶより早く。

 落下地点に付いた時には既に地面に叩きつけられた彼女をみつけて、彼の足が止まった。

 魔術兵器の恩恵を受けて、多少の衝撃に耐えられるようになっているとはいえ、緩和できる限界は越えていたのは、火を見るより明らかだった。

 ジンは首を横に振った。理解できなかったのだ。白い服を汚し、這いずってでも武器を取ろうとしてイヴの姿を。

「私がやるんだ。私が叶えるんだ。私がやり切るんだ。私が……」

 掠れて聞き取ることさえ至難な声。呪詛と言っても差し支えのない言葉が彼女の口から洩れていく。

「もういい! やめろ、イヴ!」と彼は叫んだ。

「ジン、そこにいるの? 肩を貸して、私があいつを倒すの。そしたら誰も傷つかなくて済むでしょ。私だって、自分で考えて動けるわ」

「違う! そうじゃない」

 イヴは静止の声など気にも留める様子はない。顔も上げることすらままならないのに、震える右腕をついて、立ち上がろうとする。

 限界を迎えていた右腕は鈍い音共に、ありえない方向に曲がり、彼女はまた地面にうつ伏せに崩れる。けれど、彼女は泣きごと一つ漏らすことなく、また地面を這い始める。

……それを彼は美しいと思ってしまった。彼自身理解することの出来ない感情である。

 綺麗な長い髪も泥だらけだ。右腕など目に入っただけで痛々しく、目を背けたくなる。大声で喚き散らしてくれた方が、諦めて横たわっていてくれた方が、恨み言の一つでも罵ってくれた方が、どれだけ彼の心を楽にしてくれるのだろう。彼はそう考えてしまった。

 彼女は這いずる手を止め、口を開く。それはまるで熱に浮かされた夢の話だ。

「ジン、私ね、夢があるの」

 やめろ、と言いかけて彼は言葉を飲む。その代わりに彼女の言葉に首を横に振った。

「誰もが、戦乙女、獣人や亜人なんて関係ない。日々を脅かされない、いつも笑って過ごせる世界を作るんだって」

 そんなものは夢物語だ。その言葉を彼は口にすることが出来なかった。

「そして大好きな世界で、大好きな人の隣に、ずっと私がいるの」

イヴの言葉。彼は理解した。

「だから、立ち上がらないといけないの」

 イヴこそが夢を捨てなかった彼である。現実を諦めきれなかった彼なのだと。まだ人を信じている彼自身なのだと。

「私の目指す夢。……なら私が、私自身が、今、この場で、誰かがならなければならない存在に。英雄にならなくて、誰がなるっていうの」

 グングニルがイヴの声に、意志に、呼応する。黄金の太陽のように強く輝きを増した。

 膝を立て、彼女は立ち上がる。

 彼女の手は顔を拭うすらおぼつかない。目を開けることすらままならない土で汚れた顔では、武器を見つけることすら叶わないだろう。

「コール…、ウエポン!」

 武器を呼ぶ彼女の声。

……だが、彼女の手に槍が収まることはなかった。

「……だったら」

 それも、そのはずだ。なぜなら、

「だったら、今は俺が、誰かがならなければならない存在になってやる。俺がお前たちを、お前を、英雄って奴になったら守れるのなら、今だけは英雄にだってなってやる」

 既に、彼の手の中にグングニルは収まっているのだから。



 イヴを救援に来たアーサーに任せ、彼は雷鬼の下に向かう。

 戦況は既に向こうに傾いている。新たなネイザルの姿も確認されている。

 寄生種が現れた時の対応は大まかに二パターン。一つは島からの排除、そしてもう一つ、島を放棄することだ。

 戦力が足りていない、この状況なら後者である。

 また、どちらにしても必要な戦力というものがある。寄生種は島から島の移動は可能であると、何件もの実例が報告されている。故に、今回の場合は島が崩落を開始し、雷鬼の落下を確認する為の足止めする戦力だ。

 そのためには崩落を開始する前に、それ以外の兵力である上陸部隊を撤退させなければならない。

「第一解放。降り注ぐ戦勝の星(プロトコルケラノウス)

