1.『彼女たちの日常的非日常』
一月二十日、晴れ。
魔術兵器ウルズの未来視は確かに、その日を指していた。
凶兆である。巨鳥が落ちると例えられた飛空戦艦が落ちるとまで予見された日。地上からの侵略者。人と呼ぶにはそれらはいささか懸け離れすぎている怪物。悪魔や異形と表現するのが相応しい。この時代の人が巨人と恐れた存在が群れをなして、空の世界を襲撃する日だ。
……そうだ。この時代、世界について説明する義務があった。
剣と魔術の時代と呼ばれる三百年は続いた神法歴が六百年ほど前にあった。終止符を打ったのは七鬼の悪魔と神々の大戦である。
その大戦の後期に極大範囲魔法が放たれた。空を覆い、大地を穢して、人間という存在を絶滅の一歩手前まで追い込むには十分な力があった。
その汚染された大地に、巨人と呼ばれる異形が生まれた。
生き残った人々は神や英雄を失って戦うことを選択できずに、巨人から逃れるために空の世界へ人々は入植した。
それが今だ。終末の時代とまで呼ばれる時代、世界樹歴となる。
また大戦中に多くの魔術技術は失われ、それを行使できるものも同じく数を減らした。今では新しく製作出来る者もおらず、別の技術にとって代わられるもの多数あった。だが、そんな付け焼刃の技術は延命行為にしか過ぎず、着々と、人は生存圏を巨人に奪われていた。
そんな黄昏の時代。
空に上に浮いた巨大な島を防衛する為に、展開したある飛空戦艦の武器庫の前だ。
少女が一人いた。深呼吸すると、ドアに手を掛ける。
彼女の名前はイヴ。歳は十五、六といったところで、綺麗なクリーム色の髪を長く伸ばしている。少なくとも現代戦闘においては戦場に出てくる年齢、容姿ではない。少年兵、そう呼ばれてもおかしくない年頃だ。
そこに赤い髪の長い三つ編みの少女が通りかかる。
「戦場なんて嫌いだ。楽しくない。楽しくないっす」
と、赤い髪の少女は鼻歌交じりに口にする。そしてドアに手を掛けていたイヴに駆け寄ると、後ろから抱きついた。
赤い髪の少女は、イヴの一つ下の歳であるローレンである。一つ差とはいえ、二人は先輩後輩や姉妹というより、親友の関係である。
「ローレン、あんまり悪目立ちすることしないの。快く思ってくれている人達ばかりじゃないんだからね」
とイヴはローレンを諭す。正義感が強く、真面目な性格の彼女らしい言葉だ。
「しかし、わかんないっすよね。この服。心に熱く滾る情熱はひらひらで、きらきらで、ミニスカな女の子こそ正義だってこと。軍部のお偉いさんが分かってないことに、嘆かざるでおくべきか、いや、ない。そして、空で後ろから付いてくるあたしにこう言うんです。見せパンだから恥ずかしくないもん」
とローレンはイヴの話を右から左に流すと、自分たちの戦闘服にケチをつける。
キラキラという意味では彼女たちの服装の方が戦場では目立つだろう。白の布地に金の刺繡。あたかも敵に発見してくださいと言わんばかりに、キラキラと光を反射してしまう。
「それ採用されたら、あなたも着るのよ」
「却下で」
イヴの冷静なツッコミに、ローレンは即答する。次に溜息交じりに肩を落とした。
「いや、しかし、美少女の曲線が見たい。日々成長して大人になっていく胸部、腹部、臀部を汝観測せよと神が言っている。そう、最年長組になり、お風呂の時間が別になろうと、戦場で警戒態勢の為に一人ずつしかシャワーを浴びれなくても、あたしには、ねこさんパンツを卒業できないイヴの成長を確認する義務が……」
「はいはい、分かったから」
と、イヴは声音には出さないが、どうやらねこさんパンツの下りを気にしているようで、ローレンの頬を抓って持ち上げる。
「痛い痛い。冗談です。勘弁してください」
ローレンの謝罪の言葉を聞き終えると、イヴはドアを開ける。
中は普通の武器庫と同じである。照明は少なく、スペースは効率的にものを取り出せる棚になっている。
