0317話
ジャスパーはアランたちのいた部屋から離れ、強敵がやってくる方に向かう。
明らかにその辺の相手とは違う、圧倒的な気配の持ち主。
そんな相手だけに、戦えるのは自分と……あとはガーウェイだけだろうと、そう思っての判断だ。
ジャスパーがガーウェイに声をかけることはなかったが、恐らくアランがガーウェイに声をかけるだろうというのは、容易に予想出来る。
そうである以上、今は少しでもあの部屋から……護衛対象のクラリスから離れた場所で、近付いてくる相手を倒す必要があった。
「こうなると、武器が長剣だけというのは少し失敗したかもしれませんね」
普段のジャスパーは、槍を武器としている。
それはリビングメイルとしての武器が槍である以上、当然のことだった。
あるいは、ジャスパーが心核を使って変身する姿がリビングメイルのように人型ではなく、もっと別の……それこそ四足歩行のモンスターだったり、植物型だったり、もしくは実体のないゴーストのような存在であれば、人型のときも別の武器を使った可能性があったが。
ともあれ、今は槍を主に使っているジャスパーにしてみれば、長剣はあまり得意ではない。
……とはいえ、それはあくまでも槍に比べればの話であって、長剣の技量も十分に一流と呼ぶに相応しいのだが。
そんな長剣を鞘から引き抜いたジャスパーの前に現れたのは……
「おう? 誰だお前は」
「これはこれは……なんとも巨大な……」
声をかけてきた相手に対し、ジャスパーはそんな声を漏らす。
当然だろう。身長三メートル近く、筋骨隆々のその巨体は猿。
言葉を発したことや服を着ていることから獣人なのは間違いないのだろうが、巨猿と呼ぶに相応しい姿だ。
「俺の道を遮るってことは、お前はクラリスとかいうガキの味方か?」
「ええ。彼女の護衛を任されている、ジャスパーといいます。……それで、貴方は?」
「この屋敷に厄介になっているギーグだ。……ガキの護衛をしてるってんなら、俺の敵だな? なら、手加減をする訳にはいかねえな!」
その言葉と共に、ギーグは前に出る。
身長三メートルの巨体とは思えぬほどに、素早い動き。
その動きで、握り締めた拳をジャスパーに向けて振るう。
命中すれば、それこそ防御しても意味がないだろうと思えるだけの一撃。
それでいながら、巨体だとは思えないような鋭さと、速度を持っている。
「やりますね!」
ジャスパーは、自分に向かって振るわれた拳を回避して叫ぶ。
防御しようとは思わない。
下手に防御をすれば、それこそ防御をあっさりと破られ、それが致命傷になるのは確実だったためだ。
そんなジャスパーの予想は、あっさりと壁を破壊したことで示される。
とはいえ、ジャスパーもギーグの攻撃を黙って見ているだけではない。
壁を破壊したギーグの腕に対し、ジャスパーは長剣を振るう。
ギィンッ、という甲高い金属音が周囲に響き、ジャスパーの表情は驚き……その隙を突くかのように、ギーグのもう片方の腕を振るうが、ジャスパーは即座に後方に跳んで回避する。
「随分と硬い毛ですね」
「そうか? 俺にとってはこれが普通なんだがな。……にしても、俺の体毛に驚きながらも、攻撃を回避したというのはなかなかだな」
ギーグにしてみれば、長剣の一撃すら防ぐ剛毛によって敵の攻撃を防ぎ、それに驚いた相手の隙を突いて攻撃するというのが、パターン化しているのだろう。
それだけに、自分の攻撃を回避したジャスパーに驚きの視線を向けたのだ。
だが、そんな視線を向けられたジャスパーは、自分の持っている長剣の刃を見てその秀麗な顔を微かに歪める。
ギーグの体毛を斬りつけた一撃で、長剣の刃が欠けていたのだ。
当然ながら、ジャスパーが使っている長剣はその辺の武器屋に売ってるような安物はない。
一流の鍛冶師が打った業物だ。
あるいは、武器が業物でも使用者の腕が悪ければその武器の本性を発揮しないといったこともあるのだが、ジャスパーの技量は一流と呼ぶに相応しい。
業物と一流の技量。
この二つが揃って攻撃したにもかかわらず、ギーグの体毛によって長剣の刃が欠けたのだ。
それは普通に考えればとてもではないが有り得ない。
「厄介ですね。……そう思いませんか?」
「ああ。何しろ相手はギーグだ。というか、何でギーグがこんな場所にいるのか、疑問だな」
ジャスパーの言葉にそう答えたのは、ガーウェイ。
ジャスパーの隣に立ち、視線の先にいるギーグを睨み付ける。
だが、殺気を込められて睨まれたギーグは、そんなガーウェイの視線など全く気にした様子もなく、獰猛な笑みを浮かべる。
「お前、ガーウェイだったな。獣牙衆が何でそっちにいるんだ? ゴールスの奴に命令されたのか?」
「ふんっ、獣牙衆はゴールスの手下じゃねえ。俺は俺の思い通りに動かさせて貰う。こっちにいるのも、それが理由だよ」
堂々とそう告げるガーウェイは、後ろ暗いところは何もないと、そう態度で示していた。
そんなガーウェイを見て、ジャスパーは疑問を抱く。
