0352話
ゴリラの獣人の審判が、試合開始と宣言するのとほぼ同時に、ロルフは素早く前に出る。
狼の獣人だけあって、その速度はかなり素早い。
元々、ロルフは獣牙衆ほどではないにしろ、獣人の中ではそれなり強さを持つ方だった。
だが……それでも、雲海や黄金の薔薇の面々と比べれば、圧倒的に格下となってしまう。
そんな中でレオノーラやジャスパーの戦いを見て、何よりもここ数日連続して行われた、ガーウェイとの戦いの中、それこそ文字通りの意味でロルフは死に物狂いで戦った。
ロルフにしてみれば、ガーウェイに勝たなければ自分は公開試合に出られないと、そう思っての行動。
だからこそ、兄貴分であるガーウェイに対する遠慮などというものは一切なく、何とかして自分が勝ちたいと戦い……結果として、ロルフの技量はこの数日で明らかに上がった。
何しろ、今朝の戦いではガーウェイに勝ったくらいだ。
ガーウェイは、獣牙衆の中でも強者と呼ぶに相応しい実力を持つ。
そんなガーウェイに勝ったのだから、ロルフもガーウェイと同等……とまではいかずとも、それに迫るだけの実力を持っているのは間違いなかった。
それこそ、ロルフには微塵の油断も何もない。
相手がゴールスの用意した強者である以上、油断するなどといったような真似は出来るはずがない。
それこそ最初から出し惜しみなしの全力で戦い、それによって敵が完全に実力を出すよりも前に、一気に倒す。
そのつもりで間合いを詰めたのだが……
「え?」
気が付けば、ロルフは舞台の外に倒れており、周囲にアランたちが集まってきている。
一体何が起きたのか、ロルフには全く理解出来ない。
いや、敵との間合いを詰めたところまでは覚えていたのだが、次の瞬間には気が付いたら何故かこのような状況だったのだ。
それこそ、もしロルフの立場になったのがアランであれば戦いのシーンをスキップしたかのような、そんな風に思ってもおかしくはないだろう光景。
「俺は……痛っ!」
起き上がろうとしたロルフだったが、その瞬間、脇腹に激痛が走る。
一体自分は何がどうなってこのようなことになったのか、全く理解出来ない。
理解出来ないが、ただ一つ分かっているのは……自分が負けたということだろう。
「負けたのか」
「相手が悪かった」
呟くロルフの声を耳にしたガーウェイは、そう告げる。
肩を貸しながらロルフを起こしつつ、ガーウェイは再度口を開く。
「あの虎の獣人は、ローレンス。獣牙衆の中でも最高峰の技量を持つ奴だ」
「ガーウェイさんよりも、ですか?」
喋りながらも、何とか痛む……恐らくは折れた脇腹に負担をかけないようにしながら、ロルフが尋ねる。
こうして尋ねていても、また自分が負けたという実感はない。
敵との間合いを詰めたところで、気が付いたら負けていたのだからそれも当然だろう。
「そうだ。ローレンスは俺よりも強い。今まで何度となくローレンスに戦いを挑んだが、今まで一勝もしたことはない相手だ」
「それは……」
ガーウェイの口から出た言葉に、ロルフは何も言えない。
何も、ガーウェイが最強だとはロルフも思ってはいない。
だが、それでもロルフにしてみれば、兄貴分のガーウェイは自分よりも強いという認識が刻み込まれている。
それこそ今朝の戦いで勝てたのも、自分の実力が上がったからというのもあるが、それと同時に運によるものという思いも強い。
そんなガーウェイが、今まで一度勝てない相手。
自分ですら半ば幸運が味方したとはいえ、ガーウェイに勝てたのに、そんな幸運が味方をしてもガーウェイが一度も勝てない相手だと聞けば、それはロルフの心を折るのに十分な衝撃があった。
『公開試合一戦目……何と、何と何と何と、まさかの一撃で勝負が決まったぞ! ゴールス陣営、強し! まさか、一試合目に最強の選手を持ってきたのか!?』
審判は、あまりに呆気ない決着の仕方に、何とか周囲を盛り上げようと煽るように言う。
審判にしてみれば、公開試合の第一試合だ。
当然のように、相応に派手な戦いになるのだと、そう思っていたのだろう。
だが、実際に戦いが始まってみると、ローレンスに突っ込んだロルフが一撃を食らってあっさりと舞台の外にまで吹き飛ばされ、十秒が経過した。
この終わり方は、審判にとっても完全に予想外だったのだろう。
それこそ、こんなに実力差のある奴を代表として出すな! と、内心では考えてすらいた。
とはいえ、審判という立場である以上は、観客を萎えさせる訳にはいかない。
『このまま、先にゴールス陣営が先に三勝してしまうのか!? 挑んだクラリス陣営は、何とか勝利することが出来るのか! この先の戦いも、見物です!』
わあああああああ、と。
審判の煽るような言葉に、観客たちがそれぞれに声を上げる。
中にはクラリス陣営がゴールス陣営に蹂躙されるといったことを期待している者もいれば、クラリス陣営がゴールス陣営に一矢報いる……いや、ここから逆転することを願っているような者もいる。