だが、どこも他の船の武器庫や倉庫と変わらないというのに、異質さはぬぐいきれない。そこに自身を運搬する為に作られていると言わんばかりに、存在を放つ魔術兵器が二つ。また、それらを安置する空間があるからだ。
魔術兵器。ミョルニルとグングニル。
先の大戦で神々が使ったとされる兵器である。差ほど大きくはなく、どこにでもある槍や鎚の形をしている。だが生理的に嫌悪感を覚えるほど、危険なものであることは生き物であるなら直感的に感じ取ってしまう、威圧感を持っている。
イヴは緊張で汗ばんだ手でグングニルを取る。彼女は戦場に出る度に握っているとはいえ、簡単に人の命をうばうことが出来る道具を振るう緊張感は拭えないのだ。
「もう、そんな顔をしてたら上手くいくものも行きませんよ」
とローレンは軽い調子でミョルニルを担ぐ。
「暗い顔なんてしてないから」
「ほらほら、別にあたしは暗い顔なんて口にしてないっすよ。眉間に、しわが寄ってるのは確かですけど」
ローレンはイヴの眉間の辺りにぐりぐりと指先を押し当てる。
二人が軽くじゃれあっていると、武器庫に戦闘服を着た獣人一人が部屋に入ってくる。
「あー、イヴのお嬢、悪いんだが」
顔や腕まで狼のように毛で包まれたワーウルフの男性がイヴに声を掛けた。黒毛主体で白毛が模様を作るバイカラーの獣人。襟元の勲章を見る限り、将校なのが分かる。
「お騒がせして申し訳ありません、アーサー師団長。ローレンには私から言い聞かせますから」
イヴは慌てて敬礼を送る。
「いや、お嬢たちが暗い表情しているより、明るい方がいいですから。本当に今回は様子を見に来ただけなんですよ。まあ、馬鹿どもがアイドルの握手会でも待ってるのかってぐらい浮足立ってやがりますがね。所属が違いますから、あっしらがとやかく注文をつける話でもないですがね」
と、アーサーと呼ばれた獣人がニヒルな笑みを浮かべる。彼が入り口に視線を送ると、二、三の視線がサッと隠れた。
「そうそう、あたしらは階級もない独立遊撃隊なんですし、硬くなっても仕方ないっすよ。アイドルみたいに笑顔で手を振って、期待に応える活躍をするだけっす」
ローレンはイヴの背を軽く叩く。師団長の前でも臆することなく、マイペースに笑顔のままだ。
「ローレンはもっと慎みを持ちなさいよ、もう」
イヴがため息を吐く。そんな正反対な二人を見て、アーサーは苦笑いを浮かべている。
「で、なんの用っすか?」
と、ローレンがアーサーに怪訝な目を向け、確認する。彼女にしてみれば、獣人は数の多いだけの数合わせなのだ。何かを注文を付けられる筋はないのである。
「いえ、いつもなら甲板に出ている頃なので様子を見に来たですけぇ。今回は酷い戦いになりそうやと、どないしてもウチの連中はお嬢方がいないと落ち着きませんで」
「分かりました。もう準備は出来ているので、すぐ行きますから」
と、イヴは返答する。すぐに耳に小型の通信機を付けた。
続いてローレンも仕方ないと言わんばかりに肩をすくめる。けれど、なにも言わず小型の通信機に電源を入れた。
「ありがとうごぜえます」
とアーサーが頭を下げる。
そんな彼を尻目にローレンは、
「で、なんの話してましたっけ?」
とアーサーに向ける態度とは別に、屈託ない笑みをイヴに向ける。
「何も議題してなかったでしょ」
「いえいえ、イヴがねこさんパンツ卒業するまでは、お互い生き延びようって話でしたね」
「引きずるな、その話」
とイヴは頭を抱える。正反対にローレンはにこにこと笑顔である。
「でも、あたし思うっすよ」
とローレンは頭をあげ、真剣な眼差しを向ける。
「親友が勝手にいなくなるのは嫌っすからね」
ローレンは珍しくみせた生真面目な態度をみせた。
イヴは少しばかり面食らったが、
「確かに今回は厳しい戦いになるかもしれないけど、最善を尽くせばどうにでもなる範囲だわ、きっと」と答える。
「きっと、と言わず、絶対と言いましょう。そっちの方が縁起がいいっすからね」
