0325話
は? と、クラリスは……いや、クラリスだけではなく、部屋の中にいた全員がシスターナの口にした言葉に疑問を抱く。
当然だろう。
シスターナが口にしたのは、降伏しないのかといった内容だったのだから。
「本気で言ってるのですか?」
たっぷり一分近く沈黙したあと、クラリスはシスターナに向かってそう告げる。
その様子は、言葉通り相手が本気で言ってるのかどうかというのを気にしているかのようなものだった。
だが、アランは本気ですかと聞いたクラリスの言葉は、まだしも優しいと思える。
もしアランがクラリスの立場にいるのなら、それこそ本気ではなく正気ですか? と聞いたのだろうから。
だが、クラリスを含めて他の面々からも視線を向けられたシスターナは、自分に向かってどのような視線を向けられているのかを理解しつつも、当然だといったように頷く。
「ええ。もちろん本気です。考えてみて下さい。ゴールス様が持つ戦力と、貴方たちが持つ戦力の違いを」
「客観的に考えた場合、戦力はこちらが有利だと思いますけど? ゴールスは獣牙衆を部下に引き入れましたが、それはこちらも同じこと。四人の獣牙衆がこちらに協力を約束してくれてますし……何より、探索者の方たちがいます。ワストナの屋敷がどうなったのかは、そちらも知ってるのでは?」
ワストナの屋敷は、ギーグを倒す為にアランが使ったビームサーベルの召喚によって、大きな被害を受けていた。
それを思えば、とてもではないが侮ることは出来ないと判断するはずだった。
この状況でギジュの屋敷にやって来る以上、当然その辺りについては十分に知っているはずだった。
そうなれば、戦力という意味では獣牙衆を含めた獣人を戦力に引き入れているとはいえ、客観的に見た場合はクラリスの方が戦力的に上なのは間違いない。
それこそ、アランが本当にその気になってデルリアの被害にも注意を払わなくなった場合、ビーライフルやビームサーベルを使ってゴールスのいる建物を消滅させるといったような手段を選ぶことも出来る。
にもかかわらず、シスターナは何故か自分たちの方が戦力は上だと、そう確信しているかのような態度なのだ。
「そうかもしれませんね。実際、ワストナの屋敷は凄い被害でしたから」
「それを知っていても、戦力はそちらが上だと?」
確認するように尋ねるクラリスの言葉に、シスターナは頷く。
「はい。……誤解しているようですから言っておきますが、ゴールス様の戦力は別に獣牙衆と獣人だけが全てではありません。ガリンダミア帝国とも繋がりがあり、そこから戦力を回して貰うことも可能です」
ガリンダミア帝国。
その名前がシスターナの口から出た瞬間、アランは半ば反射的に険しい表情を浮かべる。
もちろん、それは一瞬のことではあったが、そんなアランの変化は間違いなくシスターナに気取られたはずだった。
この中でガリンダミア帝国と因縁があるという意味では、アラン以外にジャスパーもそうなのだが、それでもジャスパーはガリンダミア帝国の名前が出ても大きく反応するようなことはない。
そんな二人の違いは、アランがまだ未熟だという証拠だろう。
(問題なのは、何でここでガリンダミア帝国の名前を出してきたか、だよな)
自分の中にある動揺や苛立ちを表情に出さないように注意しながら、アランは考える。
ガリンダミア帝国軍に狙われているアランだったが、アランをアランと認識するようなことは、特に行ってはいないはずだった。
具体的には、ゼオンの召喚といった真似を。
ゼオンの武器を召喚してはいたが、言ってみればその程度でしかない。
それだけに、今の状況を考えればガリンダミア帝国から戦力が派遣されるとして、それが自分を目当てにくるとは思えない。
思えないのだが、それでもガリンダミア帝国ならばもしかしたら、と。そのように思ってしまうのも事実。
そう思ってしまうのは、ガリンダミア帝国の城で会ったビッシュという人物が強くアランの中に印象付いているからだろう。
外見だけなら、アランよりも圧倒的に小さい……それこそ、子供という表現が相応しいような人物。
だというのに、外見とは見合わぬ圧倒的な気配を宿している存在。
そのような存在を見てしまったからこそ、もしかしたら自分が現在メルリアナにいるというのを何らかの理由で知られ、そして自分に対処するためにゴールスに味方をするという名目で戦力を送ってくるのではないか。
どうしても、そのように思ってしまうのだ。
「ガリンダミア帝国に? ……このメルリアナのことを考えれば、そのような真似をするのは許されないのでは?」
「そうかもしれませんね。それに、ガリンダミア帝国軍が派遣されてくれば、戦力的にはどうすることも出来ないでしょう。ですから、降伏をしては? と提案しに来たのですが」
そう告げるシスターナの様子は、敵地にいて、その上で自分の言葉によってアランが何らかの反応を示したというのを理解しつつも、全く動揺した様子はない。
「どうします? そちらとしてもこのままでは不味いのでは?」
