0322話
「ま……待て! 待ってくれ!」
部屋の中にワストナの必死の声が響く。
だが、その声を聞く鹿の獣人は、その懇願を聞いても全く気にする様子もなく、手に持つ長剣を構える。
そんな相手の様子に、ワストナは何とか助かる道はないのかと考える。
普段であれば護衛がいるのだが、その護衛は既に目の前の鹿の獣人の手によって殺されている。
……自分の行動を邪魔した相手の一人について思い出し、叫ぶ。
「クラリスには獣牙衆のガーウェイもいた! 獣牙衆を相手に、どうしろというのだ! そもそも、獣牙衆はゴールス殿に味方をするということで決まったはずだろう! なのに、何故クラリスに味方をする! おかげで、こちらが用意したギーグまでもが倒されたのだぞ!」
その言葉に、今にも振り下ろされそうだった長剣は動きを止める。
そんな鹿の獣人の動きを見て、ワストナはこれなら助かるかもしれないと判断したのだろう。
慌てたように言葉を続ける。
「そもそも、獣牙衆が一枚岩になって全員で協力していれば、クラリスを殺すのは訳もないだろう。なのに、実際には二手に分かれてそれぞれに行動している。そのおかげで、こちらが受けた被害は甚大だ! 特にギーグに関しては、あのような存在を手に入れるのにどれだけ労力をかけたと思っている!」
実際には、ギーグを倒したのはゼオンの武器を召喚したアランなのだが、ワストナがそれを口に出すようなことはない。
ワストナにしてみれば、アランたちの話を聞いてはいたものの、とてもではないがアランのような男にギーグを倒せるとは思っていなかったのだ。
もしそれを口にしても、恐らくは信じて貰えるとは思えなかったのだろう。
であれば、目の前の鹿の獣人と同じ獣牙衆の一員がギーグを倒したと言った方が信頼性があるし、何よりも同じ獣牙衆であるということで、罪悪感を覚えるのではないかと、そう思ったのだ。
「ガーウェイがギーグを倒した? ガーウェイは強いが、ギーグのような者を相手にする場合は相性が悪い筈だが……それは本当なのか?」
嘘は許さない。
そんな視線をワストナに向ける鹿の獣人だったが、そのような視線を向けられたワストナは必死に頷く。
その必死さを真実と判断したのか、それとも最初からワストナの様子を気にはしていなかったのか。
理由はともあれ、ワストナに対して向けていた視線を外し、少し考える。
(どうなっている? ガーウェイたちが獣牙衆を離反してから、まだそれほど時間は経っていない。なのに、ギーグを倒せるまで技量を上げている? そんなことが有り得るのか?)
鹿の獣人はそうして考え……そんな様子を隙と見たのか、ワストナは少しずつだが部屋の壁に向かって移動する。
(もう少し、もう少しだ。あそこまで行けば、逃げられる。このままでは終わらん。絶対にここで終わるような真似は……)
そう思いながら移動していたワストナだったが、当然鹿の獣人がそんなワストナの動きに気が付かないはずがない。
「何をしている?」
冷静に口に出されたその言葉はワストナの背筋を冷たくする。
「い、いや。何でもない。ただ、少し気になることがあってな。それを確認しようとしただけだ。もしかしたら、クラリスの手の者が何か動いているのではないかと思って」
咄嗟にそう口にしたのは、鹿の獣人がゴールスに協力しているということや、先程のガーウェイの話も含めて相手の注意を惹くには十分だと思ったのだろう。
実際、先程はガーウェイの名前を出したことで多少なりとも効果があったのだから。
だからこそ今度も。
そう思ったのだろうが、鹿の獣人がワストナを見る視線には好奇心の類はなく、ただ冷たい……それこそ、道端に落ちている石か何かを見るような目だった。
「ひっ、ひぃっ!」
その視線を見た瞬間、ワストナはこのままだと自分は殺されると判断し、即座に駆け出す。
鹿の獣人に対する畏怖や恐怖から腰を抜かしたりといったようなことがなかったのは、ワストナもデルリアにおいて強い影響力を持つことが出来ただけのことはある。
だが……それでも、獣牙衆に加わるだけの実力を持つ鹿の獣人にしてみれば、特に脅威になるようなほどでもない。
もう少し……あと数歩で壁に飾られた絵画に到着するというところで、ワストナの前に鹿の獣人が立ちはだかる。
元々この鹿の獣人は速度……瞬発力を自慢にしており、そのような相手を前にしては、ワストナ程度の速度ではどうしようもなかった。
「残念だったな。この壁に何があるのか……大体は想像出来るが、お前がそれをどうにか出来ることはない」
「まっ……」
待ってくれ。
そう言おうとしたワストナだったが、次の瞬間に鹿の獣人の振るう長剣がワストナの首を切断する。
空中を飛ぶワストナの頭部。
鹿の獣人は床に落ちたワストナの頭部を確認すると、壁に飾られている絵画を外してみる。
その後ろには、スイッチがあった。
そのスイッチが具体的にどのような効果を持つのかは分からないが、想像は出来る。
「ここから逃げ出そうとしたのか。……とはいえ、壁に穴が出来てもそこから逃げることが出来るとは思えないが」