 グングニルの刃が刀の姿を模倣し、槍は形を変え、薙刀と呼ぶべき姿に変形する。刃を宙へと突き上げ、黄金の魔力で投影した数多の刃を空に打ち上げる。

 数分もせずに、それらは地上に降り注ぐだろう。こんな方法で倒せるのは精々ネイザルまである。あくまで味方に当たらない高精度の火力支援、援護射撃だ。少なくとも、今の彼には全滅させる程の魔力はない。だが、撤退支援には十分なほど、グングニルにはイヴの魔力が残っている。

 そして彼の強靭かつ迅速な走りで、街道で戦っていた雷鬼と私の前に割って入ったのだ。

彼の背をみて、私は何も言わず撤退した。彼はそれを見送ることは出来なかった。彼がいくら強くても、それを許してくれる敵ではないのだ。

 雷鬼の身体の材質は鉱物というより、魔術兵器のそれである。硬度や関節部の動きをみる限り、全身灰色の精霊石で出来ているといわれても驚きはない。私たちの実力では時間を稼ぐ、傷を付けるのが精一杯だろう。

 無論、彼も「撃破しろ」と言われたら、「無理だ」と即答するだろう。

 歩兵単騎で戦車を破壊しろと言っているようなものだ。そんな事が出来るなら、戦場に戦車の概念は消え失せているだろうことは容易に想像につく。

しかし、それでも戦わなければならないのだ。

 それが約束であり、使命であり、彼が選んだ道だ。例え、手足がもげようと心が折れることは許されない。当然、彼に勝算がないわけではない。雷鬼の甲殻と見間違わんばかりの皮膚。精霊石と同じ性質のものであるなら、砕くことは可能なのである。

 理由は二つ。

 まず魔力が流れていない精霊石は、硬度は高いが強度が低い。ダイヤモンドをカットするのと同じ原理だ。ただ硬いものは必ず歪みが生まれる。故に、その歪みに強い衝撃を与える事で破壊する、乖離させることが可能であること。

 もう一つ。それは、それぞれの魔術兵器には、対魔術兵器能力があることだ。

 しかし、これには大量の魔力を消費する。残っているイヴの魔力を合わせても、彼には撃てて一発といったところだ。

 そして、その勝算を使って目的である時間を稼ぐ。それが一番、生存の可能性をあげる方法だ。

 雷鬼は小さく唸る。

 ジンは向かいあった数瞬で数多の時間稼ぎのパターンを想定する。条件は撤退完了までの残り時間。ジン自身の魔力を含めた残りの体力。そして今、持てる必殺になりうる技の手札の数だ。

 思考が一定、もしくは格下の動きしかできない相手なら、ルーチンを組めば時間稼ぎは容易だろう。

 だが、これはゲームではない。動きは想定しても、それが確定させられるなど、おとぎ話だ。また、魔力で強化されているとはいえ、人間の反応速度など限界がある。見てから動くというのは不可能である。繰り返し自分に刻んだ動き、あるいは既に想定していた動きの、どちらかを常に選び続けなければいけない。

 故に、動き出したときに勝敗とは決まっているのである。

 先に動いたのは、雷鬼だ。

 ジンが先に動くという選択肢もあったが、人が最大限動き続けられる時間など五分程度だ。先に動くというのは必殺の手札を見せるということ。わざわざ、危険を冒してまで少ない手札を見せてやる必要ないのである。

 そう、この戦いでは先手は取る必要はあっても、先に動く必要ない。

 後手の先という言葉がある。動きを想定する事を極めると、後から動くのに相手より先に動いたようになることを指している。

 似た言葉に先手必勝というものがある。これは先に動くのではなく、相手より先の手…、つまり先に有効打を取る、または先に致命傷を与えれば、必ず勝てるということだ。決して先に攻撃すれば勝てるなどという言葉ではない。

 致命傷を与える、足を止めるのに自分から動く必要はない。むしろ相手の力を利用できるなら、相手に動いてもらった方がいいのである。

 正面から突っ込んできた雷鬼の隻腕から繰り出せる右拳を避けながら、勢いの乗ったわき腹にジンは刃先を打ち付ける。金属とも違う中身の詰まった重鈍な音が耳に届く前に彼は身を翻す。

