0343話
屋敷の中に入ったアランたちだったが、先程のように敵が出て来るのかと思いきや、特に敵らしい敵は存在しない。
それどころか、メイドや執事の類もいなかった。
ギジュの屋敷には劣るものの、ゴールスの屋敷はかなりの広さを持つ。
そうである以上、当然この屋敷を維持するだけのメイドや執事、それ以外にも様々な人員がいてもおかしくはないのだが、そのような相手とは一切遭遇しない。
「これって、どういうことだと思う?」
廊下を歩きつつ、アランはレオノーラとクラリスの二人に尋ねる。
そんなアランの疑問に最初に口を開いたのはクラリス。
「普通に考えれば、ゴールスが屋敷で働いている人たちに被害が及ばないようにということなのでしょうが……どうなんでしょうね?」
クラリスが口にしたように、普通に考えればその通りで間違いない。
だが、アランたちが知っているゴールスの性格を考えると、そのように部下たち気遣うようには思えない。
クラリスもそれを理解しているからこそ、自分で口にしてもそれが正しいとは思えないのだろう。
「そうなると、この屋敷の中で攻撃をしようとする際に邪魔にならないように、とかかしらね」
クラリスに続き、レオノーラがそう口に出す。
部下のことを思ったのではなく、単純に邪魔になるからこそ屋敷にいないようにした。
そう考えれば、まだ納得出来ないこともないのだが……
「これまでの手口から考えると、ゴールスならメイドや執事たちに命懸けでこっちの妨害をしろとか、そんな風に言いそうだけどな」
アランが知っているゴールスのやり口から考えれば、そのくらいは普通にやっておおかしくはない。
しかし、今の屋敷の様子はそんなアランの予想とは大きく違っていた。
それはつまり、何かこうする必要があってこうしていると、そのように思うのは当然だろう。
「問題なのは、一体何を考えてこんな真似をしたのかだな。……クラリスか?」
「その可能性もあるでしょうね」
アランの言葉にレオノーラが同意する。
唐突に自分の名前を呼ばれたクラリスは、少しだけ驚きつつも納得した様子を見せる。
出来るだけ言霊は使わないようにと考えてはいるが、それでも実際に言霊は使おうと思えばいつでも使えるのだ。
そうである以上、メイドや執事といった者たちがいれば、言霊を使って情報収集をするといったような真似も出来る。
ゴールスがそれを嫌って人を来ないようにしたというのは、十分に考えられる。
(とはいえ、人がいないようにしたとはいっても、俺達がこの屋敷に向かっているというのを知ったのは少し前のはず。そうなると、自分の家に帰らせたとかじゃなくて、どこかの部屋に集めているとか、そういう可能性の方が高いな)
そうであれば、捜そうと思えばどうとでも対処は出来る。
そう判断したアランだったが、だからといって屋敷で働いている者たちを捜すような真似をしていれば、それだけ時間がかかる。
ましてや、ここでそのような真似をしても、クラリスが他人に言霊を使うのはあまり好んでいない。
本人が好んでいない以上、アランとしては言霊を使わせるつもりはなかった。
……あるいは、これがどうしようもないほどに追い詰められているといったようなことにでもなっていれば、話は別だが。
しかし、現時点ではという限定条件だが、有利なのはアランたちだ。
(獣人全てとはいかないが、かなり大きな一族を率いるってことになると、そういうのは甘いって言ってもいいのかもしれないけどな。まぁ、十歳くらいの子供だし、それもしょうがないか)
そう判断し、屋敷の中にいる人物を捜すことはあっさりと諦める。
そして諦めれば、次にやるべきことは決まっていた。
「そうなると、ゴールスのいる場所まで真っ直ぐ行きたいところだけど……問題なのは、どうやってゴールスのいる場所を探すかだよな」
この屋敷について知っている者であれば、ゴールスのいる部屋がどこなのかというのはすぐに分かるだろう。
だが、アランたちは今日初めてこの屋敷に来たのだ。
具体的に、どこにゴールスがいるのかというのは、すぐには分からない。
それはつまり、色々と探していく必要があるということになる。
「しょうがないでしょう、その辺は。とにかく、今は少しでも早くゴールスのいる場所を見つけましょう。……幸いにして、屋敷の作りを見れば大体どの辺が重要な場所なのかというのは分かるし」
これは、当然だが誰でもすぐに分かるという訳ではない。
レオノーラは、姫として生まれ育った。
そのために、自分の住んでいた城についての構造はもちろん、姫として色々な貴族の屋敷に入ることも多く、その屋敷がどのような形になっているのかというのも、大体分かる。
もちろん、屋敷というのは国によってその形式が変わったりもするので、絶対に分かるといった訳ではない。
だがそれでも、人の考えることは基本的に似ているようなものだし、そういう意味ではレオノーラもゴールスがどこにいるのかといったことは大体理解出来た。
