0342話
ゴールスの屋敷の中に入った、アラン、レオノーラ、クラリスの三人は、特に誰に邪魔をされるでもなく敷地内を進む。
「警備兵とか、さっきの連中以外にいてもいいと思うんだけどな。……どう思う?」
尋ねるアランに、レオノーラは周囲を見回しながら口を開く。
「そうね。ここに来る途中で私たちに絡んできた者たちのことを考えると、戦力的に十分という訳じゃないのかもしれないわね。獣牙衆が協力しているとはいえ、それでもガーウェイの件を考えると、全員が望んでそのようなまねをしているという訳でもなさそうだし」
「そうなると、獣牙衆はあまり出て来ないと考えるべきでしょうか?」
「どうかしらね。ゴールスも自分の身を守る戦力くらいは準備していると思うのだけど」
レオノーラも、ゴールスという人物について直接知っている訳ではない。
しかし、それでも噂を聞けば大体どのような人物なのかというのは理解出来るし、ガーウェイのように直接ゴールスという人物を知っている人物から話を聞けば、より詳細にゴールスという相手の人物像を捉えることが出来る。
そうして得たゴールスという人物の性格を考えると、力で強引に解決するかと思えば、慎重な一面もある。
また、本人も自分の実力に自信を持っている以上、あるいは自分だけで何とか出来ると思うのかもしれないが、それでも万全を期すのは間違いない。
「考えられるとすれば、獣牙衆以外に頼りになる戦力がいて、一人……もしくは少数で私たちをどうにか出来ると思っているといったところかしらね」
「……獣牙衆以外にも……?」
それは、クラリスにとっても驚きだったのだろう。
ただし、当然ながら獣牙衆以外にもゴールスに協力している者がいたということに驚いた訳ではない。
今のレオノーラの言葉から、獣牙衆と同等……あるいはそれ以上の強さを持つだろう相手がいると、そう判断しての驚きだ。
クラリスにしてみれば、獣牙衆こそがゴールスの持つ最大の戦力だと、そう思っていた。
だというのに、それ以上の戦力がいると言われれば、それに驚くなという方が無理だろう。
「あくまでも、そういう可能性だけどね。あるいは、もっと別の何かという可能性もあるでしょうし。……少なくても、こういう連中が奥の手じゃないことは事実ね」
そう言いながら、そっと手を伸ばしたレオノーラは、飛んできた短剣の刃を手で掴む。
普通であれば、刃を鷲掴みにすれば掌が切れてもおかしくはない。
しかし、レオノーラは親指と人差し指の二本の指だけで、そっと刃を挟んで止めたのだ。
その技量は、まさに達人技と呼ぶに相応しい。
「え? ……敵か!」
そんなレオノーラの様子を見ていたアランは、最初何が起きたのか理解出来なかった。
だが、それでも短剣を見た瞬間、それが敵の攻撃なのだと理解する。
飛んできた短剣は、一直線にレオノーラの頭部に放たれており、もしレオノーラがそれを止めなければ、レオノーラは大きな傷を負っていただろう。……あるいは、死んでいた可能性もあった。
とはいえ、レオノーラを狙ったという判断そのものは、決して間違いではない。
アラン、レオノーラ、クラリス。
この三人の中で一番厄介なのは、間違いなくレオノーラなのだから。
いや、正確に言えば、言霊を使って言葉を相手に聞かせれば無条件に命令出来るというクラリスも、間違いなく厄介だ。
何しろ、その声を聞けばその時点で終わりなのだから。
しかし、それは逆に言えば言霊さえ聞こえなければ、効果はないということを意味している。
レオノーラの攻撃した者にしてみれば、言霊の件を理解している以上、対処するのは難しくないと考えたのだろう。
そしてアランは、それこそ一目見れば決して強くないというのは理解出来た。
だからこそ三人の中で一番厄介なレオノーラを狙ったのだろうが……
倒した。
そう思った瞬間、まさかいきなり伸ばした手で短剣を受け止められるとは、思わなかった。
そんな驚きの光景に、気配を乱し……
「そこね」
その一言と共に、レオノーラは短剣を投擲する。
離れた場所にあった木の枝に向かい、一直線に飛んでいく短剣。
がさり、と。
そんな音を立て、自分に向かって飛んできた短剣を回避する為に木の枝の上から誰かが飛び降りる。
そうして姿を現したのは、猫の獣人の男だった。
目立たないようにか、黒装束を身に纏っている姿は、見ようによっては忍者のように見えなくもない。
もっとも、忍者といったところで、それを理解出来るのはアランと、アランの前世の記憶を追体験したレオノーラだけだっただろうが。
「貴様っ!」
猫の獣人にしてみれば、自分が隠れている場所を見つけられたのは予想外だったのだろう。
あるいは、自分の投擲した短剣をあっさりと防がれたことか。
ともあれ、敵意に満ちた目でレオノーラを睨み付ける。
「あら、そんなに怒るのはどうなのかしら。貴方に奇襲を受けたのは私たちなのだから、この場合怒るのは私たちの方でしょう?」
そう告げ、レオノーラは挑発気味に笑みを浮かべる。