 次に眼前に迫りくるのは、雷鬼の丸太のような左後ろ回し蹴り。通常の人なら関節部に刃を振り下ろして切断を狙うのだが、関節部よりつま先よりに刃を置いて受け止める。勢いを殺され、無防備な背中を見せる雷鬼を容赦なくジンは斬りつけた。黒板に爪を立てたような嫌な音響かせるが、浅く削れた程度で効果はなさそうだ。

 むしろ手痛い反撃を貰うことになった。

 人型だと思い込んでいた雷鬼の尻尾に右腕を弾き上げられる。腕を持っていかれない為に、右手を薙刀から放す。けれど左腕の筋力だけで振り返りざまの雷鬼の腕を受けきれない。下がれば、間違いなく追撃が飛んでくる。捌き切ることはできないだろう。

 故に、ジンは踏み込んだ。

 踏み込んで数瞬密着状態を作る。密着というのはインファイトの距離ではない。インファイトには腕を振るのに必要な距離が存在する。隻腕で振り回した腕を引き戻すのにも、取り回しの良い尻尾で迎撃しようにも、必ずワンテンポ入る。

 ジンは薙刀を握り直すと、勢いの殺し切れていない雷鬼の左足を踏み込んだ自身の右足で引っ掛け、巻き上げる。身体の右足以外の身体が浮いて、バランスを崩した雷神鬼の尻尾をグングニルの石突で弾き返し、転倒させ、鎚の如く薙刀を振り下ろした。

 硝子でも割れた時の乾いた音が響くと、皮膚に亀裂が入る。

 その瞬間だ。ジンは雷鬼の魔力の高まりを視認する。有り得ない軌跡を描き繰り出される右腕を防いだ薙刀ごと吹き飛ばされる。

 目にしたのは魔術兵器の解放のように姿を変化させた雷鬼の姿。

「イグ…ニ…ション」

 雷鬼は小さく何度も言葉を吐くように口を動かし、身体に力が漲ったと言わんばかりに咆哮する。赤黒い魔力と薄青い魔力が、身体に浮き上がった透明な水晶の紋様を行き来しており、完全に水晶と化した角の中には一振りの剣が封じられていた。

「……魔術兵器ルニ・ビルスキル」とジンの口から洩れる。

 六百年前に失われたルニ・ビルスキルにしては小さくもみえた。だが、間違いなくルニ・ビルスキルの特性と雷鬼の特性は一致していた。そして魔術兵器は使用者に合わせて形や大きさを変えることもある。であれば、寄生種が失われた古代兵器を体に取り込み、使用していても何らおかしくない。

 剣に流れた魔力が水晶の中を一気に巡回すると、雷鬼は瞬きの間に姿を消す。

 真後ろに現れた雷鬼の拳を、ジンは薙刀の柄で受けるが弾き飛ばされる。

そのまま浮いた身体を狙ったタックルを受け、勢いのまま背中を商店のドアに叩きつけられる。ドアが砕けると共に、ジンはもの抜けの殻になった室内に転がる。

 背中を強打して呼吸が止まったのだろう。ジンは転がり起きると共に下腹部を抉るように叩き、無理やり呼吸を戻す。

 ジンは薙刀を構え直す。けれど壁をいとも容易く破壊する相手に倒壊の恐れのある室内にいるのは不味いことに気がつく。下手を打てば、生き埋めは避けられない。だが、正面切って戦えば、先ほどの二の舞である。そもそも圧倒的な力量差を前に策は小細工と化すだろう。そして、これ以上のダメージで正常に動くのは厳しいのは目にみえた。次の攻防が最後になるだろう。出し惜しみをしている場合ではなくなった。

「それで倒しきれる敵か?」

 彼は自身に問いかける。答えはノー。否定である。

 雷鬼を構成しているのは、ルニ・ビルスキルだけではない。それを武器として使っていた過去の英雄程度の強さを持つ担い手も素材になっているのだ。単純、魔力の量を引き継いでいるだけなら、なんとでも手は打てるだろう。だが、その戦闘技術を、戦術を持っているのだとしたら、正面戦闘では十中八九敗北は必須だろう。

