0086話
ガリンダミア帝国軍、国境を越える。
その報告があったのは、捕虜の返還が終わってから十日ほど経ってからのこと。
当然の話ではあるが、十日程度で軍の準備が整えられる訳がない。
いや、軍の人数が少なければ話は別だが、ラリアントの偵察が見つけたのは数百人規模程度ではなく、それこそ数千人規模の軍勢だ。
その上で、その数千人が全軍であるとは限らず、後続としてまだ援軍が来る可能性はあった。
それだけの人数を動員するとなると、一日で消耗する食料や水の類は相当な量となる。
また、馬を始めとして騎乗用の動物やモンスターが消費する餌や水も相当の量となるのは間違いない。
これで国境を突破したあとでラリアントに到着するまでの間に、村の類でもあれば水や食料を買うなり奪うなりといった真似も出来るのだろうが、ドットリオン王国で最もガリンダミア帝国の近くにあるのが、ラリアントなのだ。
そうである以上、消耗する食料や水といったものはガリンダミア帝国で用意しなければならず、数千人以上の補給物資は十日かそこらで集められる訳がない。
つまり、スオールが捕虜の交渉をしていたときには、もう侵略の準備が行われていた……場合によっては、すでに終わっていたということなのだろう。
「……アラン、頼む」
「任せて下さい」
ガリンダミア帝国軍が国境を越えてきたという情報が入ると、すぐにモリクは雲海の面々――正確にはアラン――を呼んで、事情を説明した。
今回の状況については、前もって雲海とモリクの間で話が決まっており、モリクのこの言葉も確認を求めているに等しい。
アランもそれが分かっているので、気軽にそう返したのだが……そんなアランに対し、モリクは申し訳なさそうに頭を下げる。
「すまない。援軍が到着していれば、アランだけに任せるような真似はしなくてもよかったのだが」
援軍の類は、全く到着していない訳ではない。
特に、ラリアント周辺の……より正確にはラリアントの後方――ガリンダミア帝国軍から見て――に位置する街や都市、村といったところから、相応に援軍が送られてきてはいる。
ラリアントを突破されれば、次に自分たちがガリンダミア帝国軍に襲われることになるということで、援軍を送るのは当然なのだろう。
それでも結局は都市単位、街単位、村単位の戦力だ。
おまけに、それらも自分たちの住む場所を守らなければならない以上、本当の意味で最大限の兵力を送るといった真似が出来ない以上、そう多くはない。
ラリアントの現状を考えれば、そのような兵力であっても大歓迎なのだが。
モリクが口にしている援軍というのは、そのような小さな集団の戦力ではなく、王都からやってくる国軍としての戦力だ。
今の状況でその援軍が到着していれば、ラリアントの防衛にかんしてもかなり楽になっていただろう。
だが、そのような状況ではない以上、当然ながらモリクが選べる選択肢というのは多くはない。
そんな選択肢の中でもっとも手軽で、それでいて効果的なのが……ゼオンによる空襲だった。
通常であれば、そのような真似は自殺行為に等しい。
心核使いはこの世界では決定的な戦力ではあるのだが、心核使いには心核使いで対抗出来るというのも、間違いのない事実。
その上でガリンダミア帝国軍が集団で移動している以上、そこには当然のように心核使いも多数いる。
ザラクニアとの戦いで多くの心核使いを倒したし、捕虜にした心核使いからも心核を奪っているので、ガリンダミア帝国軍の有する心核使いの数が減っているのは間違いない。
だが、そこは周辺諸国を占領して国土を広げてきたガリンダミア帝国軍だけあって、多くの心核使いを抱えている。
元から軍にいた心核使いもいれば、冒険者や探索者が引き抜かれて軍に所属した心核使いもいるし、ガリンダミア帝国に占領された国から派遣――実際には強制徴集だが――されている心核使いもいた。
それを考えれば、今回のガリンダミア帝国軍の中にどれだけの心核使いがいるのかは、容易に想像出来る。
そんなに心核使いがいる中で、アランがゼオンで上空から攻撃するというのは、一見すれば非常に無謀な行為でしかなかった。
空を飛べるモンスターに変身する心核使いというのは珍しいが、それでも一定数はいる。
ザラクニアとの戦いでゼオンがどのような戦闘をしたのかを知れば、当然それに対抗する手段として、それらの空を飛ぶモンスターに変身出来る心核使いを集めるのは当時だろう。
ただ……アランは警戒をしてはいるものの、別に絶望的とまでは思っていない。
以前スタンピードが起きたときに乗った鳥のモンスターのときもそうだったが、心核使いが変身したモンスターの飛ぶ速度というのは、そこまで速くはない。……もっとも、それはあくまでもアランがゼオンを基準として考えているからだ。
ロボットが出て来るアニメや漫画において、基本的にロボットというのはかなりの速度で飛ぶことが出来る。
