0077話
「行け、行けぇっ! このまま一気にザラクニアを討て! 愛すべき故国を、そして故郷をガリンダミア帝国に売るような男には負けるな! そうなれば、この国は、そして愛すべき同胞は最悪の事態になるぞ!」
モリクの部下の一人が、部下の士気を上げようと叫ぶ。
兵士や騎士にとって、自分たちが勝っているということは何よりも士気を上げる効果を持つ。
だが、同時にこの戦いにおいては反乱軍の方が圧倒的に人数が少ない。
心核使いや探索者たちのおかげで現在は何とか勝っているが、それでも鍛えに鍛えらた騎士はともかく、それ以外の兵士たちの消耗は激しい。
だからこそ、左翼右翼の両翼で反乱軍が勝利し、雲海と黄金の薔薇が中央に合流してきた今このとき、疲れを少しでも忘れさせるために部隊を率いる指揮官たちは何とか士気を上げるのに必死だった。
「負けるな! 長年忠義をつくしてきたザラクニアに逆らう大罪人が相手だ! 自分の欲望のためにザラクニア様を貶めるような相手に負ければ、ラリアントがどうなるか分からないぞ!」
士気を高める反乱軍を前に、ラリアント軍の方も何とか落ちそうになっている士気を高めようと部隊を率いてる指揮官が叫ぶ。
とはいえ勝ってる反乱軍とは違い、現状のラリアント軍は圧倒的に不利だ。
そもそも、元から盗賊やガリンダミア帝国の兵士をラリアント軍としていた以上、事情を知らない者にしてみれば到底許容出来ることではなかった。
その上で、現在のラリアント軍の状況を考えれば、士気が上がるはずもなかった。
何より士気が上がるのを邪魔しているのが、ゼオンと黄金のドラゴンという規格外の二匹。
生身でそんな相手と戦って勝てるはずもない。
つまり、上司は兵士たちに死ねと命じているのだ。
……それでも唯一の救いなのは、そう叫ぶ上司が後方で叫んでいる訳ではなく、自分もまた前線に立っていることか。
そのおかげで、前線で戦っている者たちは自分が見捨てられたと思わず、まだ何とかその場に踏みとどまることが出来ていた。……士気は最悪で、どこか一ヶ所が突破されれば総崩れになってもおかしくはない状況だったが。
そんな二つの軍がぶつかれば、当然のように前者の方が圧倒的に有利となる。
また、モリクの部下には心核使いがいないが、雲海と黄金の薔薇には心核使いがまだ全員残っている。
結果として……
「があああああああああっ! 邪魔だ、退けぇっ!」
心核によってオーガとなったロッコーモが、その恵まれた身体を活かしてラリアント軍の兵士たちを蹂躙する。
オーガの腕力で殴られた兵士は、それこそ鎧を着ているというのに、その辺の人形でも殴り飛ばされたかのように吹き飛ばされ、味方にぶつかってようやく止まる。
そうして戦っているのは、ロッコーモだけではない。
白猿のカオグルやリビングメイルのジャスパーといった者たちも次々と兵士を倒していく。
それこそ、当たるを幸いという表現は、恐らくこういうときに使うのだろうと思えるほどに。
そんな中で、アランのゼオンとレオノーラの黄金のドラゴンは、明確に動きはしていなかった。
ザラクニアが奥の手を持っていた場合、それに対処する必要があるというのもあったが……何より、戦場が混戦状態になっていたというのが大きい。
ゼオンも黄金のドラゴンも、強大な戦力なのは間違いない。
だが、強力すぎるがゆえに、このような混戦では戦えないというのは間違いなかった。
『アラン、私はラリアント軍の背後に回り込むから、アランはゼオンをラリアント軍の真横……ラリアントがいない方に移動してくれる? それなら、もう逃げ道は一ヶ所しかなくて、後ろと横に私とゼオンがいる以上、戦線は一気に瓦解するはずよ』
「分かった。意図的に逃げ道を作る訳だな」
『そうね。袋のネズミにしても、そこで窮鼠猫を噛むといったことになったら、無意味に被害が広がるし。それなら、いっそのこと逃げ道を作って、そこから敵を逃がして追撃をした方が、楽に戦果を挙げられるわ』
袋のネズミや窮鼠猫を噛むといった、日本で使われている言葉を口にしたのは、アランの人生を追体験したおかげだろう。
「それが最善か。……モリクさんに話をしなくてもいいのか? 今の状況だと、それも難しいけど。土のゴーレムの件は、モリクの部下たちが近づいてきたし、そっちに任せれば大丈夫か」
アランとレオノーラは、テレパシーで会話出来るが、それはあくまでアランとレオノーラの間だけの話だ。
ましてや、通信機の類も存在しない――正確には古代魔法文明の遺跡から、発掘されることもあるのだが、非常に希少だった――この戦場では、レオノーラやアランの意見をモリクに伝えることは出来ない。
そうなると、モリクにこちらの意志を伝えるには、直接近くまで移動して話をするか……もしくは、行動で示すか。
この戦場の中では、近くまで移動して話すよりも行動で示した方が手っ取り早いのは明らかだった。
問題なのは、アランとレオノーラの行動の意味をモリクが判断出来ないことだろうが、モリクの能力を考えれば、そのようなことは恐らくない。
