表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

2.『現と夢』

 目が覚める。

 知らない天井、見慣れぬ視点。

 月明りを受け、微かに明るさを感じる天井に手を伸ばす。

 人の手である。他人の手だ。検証するまでもない。これは人の手であり、他人の体であり、そして私が動かしているのだと理解した。

 少女の身体。やせ細っているのに、手は、指には未だに気品を保っている。

 身体を伸ばしてみるとわかる。この少女の身体はしばらく使われていないのが分かる。関節が、筋が硬くなって音が鳴る。

 ゆっくりと、尚且つ迅速に身体の筋を伸ばしていく。力みや焦りで身体を動かせば、今にも筋肉が吊り上がってしまいそうだ。

 二度、三度、ベッドの中で伸びを繰り返し、上半身を起こす。

 部屋の中を見回す。片付いている、というより必要な物以外がない、といった方が正しい手狭な部屋だ。

 机、ベッドに鏡台。調度品といえるのは黒猫のぬいぐるみ位のものだ。

 丁度いい機会なので鏡を覗く。寝たきりだったとは思えないほど、手入れされた短い黒髪。違和感のない翡翠色の目は他人のものでありながら、まるで自分自身だ。

……おとぎ話。誰かと入れ替わっていながら、はっきりと自分自身だと認識できるのは、おとぎ話の世界に迷い込んでしまったのだと認識するのには十分だ。いっそ、おとぎ話なら白兎を追いかけていれば問題ないのだが、現実というのは甘くない。