シスターナのその言葉に、クラリスは一瞬迷い……だが、その瞬間アランは自分の隣に座っているクラリスの手を握る。
クラリスの手は震えていた。
姫として育てられたとしても、まだ十歳になるかどうかといった年齢の少女が、このようなやり取りをしているのだから当然だろう。
触れているクラリスの手を、アランはしっかりと握る。
ここで退くなという思いを込めて。
テーブルに隠されている現状、アランがクラリスの手を握っているというのは、シスターナには分からないだろう。
しかし、シスターナの目にもはっきりとクラリスの顔が変わったのが分かった。
一瞬不安の表情を浮かべたが、次の瞬間にはその不安が消えたのだから当然だろう。
あるいは、シスターナに不安の表情を見られたくなくて、表情を隠したのかもしれないと思いもしたが、クラリスの様子を見る限りではそのような強引なものではなく、もっと別の理由で不安が消えたように思える。
「降伏はお断りします。それに、今の話を聞く限りでは、まだそちらにこちらの戦力に対処するだけの戦力は残っていないのでは? だとすれば、時間をかけてそちらが戦力を充実するよりも前に、素早く動けばいいだけですから。そういう意味では、こちらに動く切っ掛けを作ってくれてありがとうございますと言った方がいいのでしょうか?」
クラリスの言葉には、今のままなら自分たちが勝てるだろうという強い確信があった。
とはいえ、それはあくまでもシスターナの言ってる内容……アランたちに対処するために、ガリンダミア帝国軍が派遣されてくるかもしれないというのが、事実ならの話だが。
あるいは、こうしている今のうちにすでにガリンダミア帝国に連絡をし、部隊が派遣されているという可能性は否定出来ない。
クラリスも当然その辺の事情は理解していたのだろうが、それでも今の状況では強気で押す必要があると判断したのだろう。
そして、シスターナはこれ以上クラリスを揺さぶっても意味はないと判断した。
目の前の少女は、一度決めてしまえばそれを曲げることはないだろうと。
「そうですか。残念ですが、交渉は決裂ですね。そうなると、次に会うのは戦場でという事になるのでしょうが……どうしますか? ここで私を殺しますか?」
普通に考えれば、シスターナのその言葉はクラリスたちにとってすぐに実行されてもいおかしくはないだろう。
少なくても、ゴールスが相手であれば敵対が決まった以上は敵だと判断し、その場で相手を殺すといったような行為をしてもおかしくはない。
シスターナの言葉を聞いたロルフは、一瞬殺気を滲ませる。
本人が言ったように、ここで相手を殺すことが最善だと判断したのだろう。しかし……
「いいえ、そのようなことはしません。私たちはゴールスではないのですから」
ゴールスではないと断言するクラリスの言葉は、シスターナにとっては痛烈な皮肉だろう。
シスターナもそれを理解していたが、それでもゴールスの性格を考えれば納得することしか出来ない。
そしてクラリスの言葉を聞いていた他の者たちも、クラリスがそう言うのであればと、何も行動を起こすことはない。
「そうですか。甘いと、そう言いたいところですけど。それが、貴方の長所でもあるのでしょうね」
そう言い、シスターナは立ち上がる。
これ以上ここにいても、何の意味もないと理解したからこその行動だろう
「では、私はこの辺で失礼します。また戦場で」
優雅に一礼したシスターナは、部屋を出ていく。
そんなシスターナの姿が部屋の中から消えると、ようやく部屋の中には安堵の雰囲気が漏れる。
「ふぅ、何とかなりましたね」
クラリスが安堵した様子で呟く。
今回のシスターナとのやり取りは、クラリスにとっても決して楽なものではなかったのだろう。
だからこそ、その面会が終わったことで安堵して呟いたのだろうが……
「姫様、その……いつまでアランの手を?」
そんなクラリスに対し、ロルフが尋ねる。
「え? あ……きゃっ!」
クラリスはそう言われ、初めて自分がアランの手を握ったままだったことを思い出したのか、悲鳴を上げながら手を離す。
とはいえ、その悲鳴にあるのは拒絶ではなく羞恥の色だったが。
アランを兄のように慕っているクラリスではあったが、姫として育てられてきただけに、男の手を握りっぱなしだったというのは、色々と思うところがあってもおかしくはない。
「気にするな。緊張してたんだから、すっかり忘れてたんだろ」
アランはクラリスにそう告げると、表情を真面目なものに変えてから口を開く。
「それで、これからの件ですが、どうします? あのシスターナという女の様子からすると、向こうは俺の攻撃を怖がっているようでしたが。いっそやっぱり俺が出ましょうか?」
「それは止めておいた方がいい」
アランの言葉に反対を口にしたのは、ジャスパー。
「向こうもアランにそのような手段があると知ってる以上、自分の拠点にいるとは限らないでしょうし」
その言葉には、アランも納得するしか出来なかった。