そんな周囲の様子を見つつ、ジャスパーは槍を手に前に出る。
ゴールスの近くにいた男の一人も、ローブを脱いで舞台の方に向かう。
「ガーウェイ、あの獅子の獣人もやっぱり獣牙衆の一員なのかしら?」
レオのオーラが確認するように尋ねると、ガーウェイは苦い表情で頷く。
「そうだ。ローレンスのライバルで、その強さも互角……シャニットだ」
そんなガーウェイの言葉と同時に、審判は口を開く。
『おおっと、ゴールス陣営から出たのは、百獣の王たる獅子の獣人にして、獣牙衆の中でも最強格の一人として名高い、シャニットだ! それに対し、クラリス陣営から出たのは、黄金の薔薇というクランの探索者、ジャスパー!』
舞台の上で、ジャスパーとシャニットの二人が向かい合う。
シャニットは獣人の中でも獣の要素の強い獣人で、人間の身体に獅子の顔が乗っているといる。
本人も獣牙衆の中でも実力者であるという思いがあるのか、その風貌は審判が口にした通り、百獣の王といった風格を放っていた。
普通であれば、そんなシャニットを前にした者は威圧感に押し潰されてもおかしくはないだろう。
だが……ジャスパーは槍を手に、全く緊張した様子もなくシャニットの前に立つ。
「へぇ。あんた、かなりの実力者だな。一戦目はちょっと拍子抜けしたが、俺の相手は当たりだったが。探索者の強さ……見せてくれよ」
獅子の顔を持っていても、笑みを浮かべたというのははっきりと分かった。
好戦的で獰猛な笑みではあるが、その中には含むところは何もない。
純粋に強者と戦うのを楽しみにしていたといった様子だ。
「少し意外ですね」
槍を構えつつ、ジャスパーの口からそんな声が漏れる。
ゴールスの手先として戦いに出てきたのだから、てっきり手段に拘るような真似はせず、相手に勝てばそれでいいと、そのような者達が出て来るとばかり思っていたのだ。
だが、シャニットの様子を見る限りではとてもそのようには思えない。
そんなジャスパーの様子から、シャニットは少しだけ困った様子を見せる。
「お前が何を言ってるのかは分かるが、この戦いでは卑怯な真似はさせないから、安心しろ」
その言葉を完全に信じることは出来ないが、それでも少しは信じてもいいかもしれないと、そう思う。
「そうであることを願いましょう」
それで前哨戦とも言うべき舌戦が終わったと判断したのか、審判は大きく口を開き……
『試合、開始!』
その言葉が会場中に響くと共に、ジャスパーとシャニットの二人は一斉に動く。
シャニットは長剣を手にジャスパーとの間合いを詰めようとし、ジャスパーは槍の間合いの内側にシャニットを入れないようにと。
そのような状況であるため、最初に放たれた攻撃は間合いの長いジャスパーの突きだった。
当然の話だが、その突きの鋭さは他の槍使いとは一線を画す。
空気を斬り裂くような連続して放たれる突き。
そんな突きをシャニットは回避しつつ、間合いを詰めようとするものの……そう簡単には出来ない。
数歩前に進めば、槍の間合いの内側に入ることが出来る。
だが、その槍の突きの鋭さを考えると、数歩というのが限りなく遠い。
「ぐっ、ぐがああああっ!」
だが、シャニットも獣牙衆の中では最高峰の実力の持ち主だ。
完全に回避して無傷で間合いを詰めることは出来ずとも、多少の負傷を覚悟の上で一気に前に出る。
放たれる槍の穂先が、シャニットの肩、腕、頬、脇腹、足といった場所を斬り裂いていくも、それは皮と肉を裂かれる程度で、骨までたっする一撃ではない。
身体中を斬り裂かれながらも間合いを詰めることに成功したシャニットは、突きのお返しだとでもいうように、長剣の突きを放つ。
だが……その突きは、ジャスパーが手首を使って回転させた槍の柄によってあっさりと弾かれる。
「なっ!?」
それに驚愕した様子を見せるシャニット。
自分の放った一撃は、そう簡単に弾けるような代物ではなかったはずだ。
それこそ、それなりに腕のある者であっても腕に相応の衝撃を受け、場合によっては武器が吹き飛ばされてもおかしくはないような、そんな一撃。
だが、ジャスパーの持つ槍は吹き飛ばされるようなこともなく、あっさりと長剣の突きを受け流す。
それどころか、シャニットが驚いた様子を見て攻撃に移る。
間合いが近くなっている以上、穂先を使っての攻撃では有効打を与えるのは難しい。
だが、ジャスパーが放ったのは槍の石突きを使った足払い。
「ぐぅっ!」
ゴッ、という、とてもではないが足を叩いたとは思えないような音が、周囲に響く。
シャニットは当然靴を履いており、動きを邪魔しない程度の簡単な足甲を履いているのだが、それでも足の全てが覆われている訳ではない。
戦いの中でそんな場所を狙うジャスパーの技量は、非常に高い。
それでもシャニットは、その一撃を受けても倒れる様子はない。
それどころか、今の一撃を好機としてジャスパーとの間合いを詰めようと、半ば無理矢理に足を前に踏み出すのだった。