 扉の向こうには、自分がどこの誰で、何をすべきかが用意されているかも知れないし、されていないかも知れない。案外、みんな、私と同じで眠っているのかも知れない。

 いや、それはないか。微かに声が聞こえる。子供の声だ。

 扉の向こうには、この子の日常があって、役割があって、居場所があるのだろう。

 いや、寝たきりだったから、居場所や役割は無くなっているかも知れないが。

 だから私は窓の外に目を向ける。

 窓の向こうには何もない。強いて言えば、森が見える。低木が見える。

 逃げ出す? 違う。新しい人生を始めるのだ。この子の古い繋がりは捨てても構わないだろう。……なんて、建前だけど。

 窓を開けて、外に出る。

少し小さな体には感謝だ。窓枠に引っかからずに足から外に降りられた。

 やわらかい足の裏が少し痛い。木の枝や尖った石には気を付けて歩こう。

 肌寒いが、不思議と気分が高揚して忘れてしまう。水面にたゆたう月のように、輝く月が綺麗な夜だ。

 知らない土地を歩く。月明りが照らす広い山道は整備されているだけで、ろくに人が通っていないのであろう。土の硬さが思った以上に軟らかい。

見知った土地は遥か彼方。見えやしない。どうやったら帰れるのかすら見当がつかない。

 振り返れば寮という言葉が相応しいレンガ造りの建物。安っぽいが手入れは良くされている。明かりの灯った建造物が森の一画を切り取ってたたずんでいる。

 後に知ることになるのだが、妖精の傘と呼ばれる軍事施設。もとい宿舎なのだが、今の私には認知されるはずもなく、感慨深さなど一切感じない。

 さて、見知らぬ土地にきてしまった高揚感、別人になっていた事実に対する半狂乱で、

外に飛び出したのはいいが、この身体は弱った少女のものなのだ。寒さや靴の履いていない移動になど慣れているわけがなく、十五分もすれば身体が震えだした。

 なにせ二月の頭なのだ。知らなかったとはいえ、寒くないわけがない。

 傾斜のついた道の先に街の明かりを見つける。その先に雲海のような姿の海。私の知っている海とは似ても似つかないが、港の先にあるのだ。海の筈である。

 自分の居場所を確認しているうちに、私の指先が冷たくなる。体温が低下していることが分かった。

 彼方に海と街の明かりを見つけたというのに、このままではたどり着ける気がしない。

 足が石を踏みつけて切れる。月明りで仄かにしか見えないが、触れば指先に血が付いた。

何をやっているのだろう。

 考えが浅い。浅いのではなく、ただ愚かなだけだ。舞い上がってしまった結果、身動きが取れなくなるなんて昔から成長していない。

 自己嫌悪に陥りながら岩陰を見つけた。これ以上冷えないよう体を丸くする。

 目を瞑って丸くなっていれば朝が訪れる。昔から、そうしてきたのだ。慣れている。何も考えない、ただ待つのだ。

 風が木の枝を揺らす。獣の足音一つしない静かな夜だ。静かすぎて思考を挟む隙間などない。だから待つのだ。

 寒い……。

 鼓動にして約四千八百回。

 足音だ。人の足音に気づいて目を上げる。やけに足並みが乱れているのが一人。子供が一人いるのか、声の高さで分かる。

 あとは男性と女性の影が一つずつ。会話内容が説明口調だ。家族ではないらしい。

 私は丸くなったまま、通り過ぎるのを待った。助けを求めた方がいいのだろう。けれど役に立ちもしない意地や自己嫌悪が邪魔をして、余計に体を小さくした。

 ランタンの明かりは私を照らすことはなかったのに、その男は足を止める。小首をかしげてから、私を照らした。

「寒くないか?」

 と男はいった。

 私に向けられた間の抜けた一言に、

「寒い」

 と言葉が口をついて出た。突拍子もない一言に、意地とか自己嫌悪が簡単に屈したのだ。

 ランタンを隣の少女に預けると、「ほら」と上着を、軍服を私に渡してきた。匂いは新品に近いものなのに、アイロンがかけられていないのか、もうヨレている。

「ミドラ、そんな薄着で。あなた何やってるの」

とランタンを預けられた少女、イヴは知らない名を口にした。

 この時の私は彼女を知らず首を捻る。立ち振る舞いから、声から、顔立ちから、如何様な記憶の隙間からも頭に相手の名前も、呼ばれた名前すら浮かんでこなかったのだ。

「ミドラじゃないよ。だって、ミドラならイヴお姉ちゃんの後ろに、すぐ隠れようとするもん」

 と、小さな少女がいう。月明かりでも分かるほどふわふわした髪の十二歳にも満たないような少女だ。

続けて、少女は私の顔を覗き込み、

「あなたのお名前は?」と訊ねてきた。

「名前なんか、どうでもいいだろ」と男が割ってはいる。

「俺が寒い。こいつも寒い。なら、最優先でやることは一つだろ?」

 と言って私を抱きかかえる。

 彼の腕の太さ、硬さから分かる。相当に鍛え上げられたものであることだ。個人的にはもう少し細いと圧迫感が無くて好きである。

「ちょっと待ちなさいよ」とイヴは追いすがり、

「名前って大事なことよ」と、自分のことのように執着をみせた。

「そうか?」と彼は少し思案し、

「まあ、歩きながらでもできるだろ? 衣食住足りて礼節を知るとも言うし、チビ達に寒いのを我慢しろと言うのも辛らつだろ?」と答える。

「そうじゃなくて」と髪の長い少女が言い淀む。

「分かった分かった。確認すれば満足なんだろ」

 と空気を読む。だが、あくまで嫌々な態度を変えずに、

「俺はジンだ。お前、名前はなんて言うんだ」

 と、ジンと名乗った男が尋ねてくる。

 しばし、間をおいて考える。

「あ…、アイリス。私の名前。アイリス」

「そうか、アイリスか。いい名前だな」

 微かに照らされた口元に、小さな笑みが見えた。

「だ、そうだ。これで満足か?」

「満足とか、不満があるとかの話じゃなくて」

 とイヴと溜息を吐く。

「あなたにしてみれば掃いて捨てるようなものかも知れない。けど私たち戦乙女にしてみれば、自分の存在そのものなのよ。分かってないでしょうけど」

 言われてジンはむず痒そうに顔を肩で器用に掻く。

「別に捨てたつもりはないんだがな」と呟き、「以後、気を付けるよ」と流した。

「二人とも喧嘩はダメ」

 と、ふわふわした髪の少女が行く手を遮る。

「ラピス。ちゃんと前を見て歩きなさい」

 と、ジンは少女の名前を呼び注意する。

「それにこれは喧嘩じゃなくて、意見のすり合わせに必要な行為なんだ」と諭す。

「意見のすり合わせ?」

 とラピスは首を捻った。初めて聞いたと言葉なのだろう。まあ、彼女のような年の子供にする人も少ない話題ではある。

「人…、あぁ、戦乙女も人だとするよ。人は好き嫌いがあるように、それぞれ譲れないところがあるだろ。だから、こうやってお互いの好き嫌いを詳らかにすることで、関係は円滑化にしていくことが必要なんだ。それに…」

 とジンは付け加える。

「イヴは軍人である立場上、俺と喧嘩になることはないからな」

 彼の含みのある口調。屁理屈にもよく似た正論だ。それに、まるで他人から聞いた考えを話すような印象を受けた。

 私は淡々と語ったジンの頬を引っ張る。そのまま自分が腕から落とされてしまうとか、どうして引っ張るのかなどと思考を挟む暇もなく、反射にもよく似た勢いでジンの頬を抓る。

「普通に痛いからな」

 とジンは首を振り、手を振りほどく。眉間に皺を寄せた。

「怒る?」

「普通は怒るだろ」

「じゃあ、どうして怒らないの?」

「そうだな」と彼は頷く、

「怒ってるからな。だから、人の頬を抓ったら駄目だ」

 といった。その言葉は初めて会った相手であるのに、彼らしくないと思った。変なのだ。どこが、なにが、ではなく、ただ変なのだ。

「ごめんなさい」

 謝ってから、違和感の正体に気づく。叱られた感覚がないのだ。

 彼は小首を傾げたようにみえた。しかし何かを一人で納得して顔をあげて、歩みの速度を速める。迷子にならないようにと、ラピスに公共放送で垂れ流されているような歌を歌わせながら夜道をランプ一つの明かりで歩いていく。

「あれ、だよな?」「そうよ」とジンはイヴに確認した。

 結局、妖精の傘に戻ってきてしまった。

「アイリス、一つ質問がある。どうしてお前、外にいたんだ?」

「帰りたい…?」

「そうか。なら、帰れる時まで妖精の傘に居ればいい。そう対応しよう」

 ジンは笑みをみせただけで、何処にとは問わなかった。



 妖精の傘の入り口まで来ると頑丈そうな扉の向こうからだ。活発に声が響てくる。

 鱗片だけ聞いても多分そういうことなのだと理解できた。

「ただいまなのだ!」

 ラピスが勢いよく扉を開ける。

 中央に二階への階段が見える広いエントランス。手入れはされているが年季が入っているのがよく分かる。二階からはいくつもの視線を感じる。

「うぼお⁉ びっくりした」

 防寒着をしっかりと着込んだローレンが驚きの声を上げる。玄関の戸に手をかけようとしていた右腕を行き場がなくなって下げた。

「良かった。帰ってきたんすね。イヴも一緒……」

 ジンの顔を見てから、ゆっくりと私の顔まで視線を移し、

「ドナドナだぁぁあ」と叫喚する。

「ローレン、失礼よ」とイヴに突っ込まれた。

 叫び声を聞いて、沢山の小さな足音が遠ざかっていく。

「あ、ごめんなさいっすよ。うちの小さいの聞かないもんで」

 と、ローレンは笑みを湛えたまま首に巻いたマフラーを片付ける。

「で。ミドラ、返してもらってもいいですか?」

 とローレンは訊ねた。ジンから視線を離さず威圧した態度は実力行使も辞さない勢いである。

「違うよ。ミドラはね。アイリスになったの」

 とラピスが横から口を挟む。まだ幼くて、空気を感じとることが出来ないのだろう。

「尚更、不良状態だった覚醒体の輸送は所定の手続き後、ですよ」

 とローレンの聞きなれない言葉。

「返すも何も、一応、俺は上官なんだが」

 とジンは返す。私を抱えたまま器用に頬を掻いた。

「スヴァルトの兵が上官?」とローレンはジンに懐疑の目を向ける。

「ローレン、いい加減にして」とイヴが割って入る。

「ホモサ、ピエンス?って、タイプの獣人よ。履歴確認させて貰ったもの」

 と彼女はいった。ホモサピエンスは獣人ではないのだが、突っ込むとややこしくなりそう話に突っ込まないことにしておく。

 室温に慣れてきて暑苦しくなってきたので、腕から降りようともぞもぞ動いたら、ジンはゆっくりと降ろしてくれた。

 そのまま状況に取り残され、なにも言えない私を置き去りにして話が進んでいく。

「ジンさんはラピスに甘いお菓子くれたから、いい人なの」とラピスが説得しようとする。

「知らない人から物を貰ったダメっすよね」

 と、ローレンに指摘されて、「あうっ」と、ラピスは両手で口元を隠した。

「ローレン。気持ちは分かるけど決定事項よ。一昨日から報告来てたでしょ」

「あー、はいはい、そでした」

 とローレンは、納得はしていないものの理解はしたらしい。

「お客さんはマイヤーのとこに連れて行くんで、イヴとラピス……、えっと、アイリスはお風呂入って来てください。傷口汚してたら病気になっちゃいますよ」

 と彼女は促してきた。そのままイヴに連れられて風呂に向かうことになった。ついでにラピスも一緒である。



 風呂場では、イヴになかなかに興味深いことを三つほど教えてもらえて貰えた。

 まず第一に、シャンプーとボディーソープの違いだ。

どちらも舌先で舐めると、飛び上がりたくなるような苦さが特徴だ。身体と髪を洗うのを使い分けるそうだ。違いがよく分からない。

 次に脱衣所で身体を乾かすとき、身体をぶるぶるっと振って水を落としてはいけないらしい。脱衣所がカビやすくなるそうだ。覚えた。

 最後に、お風呂から出た後も服を着なければならないそうだ。

 必要ではなく必須。だがジンもいるのだからと寝ている時も服を着ておかないといけないのは面倒である。寝るときは布団の厚さを調節して寝苦しくないようにするようだ。

よし、分かった。だが、ジンと裸がダメなのは関係ないだろう。

「……ごめん、溜息出た」

 とイヴが額に手を当て大きく溜息を吐いた。

 ラピスを先に食堂にやり、薄暗い廊下を医務室に向けて歩いているところだ。

「湯あたり?」

「ちょっと考えごと……。そうね、湯あたりかも」

「窓開ける?」

「大丈夫。……医務室に着いたら氷ぐらいあるわ」

 と会話をしている間に、外にまで消毒液の匂いが漏れ出している医務室に着く。

 医務室ではジンが眠そうに椅子に腰かけているのがみえた。私たちが入ってきたのを見て、首を鳴らすと私を腰かけるよう促す。中にはジンから距離を取って、不機嫌そうに壁にもたれ掛かっているローレンと二人のようだ。