「そうね。私もやりたいことやりきってないから、ちゃんと帰る気でいるわよ」
ローレンは少しの間、イヴの目を見つめる。そして、にこりと笑みを浮かべ、
「じゃ、決意も固まったところで、湿っぽい話は終わりにしましょう、下着購入の日程を決めるっすよ」といった。
「ほんと、人がいるんだから、少しは恥じらい持ちなさいよ」
困り顔を見せるアーサーは目を逸らす。
イヴは赤くなりながら、ローレンの頭にぐりぐりと右拳をねじ込んだ。
「痛いっす」
とローレンは口にする。やられ慣れている為、けろっとしたいつもの笑顔であった。
そんな中、イヴは手をぴたりと止める。
「来た」と小さくイヴは呟いた。
「来たって、何が来たんですか?」
と、ローレンが確認する。彼女はイヴが深刻な表情をしているのが、いつもの心配症の延長ぐらいにしか考えていない。
「巨人。初めてみる大きいのが四つ。遠くにみえる」
「遠くが見える! つまり覗き放題じゃないですか。ああ、あたしもグングニルが使えたら、毎日小さい子達のお風呂覗くのに」
と、ローレンは熱くなって両手で握りこぶしを作る。ミョルニルを担いでいるというのに器用なものだ。
「おっさんか」
イヴはまた頭を抱える。ツッコミはするが、彼女からしてみればローレンとコントをしている暇はないのだ。
「其処にいる程度にしか見えないわよ」と彼女は答えた。
魔術兵器。現存する八つの内の一つ。勝利の槍グングニル。
穂先から柄に至るまで硬質な黒曜石によく似た精霊石である。一つの石から切り出したのか、何らかの方法でつなぎ合わせたのかもわからない歪な構造をしている。また、そのあまりにも大き過ぎる穂は、もはや薙刀とでも呼ぶべき代物だ。そして、その特性は遠距離攻撃に特化している。その能力を最大限生かすため、長距離の敵の索敵などというものはお手のものである。
「アーサー師団長。敵が来たので私たち行きますね」
とイヴはいった。彼女たちはそれぞれの魔術兵器を手に武器庫を出る。
先ほどまでの幼さの残る表情を何処かにおいていく彼女たちの背に、
「ご武運を」と、アーサーは敬礼を送った。
彼女たちが武器庫を出て、間もなく警報が鳴り響いた。
雲一つない快晴。まだ冬真っただ中の冷たい風が吹きつける甲板に出て、彼女たちが最初に気付いたのは、空に浮かぶ黒い点である。
「四つ。少なくてラッキーすね」
「いえ、あれは違うわ」
それは一束にまとめられた風船。いや、そんなものより禍々しい。蛙の卵と呼ぶべきか、蜘蛛の子が群がっているとでも表現すべきだろう。個々ですら醜いものであるのに、群となると、背中にまで鳥肌が立つ。そんな塊が空を漂って、ゆっくりと陸を目指しているのが分かった。
虫でも潰そうかという殺気がローレンの肌を刺した。発生源はイヴである。
「この位置から撃ち抜くつもりっすか」
驚きを見せたローレンを横目に、
「当然」
イヴは静かに短く答えると、槍を構え、魔力の装填を開始する。
穂から柄まで黄金の光が満ち、輝きが増していく。そして光が満ちると刃は形を変える。
「……第一解放」
火槍。いや、銃槍とでも呼ぶべきだろう。刃の一部が銃器へと形を変えた槍と共に地面を蹴り上げ、空に舞い上がる。
そう、文字通りに魔力で出来た蝶のような羽を広げ、空に飛翔したのだ。
「戦場を翔ける一番槍、穿て!繰り返される剣戟の音」
と、イヴが叫ぶ。
銃身とも呼ぶべき、刃に光が集中し、間を置かずに柄の先まで残さず魔力を吸い上げ、光熱エネルギーに変換する。距離にして数十キロ先を漂う小型旅客機の大きさを優に超す群体の一つを消し飛ばした。
一瞬の沈黙の後に、少なからず船内から喚声が響く。
……が、ローレンがいち早く気づいたのは、イヴが落下してくることだ。
元の形に戻った槍が、先に落ちてきて目の前に刺さったことに肝を冷やしつつも、イヴが甲板に叩きつけられる前に抱えることを成功させた。
「師団長、空から女の子が……、とかやってる場合じゃないですね」