本当にこの人物が怪しいのか? と。
ジャスパーも、直接アランから話を聞いた訳ではないが、それでもアランがガーウェイを怪しんでいるというのは、態度を見れば明らかだ。
だが、先程の部屋でクラリスを守っていたことや、こうしてギーグの前に立っているのを見れば、とてもではないが何かを企んでいるようには思えない。
「なるほどな。まぁ、いい。ガーウェイが加わったところで、そう戦いに影響があるとは思えねえし」
「以前の俺と同じだと思われるのは、困るぞ」
二人の会話は、お互いが相手のことを知っているというものだ。
ジャスパーはギーグを前にしながら、一瞬だけ横目でガーウェイに視線を向ける。
その一瞬でガーウェイも自分が見られたのだと……そして、ジャスパーが何を聞きたいのかを理解し、口を開く。
「言っておくが、実はギーグの手下だった……なんてことはないから、心配するな」
「でしょうね。今のやりとりを見た限りでは、そのような友好的な関係には思えませんでしたし」
手下になるのが友好的な関係とは限らないのだが、それでもジャスパーが実はガーウェイがギーグの仲間であるという可能性は即座に却下する。
アランがガーウェイを怪しんでいるのは知っていたが、ともあれ今は心配する必要はないだろうと。
そんな風にジャスパーが思っていると、まだジャスパーが納得していないと判断したのか、ガーウェイが続けて口を開く。
「以前、俺はちょっとした理由でギーグと戦うことになったんだが、そのときは手も足も出ずに負けたんだよ。まさに惨敗って言葉が相応しいくらい圧倒的にな」
ギーグは、ガーウェイが自分に負けたことを喋っているのを見て、攻撃するのを止める。
自分に負けたガーウェイが、そのことを味方に話すのが面白いと、そのように思ったためだ。
ガーウェイもそんなギーグの様子には気が付いていたし、以前戦ったときの経験からこのような状況では自分の優位性を自慢するような性格だと理解しているので、どうギーグを攻撃するのかといったようなことを考えるためにもジャスパーとの会話を続ける。
「とはいえ、それはあくまでも以前……それもかなり昔の話だ。俺は実際に以前よりも強くなってると断言出来る。獣牙衆に入ってギーグに負けてから今まで、俺だって遊んでいた訳じゃないしな」
ガーウェイの自信に満ちた言葉に、ギーグは優越感に満ちていた表情から面白くなさそうな表情へと変える。
てっきり自分に対して苦手意識を持っているのに、それを無理矢理我慢して何かを言ってくるのかと、そのように思っていたのだ。
だというのに、今の様子を見る限りではとてもではないがそのようには思えない。
それが思い切り不満で、許せないと判断し……叫ぶ。
「おいこら、てめえ……もしかして、本当に俺に勝てるつもりでいるんじゃねえだろうな」
元々赤ら顔のギーグだが、ガーウェイの言動は許せるものではなかったらしくより一層顔を赤くして叫ぶ。
その叫びは、もし気の弱い者が聞けばし一瞬にして動けなくなってもおかしくはないような、そんな迫力を持っていた。
実際、その叫び声が聞こえたワストナやその部下の何人かは、腰を抜かしすらしていたのだから。
それだけの威力を持った叫びだったというのに、間近でその叫びを受けたジャスパーとガーウェイの二人は、特に気にした様子ない。
ジャスパーにとっては、遺跡の中で遭遇するような相手に比べれば、ギーグという存在は警戒すべき相手ではあるが、まともに戦っても多少の時間はかかるものの、自分が勝てると、そう思っていたのだ。
ガーウェイは、先程自分が言ったように以前ギーグに負けてから鍛え直し、このような叫びでどうにかなるようなことはない。
「はっ、どうした? でかい声で叫ぶだけか? ……なら、いい加減お前の悪臭に耐えるのも限界だったし、そろそろ倒させて貰うぞ!」
叫び、ガーウェイはギーグとの距離を詰める。
ガーウェイの手に握られているのは、短剣。
一流の品を見慣れているジャスパーの目から見ても、間違いなく一級品と断言出来るだけの品だ。
獣牙衆だという精鋭だからこそ入手出来た品なのは間違いだろうが……
「ギーグの体毛は硬いですよ!」
自分の一撃をギーグが特に何か防具を使ったりせず、それこそ腕の体毛だけで防いだのを思い出して叫ぶジャスパーだったが、ガーウェイは当然のようにそんなギーグの能力は知っている。
何しろ、一度負けた相手なのだ。
そのときも短剣での一撃はあっさりと体毛によって防がれ、効果的な攻撃を行えなかった。
あとから考えれば、体毛に覆われていないような場所もあったはずなのだが、とにかく最初に戦ったときは驚きでどうしようもなく、結果としてギーグにはいいようにしてやられてしまった。
「分かってる! それよりも続け! こいつはとにかかくここで倒す! 狙うのは、毛で覆われていない場所だ!」
そんな叫びと共に、ガーウェイは高い場所にあるギーグの眼球に向かい、鋭く短剣を投擲するのだった。