 私がジンの前に腰かけると、彼は私の足を片方ずつ持ち上げる。軽く足の裏を一通り触り、「他に痛む場所あるか?」と、確認してきた。

 私は首を捻ってから頷いた。

「じゃあ大丈夫だろ」

 とジンは視診だけで終わらせる。傷は深かった気がするのだけど。

「飯前だがメンツは丁度いい。簡潔にお前らに話しておくことがある」

 気の乗らなさそうな口調でジンは話し始める。

「俺が着任するにあたって……、そうか、自己紹介がまだだったな。ジン・カンザキ。ヴァニルの特等魔術技術官。種族的に珍しくてな。技術はあるんだが名誉役職だ。一人一つずつぐらいなら質問を受け付けるが、何かあるか?」

「なぜ、一人一つなの?」

 とイヴの口から疑問が出た。

「世の中、全部答えてもらえるわけじゃないからな。それに色々理由はこじつけられるが、今日は時間が押してるからな。また機会があればってところだな」

「じゃあ、あたしからも質問いいですかね。何をしにここに着任したんですかね?」

 とローレンは棘のある口調だ。

「ちょっとローレン」

 と、イヴが静止する。

 けれどローレンは取り消す様子はない。変わらず眉には皺が寄ったままだ。

「ふむ」と、ジンは軽く首を捻り、

「解けない誤解はのちのち解消するとして、俺が着任した理由か。まあ簡単に言えばお前たちの育成だ。道具としてではなく、最低限兵士……、一人の人としての育成だな。分かるか?」

 彼の言葉に私は首を捻る。

「また今度、教えてやる」とジンは私の頭を撫でた。

 ローレンは目を閉じ、

「信用はしませんが、アイリスの件もありますし、今はそれで納得しときますよ」

 と妥協した。

「よし、他に急ぎの質問がなければ……」とジンは椅子から腰を浮かせたときだ。

「あ、あの」とイヴが少し躊躇しながら、「質問とかじゃなくて確認なんですけど。もしかして、この間まで地上に降りてたんじゃないかなって」

「……いや」とジンは否定しかけたのを、「そうだな、つい先日まで地上にいた」と言い直した。

「じゃあ、ハルって戦乙女を知っているの?」

「悪いが、その質問には答えない」

 と、ジンはイヴの質問に黙秘する。立ち上がり出口に向かう。

「うわぁ、ケチっすね」とローレンが苦笑した。

「最初にルールは決めていただろ? お前らが軍をやめてから破ればいい。もっとも辞められたらの話だが、な」と、扉に手をかけたところで振り返る。

「あ、そうそう俺からもお前らに質問があるんだ」とジンは気さくな声で、

「今、何時だと思っているんだ」と私たちに訊ねてきた。



 ジンの対応に不満がない。と言えば嘘になるが、私の中で反発心が起こらないのは不思議である。どことなく波長が合うのかも知れない。だが、それはそれでアブノーマルな気もしなくもない。

 そんな感覚的なことより、いま胸に来るものがある。

 目覚めた部屋に戻ってきてしまったことだ。

「トイレはあっちの角ね。覚えた? 一人で大丈夫?」と、イヴが世話を焼いてくる。

「困惑中?」

「そこ、なんで疑問形」

 そういう運命なのか、偶然なのか、……あるいは。

「うん? お前ら、早く寝ろよ」と、ジンが入り口から顔を出す。

「あなたこそ、なにしてるのよ」とイヴが詰問する。

「迷った」

「迷った?」

「思いのほか、広いからな。時間もあるし、迷っておこうと思ってな」

 ジンの飄々とした態度に、流石の面倒見のいいイヴも呆れた顔を見せた。

「それは助けた方がいいの? 突っ込んだ方がいいの?」

「両方とも必要ない。趣味みたいなもんだ」

「ここ、一応は女子寮なのを忘れずに、ね」

 イヴの言葉にジンは軽く首を傾げてから、

「不審者じゃないか」と理解した。

「で、どうした?」とジンは部屋の中に入って来て、私に目線を合わせる。

 あたふたと私は机の上に置いてあった黒猫のぬいぐるみを見せる。

 ジンは混迷を隠すような笑みを見せて、ぬいぐるみの頭を撫でる。

「あ、うん。かわいい猫だな、一緒に寝るのか」

 む、と両手で猫のぬいぐるみを突き出してみせる。

「昔、一緒に暮らしてた猫みたいで可愛いが、気に入らないか?」

 このままでは拉致があかないことを察して、

「猫と同じようにベッドで寝るときは裸で寝てもいいのか?」と切り出す。

「パジャマは着ような」

 駄目だった。



 四月二十三日、まだ朝は少し肌寒い。

 私が妖精の傘に来てから二か月ほどたった。

 だが彼は怠慢だ。

 外見や存在ではない。あり方そのものが怠慢なのだ。

 ゆえに彼が今の職に就いたのも流されたのである。

 恵まれた肉体、知識を手に入れる環境を手にしておきながら、また流されたのである。私こと、アイリスは思う。

 そんな独り言を口にする。

 水に沈んだように揺らぐ朝陽が差し込む窓。その先にある景色の一つである森の中に消える軍服姿の男を、ジンを観察しながら朝の支度をしていると、そんな言葉が口をついて出たのだ。

「……またって。アイリスはジンの昔のことを知っているみたいな言い方じゃないんですか?」

 朝日を浴びて深紅に燃える長髪を梳かしながら、ローレンは疑問を返してきた。

「……さあ?」

 発言が深く考えたものではなかった。ただ誰かに似ている気はするのだ。同じような性格の人間が失敗したという事実だけは覚えている。

「いや、さあ?って」

 ローレンは振り返り、私の顔をみる。

「こら、ローレン」とイヴが小うるさく、「手を止めないの、朝ご飯に遅れるでしょ」と、ローレンの髪を纏めながら注意する。

 今朝は、珍しく私の髪がはねていたので、

「小さい子が真似するでしょ」と世話焼きのイヴに捉まったのだ。彼女の部屋まで連行され、仕方なく髪を梳いていたところだ。

「じゃあ私、当番だから先に行く」

 鏡の端に写ったいつも通りの自分の姿をみて、私は立ち上がる。

「アイリス調子悪そうだし、私、代ろうか?」とイヴがローレンの髪から手を放す。

「たんまたんま、アニメみたいな髪型を一人で整えるのは辛いっすよ」

「駄メンズ好き」

「いや、違うから、すぐ髪をぼさぼさにしたり、どうにも人当たりが苦手で小さい子泣かせたりで、困ってる顔をしてる人とか別に好きじゃないから」と、早口でイヴは否定する。

「イヴ、私、お姉ちゃんだから任せて」

 と私は鏡に写るように自身を指さす。

「……私の方が年上です」

「イヴがいつも言ってる。大丈夫、問題ない」と親指を立ててみせる。

「イヴの負けっすよ、早く手伝ってください」とローレンは楽しそうに笑った。

「分かったわ。ローレン、前向いて」

 ため息交じりに、イヴは赤い髪を弄り始めた。



 食堂に入ると、奥にいたマイヤーに挨拶する。マイヤーはジンがここに来るまで、妖精の傘を一人で管理してきた亜人の女性だ。皆からは母親のように慕われている。排他的なローレンからもだ。

