0329話
「クラリス、じゃあまたなー!」
ガキ大将のサラスは、そう言って大きく手を振る。
他の子供たちもまた、クラリスに向かって手を振っていた。
「はい、また遊びましょう!」
アランの隣で、クラリスもまた嬉しそうに手を振る。
(この光景だけを見れば、日本と変わらないよな)
夕方になり、夕陽が周囲を赤く染める中で、今まで遊んでいた子供たちが家に帰るという光景は、アランが前世の日本で見た記憶と非常に似ていた。
もちろん、違う場所もある。
具体的には、子供たちの多くが獣人の子供であるということだろう。
とはいえ、それはあくまでも日本……いや、地球ならではの話だ。
この世界においては、獣人は普通に存在するので特に気にする必要はない。
「それにしても、思ったよりも長く遊んでしまったな。もう夕方だぞ」
「そうですね。でも……楽しかったです」
アランの言葉に、クラリスはしみじみと呟く。
最初はだるまさんが転んだで遊び、影踏み鬼や目隠し鬼、色鬼……といったように、色々な遊びをした。
アランが考えたように、缶蹴りはやはり無理だったが。
そうして遊び、気が付けば夕方だった。
アランとしては、本来ならもう少し早く遊びを終わらせて、クラリスと一緒に他の場所を見るつもりだったのだが……
(それでも、これはこれでよかったよな)
自分の隣を歩いているクラリスを見て、そう思う。
元々、クラリスが今日街中に出たいと言ったのは、普通の人の生活を自分の目で見たいという思いがあったためだ。
そういう意味では、こうして自分と同年代の子供たちと一緒に遊べて、休憩中に色々と話を聞いたりといったことで目的は十分に果たせたのは間違いない。
アランとクラリスの二人は、今日の出来事を話しながら街中を進んでいたのだが……街中を歩いている者の姿が多くなっており、進むのが若干難しい。
(あ、そっか。夕方である以上、仕事が終わった人たちが街中に溢れるのは当然か)
規定時間になったから、すぐに仕事が終わるといったようなことはない。
仕事がまだ残っている者がいれば残業をしたりもするし、仕事が早く終わった者はもっと前に街中に出てもおかしくはない。
しかし、それでも結局多くの者が仕事を終えるのは、やはり夕方になるのだ。
多くの者たちが仕事が終わったということで開放的な気分になっており、早く家に帰ろうとしている者や、これから飲みに行こうとしている者、友人や恋人と待ち合わせをしている者……そのように、多くの者たちが街中に出ており、そのような相手を自分の店に案内しようと客引きの姿も多い。
「あら……これは凄いですよね」
目の前の光景に驚きの声を上げるクラリス。
ここまでの人混みというのは、クラリスにとっても非常に珍しいのだろう。
とはいえ、クラリスがデルリアに向かっていたときは、雲海や黄金の薔薇の面々と行動を共にしていた。
大抵は馬車にいることが多かったが、自分の正体が知られてから、食事の時には馬車から降りて皆で食事をしたりもしている。
そして雲海や黄金の薔薇の面々の皆が揃って食事をするというのは、当然ながら多くの人が一斉に食事をするということになり、そういう意味では人混みというのもそこまで珍しくはないのかもしれないが。
ただし、雲海や黄金の薔薇の面々とは違うこともいくつがある。それは……
「凄いけど、出来るだけ早く屋敷に戻ろう。酔っ払いとかに絡まれたりしたら、洒落にならないしな」
そう、雲海や黄金の薔薇の面々は、酒を飲むことがあっても深く酔うまで酒を飲むをいったことはなかった
だが、仕事が終わったばかりの者たちにしてみれば、開放的な気分に任せて一気に深酒をして酔っ払うといったようなことも、珍しくはない。
そのような者たちに絡まれると面倒なので、アランは出来るだけ早く屋敷に戻りたかったのだろう。
もっとも、アランからはどこにいるのか分からないが、ジャスパーが自分たちを護衛してくれているのは間違いない。
そうである以上、もし何かトラブルがあったとしても、問題はないと思っていたのだが……
「見つけたぞ、てめえ!」
明からに自分に向けられた言葉に、酔っ払いに絡まれるのとはまた別のトラブルの予感を抱きつつ、声のした方に視線をむける。
「あー……」
そこにいた相手……正確には、その中の二人を見て、アランは何のために自分に声をかけてきたのかを悟る。
そこにいたのは、果物を水飴てコーティングした菓子を売っていた屋台で、アランとクラリスの前に割り込んできた獣人の二人だったためだ。
割り込んで来たことにアランが注意をしたのだが、結果としてトラブルになり、その片方はあっさりとアランに倒される。
アランは雲海の中では最弱に近い存在だが、それはあくまでも雲海という腕利きが揃っている集団の中での話だ。
その辺の盗賊や……ましてや、街中で暴れるだけのチンピラを相手に、アランが負けるはずがない。
向こうはアランが一人でクラリスのような子供を連れていることから、弱いと思ったのだろうが。
それが間違っていたことは、自分たちの身を以て思い知ることになった。