たとえ、壁に脱出するための隠し通路があったとして、そこから逃げ出すといった真似をしても、当然のように鹿の獣人に追いつかれてしまうのは間違いない。
その辺りの事情を考えれば、ワストナの判断は甘いというしかない。
「もしくは、もっと別の仕掛けを発動させるスイッチだったのかもしれないがな」
そう言い、鹿の獣人はワストナの頭部を手にして、その場を立ち去るのだった。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああっ!」
そんな悲鳴が聞こえ、寝ていたアランはすぐに目を覚ます。
部屋の中はまだ薄暗く、朝日が昇ったかどうかといたちょうな……大抵の人は、まだ眠っている時間。
そんな時間であるにもかかわらず、悲鳴が聞こえてきた数秒後には目を覚ました辺り、アランも探索者としてそれなりに鍛えられている証だろう。
ほとんど着の身着のままといったような状態で、それでも何かあったときにはすぐ対応出来るように長剣を手にして、部屋を出る。
すると、すでに廊下を走っており……自分よりもかなり先を進んでいるジャスパーの姿を見て、アランは自分では最速の行動だと思っていたのが、遅かったことを理解する。
そのことを悔しく思うものの、とにかく今は悲鳴の聞こえた方に向かう必要があった。
自分はクラリスの護衛である以上、あるいはクラリスの部屋に向かった方がいいのかもしれないという思いがあったが、クラリスの部屋は屋敷の中でも最も防御の硬い場所にある。
そうである以上、今はやはり悲鳴の方をどうにかした方がいいと判断し、アランは走り続けた。
この悲鳴が陽動かもしれないと、そんな不安はあったのだが。
そうして悲鳴の聞こえてきた場所に到着すると、そこには先程の悲鳴を聞いたのだろう。
屋敷で働いている者の多くが集まっていた。
こんな時間に、これだけの人数が? といったような疑問をアランが抱くくらいは、多くの者が。
そして周囲の様子を確認しつつ、人混みを掻き分けるようにして移動すると……到着したのは、ギジュの屋敷に続く正門の前。
そこには、先程アランよりも先に行動を起こしたジャスパーの他にも、ガーウェイの姿もあった。
そして屋敷の警備を任されている……言わば、ギジュの私兵と呼ぶべき者たちも集まっており、その兵士たちは顔を青くして表情を引き攣らせていた。
何人かは、獣に近い獣人もいたのでその顔色が分からないといったような者もいたが。
アランはそんな周囲の様子を確認しながら、人々の視線が集まっている方に視線を向ける。
そして……何故、先程のような悲鳴が上がったのかを、理解することが出来た。
正門の側……それも敷地の外側ではなく内側にある岩の上に、それは置かれていたのだ。
一見すると、それはボールか何かのようにも思える。
しかし、よく見ればボールではないと理解出来ただろう。
そもそも、ボールというのは周囲に漂っているような血生臭い臭いを漂わせたりはしない。
そしてアランはよく見て……それが何なのかを理解する。
「ワストナ……か」
正確には、ワストナの生首だ。
それが、ギジュの正門の内側に置かれていたのだ。
それも、しっかりと岩の上に置かれているということは、外から放り投げて偶然岩の上に置かれた訳ではなく、狙って放り投げたか……もしくは、敷地内に侵入して岩の上に生首を置いたかだろう。
(多分、後者だろうな。生首の周囲には投げられたような痕跡がないし)
生首といったような、普通のメイドであれば見ただけで悲鳴を上げるような物を見ても、アランはそこまで混乱していない。
探索者として行動していれば、血生臭い光景を見るといったことは珍しくないし、それがなくても旅をしていれば盗賊の類と遭遇することは珍しくない。
そしてアランもまた、盗賊を自分の手で殺すといったような真似をしたことはあるし、その盗賊が痛めつけている相手や、自分たちが殺した死体を玩具にしている光景を見るといったこともあった。
それだけに、このような光景にもそれなりに耐性がある。
もちろん、耐性があるとはいえこのような光景を見て何も感じない訳でもないし、何よりも寝起きで見たのがこのような光景であるとなれば、とてもではないが気分のいい訳ではない。
「ジャスパーさん、これって……ゴールスの警告ですよね? いや、宣戦布告でしょうか?」
「恐らくは。元々ワストナはゴールスに協力していたのが、クラリスさんの力には勝てないと判断して、向こうを裏切ったのです。そうなると、ゴールスにしてみれば自分よりもクラリスさんの方が格上と判断されたことになり……それは、とてもではないが許容出来なかったのでしょう」
「それだけじゃないな。ワストナみたいに自分を裏切った相手は絶対に許さない。それを他の者たちに警告する意味もあるんだろう」
アランとジャスパーの会話に、ガーウェイがそう言って割り込んでくる。
だが、その言葉は決して間違ってはおらず……ワストナのようになりたくないと思う者は、ゴールスを裏切らないだろうとアランにも理解出来た。