 その後、当番の子達と朝ご飯の準備を始める。ここでは年長組の扱いになるので、小さい子達が途中で遊ばないように目を光らせるのも仕事になる。

その後、食器を並べ終えるのを見計らい一人分だけお盆に乗せて食堂を出る。

 目的の部屋の前に立って、ドアをノックする。

 返事はない、ただいま留守のようだ。

 問題ないので、ドアを開ける。

 部屋の中は汚いというより、散らかっている。不潔というより、人目から見たらなんだか分からない資料や紙が道を成すように足元に散らばっている。掃除して三日足らずで、よくもまあ此処まで人を不快にする部屋を作れるものだ。

 この部屋の製作者といえば、私が机の上にお盆を置いてすぐに、ひょっこり帰ってきた。

「おはよう、アイリス。お疲れさん」

 気の抜けた挨拶に、相変わらずヨレた軍服のジンである。

「おはよう、ジン。今日は釣りに行くの?」

「それもいいな」と、ジンは思案するが、

「いや、冗談だ。それよりも昼過ぎにローレン、イヴとお前とで部屋に来てくれ。話がある」

「足場がない」

「時間があれば、な」

 訳すと私達の誰かに遠回しに片づけをさせたいのだ。流石、駄メンズ期待を裏切らない。

「あとでイヴに取りに来させるから」

 そう言って、私はジンの部屋を後にする。

 それにしてもマイペースな人だ。時間がないだの言っている割には、勝手に釣りに行って、裾を汚してきてイヴの小言を食らい。突然資料室の整理を始めたかと思えば、部屋を私たちに掃除させたりもする。

 ローレンに言わせれば、歴代の監督役より、仕事ができないから私たちに仕事を押し付けてくるんじゃないか、とのことだ。

 私自身は他の監督役を見たことがないので何とも言えない。けれど、時折ジンが買ってくるお菓子の類は甘すぎず口当たりがいいから好きではある。……いや、食べ物に買収されたわけでは断じてない。

 


 食堂に戻ると、普段と違い髪型が盛られたローレンが小さい子たちに囲まれていた。

「いやあ、両手に花束とは嬉しいですね」

「もう朝ご飯だから、みんな座りなさい。ご飯冷めちゃうでしょ」

 と、ローレンとは対照的にイヴが率先して座らせていく。

「おや、アイリス。どうかしましたか?」

 色んな編み方で構成されたパイナップルみたいな頭に目をやってから鼻で笑ってやる。

「昼、ジンのところ。おおけい?」

「いや、分からないっす。てか、今の反応は何っすか」

 ローレンを無視して、イヴの下にいく。

「ジン、掃除」

「え! うーん……」とイヴが一瞬目を輝かせてから困り顔をみせる。

「当番代わる」

「ほんと? えっと、じゃあラピスが洗剤使い過ぎないように注意してね」

 とイヴは目を輝かせた。

「えー、駄目っすよ。イヴの邪魔できないじゃないですか」

子供たちを座らせながらローレンが口を挟んでくる。

「そこは手伝いなさいよ」

「なら……」

「お断り、却下」

 私が内容を口にする前に、ローレンは否定すると自分の席に逃げ去った。

 ローレンの仕事嫌いも見慣れてきた。特に片づけや、地味な作業をするものはすぐに逃げ去ってしまう。年長組の一人がそれでいいのかは疑問である。

「じゃあ、早くにご飯にしましょう」

 朝ご飯は質素なものだ。肉のほとんど入っていない豆のスープ。昨日焼いていた手作りのパンに、季節に合わせた新ジャガと山菜のサラダが少々といったところだ。経済状況が良くないとはいえ質素すぎる気もしない。いや、春に入ってからは毎日山菜のサラダが出ているから、そうなのであろう。それでも味の良し悪しで言えば、子供舌でも食べられるように工夫されている。ひとえにマイヤーの努力のたまものである。