ましてや、アランが心核で呼び出すゼオンと同じ名前を持つ、ロボットの出て来るゲームに搭乗するゼオンは、高機動射撃型とも呼ぶべき機体だった。
そんなアランの印象が強く残っているためか、アランが心核で呼び出すゼオンもまた同様の性質を持っており、生き物では到底出すことが出来ない速度で飛行することが可能だったし、同時に生き物では飛ぶことが出来ない高度で飛ぶことも可能だ。
つまり、ガリンダミア帝国軍に一撃を与えて即座に離脱するという一撃離脱に徹底すれば、多分無傷で敵に打撃を与えることが可能なはずだった。
もちろんこれは、あくまでもそうだろうという予想でしかない。
アランとレオノーラという際だって強力な心核使いが、ガリンダミア帝国軍にいないとも限らないのだから。
第一、ザラクニアとの戦いで向こうについていた土のゴーレムの心核使いも、攻撃力という一点ではアランやレオノーラに匹敵するだけの能力があった。
そのような存在がいるかもしれない以上、油断をするという選択肢は有り得ない。
土のゴーレムがいた以上、水、火、風のゴーレムがいてもおかしくはないのだ。……風のゴーレムというのは、アランにもちょっと想像出来なかったが。
「心配いりませんよ。ゼオンの速度なら、追いつける奴はそうそういません。かなりの高度から真っ直ぐにガリンダミア帝国軍に降下していって攻撃。そのあとは即座に離脱すれば、向こうは何も出来ず一方的に攻撃されるだけになります」
ぱっといってどーんと攻撃して、さっと逃げる。
そんな説明だったが、それでもアランが深刻そうな様子を見せていないということもあってか、アランと話していたモリクは少しだけ安堵した様子を見せる。
これがある程度無理をしているのであれば、モリクもそれを見抜くことが出来ただろう。
だが、アランは本気でそこまで問題はないと思っている様子で告げていた。
実際にアランにとって、ガリンダミア帝国軍の心核使いが問題ではあるが、それでも恐らく大丈夫だろうという予想はしていたのだ。
何かがあっても、逃げるだけならゼオンに追いつける相手はいないだろうと。
(油断は出来ないけど)
自分に言い聞かせるように、そう考えるアラン。
モリクはそんなアランに、ただ頼むと頭を下げる。
本来なら領主代理ともあろうものが、そう簡単に頭を下げるものではない。
それも、まだ若いアランに対して。
だが、モリクは別に元々このラリアントの領主だった訳ではなく、騎士だ。
自分が不甲斐ないので頭を下げることに、抵抗などあるはずもない。
「ともあれ、このままここで話していても時間がかかるだけですし、そろそろ行ってきますね」
「ああ。空襲が成功したしないにかかわらず、一度攻撃を終えたらラリアントまで戻ってきてくれ。それで、どのような様子だったのか、そして相手にはどのような心核使いがいたのかを話し合う必要がある」
アランがモリクに期待されているのは、空襲によってガリンダミア帝国軍の戦力を少しでも減らし、混乱させて可能な限りラリアント到着までの時間を遅らせることだ。
そうすれば、籠城をしている間に王都からの援軍が到着する可能性もそれだけ高くなる。
だが、それ以外にも強行偵察といった役目があるのも事実。
何しろ、敵のすぐ近くまでいくのだから詳しい情報を得られるに越したことはない。
それがどのような情報であっても、情報というのはあればあっただけいいのだ。……デマの類はともかくとして。
「分かっています。ただ、偵察とかは本職じゃないので、あまり期待しないで下さいね。もし期待しすぎると、持ってきた情報が少なくてがっかりするでしょうし」
アランは雲海で色々なことを教わっている。
その中には当然のように偵察の方法といったものもあるが、それはあくまでも探索者としての偵察……もっと具体的に言えば、遺跡を相手にした場合の偵察方法であって、戦争で敵軍の情報を得るための偵察方法といったものは習っていない。
……そもそもの話、ゼオンの性能を考慮に入れた偵察方法ともなれば、明らかに普通の偵察方法とは違う方法となるのは当然だった。
(これが俺の知ってるロボットなら、映像データを保存とか、そういう真似が出来てもいいんだけど)
心核が何をどうなってゼオンを生み出したのかは分からないが、何故かゼオンには映像を録画するといった機能はなかった。
もっとも、その代わりに高い攻撃力を得たとなれば、それも分からないではなかったが。
「ではな」
「はい」
アランに告げ、モリクが立ち去る。
モリクにしてみれば、領主代理とうい立場で現在は非常に忙しい。
それこそ、ガリンダミア帝国が攻めてくるということで、仕事の多さは小隊長をやっていたときとは比べものにならないくらいだ。
それでもこうしてアランに会いに来たのは、それだけアランだけに敵を攻撃するのを任せてるのが申し訳なかったからだろう。
そんなモリクを見送り……アランは早速ゼオンを呼び出すと、ガリンダミア帝国との国境に向かって飛んでいくのだった。