そんな挑発の言葉に、猫の獣人は即座に行動を開始した。
自分を挑発してきたレオノーラに向かい、短剣を手にして一気に間合いを詰める。
鋭い一閃は、その刃をレオノーラの首筋に向かって伸びていくが……
「甘いわよ」
短剣は、刃が短いからこそ短剣なのだ。
一歩後ろに下がったことで、短剣の刃はレオノーラに届くようなことはなく……後ろに下がると同時に、いつの間にかレオノーラの手は鞭を手にしており、その鞭を手首の動きだけで放つ。
本来なら鞭を放つ……それも攻撃として成立するレベルの一撃で放つとなれば、手首だけではなく腕全体……あるいは、身体全体を使って放つ必要がある。
だが、高い身体能力を持つレオノーラは、手首の動きだけで放つだけでも十分強力な一撃を放つ事が出来た。
「ぐおっ!」
放たれた鞭の一撃は、猫の獣人の胴体を強かに打ち付ける。
それこそ、聞いただけで間違いなく痛いだろうと、そう思う程に甲高い音が周囲に響き渡った。
アランにしてみれば、とてもではないか今のような一撃は食らいたくないと、そんな風に思うには十分な一撃。
(そういう趣味を持っていても、レオノーラの鞭はごめんだろうな)
これもまた前世の知識ではあるのだが、そういう趣味……いわゆる、鞭や蝋燭を使って楽しむアブノーマルな趣味については、深くは知らなくても、浅くなら知っている。
そんな浅い知識の中には、そういう趣味で使う鞭というのは、まともに当たっても衝撃はあるものの、その程度のダメージしか与えられないというのがあった。
それに対して、レオノーラが振るうのは、そのような鞭とは違って皮を裂き、肉を弾き、骨を砕く威力を持っている。
速度を重視した手首だけの一撃で、服の上から受けた一撃ではあったが……猫の獣人の服は裂け、皮は破け、肉も裂かれるといったダメージはあった。
「うわぁ……」
レオノーラの鞭によってダメージを受けた相手を見たのは初めてだったのか、クラリスの口からはそんな声が上がる。
そんなクラリスの視線の先では、胴体を鞭で打たれた猫の獣人が地面に転がり、痛みに呻いていた。
獣人は暗殺者、もしくは密偵としての訓練を受けている。
その中には、当然だが痛みに耐える訓練というのもあっただろう。
だというのに、そんな訓練を受けた身であっても耐えることが出来ないほどの、激痛。
クラリスの口から『うわぁ』といった言葉が漏れるのは、ある意味で当然のことだった。
レオノーラはそんなクラリスの様子に構うことなく、猫の獣人をそのままにして屋敷に向かう。
これだけの傷を負ったのだから、猫の獣人はもう戦う力はないと、そう思っての判断だった。
「ほら、クラリス。俺たちも行くぞ。今はレオノーラの側から離れない方がいい」
自分が心核使いに特化しているという自覚のあるアランとしては、この場で一番頼りになるのは間違いなくレオノーラであると判断していた。
クラリスの使う言霊も強力ではあるが、本人があまり使いたくはないというのもあるし、何よりいくら言霊が強力であっても、それを使うのは結局クラリスだ。
クラリス本人をどうにかしてしまえば、言霊を使われるようなこともない。
もっとも、クラリスは柔道や合気道に近い武術を習得しているのが、屋敷の前の戦いで明らかになったが。
(もしかして、この中で一番弱いのって俺だったり? ……いや、クラリスは結構強いみたいだけど、それでも俺がクラリスよりは弱いということはないはず)
アランは雲海や黄金の薔薇の中では、生身の戦いだと最弱に近い。
しかし、それはあくまでも比べる相手が間違っていた。
生身でも、アランはそれなりに強いのは間違いない。
周囲にいる者たちが圧倒的な強さを持つので、とてもではないがそんな自覚はなかったが。
ともあれ、レオノーラに置いていかれては大変だと、アランはクラリスと共に歩みを進める。
そうして屋敷の扉のある場所までやって来ると、そこではレオノーラが二人を待っていた。
「来たわね。じゃあ、中に入るわよ。……ここから先は、何があるのか分からないわ。くれぐれも、注意すること」
念を押すように言ってくるレオノーラに、アランとクラリスは頷く。
屋敷の中に、一体どれだけの戦力がいるのかは分からない。
だが、ゴールスがいる以上、間違いなく護衛は何人かいてもおかしくはない。
(せめて、獣牙衆がいなければいいんだけどな)
獣牙衆が現れても、レオノーラがいれば対処は難しくない。
また、クラリスの言霊も使えるだろう。
最後の手段としては、アランの心核を使ったゼオンの武器の召喚といった手段もあった。
それでも、獣牙衆という厄介な敵は、遭遇しないのならそれの越したことがないのは事実だ。
「開けるわよ」
レオノーラはそう言い、屋敷の扉を開け……そして、アランたち三人は、いよいよ敵の親玉とも言えるゴールスが待っている屋敷の中に入る。
中で何が待っているのかは分からなかったが、それでも負けるつもりはないままに。