 朝食が終了したら、次は掃除洗濯などを分担して行う。当番がある日の自由時間はお昼を食べてからの短い時間だ。

 昼になっても戻ってこないイヴをみに行くついでに、ジンに昼ご飯を持っていく。

 ノックをしようとすると部屋の外にまで談笑が聞こえてくる。

「ジン、昼…、餌?」

「入れてやってくれ。……待て、餌ってなんだ」

 イヴが中から部屋の扉を開けてくれる。

「ジン、昼餌?」

 まるで飼い犬に餌を与えている感覚に、そんな言葉が出た。

「こら、アイリス。マイヤーさんの作ってくれるものを悪く言わないの」

「こら、イヴ。ジンと遊んでないの」

 と私はイヴの真似をして言い返す。

「別に遊んでたわけじゃないから。……ちょっと、伝承について聞いてただけだから」

「伝承って?」

「ああ、シグルズって奴の英雄譚だ」とジンは流す。

「それより昼飯にしよう」

「昼魚を所望する?」

「……ああ、そうか、ちょっと味気ないもんな」

 と私の要求を、ジンはすぐに理解してくれたようだ。

「いや、今ので何を分かったの?」

「のりで手をうつ? うって欲しい」

「待って、なんでのり?」

 理解が及ばないイヴに、ジンと私は首を傾げてみせる。

「お分かり頂けない?」

「むしろ、そのやり取りで判れって方が難しいわ」とイヴは頭を抱える。

「ああ、文化的にのりを食べないもんな」

「いや、のりは食べれないでしょ」とジンの言葉にイヴが訝しんだ。

「のりを食べたことがないのは可哀相」

「ちょっと火に炙って食べると、なお美味しいよな」とジンは頷く。

「え?」

「お分かり頂けない?」

「何をわかれと……」

「ああ、あれだな。うみ、だな。うみ」とジンはいった。

「あの、ちょっとべた付く感じなのがいい」と記憶の端にある潮風を思い浮かべる。

「えぇ…、あれは、気持ち悪いわ」とイヴが嫌悪感を浮かべた。

「ああ、そうだ。うみのある島ってあるのか?」

 お分かり頂けないイヴが頭を抱える。今にも頭の回路がショートして煙があがりそうな様子だ。

 彼女が海苔と糊、海と膿がすれ違っていることに気付くのに数分要した。

「ああ、そうか、海の概念がないのか。塩湖とか海水のある島はないのか?」

 とジンが訊ねた。

「えんこ? かいすい? かいすいって、なに?」

「やっぱり知らないか」

 イヴの困惑した様子をみると、ジンは納得した。

「海水ってのは、海苔を取るために必要なもんだ。なくても取れないことはないんだけど」

「お米から作るんじゃないの?」

「それは糊だな、くっつける奴だろ?」

 イヴが頷くのを確認すると、ジンは続ける。

「アイリスが食べたいって言ってのは海苔、海藻なんだ……、と言っても分からないか。まあ、なんにしても海苔の調達も難しそうだな」

「悲しい」

 と私はへこむ。そんな私をみてジンは少し考えこみ、

「アイリス、ちょっといいか?」と私の名前を呼んだ。

 そこに、

「ヘイ、ノリの話をノリノリで話し込んでどうしたのヨォ!」

とローレンが部屋にラップ風に突入してきた。どうやら話し込んでしまっていたようだ。

「で、お前は何しに来たんだ」とジンが確認する。

「小さいの、お腹ペコペコ、君たち、ノリでノリノリ……」とローレンは咳払いし、

「てな、訳で、この子たち貰っていきますね」と、いつもの様子でいった。

「思いつかなかったんだな」

「言わないっすよ。恥ずかしい」とローレンは茶化す。

「昼食べたら用事あるから、またお前ら後で集合な」

と、ジンは早く行って、早く戻ってこいと言わんばかりだ。

「ほいほい、朝なんとなく聞いてましたよ。ごく潰しに自由時間を奪われないために行くっすよ、二人とも」

「おさかな」

 ジンが忘れないようにねだる私の襟首を引っ張って、ローレンは部屋を出た。



 昼ご飯を食べ終わって、片づけを終えると、ふとした疑問をイヴに訊ねる。

「どうしてシグルズの伝承?」

「えっと、あの話かな。昔の騎士物語、シグルズって英雄が出てくるお伽話なんだけどね」

「また変な話をしていらっしゃる?」

「ほら、ラグムって、その話に出てくる伝説の兵器の一つなのよ」

 とイヴが話始める。

 ラグム。神殺しの神刀と呼ばれる一年ほど前に発掘された魔術兵器の一つだ。黒鉄よりも鈍く、黒曜石より黒い精霊石で作られたいわく付きの逸品である。性能としてはリーチも殺傷能力もグングニル、ミョルニルより格段に落ちると推測されている。だが、数多の魔術師、魔法使い、そして神すらも屠ったと記録が残っている。

 また適正者も少なく、起動すらままならない状態であった。けれど検査で私に適性があると判明したのだ。もっとも、私はラグム以外の適性がないのは欠点である。

 そのまま口を挟む暇なく、ラグムについてのシグルズの逸話を語り続けるイヴを放っておくと、いつ終わるかも分からない話に繋がった。

「掃除中に暇だからって雑談良くない。私、ラピスの面倒ずっとみてた」

と私は口を尖らせる。彼女の娯楽のために当番を変わったわけではない。

「それはごめんって。掃除終わった後、魔術兵器を保管庫から移動させてた時に気になって聞いたら、ジンが思いのほか話してくれて、楽しくて、つい」と、イヴが目をそらす。

「私、お姉ちゃん」と私は口を戻し、「だから許す」といった。

「分かってる。今度、代わるから」とイヴはしょんぼりとした顔で反省しているようだ。

「お二人さん」とローレンが割り込んでくる。

「そろそろアイツが待ちくたびれてると思いますよ」

 ローレンに連れられて、まだ散らかっていないジンの部屋に戻ってきた。

 ジン本人は窓から入ってくる日差しにあたりながら欠伸をしている。

「来たっすよ。さっさと本題に入ってください」

 とローレンはせかした。

「なら、お前らの魔術兵器を持って外に出ろ。で、俺の散歩に付き合え」

 とジンは立てかけられた魔術兵器を私たちに取らせ、部屋を出た。そのまま私たちを率いて山道を歩き出す。昔は使われていたのだろう道は、今では舗装は剥がれ、場所によっては成木や倒木が道を塞いでいる。

「この道の先に何があるんすか?」とローレンが口にする。

「おさかな?」と山に入ればと言わんばかりに私は主張していく。

「どう見ても川はあっちっすからね」と斜面の下った先をローレンンは指さす。

「靴が汚れるわ……」とイヴは不平を漏らす。

「仮にもお前ら軍属だろ。グチグチ言うなら偉くなるんだな」

 と、ジンは端が朽ち始めている看板を指さす。

「第二演習場?」

「そうそう、お前らにはここの整備を任せようと思ってな」

 次に指さしたのは町中にある公園程の広さの刈り入れされた空き地だ。いや、刈り入れされた土地は最近誰かが手を入れていたのだろう。端を見れば、何年も整備の手が入っていなかったせいで草木が生い茂っているが、本来は陸上競技場ほどの広さはあることが森との密度の差で境界が出来ているのをみつけて察しが付いた。

「冗談が好きっすね? 道具も人手も足りないでしょ」とローレンは呆れた。

「道具も人手も十分だぞ、ほら」とジンは私たちの魔術兵器を指さす。

 ローレンの頬が口にはしないが理解し兼ねると引きつる。それをみてジンは思案する。

「そうか。なら勝負しよう」

「勝負? ジャンケンとかっすか?」

「力比べ、なんてどうだ? 上に立つに人物が自分たちより弱いなんて納得できないだろ?」

 とジンはローレンに返した。常識的に考えて、大の大人、そのうえ明らかに鍛えられた肉体を持つ相手からの力比べなどという提案を許容出来ない。

「腕相撲とかってこと?」とイヴが自信なさげに返す。

「いや、お前たちを特別たらしめる物があるだろ」

「……魔術兵器」

「そう正解だ。アイリス」とジンは私の回答を褒めた。

 それを聞いて、ローレンの口元に笑みで吊り上がる。

「魔術兵器を使えない獣人が何を言ってるんですかね? それともなんですか。魔術兵器相手に銃で戦う気ですか? 見たところ、ミョルニルの電磁障壁を貫けるほどの巨大な銃は所持していないみたいっすが」と鼻で笑った。

 ローレンがいうことも納得である。魔術兵器が獣人に使えるなら、そもそも戦乙女と呼ばれている私たちが魔術兵器を持つ必要などないのだ。

 無論、彼が自称獣人であることを除けばだが。

「そうか、そうだな」とジンは一人納得し、私の隣に並び、「お前たちはまだ子供だったな。だから、教えてやるのが大人の責務だ。世界はお前たちの常識で納得出来ている範囲では動いていないんだってな」と私の刀を抜き去り、青い魔力を流し起動した。

