0097話
「はぁっ、はぁっ、はぁ……」
オークの変身を解除した心核使いは、アランの前で荒い息を吐く。
心核使いの男にしてみれば、あのままでは自分が確実に死んでいたと、そう理解していたからこその行動だろう。
その姿には、ガリンダミア帝国軍の兵士たちを蹂躙していたときの様子は一切なかった。
それこそ、心が折られかけた敗残兵という言葉が一番相応しいだろう。
だが、アランはそんな心核使いの男をあっさりと見捨てるといった真似は出来ない。
個人的な感情だけで考えれば、この男は何度もアランに絡んで来たことがあり、気にくわない相手だというのは間違いない。
しかしそんな不満は、現在アランの前でみっともないとしか言いようがない姿を見ればすぐに消えてしまう。
それどころか、伝令の兵士や雲海の仲間が言っていたように、この心核使いはラリアントにとって非常に重要な戦力なのは間違いない。
そうである以上、このままここで心をへし折られてしまうというのは、絶対に避けたいことだった。
(このまま俺が慰めの言葉を口にしても多分無意味だ。時間をかければ立ち直るかもしれないけど、今のラリアントにそんな悠長な時間はない。そうなると、考えられる方法は……)
自分にはあまり向いていない方法ではあるが、同時に目の前の男にとっては恐らく効果はあるだろう方法。
とはいえ、その方法をやればたださえ嫌われている自分が、目の前の男からはますます嫌われることになるのは確実だろう。
それは分かっていたが、それでもこの心核使いにはラリアントの戦力として頑張って貰う必要があるのも事実だ。
実際、先程の戦いでも三人の心核使いとの戦いで圧倒的に不利ではあったが、それでも負けるということはなかった。
心核使いたちとの戦いの前には、兵士たちを蹂躙していたのだ。
戦力としては一級品……とまではいかないが、十分に有益な存在なのは間違いなかった。
「はぁ。今まで散々俺に偉そうにしていた癖に、たった三人の心核使いに圧倒されて、それで心が折れる程度の弱者だったのか。呆れたな」
実際には、本人にかなりの実力がなければ三人の心核使いを相手に圧倒されるのは当然だった。
だが、それでもアランは目の前で荒い息を吐いている心核使いを意図的に馬鹿にするように、嘲るように、告げる。
「な……何だと……」
心核使いの男は、まさかアランにそんなことを言われるとは思わなかったのか、最初は呼吸を整えつつも驚いたように顔を上げる。
しかし、自分が何を言われたのかを理解すると、その表情は険悪なものに変わっていく。
当然だろう。今まで自分が見下してきた相手から逆に見下されたのだ。
高いプライドを持つ男にしてみれば、そんなことを受け入れられるはずもない。
男の顔が自分を睨み付けるようなものに変わったのを見ると、アランは嘲笑を浮かべたまま言葉を続ける。
「俺を睨み付けてるけど、何でだ? 俺は事実を言っただけなんだから、睨まれる覚えはないんだけど? 実際、俺はガリンダミア帝国軍に対して大きな被害を与えた。けど、お前はどうだ?」
そう言い、相手が何かを言うよりも前に再度口を開く。
「敵の兵士を倒したのは、それなりの成果だと言ってもいいかもしれないな。……けど、そのすぐあとには敵の心核使いに一方的にやられ続けて反撃も出来ないで、ただ耐えるしか出来なかったけど」
アランの言葉に、男は黙り込む。
ふざけるなと怒鳴り返したいところではあるが、実際に自分が一方的にやられ続けていたというのは、間違いのない事実なのだ。
そうである以上、ここでアランを相手に何を言ったところで、それはただの言い訳でしかない。
「取りあえず、俺に何かを言い返したかったら、相応の手柄を挙げるんだな。そうしたら、しっかりと話を聞いてやるよ。もっとも、俺以上に活躍が出来ればの話だけど」
そこまで言うと、アランは男に背を向けてその場を立ち去る。
男に背中を見せたアランの顔は、疲れの色を感じさせた。
自分に散々絡んで来た相手で、決して好意を持っていないのは事実だ。
だが、それでもここまであからさまに挑発するといったことは、アランにはあまり面白いことでなかったのも事実。
もっとも、そのような真似をしなければあの男は完全に潰れていただろう。
今はアランに対する強い敵意、もしくは対抗心があるからこそ、心が折られるといった心配はない。
これは男が完全に心が折れる前に……それを実感するよりも前に挑発の言葉を発したのが功を奏した形だ。
(戦場で後ろから撃たれるといったことがなければいいんだけどな)
幸いなことに……本当に幸いなことに、あの男が変身するのはオークで、遠距離攻撃手段は持っていない。
正確には自分の武器なり、それこそ地面に落ちている石といったものをオークの筋力で投擲すれば、十分な威力を持った攻撃となるだろう。
だが、それでも本当の意味で遠距離攻撃の手段を持っている心核使いたちに比べれば、そこまで気にするほどではない。
「どうだった?」
雲海の待機している場所に戻ってきたアランに、仲間の一人が尋ねる。