知識のないローレンには症状の原因は分からなかったが、症状、対処法には思い当たる節があった。
「マウストゥマウス……、とかでもいいんですが鼻をふさいだら、情緒もくそもないんで、イヴ済まぬ」
と言い終わるのが早いか、右手で無理やり鼻と口を塞ぎにかかる。
過呼吸である。原因としては魔力が一時的に欠乏した為に引き起こされたのだが、原因は現代のものではないが、一時的な対処法としては一般的なものと違いはない。
「イヴ、イヴ、イヴイヴイ……、しっかりしてください」
陽気な呼びかけとは裏腹に、がっちりとホールドしているローレンの腕をイヴが何回か叩く。
「だいじょう、ぶ、大丈夫だから」
イヴは気の張った声を上げる。しかし立つことすらままならないほどに、イヴの息はまだ荒れていた。
「ダメっすよ、まだ。脳に障害とか残ったりするかも知れないっすよ」
軽い説教の後、ローレンは何か思いついたような顔を一瞬みせる。
そして改めて真剣な顔をし、
「イヴ、一刻も早く良くなりたいなら、あたしの言うことを聞いてください」といった。
「なにか思いついたのか知らないけど、いやらしことじゃないでしょうね?」
「ここ、一応ブリッジから見えてますよ。そういう趣味はないっすから」
と、緊急時でありながら疑いの目を向けるイヴに、ローレンが艦橋を指さす。
「分かった。信じるわ」
「じゃあ、ちょっと最初はびっくりするかも知れないっすが、目を閉じてください」
イヴは仕方なく肩の力を抜いて目を閉じる。
自分の荒い息の音が、頭がガンガン鳴り響き、より一層呼吸が早くなる。
……が、口を柔らかい何かで塞がれ、自分の状況を理解する。
口を口で塞がれたとか。殴ってやろうかとか。これ見られているとか。鼻息荒くて恥ずかしいとか。色々な感情が過呼吸で薄らいでいく意識の中に浮かぶ。けれど、ゆっくりとだが確実に正常に戻っていく呼吸を感じて我慢する方針を選ぶ。
その間にも、どよめきのある船内。砲撃の始まる音。やはり湧き上がる羞恥を押し殺して、イヴは呼吸が静かになったのを見計らうと、ローレンの額を押して引き離した。
「次、やったら怒るから」
「おっけい、次は最後までやりましょう」
返事の代わりにイヴはローレンの耳を抓り上げた。
「少し前までよくしたじゃないですか」とローレンが抗議する。
「そんな最近の事じゃないでしょ。それにあの頃は貴方がキス魔だからじゃない」
「そんな未来を誓い合った仲じゃないですか……、痛い痛いギブギブ」
ローレンの耳から手を離すと、イヴはふらついた足取り立ち上がり、槍に手をかける。
「ダメっすよ、まだ休んでなくちゃ」
「やるわ。あと二つは落とす」
気迫だけで敵を落としそうな声音だ。だが、立つことすらおぼつかないイヴの姿をみれば、虚勢を張っているのだと簡単に察しがつく。
「そんなことしたらイヴの身体が持ちませんよ。今だってほとんど残ってないのに、魔力がなくなったら、血でも捧げる気なんですか!」
ローレンの伸ばした手は力強く、イヴの肩に指を食い込んだ。
「今のあなたじゃ、あれの荷は重いわ。戦場にほとんど出たこともないから、そんな悠長なことが言えるのよ」
「じゃあ、約束はどうなるんっすか? イヴがいなくなったら誰が果たすんですか?」
気迫と裏腹に槍を引き抜くことすら出来ないイヴに、ローレンは真摯に訴える。
「あなたまだ、そんなこと言って……」
「帰って、やり残したこと、やり遂げるんっすよね?」
「……分かったわ」
いつもの飄々とした態度からは似つかわしくない程まっすぐな熱に押されて、イヴはため息交じり答える。槍から手を離すとローレンの手に手を添えた。
「下着買いに行く話かと思ったわ」
「あ、それも約束っすよ」
軽く頷いたのを見て、ローレンはいつもの鼻歌交じりの笑顔で手を引いて、艦橋の死角に正座で腰かける。
「さ、男の浪漫。膝枕っす」
「それ、される方じゃないの?」
ローレンが自身の太ももを叩くのに、イヴは疑問を呈す。