 ローレンの口元から笑みが消える。

「なるほど、確かに私たちの常識の範囲外ですね。アイリス、ちょっと離れてください」

 私が後ずさりするのを待ってから、

「いいですよ、やりましょう。ただし、そんな貧弱な魔力で腕の二本三本持っていかれても愚痴はなしでお願いしますよ」

 とローレンはいうが早いか、全身から赤い雷状の魔力を発生させながら、ジンに向かって正面から飛び込む。

 弱弱しく刀を包む青い光と、今にも弾けそうな鎚にまとわりつく雷を比べれば、単純なエネルギー量から、どちら勝っているかなど一目瞭然だ。

「ローレン、やめなさい!」

 私は制そうと槍に手を掛けたイヴの腕を引く。私の顔を見つめるイヴに向けて首を横に振る。

 ローレンの大振りな重い連撃を、ジンは軽い足さばきと刀身を軽く当てることでいなしていく。憤りからか余裕のないローレンに対して、ジンには余力がありありとみえる。

「何をにやにやしてるんっすか! まともに打ち合え」

「あんまり喋ってると舌噛むぞ」

 業を煮やしたローレンが翅を広げて飛び上がる。そして立体的に攻めだした。

 最初の数撃で足さばきを乱し、ローレンはジンの懐に飛び込む。だが目測でも誤ったように、ひらりと躱したジンの横を通り過ぎて頭から地面に激突する。

「すまんすまん。舌噛んだり、首折れたりしてないか?」

 ローレンは首を振って起き上がる。鼻からは赤い血が垂れている。

「いま、顔殴ったっすよね。ズルじゃないですか!」

「いや、殴っちゃダメなんて言ってないしな」と軽く首を鳴らし、

「で、まだやるのか?」とジンは確認する。

「当り前じゃないですか!」とローレンはまた正面から突っ込む。

 まだ距離がある状態で鎚を地面に向かって振るう。土が抉れ、弾き飛ばされた雨の如くジンの視覚を奪いに掛かる。

 そのままローレンは斧を投げつけ、自身はジンの左手側に抜ける。

 挟撃だ。一瞬タイムラグがあるとは言え、ローレンはミョルニルの特性で武器を回収することが出来る。

 ラグがあるとは言え、ジンは避けるという動作を取ることになり、そののちに死角から飛んでくる一撃を対処しなければならない。

 ジンは立体的な攻撃には慣れていないのが先ほどの攻防で既に認知されている。

 数分も続いた勝負も、結果に繋がる動きは瞬きする間もなかった。

 ジンは斧を軽く刀で弾き返しながら振り返る。

「コールウェポン!」

 ローレンは鎚を呼び戻す。そのままジンの左腕に向かって振り下す。だが、まるで鞭のように刀が鎚に巻き付いたかと思うと、ローレンの腕から鎚を奪い去った。

 剣術における巻き技である。一歩間違えれば死にかねない手加減抜きの演習で、難易度の高い技をこれほど見事に決めたことが、いやでも明確な力量差を認識させた。

 再度、鎚を呼び戻そうとするローレンの詠唱をかき消し、肩を掴むと首元に刀の背を当てる。

 首元に充てられた刀には青色と赤色の魔力が、そう、ジンの刃にローレンの魔力が流れており、起動時とは比較にならないほどの光を放っている。

「刃じゃない、すよ」

 物怖じしていない態度とは裏腹にローレンの声は震えていた。

「当り前だ、訓練だからな。それにこの距離でも振り抜けば首を折るくらいはできる」

 ジンがローレン笑いかけ、手を放す。それをみてイヴが安堵の吐息を漏らす。

「それで、私たちは何をすればいいの?」とイヴは訊ねる。

「いや」とジンは遮り、「イヴ、お前も俺に刃を向ける理由がある筈だ」

 イヴに向けて刀を構えなおす。イヴは何も言い返さずに、曖昧に笑みを返した。

「今、自分の前に自分より強い者が現れた事に不服はないかと聞いている」

「それは……」とイヴは言いかけて、

「ほら、あなたも言ったじゃない、世界は広いって」と言葉を選びなおした。

「なら、それに対して思うことがある筈だ。違うか?」とジンが問い詰める。

「私が何を思っていても説教を受けるような事は何もないじゃない。ちゃんと演習場の整備はするわよ。ほら、早く指示出してよ。それとも、なに? 私とも腕試ししたいの?」

「お前は守れなかったことに対して、何も思っていないのか?」

 イヴはジンから目を背けると、刈り入れされていない草原の前に立つ。

「ほら、ジン。指示を出してよ。私は何をすればいいの?」

「イヴ、そんなことだと死んでも後悔することになるぞ」

 ジンの言葉に一番初めに反応したのはローレンだった。

「一度も戦場に出てきていない、お前が言うな!」

 ローレンは鎚を呼び戻し突っかかるが、ジンは振り向きざまに顔を足蹴にして転がしてしまう。

 意識が飛びかけた頭で立ち上がろうとするローレンに、

「ローレン、やめて!」

 とイヴは声を荒げると、槍に手を掛けてゆっくりと振り返る。

「思うところなんて沢山あるわ。でも、あなたを責めても意味がないことぐらい分かるわ」

「やっぱり思うところあるんだろ。だったら言わないとわからないだろ」

 と、ジンは大きく手を広げ、大げさに肩をすくめてみせる。

「特にお前ひとりで解決できないならなおさらだ。大体沢山なんて言うが、本当に言いたいことなんて二、三だ。数えてみろ」

 イヴは言われた通り律義に片手で数えだすが、指を三つ折ったところで手が止まる。

「うるさい! 事柄が三つぐらいでも、考えた回数は沢山だから沢山でいいの。分かってるわよ。私の言いたいことが小さなことだってぐらい」

 大声で捲し立てると、イヴは、ふん、と唇を立てる。それからジンの顔をしばらく眺めたあとに、大きくため息を一つ吐いた。

「だから勝負してあげる。そうね、もし私が勝ったら、一つ、言うこと聞きなさいよ」

「勝ったら、な」

 イヴは槍に金色の魔力を流す。槍の刃を走る金色の光はどこか暖かくて日光を思わせた。

 今日のイヴは調子がいいのだろう。いつものどこか影のある笑みとは違い、力量差がはっきりとついている相手に朗らかな笑みを向けている。それとも大声を出して、少し気でも晴れたのだろうか。

「なんか楽しそうだな」とジンは口にする。

「そんなことないわ。じゃあ、いくわよ」

 イヴは翅を広げると正面から突きかかる。武器のリーチ差を生かして小細工なしで勝つつもりだろう。

 数分、子猫のじゃれあいのようなやり取りが行われる。お互い相手の手を見る一撃しか繰り出さないが、ジンの方がやはり頭一つ飛び抜けて勝っているのは目にみえる。

「なんなんっすかね」

 とローレンが不機嫌そうにこちらに歩いてくる。私は首を傾げてみせた。

「これだけ技量の差があるのに、なんで戦場に一度も出て来なかったんっすかね」

 私はそのローレンの問いに答えかねた。この世界のことも、ジンのことも、私には知らないことの方が多いからだ。

 私たちのやり取りが耳に入っていたイヴが、

「いいえ、それは違うわ」とジンから距離を取り直し、

「ジン、あなたは戦場に出てたわ。……少なくともハルは救っているわ」

 とジンに言葉を投げかける。

 彼は返答代わりに、ため息交じりの笑みを返す。

「集中したらどうだ? 怪我するぞ」

「手加減してる人に言われたくないわ。少しぐらいは本気引き出すから」

 イヴは槍を構え直すと、上空に飛びあがる。

「第一解放」

 イヴの言葉に反応して槍が形を変え、銃身が開く。

 と、ジンは左手で鼻を押さえる。

「すまん。ひらひらしてるスカートみてたら鼻血出た」

「ちょっと、あなたが集中しなさいよ」とイヴが声を荒げる。

「まさか、ロングスカートの動きを楽しむ為にわざと手抜きをしてたんすか、こいつは一本取られたっすね」とローレンは感心する。

「絶対違うから。違うって言って」

「まあ、なんでもいいから早く続きするぞ」とジンは否定せず続行を促す。

「良くない!」

「そんなに見てほしいなら。仕方ないな」

「なんで、私がいかがわしいことしてるみたいになってるの。真面目にやるから、ちゃんと構えなさいよね」

「余裕だ」

 とジンは応える。カシャッと音を立って、刀の刃をイヴに向けた。

「いやっすね」とローレンが肩を落とし、「手を抜いてることは分かってたっすけど、刃すら向けられてないとか、気付きたくもなかったですね」と頭を掻いた。

 彼女たちの切り札を持ってして、やっと武器を構えたのだ。

 例えるなら、先ほどまで対戦ゲームで攻撃ボタンの一つを使わずに、相手に翼というハンデを上乗せした状態で、圧勝していたのである。

「死んでも知らないから。穿て、繰り返される剣戟の音!」

 銃身に集中した魔力が光熱エネルギーと化して射出される。

 常人の反応速度なら、発射される前に阻止する、あるいは全力で回避する方が遥かに楽であろう魔術の光線だ。しかしジンは刀の軽い一振りによって、刃に当たった先から雲散させていく。