だが、暴力を使って大きな顔をしていた者が、アランのような一見して筋骨隆々といった様子でもなく、普通の男に負けたというのは完全に顔を潰されたのだ。
これからの自分たちの生活を考えれば、自分たちの面子を潰したアランをそのままにする訳にはいかない。
また、それ以上にアランに対して怒りを抱いている以上、そのままにしておくといった真似は出来ない。
そのため、仲間に連絡して数を揃え、こうしてアランたちの前に出て来たのだ。
「無駄な真似をするなよ? 俺たちがいる以上、ここから逃げ出すなんて真似は出来ないからな」
アランに絡んできた二人ではなく、その仲間の一人がそう宣言する。
豹……もしくはチーターといった様子の獣人が嗜虐的な笑みを浮かべてながら、そう告げてきた。
走る速度には自信があるのだろう。
(さて、どうするかな)
二十人近い男たちに囲まれたアランだったが、動揺した様子は全くない。
素手でこれだけの人数を倒せるのかと言われれば、アランにも難しいのは事実だろう。
だが、アランの場合は最後の手段としてゼオンがある。
もちろん、このような街中でゼオンを召喚するといったようなことになれば、十八メートルもの大きさを持つゼオンだけに、大きな騒ぎになるだろう。
……それでも不幸中の幸いなのは、アランの存在がゴールス経由でガリンダミア帝国に伝わってい可能性が高いことか。
何故それが幸いなのかと言えば、今まではガリンダミア帝国にアランの存在を知られる訳にはいかないので、ゼオンを召喚は出来なかった。
だが、すでにそれが知られてる以上、ゼオンの存在を隠す必要はないのだ。
もっとも、同じ心核使いだったり、獣牙衆や探索者といったような精鋭といった訳でもない、ただの街のチンピラを相手に心核を使うのは、それこそ蚊の退治にミサイルを使うようなもので、明らかに過剰なのだが。
(いっそクラリスの能力を使った方がいいのかもしれないな。ゼオンを召喚するよりは、目立たないだろうし。もしくはジャスパーさんだけど……この程度の連中を相手にした場合、出て来る可能性は少ないか)
言葉だけで相手に命令することが出来る、言霊。
目立たず、相手を鎮圧するという意味では言霊というのは非常に理想的な能力だった。
クラリスの方も、そんなアランの様子に何を考えているのか理解したのか、微かに頷く。
(さて、そうなると……周囲に人がいる場所は不味いか。どこか周囲に誰もいない場所に行く必要があるな。さっき遊んでいた場所から少し離れたところにそういうのがあるってサラスが言ってたな)
そう判断し、アランは意図的に挑発して場所を移そうと考え、実行する。
「逃げる? 俺が? お前たち程度の相手から? 常識で考えて、そんなことある訳がないだろ。そっちの二人も、俺にあっさりと負けてみっともなく逃げ出したのを忘れたのか?」
まさか、アランの口からそんな言葉が出るとは思わなかったのか、男たちは一瞬唖然とし……だが次の瞬間、自分たちが何を言われたのかを思い出し、顔を赤くして怒り出す。
「クラリス、走るぞ!」
「はい!」
アランはそう言うと、クラリスと共に走り出す。
幸いなことに、ガキ大将のサラスから人のいない場所についての話は聞いていた。
その場所に到着すれば、あとはクラリスの言霊でどうとでも対処出来る。
……普通なら、クラリスのような子供が一緒に逃げているということで、足が遅くて足を引っ張ってもおかしくはないのだ、クラリスは狐の獣人だけあって走る速度も速い。
また、二尾の狐ということで、言ってみれば普通の獣人の上位種や上位互換とも呼ぶべき存在だ。
それだけに今回の一件において、すぐに追いつかれるといったことはなかった
アランは獣人ではないが、探索者として相応に鍛えている。
それだけに、しっかりと身体を鍛えた訳でもない獣人たちに追いつかれるといったようなことはなく……やがて、目的の場所に到着すする。
「はぁ、はぁ、はぁ……逃げた先がこことはな」
アランたちに追いついてきた獣人、先程逃げられることはないと自信満々に言っていた豹の獣人と思しき男が、若干息を切らせながらもアランに向かってそう言ってくる。
しかし、そんな相手に対してアランは呆れたように口を開く。
「この程度走っただけで息を切らすってのは、どうなんだ? 瞬発力は高いのかもしれないけど、ちょっと遅すぎるぞ」
「ぐっ……黙れ!」
そんなやり取りをしている間に、他の者たちも追いついてくる。
そして、全員が到着したところで、男たちの中の一人が口を開く。
「俺たちをここまで虚仮にして、ただですむとは思ってねえよな?」
「そうか? 残念だけど……」
お前たちはここで少し眠って貰う。
そう言おうとしたアランだったが、不意に殺気を感じて黙り込む。
少なくても、目の前にいるチンピラたちに出すことは不可能な、鋭い殺気。
誰がそのような殺気を放つのか……思い当たることはいくつもあるが、その中で最有力候補は……
「獣牙衆か!」
鋭く叫ぶのだった。




