0379話
ガリンダミア帝国軍が崩壊し、逃げ出したところでイルゼンが指示したのは追撃だった。
逃げている敵というのは、これ以上ないほどに倒しやすい相手なのだから、少しでもガリンダミア帝国軍の数を減らそうと考えるイルゼンにしてみれば、そのように命令するのは当然の話だったのだろう。
もちろん、ガリンダミア帝国軍もただ逃げるのではなく、追撃してくる敵を止める殿を行っている者はいた。
だが、殿を任された者たちも、レジスタンスが相手であればまだしも、雲海や黄金の薔薇の探索者……ましてや、心核使いを相手にした場合、あっさりと撃破されてしまう。
心核使いには心核使いといったように、ガリンダミア帝国軍側でも心核使いを殿にすればよかったのだが、多くの心核使いにしてみれば、何故自分が他の兵士のために殿という危険な場所を引き受けなければならないのかといったようにすら感じていた。
……実際、その判断は間違っていない。
心核使いというのは非常に希少な存在である以上、その心核使いが死んだり捕らえられたりといったようなことになれば、ガリンダミア帝国軍が受ける被害は相対的に大きくなるのだから。
とはいえ、軍とは数の一面もある。
追撃で兵士が殺されすぎて、それによって軍が維持出来なくなるほどの被害を受ける……といった可能性もあるのだ。
イルゼンとしては、それが狙いでもあるのだが。
「どうやら、無事に乗り越えられたようですね」
いつものように、胡散臭いほどに飄々とした笑みを浮かべてそう告げるイルゼン。
そんなイルゼンの視線の先では、既にガリンダミア帝国軍の姿はほとんどない。
追撃でやられたか、はたまた運よく逃げ延びたか……ともあれ、現在イルゼンたちのいる場所からはガリンダミア帝国軍の姿は見えなかった。
そんなイルゼンから少し離れた場所に、ゼオンと黄金のドラゴンが降りてくる。
そんな相手に対し、残っている者の反応は綺麗なまでに真っ二つに分かれた。
雲海や黄金の薔薇の者たちは、よく戻ってきたといったように嬉しそうにしている。
特に黄金の薔薇の面々にしてみれば、自分たちを率いるレオノーラがこうして戻ってきたのだから、それで喜ぶなという方が無理だった。
もちろん、雲海の面々もアランが無事戻ってきたことに喜びを覚えている者も多い。
そうして喜んでいる面々とは違い、いきなり姿を現したゼオンと黄金のドラゴンに対して警戒心を抱いている者もいる。
それは、アランたちがガリンダミア帝国の勢力圏を飛び回ってレジスタンスを助けたり、ガリンダミア帝国軍を各個撃破するといったような行為をするために、本隊を離れてから合流してきたレジスタンスたちに多い。
とはいえ、それはそこまでおかしな話でもない。
レジスタンスの多くにとって、心核使いというのは自分たちが敵対する相手ではあっても、味方であるとは認識出来なかったのだから。
最初から戦いに参加していた他の心核使いたちはともかく、アランとレオノーラは戦闘の途中で乱入してきた形だというのも大きい。
そのような者たちにしてみれば、いきなり姿を現した強大な力を持った相手を容易に味方だというようには認識出来ないのだろう。
……もし緊張感を我慢出来ず、黄金のドラゴンに襲い掛かるような真似をした場合……その者は、間違いなく後悔することになるだろう。
アランはともかく、黄金のドラゴンに変身しているレオノーラは、黄金の薔薇を率いている人物で、黄金の薔薇に所属する探索者たちの忠誠心を一心に受けている。
そのような人物を、傷付けることが出来るかどうかは別として、攻撃した場合どうなるか。
考えるまでもなく明らかだろう。
「ともあれ、まずはアレン君たちを紹介する必要があるでしょうね」
イルゼンが面倒なことにならなければいいのですが、と小さく呟く。
レジスタンスの中には、気の強い者、性格の荒い者も多い。
そのような者の多くはすでにリアによって実力を見せつけられており、無意味に暴れたり、それ以外にも問題を起こしたりといったようなことはないのだが、そんな場所にアランやレオノーラがやって来たらどうなるか。
それは、想像するのも難しくはないだろう。
「イルゼンさん、不味い! レジスタンスの連中が暴走している!」
そんな報告に、イルゼンは微かに眉を顰める。
「それは、アラン君たちに突っかかっているとか、そういうことですか? それとも、ガリンダミア帝国軍の追撃にかんして?」
「追撃だ。向こうの撤退が罠じゃないのは明らかだし、殿の連中も倒した。けど、その先は一体どうなるのか……それは分からないだろう? 向こうが逃げているのは事実だが、そこに援軍でもやって来て合流されたら、レジスタンスの連中は全滅する!」
「でしょうね」
レジスタンスはある程度戦闘訓練を行っているものの、戦闘そのものは本職の軍人たちと比べると素人でしかない。
中には元軍人といった者もいるが、その人数は決して多くはないのだ。
そうである以上、戦いに勝利した勢いで暴走してもおかしくはない。