 だからこそ、彼は店の奥に走りこむ。数瞬で、この場の最適解を考えることを放棄して、完全な時間稼ぎに走ったのだ。

 店の裏口から飛び出すと同時に、店の壁を突き破り飛び出してきた雷鬼と向き合うが、一気に駆け抜ける。

「……魔力、体力、兵士、建物、地図、地理、最悪は脱出用の小型飛空艇」

 彼は使えそうなものを片端から小声で口にしていく。

「あん? なんだ。この肉塊……」

 目の端で捉えた爆散したマウズの死骸に思わず言葉が出る。

「ある。手段が」

 独り呟いた彼を雷鬼が弾丸の如く強襲する。ジンの移動速度も異様に早いが、雷鬼の突進はそれ以上だ。

「降り注ぐ戦勝の星」

 ジンはグングニルの刃の周りに数本の魔力の刃を浮かばせ、その内の一本を放ち、爆発させ、突進を減速させ、軽く回避すると走り出す。彼の戦闘能力なら魔術を使用できる状況を用意できれば、対等に立ち回ることは難しくはないのだ。

 彼が今やるべきことは少々厄介だ。砲撃を行なう隙を与えず、突進を捌いていかなければならない。そして、同時に敵の攻撃選択肢を減らすため、脱出の手段を失わないために魔力を使い過ぎてはいけないのだ。

 それらを同時に解決する方法を彼は見つけたのだ。あとは体力と身体が持つかである。

 暫くすると、ジンが防戦に徹していると雷鬼が地団太を踏み、空に向かって吠える。

 いくつもの大量の魔力がこちらに向かって走ってくるのだ。マウズだ。

 動きを止めた雷鬼の身体に、道路を走って来た大量のマウズが次々と覆いかぶさり、その姿を完全に隠す。

 ジンは近くにあった商店の屋上に飛び上がり、マウズの激流と肉塊となったそれをただ眺める。彼が攻撃するには情報も、体力も足りないのである。

 彼は思考する。グングニルをマウズの山に投げ差し、マウズから魔力を吸い上げ、少しでも魔力を回復させようとする。口元に手を当てる。自身の身体から出る生温いものが手に触れる。鼻血だ。彼の戦える限界が迫っていることを、それは告げていた。

 そんな中で、くちゃくちゃとマウズの立てる音が段々と静まる。そして、閃光が一閃、空を走ると、左腕が再生し、鎧とも思える新たな甲殻を着た雷鬼が姿を現す。

ジンはグングニルを呼び戻す。そして、溜息を一つ吐く。

彼は雷鬼が、マウズが如何なる存在かを理解した。しかし、予想外のことが一つ。

「オレ、シグルズタオシテ、エイユウ、ナル!」

 雷鬼は石の喉で大気を震わせる。

 ジンはグングニルを強く握り直す。彼は理解した。そして、

「悪いな。その席は兵器として人をやめたお前には、くれてやれないんだ」

 と口にした。

 生体部品、魔力袋、動く補給物資としてのマウズ。それを食らい活動、再生、破壊する雷鬼。それは最早、人、いや生物としての歪みである。正しく兵器としてあり方、そのものだ。

 ジンに応えるように雷鬼は空に向かって吠える。そして、動き出した。

 雷鬼は弾丸の如く直線的に突撃する。飛んでくる魔力の刃を雷で先に撃ち落していく。速度を落とし損ねた雷鬼の角を、ジンはグングニルの刃で抑え込む。グングニルの巨大な穂の刃に容易に流れ込むほどの量の魔力。魔術兵器に使われている精霊石同士が干渉し合う。流れ込んだ魔力が、彼の身体を駆け抜け、数本筋を作り、皮膚を破り、突き抜ける。突き破られた穴からは血が噴き出る。

 ジンは口から、身体から血を流しながらも、雷鬼を押し返し、屋根から退ける。

 雷鬼は落下しながらも身を翻し、姿勢を制御し地に足を着け、そして、再三に亘る突進をまた繰り返す。変哲もない、だが圧倒的な装甲を使った突撃に合わせ、ジンは対魔術兵器能力を打ち込む構えをみせる。