また、これまで聞いてきたゴールスの性格から考えると、人に見付からないように隠れるといったようなことをするとは思えない。
それはつまり、この屋敷の中でも一番目立つ場所にいるはずだと予想出来る。
「まずは上に行きましょう。外から見た限りだと、この屋敷は三階建てだったわ。だとすれば、ゴールスがいるのは恐らく三階よ。そこでこっちを待ってると思う。……もちろん、一人だけじゃなくて、他の護衛も一緒にね」
「他の護衛か。……やっぱり獣牙衆だと思うか?」
「どうかしらね。ただ、獣牙衆がいるのなら屋敷に入る前に襲ってきてもいいと思うけど」
屋敷に入る前には猫の獣人が襲ってきたが、その技量はそこまで高い訳ではなく、とてもではないが獣牙衆の一員であるとは思えなかった。
獣牙衆が纏まってこの屋敷にいる訳でもないが、それでも一人や二人はいてもおかしくはない。
そうレオノーラは予想しているし、ゴールスの性格を考えればアランもその意見に否定は出来ない。
「獣牙衆がいても、レオノーラさんがいれば、何とか出来るでしょう?」
廊下を歩きつつ、クラリスがそう告げる。
実際、レオノーラの実力を知っているだけに、クラリスのその言葉は間違ってはいないだろう。
もし本気でレオノーラが戦えば、獣牙衆が相手……それも数人が相手であっても、十分に勝てるというのはアランにも予想出来る。
(とはいえ、戦闘場所が狭いと厄介だけどな)
レオノーラの武器は鞭だ。
長物……という表現が鞭に相応しいのかどうかは、アランにも分からない。
だが、狭い場所では鞭が不利だというのは、容易に予想出来る。
レオノーラの技量があれば、狭い場所であっても鞭を使えないこともないだろう。
それでもやはり、広い場所で戦うのと同じように戦えるのかと言われれば、その答えは否となる。
「そうね。クラリスは守らないといけないし、頑張らないといけないわね」
「む」
レオノーラの言葉に、クラリスが不満そうな表情を浮かべる。
クラリスにしてみれば、レオノーラはある意味でアランを巡ってのライバルといった認識だ。
もっとも、それはいわゆる恋のライバルという訳ではなく、自分の大好きな兄を奪おうとしている相手へのライバル心といった表現が相応しいが。
そんなレオノーラに守るべき対象と言われたのが不満だったのだろう。
もっとも、実際にクラリスはレオノーラに守られるべき存在であるのは事実である以上、クラリスも不満そうにしつつも、余計に何かを言うようなことはなかったが。
その代わりという訳でもないだろうが、クラリスは廊下の先に階段を見つける。
「あ、階段ですね。あの階段で上に行けば、ゴールスがいるかもしれません」
「そうね。……でも、下もあるみたいよ」
「レオノーラさんが、ゴールスのような性格の人は上にいるって言ったんじゃないですか」
「それはそうだけど、もしかしたらということもあるでしょう?」
「……なら、下に向かうんですか?」
「いいえ、やっぱり上ね。出来れば下も見てみたいけど、あまり無駄に時間を使いたくないもの」
時間をかければ、それだけ獣牙衆が応援に来る可能性が高い。
レオノーラがその気になれば、多数の獣牙衆を相手にしても、対処出来ないことはない。
しかし、それでも狭い屋内でそのような腕利きとの戦いは、出来れば遠慮したいというのが、レオノーラの正直なところだ。
アランも心核を使っていいのなら獣牙衆を相手にしても十分戦力となるが、その場合は間違いなくこの屋敷に大きな被害が出てしまう。
今はこの屋敷で働いている者たちがどこか一ヶ所に集められている可能性が高い以上、よけいにアランの心核を使うといったような真似は難しいだろう。
下手をすれば、十人……いや、数十人を相手に一気に殺してしまいかねないのだから。
死ぬのが盗賊の類であれば、アランもそこまで躊躇するようなことはないだろう。
あるいは、明確な敵であっても同様に。
しかし、今回死ぬ可能性があるのは、ゴールスに仕えている使用人だ。
ゴールスに仕えているという意味では敵だが、さすがにアランも戦闘力の類がない相手を殺すというのは、色々と思うところがある。
そうである以上、アランとしてはこの屋敷の中でゼオンの武器を召喚するといった真似はしたくない。
……ただし、それはあくまでもしたくないということであって、やらなければならないところまで追い詰められた場合は、アランも普通に心核を使ったりはするのだが。
戦闘力のない一般人を殺すということに思うところはあるが、それでも自分や仲間が危険なときは、それを躊躇しない。
その辺りの優先順位にかんしては、この世界でこれまで生きてきた中で十分に理解している。
「じゃあ、行きましょう。上でゴールスも待ってるでしょうし。今はとにかく、少しでも早くクラリスをゴールスに合わせることが優先なんでしょ。……出来れば、そのまま倒してしまった方がいいと思うけど」
そう告げるレオノーラの言葉に、しかしクラリスは首を横に振るのだった。




