0328話
「美味しい」
屋台の店主から貰った飴を食べると、クラリスの口からそんな声が漏れる。
アランもまた、水飴を纏った果実を口に運ぶ。
飴のように舐めるのではなく、果実を食べるように水飴ごと噛み砕く。
それが、この菓子の食べ方だった。
最初は水飴の甘みが口の中に広がり、次に瑞々しい果実の食感と酸味が広がる。
水飴を纏っている……コーティングされているだけに、果実の方は甘いのではなく酸味のある果実の方がいい。
水飴の甘さがあるので、果実の方も甘い場合はその甘さがくどくなってしまうのだ。
(そう言えば、リンゴ飴ってのは売り物にならないリンゴを使って始めたとかなんとか、何かで見た覚えがあるな)
前世での記憶ではあったし、その情報を何で知ったのかもアランは分からない。
だが、それでも何かでそのような情報を知ったのは間違いないのだ。
……その情報が正しいのかどうか、確認出来る手段はアランにはなかったが。
「うん、美味いな。それで、次はどこに行く?」
「色々と見て歩きたいです。……こうして歩きながらお菓子を食べるというだけで初めての経験ですけど」
姫として育てられてきたクラリスは、当然の話だが何かを食べながら歩くなどといった真似は許されなかった。
デルリアに来るまでの道中では色々とあったのは間違いないが、それでも基本的には馬車の中にいたので、食べ歩きといった行為はしたことがない。
そういう意味では、兄のように慕っているアランと共にこうして食べ歩きをするというのは新鮮な体験だったのだろう。
「なら……そうだな。ああ、ほら。あそこで面白そうなことをやってるぞ」
道を歩いていたアランが指さした方向には、何人もの人が……観客が集まっていた。
その観客の視線の先では、獣人でも何でもない人間が多数の短剣をお手玉……いわゆるジャグリングをしている。
短剣は空中で回転しており、下手に受け止めると掌が切れるだろう。
だが、ジャグリングをしている人物は何の躊躇もなく五本の短剣を次々と空中に放り投げては受け止め、そして再度空中に放り投げるといったような真似をしていた。
「あれ、大丈夫なんですか?」
武器として短剣を使う者は、クラリスもこれまでの経験で何人も見てきた。
しかし、短剣を……それも五本もジャグリングしているというのは、初めて見たのだろう。
それだけに、一体あのような真似をしても本当に大丈夫なのかと、そんな風に思うのは当然のことだった。
「問題ない。ああいう大道芸人はしっかりと練習した上で、ああいうことをやってるんだからな」
何も知らない素人が真似をして痛い目に遭うといったようなことは、あってもおかしくはない。
だが、アランにしてみればそのような真似をする者は、それこそ自業自得でしかなかった。
もっとも、クラリスの前でそれを口に出すような真似はしなかったが。
「どうする? もう少し見ていくか?」
「はい。そうしたいです」
アランの言葉に、クラリスは興味深そうにジャグリングをしている人物に視線を向ける。
そうして数分の間はじっと見ていたが、やがて口を開く。
「出来れば、もう少し見ていきたいんですけど……そうすると、他の場所を見て回る暇がなくなりそうですし、他の場所を見て回りましょうか」
アランはクラリスの言葉に頷き、街中を進む。
アランの隣で興味深そうに周囲の様子を眺めていた。
そんな中、不意にクラリスが口を開く。
「この様子を見たところでは、私とゴールスが争っているようには、思えませんね」
「一般人にしてみれば、普通に暮らしてけるのなら上がどういう人間なのかってってのは、あまり気にしたりはしないだろうな」
もちろん、上に立つ者の近くにいる者にしてみれば大きく違ってくるだろうが。
「そういうものなのですか」
自分がゴールスと戦っている張本人だけに、クラリスはアランの言葉を聞いて微妙な表情を浮かべる。
とはいえ、クラリスにしてみれば自分が騒動の中心人物なだけに、ここで自分が何かを言っても意味はないだろうと、そのように思ってしまう。
いや、意味はないどころか、騒動を引き起こしている自分が何かを言えば、それは大きな不満と思われても仕方がない。
そう考え、残念そうな……そして寂しそうな表情を浮かべるクラリス。
そんなクラリスを見ていたアランは、少し離れた場所に公園があるのを見つける。
正確には、公園ではなく空き地か。
何らかの建物を取り壊したあと、そのままになっていると思しき場所。
空き地では、クラリスとそう年齢が違わない者たちが走り回っているのが見える。
そんな自分と同年代の子供たちを、羨ましそうに眺めるクラリス。
クラリスにしてみれば、その育ちから自分と同年代の子供と遊んだようなことはなかったのだろう。
あるいは昔はいたのかもしれないが、今はいないのか。
その辺りはアランにもしっかりとは理解出来なかったものの、それでも少なくても今のクラリスがそんな光景を目にして、羨ましいと思っているのは間違いない。