そして……実際にアランとレオノーラが行動を起こすと、モリクは一瞬戸惑った様子を見せるも、すぐにその動きに対応する。
直接のモリクの部隊ではなかったが、アランが先程まで延々と攻撃していた土のゴーレムの破片に対する攻撃についても、やってきた兵士たちにしっかりと後を任せることが出来た。
いきなりゼオンや黄金のドラゴンのような巨大な存在が動けば、驚いて反応が出来なくてもおかしくはないのだが……そういう意味で、やはりモリクやその部下たちは精鋭と呼ぶべき者だったのは間違いないのだろう。
アランとしては、映像モニタに映し出されたラリアント軍の残りの中にいたザラクニアが、こんな状況であってもゼオンに熱い……熱すぎる視線を送っていたのが気になったが。
ともあれ、アランとレオノーラが動いたことにより、戦場もまた動く。
士気が下がる一方で、兵士の中にも敵前逃亡をする者が多かったラリアント軍にとって、アランとレオノーラのその動きは致命的だった。
「逃げろ……逃げろぉっ!」
「もう駄目だ、勝ち目はない! くそっ、こんな戦い、やってられるかよ!」
「大体、何でこっちの軍に盗賊がいるんだよ! これっておかしくないか? とてもじゃないけど、こんな戦いで命を懸けられるか!」
それぞれが叫びながら、逃げ出していく。
ゼオンと黄金のドラゴンが姿を現したときから、不利を悟った盗賊の一部は逃げ出していたが……今は、それ以外の普通の兵士たちですら、逃げ出していた。
ここにきて、ラリアントを封鎖していた盗賊たちを自軍に組み込んだことが致命的な事態となってしまったのだろう。
ラリアント軍の中でも指揮官たちは、何とか兵士の逃亡を防ごうとするも、それを聞く者は決して多くはない。
それどころか、見せしめとして逃げようとした兵士を切った指揮官が、そのことに逆上した他の兵士たちに殺されるといった事態も起こっていた。
こうなってしまえば、軍を率いる立場のザラクニアとしても撤退を選ぶよりはない。
それも、アランとレオノーラの考えた通り、ラリアント方面に唯一敵の姿がない場所を通って。
(くっ、これが罠なのは明らかだというのに!)
ザラクニアの近くにいた騎士の一人が、部下に指示を出しながらも悔しげに内心で呟く。
一ヶ所だけ敵の存在しないその場所は、明らかに罠に間違いない。
だが、だからといって、他に逃げるべき場所があるかと言われれば、答えは否だ。
頭では、モリク率いる軍勢はともかく、ゼオンや黄金のドラゴンのすぐ側を逃げ出した方が生き残る確率が高いというのは理解出来る。
いくらゼオンや黄金のドラゴンが巨大でも、それぞれがバラバラに逃げる場合、その全てを纏めて殺すというのは難しいのだから。
しかし、それはあくまでも理屈だ。
実際にこの戦場でゼオンや黄金のドラゴンがどれだけの力を見せたのかを自分の目で見た者にしてみれば、そんな存在の足下を通れといったところで、絶対に頷かないだろう。
下手をすれば自分を殺すためにそのように命令しているのかと言われ、逆上して命令した者に襲いかかる可能性すらあった。
そうなれば、ただでさえ半ば壊走といった状況になりつつあるこの状況に、さらに拍車がかかってしまい、この場から逃げるのすら難しくなってしまう。
だからこそ相手の誘いであると知りつつも、敵のいない場所を通って逃げる必要があったのだ。
そして……そこから逃げ出したラリアント軍に対して、予想通り反乱軍による追撃が行われる。
誰かが殿として足止めをすれば、逃げられる者は多くなるのだが……士気の下がった状態で、そのようなことをする者は決して多くはない。
中にはザラクニアに忠誠を誓った騎士が何人か殿を務めようとする者もいたが、数人程度ではどうしようもない。
騎士の方が圧倒的に強ければ話は別なのだが、反乱軍の中にも騎士はいるし、何よりも雲海と黄金の薔薇という探索者がいるのが大きい。
ましてや、その中には心核使いもいるのだから。
……ラリアント軍やザラクニアにとって計算外だったのは、自軍の心核使いが軒並みやられてしまったことだろう。
もし一人でも心核使いがいれば、それこそ殿を任せることも出来たのだろうが。
だが、そのような者がいない以上は今いる者で何とかするか、もしくは後ろにいる者たちを犠牲に自分たちは逃げ延びるしかない。
結果として、次々に行われる攻撃で急速にラリアント軍の後方にいる者は減っていき……それでもザラクニアや他の者たちは逃げ続けることで、ようやくラリアントの姿が見えてきた。
ラリアント内部での戦いは可能な限り避けたかったが、自分の命とラリアントのどちらを選ぶかと言われれば、当然のように前者だ。
まだ、ラリアントにはある程度の兵力も残っているので、減った分の兵力も少しは補充出来る。
そんな期待を込めて走り続け……ラリアントの正門までもうすぐそこといったとろこで、不意に轟っ、という音が周囲に響いて、強風が吹き荒れ……
強風が収まったとき、ラリアント軍の先頭を進んでいたザラクニアが見たのは、正門のすぐ前に立っているゼオンと黄金のドラゴンの姿だった。