「嘘でしょ?」

 本来なら文字通り必殺の一撃。それを軽くあしらわれたのだ。動揺するのも無理もない。けれどイヴの顔には動揺よりも苦痛の表情がにじみ出ている。

「今日の訓練は終わり、さっさと降りてこい」

 と、いったジンは刀を地面に突き立てる。鼻を押さえたまま手頃な木の根に腰かける。

 ふん、と鼻血を吐き出し、

「大体、お前らの実情はわかった。魔力操作の訓練したことないだろ」

 と、彼なりに言葉を選んだ様子で投げかけてくる。

「いや、多量に魔力送り込んでズバズバした方が早いんっすよ、あいつら」

「それでネイザルキャバティ一匹か?」

「ネイザルは関係ないじゃないっす……」と物言いかけたところでローレンは口をつぐむ。

 ジンはイヴたちの暗い表情など気にせずに、

「じゃあ、明日からは魔力操作の練習からだな。それとイヴは医務室な」と言い放つ。

「……はい」

「それとアイリス、感想はあるか?」

 かんそう?

「おさかなの干物?」

「訓練を見た感想」

「グワッとして、早い?」

「……なるほど。不味いな。ラグムを使う上で、それは致命的だ」

「私たちが話についていけるレベルに合わせてくれないっすか?」

「マナ見えてないんだろ?て話だ」

 マナは魔力を発生させる為の元だ。魔術を使用すると魔力から元に戻り、大気中に発生するものでもある。魔術とは魔力をマナに変換するときの副産物なのだ。要はこの世界で魔術を発生させる為に必要な数字化されてないmpみたいなものだが、今の私たちはそんな基礎的なことも分からず、ただ首を傾げるばかりである。

 ジンは暫し目を閉じ、深いため息を吐くと頭後頭部を掻き、

「いいか、お前ら」と気を取り直す。

「俺の持論になるが、勉強、努力、鍛錬ってのは結果を出すためにやるんだ。お前らは今のお前らで欲しい結果が出せているというなら好きにすればいい」

 と言い放ったジンに、睨まれたローレンは渋々頷く。

「そして言われたことだけを何も考えずにやることをやめろ。教える側ってのは全部を言葉や形にして教えられるわけじゃない。それにお前の欲しい結果と教える奴が出させたい結果が完全に一致してないことなんてよくある」

 イヴの鬱屈な表情を見て、ジンは訝みながら片方の眉を上げ、また頭を掻く。

「それとコミュニケーションは円滑に行いたい。言いたいことがあれば言え。黙ってても俺は分からないからな」

「その偉そうな態度どうにかして欲しいっす」

「偉くなってから言え」

「おさかな」

「それは聞いた」

「よし」と鼻血が止まったのを確認すると、彼は立ち上がるとズボンを払い、

「じゃあ撤収するぞ」と言った。

「……ジン」とイヴが呼びかけるが、「やっぱり後でいい」と口をつぐむ。

「分かった」と返した後、思い出したように、

「アイリス、ラグムで道の整備しながら帰るか」と手を打った。

 ……やっぱりダイナマイトみたいな扱いするのか。



 その日の夜の事だ。

「ローレン、昼間言ってだろ。こいつで勘弁してくれ」

 とジンは私をローレンに引き渡す。

「待って。承認した覚えはない」

「魚一匹」

「おさかな一匹!」と喜々としてしまった後に後悔しては後の祭りである。

「しょうがないですね」

 嫌々な声とは裏腹にローレンは満面の笑みで私の襟首を掴む。

 これはダメな奴だ。

「もう一声」とジンに助けを求める。

「ローレン、加減はしてやれ」

「了解っす。じゃあ行きましょうね」

 女の子が出してはいけない下品な笑い声を漏らしながら、ローレンは私を引っ張って行った。

 そんな、私が心を無にして抱き枕と化した夜に起こった医務室での出来事である。

「ほら早くしなさいよ。恥ずかしいというか、緊張するというか」

「大丈夫だ。すぐ慣れる」

「いや、なんか慣れたらすごく大切なもの失う気がするわ。純情とか」

「それは食えないだろ。問題ない」

 その話は食える食えないの問題ではない気もする。

 今、イヴはジンの背中を観察している。

 ジンは度し難いめんどうくさがり屋だ。故に、物事を効率化すること、同時進行することに余念がない。今回の行動もそれである。薬の調合をするついでにイヴに自分の上半身、もとい魔力線を見せているのだ。理由がなければ、自分の半裸を少女に見せつける変態である。

「で、見えたか?」

「傷とか筋肉がすごいというか…、これ何の傷なの?」

 研ぎ澄まされた歴戦の刀の刃のような背中…、まるで必要な筋肉以外そぎ落とし尚も洗練と鍛錬に明け暮れたような傷だらけの背中だ。

魔力武装(ウィザードアーム)には背後から襲ってくるものもあったんだ」

「魔力武装って、あなた、やっぱりスヴァルト出身なんでしょ。魔術兵器を使える兵士なら研究対象としては一級品だものね」

「そんなことより魔力線は見えたか?」とジンは話を戻そうとする。

「それならローレンの誤解もすぐ解けるわ。あの子が嫌いなのはスヴァルトの研究者……」

 彼の言葉を意にも介さずにイヴは推測を語り続けるので、彼は手を止めて向き直る。

「イヴ、憶測でものを語るな。お前の憶測で要らん呼び水を呼びそうなものは特に、だ」

「でも、あの子が敵対心を持ったままなのは良くないでしょ」

 ジンと目があってイヴは赤面する。しかし、目を背けながら言い返した。

「それは軍事機密より重くはないんだよ」

「そんなこと言って、誤魔化したって解決しないわよ」

 ちらちらと彼の方に目をやる。

「え…」

 イヴは驚きで目を丸くして、彼の身体を見つめる。

 傷、創、疵…、銃創に刀疵、どれも致命傷になってもおかしくないことを、彼女自身の足の震えが教えてくれた。これほど大きな傷を受ける戦闘を幾度も潜り抜けて、身体に欠損がないことは奇跡だろう。