「チッチッチ。するのも、されるのも男の浪漫。ラヴラヴイチャイチャこそジャスティス!」
「てか、あなた女の子でしょ」
「将来的にはイヴの夫として頑張っていきたいと!」
「だから、あなたも女……」
とイヴは言いかけて、横に頭を振る。
「なんでもいいわ、ちょっと休む」
とローレンの膝の上に勢いよく頭を乗せた。
「将来、何人子供ほしいですか? あたしは三十人ぐらいほしいです」
「……」
「ありゃ、ツコッミなしですか」
「寒い」
「そりゃ、春はまだ遠いっすからね」
なにせ大寒の時期なのだ。戦場だと感じさせない暖かな日差し、気候が穏やかな地方でなければ防寒装備になっていただろう。もっともイヴの寒いと言ったのは気温の話ではないのだが、ローレンは理解していない。
「敵前でこんなことしてて怒られないかな……」
「じゃあ医務室行くっすか?」
「気が滅入るから行かないわよ」
砲の轟音。空気に漂う火薬の匂い。普通なら眠れるはずのない環境でイヴは目を閉じる。
魔力の消耗も大きかったのもあるが、それ以上に彼女は、この非日常に慣れてしまっていたのだ。
通信機の呼び出し音で、イヴは目を覚ました。
「あ、はいはい。こちらローレンシア。今起こしますから、はいはい、では」
「ちょっとローレン、そんな雑な返ししたら……」
「大丈夫、アーサー師団長なんで」
「それは大丈夫とは言わないわ」
と、イヴは起き上がると通信機の電源を付ける。
「では、イヴが一番槍を立てたことですし、あたしはちょっくら狩ってきますか」
コールウェポン。ローレンがそう唱えると、彼女の手に鎚が収まる。
「待ちなさい、ローレン」
「膝枕で足は痺れますけど、空中戦で足なんて飾りですよ、と」
そのまま彼女はトンボの翅の形状の四枚羽を広げると、戦地となった島に飛び込んでしまう。
「違うの、今回の敵は……」
「お嬢。こっちでもできる限り援護しますんで、準備は怠らないでくださいよ」
通信機から聞こえてくるアーサーの声。
「あれは……、アクヒューマアはダメなんです!」
とイヴは通信機に怒鳴り返してしまう。
アクヒューマア。巨人の中でも個体数はそれほど確認されてはいない種類である。群れで行動し、獰猛かつ執拗に獲物を追撃する。発見した者が行方不明や未帰還になった為に個体数が確認されていない説まであるほどだ。
その姿は、イソギンチャクともタコともつかない引きちぎれても再生する数多の足。四トントラックは優に超す巨体。胴体と言えば濁った眼球の形で、水晶のような硬質で透明な殻に濁った白い体液が詰まったものだ。
目や鼻といった柔らかい部分は確認できない。唯一致命傷を与えられる胴体には銃が効かない。正確には銃や大砲といったものが完全に効かないわけではないが、迫るその身体に銃弾を浴びせ続けても倒せないことがほとんどだ。
「落ち着てくだせぇ。以前と違って、今度は地の利、弾薬、人数も上回っていやす。対処出来ない範囲ではごぜえません」
と通信機の向こうのアーサーは動じずに冷静な声を返す。
「すいません。ちょっと嫌なことを思い出してしまって……」
イヴは彼の落ち着いた声に我に返る。頭を冷やすために呼吸を整えた。
「お嬢、やれますか?」
「やります。やらせてください」
イヴはゆっくりと決意を答える。まだ、おぼつかない足取りで槍を引き抜いた。羽を広げ、空に舞い上がると一直戦に島を目指して飛び去った。
先に出たローレンは到着してものの一分も掛けず、アクヒューマア二体を撃破した。
既に敵が散開し、兵士達が足止めしているのを各個撃破していく形になっていたのだ。
火力に不足のあるヴァニル兵でも小隊を組めば、足を壊すことぐらいは容易である。そのため足の再生まで足止めが可能である。
そしてローレンの魔術兵器はアクヒューマアに対して有利なものだ。
魔術兵器ミョルニル。現存する八つの内の一つ。