恐らくは大丈夫だろうという思いが前提にある質問。
そんな仲間に対し、アランは問題ないと頷いてから口を開く。
「取りあえず心が折れかけてたから、挑発してきた。あの様子だと、多分大丈夫だと思う」
「そうか。あの心核使いの暴走で、こっちの予定が狂ったのは事実だしな。それで勝手に心が折れて戦闘では使い物になりませんとなったら、最悪だからな。よくやった」
くしゃり、と。
少しだけ乱暴にアランの頭を撫でる男。
そんな男の行動に照れ臭さを覚えたアランは、自分の頭を撫でる手から逃げ出してから口を開く。
「心核使い三人を相手に、防御しか出来なかったとはいえ、それでも持ち堪えることが出来たんだから、十分に凄いと思うけど」
アランは散々に心核使いの男を貶したが、実際に男が三人の心核使いを前に持ち堪えていたというのは間違いない事実なのだ。
もしあの男がもっと心核使いの技量に劣っていれば、アランが助けに行くよりも前に倒されていただろう。
その結果が捕虜とされるのか殺されるのか。
そこまではアランにも分からなかったが、多勢に無勢で生き残ったというだけでも十分凄いと言ってもいい。
……もっとも、そのように中途半端な凄腕だからこそアランだけが重用されている状況が気に食わず、何度もアランに絡んだりしてきたのだろうが。
「それで、城壁の上の方はどうなってます?」
城壁の上では、多くの兵士が攻撃を行っている。
投石機やバリスタ以外にも、弓を持つ兵士も多い。
そして雲海の中には、弓を武器としている者もおり、そのような者たちは城壁の上でガリンダミア帝国軍を迎え撃っていた。
アランとしては、雲海の……自分の家族のことを心配するのは、当然だった。
「取りあえず、向こうはまだ心核使いを出してきていないから、問題ないだろ。さっきの三人ももう退いたらしいし」
「そうですか。……攻城兵器がなかったのは、幸運でしたね」
この世界にも、当然のように攻城兵器の類は存在する。
だが、今回のガリンダミア帝国軍は進軍速度を最優先にしたというのもあるし、何よりも多くの心核使いを連れて来ていた。
心核使いがいれば、変身したモンスターにもよるが攻城兵器の代わりとなることも出来る。
当然危険も多いのだが、今回はそれでも構わないと判断されたのだろう。
心核使いは強大な戦力ではあるが、同時にガリンダミア帝国軍にしてみれば占領した国から連れて来た者たちだけに、ここで損耗するのならそれでも構わないという考えがあった。
そんな心核使い達ではあるが、今はまだガリンダミア帝国軍が使うつもりがないと知り、アランは安堵する。
「今日は初日だしな。向こうもこっちの様子を探りながらの戦いだろ」
「……食料とか、俺が奇襲したときに結構燃やしたというか、破壊したというか、消滅させてきたんですけどね」
ビームライフルを始めとした武器によって、ガリンダミア帝国軍が馬車で運んでいた食料の類は消滅している。
それをどう表現すればいいのか迷ったアランだったが、それでもアランの言いたいことは分かったのか話していた男は頷く。
「当然、向こうもその辺は理解しているだろうから、現在こちらに食料を送ってきているはずだ」
「そっちを襲撃したいところではあるんですけどね」
「……向こうをそういう意味で追い詰めすぎるのはよくない。最悪の場合、向こうはラリアントを無視して他の村や街に向かうかもしれないからな」
ラリアントがガリンダミア帝国と一番近い場所にあるのは事実だが、ラリアントよりも内側の位置には、いくつかの村や街がある。
都市ともなれば相応の防備を持っているので簡単に襲撃は出来ないが、村や街となれば話は違ってくる。
ガリンダミア帝国軍としても、この状況……それこそ非常に強力な心核使いのアランがいる状況で戦力を分散させるような真似をすれば、各個撃破して下さいと言ってるようなものだ。
ゼオンを倒すには、それこそ心核使いを総動員する必要がある。
先程の戦闘のように、一人の心核使いに三人で戦いを挑むといった程度ではなく、もっと多くの……それこそ心核使い全員を集めなければならないかのように。
戦力を分散してしまえば、中途半端に心核使いを分ける訳にはいかず、ゼオンが現れても対処出来るように心核使い全員が移動しなければならないのだが、ゼオンが心核使いのいない方に向かって攻撃すればえ、それは致命傷となりかねない。
食料がなければ、そのような真似をするかもしれないが、あればそのような真似はしないだろう。
「ガリンダミア帝国軍を倒すのなら、それが最善の選択肢なのは間違いないんだけどね」
近くで話を聞いていた女の探索者が、そう告げる。
実際にその言葉は間違っていない。
敵の食料を奪い、食料を確保するために出撃した部隊を各個撃破してくのは、勝利に繋がる道なのだ。
だが、その勝利はあくまでも味方に被害が出ることを前提とした作戦となる。
他に手段がないのならともかく、ここで待っていれば王都からの援軍が来る以上、味方の犠牲を前提にした各個撃破作戦など、出来るはずがなかった。