「痛くないの?」

 彼の身体の一つに傷に触れて、イヴは訊ねる。

「ああ、痛くないぞ。痛みなんて、すぐに慣れるからな」

「あなたほど強くて、どうして、こんなに傷を負ったの? 下手すれば死んでたんじゃないの?」

「そうだな、死んでいたら楽だったんだろうな」

 とジンは一人頷き、

「死んでも後悔しないために、立ち向かったからだな、一人で」

 彼はイヴの頭をガシガシと乱暴に撫で、

「お前は英雄とか、正義の味方とか、ヒーローは好きか?」

 と、答えが返ってくる前に話を続ける。

「俺は人間が、人が嫌いだ。だから、正義の味方になりたかったのかも知れん」

「それって、おかしいわよ」

「もっともだ」とイヴの言葉に彼は頷き、

「人を好きなやつが正義の味方になる方がよっぽど理にかなってる」

 と、彼女の視線に小さく笑みを返す。

「お前は正義って何だと思う?」

 唐突な言葉にイヴは目を見開く。そして、少し思案すると、

「それは、やっぱり秩序とか、弱い者を守る味方じゃないかな」と答えた。

 何かを察して自信を持てないイヴの顔に、ジンは口から出ようとした言葉を飲み込み、

「お前が本当に自信を持って、正義だ、と言えるものが見つかるまで、その答えはお預けだな」と言いなおした。

 ジンはイヴの頭から手を放し、傷の一つずつを指さす。

「これも、これも、背中のまで含めてだ。どれも正義を、いや、望みを勝ち取ろうとしたものだ。恥ずべきものでも、隠すものでも、まして他人に憐れみを持たれるものじゃない」

「じゃあ、あなたに後悔はないの。言ってたじゃない、死んでも後悔するって」

 イヴの言葉にジンはまるで数日前の出来事でも思い出すような顔をし、「ああ」と応え、

「あるぞ、歳にしては多いぐらいに、な」

 答えとは裏腹な優しい笑みを返した。

「なんでそんな明るく返せるのよ」

「後悔は死んでからすることにしてるんだ。反省…、修正…、本当に目指すものがあるなら、後悔で立ち止まってる暇なんてないってな。昔、学んだんだ」

 また彼は一人頷く。

「昔話…、いや身の上話はそろそろ終わりにするぞ。寝る時間が減るのは良くないからな」

 呆けているイヴの額をジンは指ではじき、

「ほら、今日で魔力線ぐらい見えるようになってくれ」といった。

「いや、やっぱり男性の裸なんて、恥ずかしいし」

 我に返えると、羞恥心から、またイヴは目をそらす。

「じゃあ、ローレンにでも頼むか」と冗談交じりにジンはいった

「あぁ…」

 とイヴは嗚咽にも似た声を漏らす。起きるであろうことは想像に難くない。

 彼女は嫌悪感を隠しきれず、

「それは遠慮するわ」とすっぱりと返した。

「ま、なんにしろ、急がないと間に合わなくなるからな。否応なく見てもらうことにならないことを祈るよ」

「急ぎなの?」とイヴは驚いた。

「ウルズが凶兆を見た。それもとびっきりの最悪だ。精度は芳しくないから、わざわざ確認しにいかないといけないのは面倒だが、良くて期間は一か月ってところだろうな」

「そんな話、私聞いてないわ」

「そりゃそうだろ。まだお前らに辞令が出る段階じゃないしな。それにスヴァルトに着地する可能性だってある。編成案段階の話だ」

 領土の広さでベットするなら大方ヴァニルだろうなと、ジンは付け加える。

「魔力線、みれるようになれば生存率は上がるの?」

 とイヴは訊ねる。彼女からしてみれば、即戦力となる技術なら、羞恥心を抑え込んででも、努力する価値が見出せるのだろう。

「一桁の足し算出来るようになれば、掛け算出来るようになるのかってレベルの話だぞ、それ」と、ジンは呆れた顔をし、「剣が綺麗に振れるようになれば、投げ技を綺麗にかけれるようになれば、って話には実戦はともなってないんだよ。今までのお前らみたいに、単純な力で押し切られる場合だってある。むしろ変な技術に頼るより、そっちの方が強い場合だってある」

 とジンはその勢いのまま、困り顔のイヴを捲し立てる。

「お前は本当に物事を極めようとしたことや挫折がないから、一か月やそこらで物事が解決できると勘違いしてる。いいか、俺の傷だって、本当は傷なんて作らずに済んだ方法だってあった筈だ。努力しないのは論外だが、努力する方向、挑戦する方法を間違えれば傷なんかでは済まない」

 と、ジンは暫し思案し、

「つまり、今やっているのは選択肢を増やすってことだ。それが選択肢として使えるのなんて、ずっと先のことだがな」

 言い終えて、彼は溜め息を吐き出す。どうにも言いたいことは伝わってないことに気が付いたらしく、自身の額を掻いた。

「じゃあ、私はどうすればいいの?」

「考えろ。他人に選択権を任せるな、そして死ぬな。そして絶対に帰ってくる。まずはそこからだ」

 言いたいことをまとめきれずジンは渋い顔で唸る。考えれば考えるだけ、理解されない話に歯がゆさを覚え、八つ当たりのように、「分かったら、さっさとそこに座って背中を見せろ」と乱暴に指示を出した。

「あの……、恥ずかしいから、あんまり見ないで」

 彼女の視線が外れて、ジンは少し落ち着きを取り戻す。服をたくし上げ、耳まで赤くしたイヴを気にも留めず、彼は筆を取った。そう、文字通り筆だ。先ほどまで調合していた薬品を絵の具のように、筆先に付けると、

「ちょっと、ひんやりするけど動くなよ」といった。

「ちょっと何、くすぐったい」

 身をよじろうとしたイヴの肩を掴んで無理やり抑えつける。

「おい、術が失敗したら取り返しがつかないから、ほんと動くな」

「だって」

「お前に信用されてないのはよく分かったから、我慢しろ」

「してる、してる、してるから早くやめて」

 ジンはしかめ面になって、歪んだ四重の円の中に文字を書ききると、右手のひらを文字の上に置く。

「此は成長の枷となる楔、此は滴下を束縛する楔、此は終焉を繋ぎ止める楔。汝、三大の命題を解きて、自らの力を取り戻さん。我、秩序の使徒として汝の力を封ずる鉄鎖。レージング」

 呪文と共に文字が金の光を得て、円の中を走り出す。歪んでいた円は真円へと姿を変え、文字は第一節、第二節、第三節と外周に収まっていく。

 イヴは身体を一度、仰け反らせた後、力なく前屈みに丸くなる。

「死んでないか、調子はどうだ?」とジンが確認する。

「身体は凄く軽くなった気がするけど、力が入らない。何をしたの?」

「魔力線が肩の辺りまで伸びてたから封印処理だな。力が入らなのは、今まで筋力を魔力で代用していた場所に魔力が届かなくなったからだろうな」

 とイヴの質問に答え、「そうだ」と思い出したようにジンは付け加える。

「肩まで伸びている魔力線が顔まで伸びたら、お前死ぬぞ」

「…うん」とイヴに力なく返され、ジンは溜め息を吐いた。

「魔力の放出の量が変わるからな、明日から特訓だからな。分かったか?」

「…うん」

「動けるか? 隣にいてやるから、今日はここで寝ればいいからな、分かるか?」

「…しんどい」

 頭の中にモヤが掛かったような表情のイヴの服を直すと、ジンは軽々と抱え上げるとベッドの上に寝かしつける。彼にも理解が追い付かない魔術現象はあるらしく、軽く首を捻って、イヴの脈を取る。

「しばらく様子見るか」

 独り言を呟くと、イヴの顔に光が当たらないようカーテンを閉めて、片づけを始める。それが終わると、また道具を広げて工作を始めた。

 どうやら今晩は長くなるらしい。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