頭が刃であり塊である。刃が塊なのではなく、塊が刃なのである。タイガーアイの如き波のある色合いの精霊石で組み立てられたものだ。柄が両手で握るには若干短いが、カチ割る、叩き潰す、打ち砕くことに特化されている。近接戦闘において無類の強さを見せる。
足の止まった目標を壊すならば、これ以上適任な武装は現存しないであろう。より支援の薄い前線に出ても各個撃破なら容易い。
嫌悪や恐怖を掻き立てられる見た目も慣れてしまえば、恐怖心より功名心がローレンの中で上回る。着実に撃破数が増える安堵か、それとも慢心からローレンの口元には自然と笑みが浮かぶ。
街路を這いずる一体を撃破した時だ。
ふ、と地面に影が出来たことに気付き、上空に目をやる。
アクヒューマアのぬめりとした足が頭上に広がっていた。
飛んで逃げることも、避けることすら叶わず、ローレンはそのまま押しつぶされた。
「すいやせん、お嬢。ローレンの姐さんが群れの中に孤立したみたいで、俺たちじゃどうにも出来ない状態なんです」
通信機から送られてくる情報にイヴは唇を噛んで耳を澄ます。
口の中に鉄の味が広がったのも気にせず、「了解」と応えた後に、また唇を噛む。
ローレンのことだ。飛行速度が速く、白兵戦に尖った武装なら前に出過ぎてしまうだろうことなど想像に難くないことだと、イヴは自責の念に駆られた。
高度を上げなくて探さなくてもみてとれる。指定されたポイントは途切れない発砲音。硝煙で空気が濁り始めていた。
イヴは真っ直ぐに地点に向かう。
だが突如、彼女の下から壁の如く広がった攻撃的かつ防御的な魔力の塊が現れる。そのまま車をアクセル全開で壁に打ち付けたような衝撃が彼女を襲う。
グングニルに込めた魔力が彼女を守ったが為に致命傷には至らなかった。それでも通常なら全身の骨が砕けてもおかしくない衝撃だ。時速百キロを自家用車に跳ねられと言えば分かりやすいだろう。人を殺すには容易い衝撃、彼女の身体ごと意識を弾き飛ばしたのだ。
落下する中、残った意識で彼女は反射的に羽を広げる。そのまま状況を整理するために屋根の影に身を伏せた。
「嘘、でしょ…?」
イヴが驚きの声を上げた。
それも当然だ。アクヒューマア以上のイレギュラー。彼女たち一人一人と同等の力を持つ敵の姿を見つけたからだ。
その巨人の名をネイザルキャバティ。
通称ネイザルと呼ばれる巨人だ。根の育ったジャガイモに四肢を付けたような一頭身の肉の塊である。
こいつは個体数が非常に少なく、また巨体のためか性格は穏やかなものが多く、餌を、この場合、人を生贄にするのだが、捧げれば攻撃してこない。そのうえ飛行や浮遊能力がないため、浮島に襲来することはない。また地上でも遭遇することは稀で戦闘履歴が少ない。だが一度交戦状態になれば、自身の身体を触媒にして魔術を行使してくる。ヴァニルの一般兵、一小隊では倒しようのない敵である。
「どうして」
自身の索敵能力が、索敵班が気づかなかったかのと。イヴの疑問はすぐに解消されることになる。
ネイザルの肌の色が日光に照らされ、白い石造りの街を映し出す。
擬態である。体色の変化というのは単純ではあるが極めて有効な目くらましになる。擬態といえば有名なナナフシという虫がいる。専門家でも、もっといる可能性はあるがその個体を発見出来ないからと、絶滅危惧種に認定する場合があるほどだ。それが目まぐるしく変わる戦況においてなら、なおさら発見が遅れるというものだ。
戦闘状態になったことでネイザルの体色が不気味な緑色に変化し、イヴの落下地点に鈍重な肉体とは裏腹に華麗な跳躍を見せる。
住居の屋根を破壊しながら着地する。少しの間、その巨体を軽くくのに曲げる。身体を起こすとイヴが隠れている建物の陰に身体を向けた。
攻撃される気配を察知してイヴが陰から飛び出した。飛び出した建物を視認出来るほど濃い魔力壁が破壊する。
既に敵の知覚に捕捉されたイヴが覚悟を決めるのに時間は必要なかった。