 けれど、それは叶わなかった。

 彼の右足は、まるで意識の外に置かれたように力が抜け落ちる。カクッと体勢が崩れ、視界が反転する。運よく目の前を通り過ぎた雷鬼を、真っ赤に染まった視界で流しみる。自らの身体が限界を迎え、沈んでいく中、ジンは歯を食いしばる。自分が倒れれば、必ずイヴは道を間違えるからだ。それは彼自身の信念が決して許さなかった。

「イヴの為とは言え、こんな損な役回りは嫌いっすよおぉぉお!」

 どこからともなく、ローレンの叫び声が聞こえてくる。空から舞い降りたローレンがジンの身体をぶつかるように持ち上げ、一気に空を上昇した。彼女のトンボのような翅だからできる芸当だ。

「腕が千切れる…。それ以上に翅が限界っス」

 ローレンは小言を漏らす。ジンの体重は鍛え抜かれた平均的なスポーツマンと同じく八十キロ近くあるのだ。魔力を使っているとはいえ、細腕でよく支えられたものだ。

「ローレン。お前、なにやっているんだ」

 あまりに予想外の相手の登場にジンは疑問を口にした。

「もう崩落は始まってるから、引き上げるんっすよ」と、ローレンはいった。

「分かっている。それよりローレン、急速旋回出来るか」

 ジンが叫ぶ。大地が崩落していく中、雷鬼は二人に砲口を向けたのだ。

「無理、無理、無理です、重すぎるっす。運ぶのも限界です」

「なら、舌噛むから、口を閉めておけ」

 ローレンをグングニルごと抱きかかえる様に背中に腕を回す。

「変態、セクハラ、死んどけば良かったのに」

「少し魔力を借りるぞ。第二(イグニッション)解放(バースト)既に貫いた圧勝の輝き(ケラノウスボルグ)

 ローレンの悪態を気にも留めず、ジンは魔術を展開する。彼らの身体を一つの弾丸にでも見立てたように、雷が二人を包んだ。それと時を同じくして、雷鬼が光線を放った。

空に二つの光の線が走る。

 一つは赤黒く、雲を貫いて雲散する。そして遮るもののなくなった日の光を受け、崩落していく街の中に雷鬼は怒号を上げる。しかし、その憎悪に満ちた声に反応した者は彼ら巨人だけだった。

もう一つは、

「馬鹿馬鹿馬鹿、絶対許さないですからねえぇぇえ!」

 そんな悲鳴と共に、一隻のヴァニルの戦艦に激突する。戦艦の側面に小さな穴を開けた。

 戦艦の乗員はすぐさま穴の様子を確認するために集まった。煙を払いながら、彼が顔を上げると幾丁もの銃を突きつけられていた。

 その兵士の後ろから、

「ジン、ローレン。何をやってるの?」と私は声を上げた。

「空中給油?」と衝撃ではっきりしない頭を振って、ジンは顔を上げる。

「なら、ぶつかったから失敗。次は上手くやるべき」

 ひょいっと、私は顔を出す。それをみて、警戒していた兵達は銃を下ろした。

 戦艦に穴を開けた衝撃で目を回しているローレンと、槍をそこらにいた救護班に任せる。

「ところでジン。私は今日一つ言い忘れていたことがある」

「なんだ?」と彼は埃を払いながら聞き返してきた。

「いってらっしゃい、を」

「そこは、おかえりなさいじゃないのか?」

 ジンは手を止めると顔色一つ変えず、真面目な表情の私に笑いかける。

「なるほど」と私は思案し、「ただいま」と口にする。

「ああ、そうだな。おかえり」

 言ってから気が付く。これじゃあ、どちらが後に戦場から帰って来たか、分かったものでない。いや、違う。私たちは戦場から帰還したのだ。だから、どちらも正しいのだ。

「……ジン」

 と、アーサーに支えられて、また別の顔が現れる。

 治療が終わったとは、その姿は戦いの痕が残っている。真新しい包帯も、土の色がこびり付いた戦闘服も、彼女の美しさを際立たせた。いや、違う。それでも彼女は美しいのだ。

 その壊れそうな美しさは、彼女はこの先も戦場で咲き続けるだろう、と予感させた。

 だが今は、

「ただいま、イヴ」

「おかえりなさい、ジン」

 再び英雄として立ち上がる青年と戦場に咲く花のような少女との、再会を。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