何しろ、相手は今まで自分たちに圧政を敷いてきたガリンダミア帝国の者たちなのだ。
それでも従わなければならなかったのは、自分たちが弱いから。
その弱さが逆転して自分たちが強者になった以上、ここで躊躇うといった選択肢はどこにもなかった。
これは、レジスタンスだけの話ではない。
連合軍を組んでいる周辺諸国でも、同じようなことが多発しているはずだった。
イルゼンはその辺りについて当然予想していたし、忠告もしていたのだが……その忠告が聞かれるとは思っていない。
だが、半ば囮的な存在の周辺諸国であればまだしも、今回の戦いの本隊と言うべき自分たちがそのような真似をして、ガリンダミア帝国軍との決戦で戦力が足りないなどといったようなことになったら、笑うに笑えない。
そうなると、現在暴走して追撃をしている者たちを何とか止める必要があった。
「リアさんを出して下さい。いくら暴走しているとはいえ、リアさんを見れば、その暴走も止まるでしょう」
「……それでも暴走した場合は?」
「リアさんにお任せします」
それは、暴走した者たちにリアが何をしても、イルゼンは何も言わないということを意味していた。
雲海や黄金の薔薇の中で、一番名前が知られているのはリアだ。
そんなリアの言葉すら聞かないようであれば、それこそ暴走を止めることは出来ない。
見捨てるしかないか、もしくはリアがどうしても助けたいと思えば、それこそ一人二人を斬り捨てるといった覚悟が必要になるだろう。
イルゼンとしては、出来ればそのようなことはして欲しくない。
だが、リアがそのようなことを出来るというのも、間違いのない事実なのだ。
「それと、アラン君たちをそろそろ連れてきて下さい。何らかの報告があるのは間違いないでしょうから」
アランとレオノーラの二人と別行動をとってから、それなりの時間が経つ。
そうである以上、二人がどのような経験をしてきたのか……是非聞いておきたいところだった。
特に本隊とも呼ぶべきここと合流していないレジスタンスは、具体的にどれくらい残っているのか。
イルゼンが動き回って多数のレジスタンスと話をつけた……そして情報を流したのは事実だったが、だからといって全てのレジスタンスと接触出来た訳ではない。
レジスタンスもそうだが、やはりガリンダミア帝国を驚かせ、動揺させ、混乱させるという意味では、ガリンダミア帝国の周辺諸国と接触する方が大きな意味を持つ。
ましてや、伝手のない国との交渉はかなり無理をして行われたのだ。
そのような状況だけに、イルゼンが接触したレジスタンスは大規模な集団ばかりとなる。
それよりも小さな集団にかんしては、レジスタンスのネットワークを使って情報を流してもらうことになっていた。
当然ながら、レジスタンス同士で連絡を取り合っている者たちも多い。
……中には、諸事情によりレジスタンス同士であっても敵対していたりもするのだが。
さすがにイルゼンもそこまでの面倒は見切れないし、レジスタンス同士のネットワークも一つではないだろうから、その辺に関してはイルゼンもそれ以上はレジスタンスたちに任せた形となった。
だが、それだけに具体的にどれだけのレジスタンスたちが蜂起したのか、気にならないと言えば嘘だ。
イルゼンが当初予想したよりも多くのレジスタンスが蜂起していれば、それだけガリンダミア帝国軍との戦いは楽になる。
数が少ない場合は、取れる戦略がいくらか少なくなる可能性もあった。
「イルゼンさん、呼んでたって聞きましたけど?」
イルゼンがアランとレオノーラを呼んでくるように言ってから少しして、アランとレオノーラが姿を現す。
幸いなことに、心核を解除してから騒動になることはなかったらしい。
アランたちの存在を知らない者たちが、もしかしたら何らかの騒動を起こすかもしれないと思っていたのだが、その心配は取り越し苦労だったらしい。
雲海や黄金の薔薇の探索者の協力によるものだというのは予想出来るので、何の無理もなくそのような心配をしなくもよかった……といった訳ではないのだが。
「ええ。アラン君たちが見てきた情報を聞こうと思いましてね。レジスタンスはどうでしたか?」
「どうって言われても……そうですね。ガリンダミア帝国軍に襲われているレジスタンスはそれなりに見ましたよ。そういうレジスタンスが集まって、相応の規模になったりもしてました」
「ほう、それはこちらとしても嬉しいですね」
「ただ……レジスタンスじゃないんですけど……」
言いにくそうに、そして不満そうな様子のアレンに対し、イルゼンは話すように先を促す。
「その、レジスタンスを探している最中に、ガリンダミア帝国の国境付近まで行ったんですけど、そこで連合軍の兵士がガリンダミア帝国の従属国の街を略奪している光景を見て……」
「そうですか。やはり全てを止めるといったことは出来ないんですね」
アランの説明に、イルゼンは残念そうに息を吐くのだった。