大きく回避すれば、距離を詰める事すらままならい魔力壁を槍の性能を頼りに捌きながら距離を詰める。隙が出来、火力の調節が難しい第一開放を使うよりも、槍の刃で直接叩き切った方がいいという判断からだ。
ネイザルはイヴの一刀を巨体からは想像もできない軽いフットワークで避けると、反撃とばかりに右腕を振りぬく。
その一撃を受け止めるが、拮抗することもなく紙飛行機のように飛ばされてしまう。
簡単な話だ。魔力も筋力も力であることには変わりなく、魔力で単純に二倍三倍の力を引き出しても、最後には百倍差はある圧倒体格差というものが出てしまうものだ。
イヴは風にさらされた羽虫のように風に飛ばされ、詰めた距離を引き離されてしまう。
槍の刃で裂けたネイザルの腕は少量の体液を流したが、まるで何事もなかったように再生していく。
「私がやらなきゃ。私がやるんだ」
イヴは自分に言い聞かせる。無論、言い聞かせたところで、彼女の技量が上がる訳でも、向かい合ったネイザルが手を抜いてくれる訳でもない。
自らの使い過ぎた魔力がチリチリと背中を焼くような痛み。ネイザルの拳を受けた止め時に肩が外れ、だらりと左腕が下がっている事実も変わらないのだ。
折れそうな彼女の心を救うものはいない。彼女の窮地を救ってくれる王子様なんて現れるわけもない。ここは、思考を止めれば、手を抜けば、慢心の一つで、日常がすり抜けていく戦場なのだ。
けれど、まだイヴは生き残ることを諦めてはいない。誰しもが絶望を感じる状況を前にしても諦めていないのだ。
ある古い物理科学者が言った言葉に、「蜂は飛べないことを知らないから飛べるのだ」というものがある。これは当時の航空力学において蜂が飛べる形をしていない、という逸話の一つなのだが、これと同じだ。
彼女は彼女たちの魔力量の上限を知らないのだ。常人なら自分の才能の限界だと諦めただろう。天才なら自分の技量の限界だと諦めたかも知れない。だが、蜂は科学者に君は飛べないと言われて、飛ぶことをあきらめたりはしないだろう。
彼女はただ生き延びる為に前を向いた。
「グングニル、第一解放!」
とイヴは叫んだ。自らの魔力を供給する線。魔力線が背中から、腰を、胸を、腹を犯していくのが分かる。焼けるような熱さが全身を走る。それでも彼女はネイザルに突貫する。
ネイザルも傍観していない。牽制の魔力壁ですら一撃で家屋を三棟は破壊した。イヴを懐に入れまいと、振り回される腕も先ほどとは比較にならないほど絶え間なく繰り出される。だが、イヴはその連撃すらも輝きを増した槍で捌いていく。もっとも力の差は埋まるほどではない。直撃すれば、次は右腕を持っていかれも不思議ではない。
槍が変形し、銃口が姿を現す。
「繰り返される剣戟の音!」
叫び声と共に密着した状態、つまりゼロ距離で熱光線が放たれる。前回ほどの魔力量ではないとはいえ、ネイザルの身体に風穴を開けるには十分な威力だ。
焼け溶ける肉の臭いが彼女の鼻孔を襲う。まるで熟れすぎた実が破裂したような強烈な吐き気を催す悪臭だ。
そんな中、イヴは限界を迎えていた。強敵を倒した安堵もあったのだろう。グングニルに回す魔力もなく、崩れ落ちるように着地するのがやっとだった。
それでも彼女の意志は動かない身体を無理やり立ち上がらせた。
彼女が顔を上げて、目に入ったのは歪に膨れ上がっていくネイザルだ。
煮立ち、圧縮し、滾り、爆発するような腫れ物がいくつも大きくなり、また小さくなる。
自爆だ。
イヴが全力で逃げて巻き込まれるか、巻き込まれないかの規模の爆発は予想できる。
今の魔力の尽きかけたイヴには、それを止める魔力も力も残ってはいない。
「ヒーローは遅れて登場するものっすよ」
彗星の尾如きなびく赤い髪。空から降る明るい声。それと共にローレンの鎚が歪に膨れ上がった肉塊を打ち砕く。肉片は飛び散り、力を失って萎んでいく。
「ローレン、あなた足が……」
と言葉がイヴの口をついてでた。ローレンの姿は快活な声とは裏腹に、服は破け、まとめていた髪は乱れ、流れた血は固まり浅黒い色に変わっている。