(まぁ、当然か)
子供の頃から姫として育てられてきたクラリスは、その育ちゆえに同年代の相手と遊ぶといったようなことは滅多になかったはずなのだから。
だからこそ、羨ましそうに走り回っている子供たちを見ているクラリスに向け、アランは口を開く。
「クラリス、お前も一緒に遊んできたらどうだ?」
「え?」
アランにとっては当然の言葉ではあったのだろうが、クラリスにしてみれば予想外の言葉だったのだろう。
少し戸惑ったようにアランに視線を向けてくる。
「羨ましいんだろ? なら、クラリスも一緒に遊んできたらいいだろ」
「でも……」
どうするべきか迷った様子を見せるクラリス。
クラリスにしてみれば、今日はアランと一緒に街中を見て回るといったつもりだったのだ。
だというのに、ここで自分だけが遊んでくるといったような真似をした場合、アランは暇になるのではないかと、そう思ったのだろう。
そんなクラリスの心配を察したのか、アランは口を開く。
「クラリスだけじゃなくて、俺も一緒に混ぜて貰うから安心しろ」
「え?」
アランの口から出た言葉は、クラリスにとっても予想外だったのだろう。
驚きの声を漏らすクラリス。
だが、アランはそうして驚きの声を漏らしたクラリスを引っ張って、子供達のいる方に向かう。
クラリスはそんなアランの行動に何も言えない。
……いや、何かを言おうと思えば言えるのだろう。
それでも何も言わなかったのは、やはりクラリスの中にも子供たちと一緒に遊びたいという思いがあったからか。
「おーい、ちょっといいか?」
アランの言葉に、空き地を走り回っていた子供たちの動きが止まる。
そして、子供たち中でもいかにもガキ大将といったような、勝ち気な男の子供……虎の獣人の子供が皆を庇うようにして一歩前に出る。
その視線には、どこかアランを警戒する色があった。
もっとも、初めて見た相手に声をかけられたのだから、それで緊張するなという方が無理かもしれないが。
それでも警戒がそこまで強くないのは、クラリスがアランと一緒にいるからだろう。
「何、兄ちゃん。俺たちに何か用事?」
「ああ。実は俺たちもちょっと混ぜてくれないかと思ってな。この子はクラリスって言うんだけど、ちょっと事情があって今まで同年代の子供たちと遊んだことがなかったんだ」
アランの言葉にガキ大将は少し驚く。
自分たちは毎日のように街中を走り回って遊んでいるのに、そんなことが出来ないような者がいるというのは予想外だったのだろう。
広い目で見れば、クラリスほどではないにしろ、似たような境遇の子供というのは決していない訳ではない。
それでもガキ大将がそこまで驚いたのは、自分の周囲にそのような相手がいなかったからだろう。
「ま、まぁ、いいぜ。兄ちゃんも一緒に遊ぶのか?」
「そうだな。俺を混ぜてくれたら、いくつか遊びを教えてもいいぞ」
このデルリアでどのような遊びが流行っているのかは、アランにも分からない。
だが、アランにはこの世界ではなく別の世界……地球で生きた前世の経験がある。
地球で子供の頃に遊んでいたことを思い出せれば、そのときの遊びのいくつかを教えることは、悪い話ではない。
(缶蹴りが出来ないのは痛いけど。いや、別に缶蹴りをやるにしても、缶以外の何かを使えばいいのか)
アランが前世の子供の頃に熱中した遊びに、缶蹴りがある。
どうせならそれを教えようかと思ったのだが、缶蹴りをやるのならこの空き地では絶対に足りない。
それこそ、かなり広い範囲で遊ぶといったようなことでもなければ、缶蹴りは十分に満喫出来ないだろう。
「え? 本当か!? しょうがねえなぁ。じゃあ、兄ちゃんたちも入れてやるよ」
新しい遊びというのに興味を惹かれたのか、ガキ大将はあっさりとそう言ってくる。
ガキ大将は他の子供たちからかなり慕われているらしく、ガキ大将が認めるのならといったように、他の者たちも不満そうな様子は見せない。
それどころか、何人かはクラリスの愛らしさに目を奪われてすらいた。
「で、どういう遊びを教えてくれんだ?」
「そうだな。俺の地元でやっていた遊びでだるまさんが転んだってのがあるんだけど、それをやってみるか? これなら場所は取らないし」
「だるまさんが転んだ? どういう遊びなんだ?」
そう尋ねてくるガキ大将に、アランは簡単なルールを説明していく。
このだるまさんが転んだは、動いた相手の名前を呼ぶ必要がある。
そういう意味で、自己紹介をするという意味では好都合でもあった。
「よし、ルールは分かったな? さて、それじゃあ早速やるけど……誰が最初に鬼をやる?」
「俺がやるよ」
アランの言葉にそう言ったのは、ガキ大将……いや、サラスと名乗った子供だった。
ガキ大将だけに、自分が皆を纏める必要があると判断しているのだろう。
そのため、アランはともかくクラリスが皆と一緒に遊べるようにと、そう気をつけてたの言葉だった。
そんなサラスに、アランは笑みを浮かべて分かったと頷くのだった。