「千切れてないから、二週間もあれば治りますよ」
とローレンは軽快に返す。だが太股から下の衣服は破れ、肉は抉れ、血まみれなつま先はだらりと力なくぶら下がっている。素人目に見ても全治二週間でないことは見て取れる。
「そんなことより、肩はめるの手伝いますよ」
ローレンは空に浮いたまま器用にイヴの外れた左肩をはめる。
「私たち、ボロボロね」
とイヴはいう。少し安心したのだろう。小さくため息を吐いた。
「でも、それも、もうすぐ終わるっすよ。さっき半数以上倒しましたし」
ローレンは上半身で喜びをアピールする。
誤って飛び込んだ群れの中で生き残るためには、敵を倒し続けるしかなかったとは言え、結果的に彼女が凄まじい戦果を上げた事には変わりはない。
「そう。頑張ったじゃない」
「いえいえ、イヴこそ大戦果じゃないですか。ネイザルを倒すなんて」
と彼女たちの間に笑顔が咲いた。戦場でありながら小さな安堵を手に入れ、厳しい状況の中に希望を見出したのだ。
「あ、でも」とローレンが疑問を口にする。
「おかしな話だとは思うんっす。なんで、あれらは逃げないんすかね?」
「それは……、今まで逃げたところ見たことないから考えたことなかったわ」
とイヴは一考するが、
「今はそれよりも残党を倒してしまいましょう」という。
「それもそうですね」と、ローレンが得心した。
そこでイヴは少しでも情報を得ようと通信機に耳を傾ける。しかし、ノイズの音しか拾えないことに気づく。
「駄目ね。ノイズしか拾えないわ。あなたの方はどう?」
とイヴは自分の通信機をつついて見せる。
「あ、ごめんっす。さっき通信機壊れちゃって、右耳くっついてるっすかね」
ローレンは血がこびり付いている髪を剥がして右耳をみせた。
「大丈夫、くっついてるわ」
と、イヴは動揺もせずに答えた。時々あることだと、痛々しく肉にめり込んで一体化してしまった通信機には触れはしない。
「なら、いいすね。状況確認の為に上昇しますか。まだ飛べます?」
「ネイザルがまだいないとも限らないし、背中は任せるわ」
「了解」
彼女たちはゆっくりと上空に昇っていく。
戦場では足をもがれたアクヒューマアたちが一体一体ヴァニルの兵士に処理されていく。
「終わりですかね?」
「いや、あれって」
イヴは島を包囲しているはずの戦艦の編隊に違和感を見つける。黒い煙を立ち昇らせて、包囲から離れていく戦艦の一隻を指さした。
「……お嬢、……お嬢、聞こえやすか? やっと繋がった」
ノイズの向こうから焦燥感に駆られたアーサーの声が聞こえてくる。
「状況報告をお願いします」
「いえ、帰投命令です。遊撃隊の状況は完了しました。……我が軍の勝利です」
苦虫をかみ潰したようなアーサーの表情が通信機越しでも伝わってくる。
「帰投命令? 待ってください、まだ」
「イヴ、あれはもうダメっす」
荒れた声に気付いたローレンは状況を理解してイヴの肩に手を置く。
黒煙を上げる甲板に姿を現したのは、二体目のネイザルが姿を現す。
救援が望めず、足止めするのすら、やっとな状態だろうに蟻粒のように小さく見える兵士たちが消えていくのが微かに見える。
「グングニルなら」
「そんなことしたらイヴが死んじゃいますよ。……それに」
ローレンが言葉を続ける前に、ネイザルに、いや、まだ足場になっている戦艦に向かって砲撃が始まる。
イヴは、……少女は顔を伏せた。また、自分は何も出来なかったのだと、良心の呵責に苛まれる。彼女を知るものなら、そして、この戦いを知るものなら誰も責めはしないのだ。
握られて、血を流し、なおも震える拳がその証明だ。だが人とは理不尽なもので、また身勝手なものである。必ず、批難の声を上げるだろう。
そして、彼女は愚直に耳を貸すのだ。
だから戦場に身を置く限り、彼女の心が救われることはないだろう。
もし、彼女を救う者がいるとすれば、……それは。