0296話
アランからクラリスの能力を使えば、捕虜から情報を引き出せると聞いたイルゼンは、難しい表情を浮かべる。
イルゼンにしてみれば、もちろん捕虜から情報を入手出来るというのは非常にありがたい話だ。
だが、だからといってイルゼンにしてみればクラリスのような子供の力を借りて尋問してもいいのかという思いがある。
それ以外にも、可能であれば捕虜が持っている情報は可能な限り自分達で確保しておきたいという思いがあったのも間違いない。
アランは当然そんなイルゼンの考えを理解したが、今は可能な限り素早く情報を集める方が優先だと判断し、イルゼンに視線を向ける。
「しょうがないですね。ですが、分かってますか? 相手が獣人であるということは、そこから情報を引き出すとなると、必ずしも彼女にとっていいことではありません。それどころか、辛い思いをするかもしれません」
明確に自分を狙ったのだが誰なのかが、判明するかもしれないのだ。
その相手が見知らぬ誰かであったり、もしくは明確にクラリスと敵対している相手であればいい。
だが、もしもその相手がクラリスの慕っている相手だったりした場合、当然だがクラリスが受けるショックは大きくなる。
イルゼンのその言葉に、アランはクラリスに……そしてゴドフリーやロルフに視線を向ける。
クラリスの能力を使えば、尋問は非常に楽に出来るかもしれない。
しかし、その結果としてクラリスがショックを受けるようなことになるのであれば、クラリスに手伝って貰わない方がいいのではないか。
そう思ったのだが、アランはクラリスの精神力の強さを甘く見ていた。
「構いません」
イルゼンの言葉に、そう告げるクラリス。
凛とした表情は、とても十歳ほどの少女には見えない。
自分のやるべきことをしっかりと理解し、それを行うためならどのようなことがあろうとも、決して後悔しない。
そんな様子が、言葉には出さずとも見ているだけで理解出来るような、そんな表情。
姫として育てられ、そう呼ばれるに相応しいクラリスがそこにはいた。
「本当にいいのか?」
「ええ。今回の件は私たちに関係するものです。そうである以上、ここで私が力を使えば情報を得られるのに、それをしないという選択肢はありません」
「……アラン君よりも立派ですね」
クラリスの言葉を聞いていたイルゼンが小さく呟くが、周囲が静まっていただけに、他の者の耳に届くには十分だった。
当然、その声は名前を出されたアランにも聞こえており、不満ではあったが、反論することは出来ない。
クラリスが見せた覚悟は、アランにとってもイルゼンの言葉が正しいと、そう思ってしまうくらうのものだったためだ。
「あー……じゃあ、取りあえず獣人の捕虜を運んできて貰います? それとも、俺がクラリスを連れて捕虜になった獣人のところを見て回った方がいいですか?」
何かを誤魔化すように尋ねるアランの言葉に、イルゼンは少し考えてから捕虜を連れてくるように言う。
「アラン君たちが捕虜のいる場所を見て回るとなると、どうしても移動に時間がかかりますからね。そうならないよう、運んできて貰った方がいいでしょう」
アランはともかく、クラリスはまだ十歳かそこらの少女だ。
狐の獣人である以上、高い身体能力を持ってはいるのだろうが……それでも、やはり探索者たちが捕らえた獣人たちを連れてくる方が早いと、イルゼンは判断したのだろう。
そして何人かの探索者がイルゼンの指示を伝えるために、その場から走り去る。
「アラン、そろそろ手を離してもいいんじゃない?」
と、不意にそんな声が聞こえてくる。
声の主が誰なのかは、アランにも当然理解出来た。
もっとも、何故かその言葉にはアランを責めるような色があったのが気になったが。
「レオノーラ? どうしたんだ?」
「いつまでその子の手を握ってるのか、少し気になっただけよ。アランってそういう趣味でもあったのかしら?」
その一言で、アランは自分が何を疑われているのかを知る。
「あのなぁ、俺にそういう趣味がある訳がないだろ? これはクラリスが怖がらないようにだよ」
「あら、そう? でも、こうして見たところではもう怖がっているようには見えないけど? なら、もう手を離しても構わないんじゃない?」
レオノーラの言葉に、アランはクラリスに視線を向ける。
そんなアランの視線を受けたクラリスは、やがて顔を赤くしながらもアランから手を離す。
元々、姫として育てられたクラリスだ。
身近な男というのはそう多くはなく、何よりもアランは自分の声を聞いても反応しない、特殊な力を持つ。
そういう意味で、アランはクラリスにとっても貴重な存在なのは間違いなかった。
「えっと、その……」
「連れて来ましたよ」
顔を赤くして何かを言いかけたクラリスの言葉を遮るように、雲海の探索者が立派な角を持つ鹿の獣人の男を連れて来た。
猿轡をされていて、手も縛られているので、逃げ出すといったことが出来なくなっていた。
「あ……そ、そうですね。まずは情報を聞き出しましょうか」
クラリスは話題を変えることが出来るということに安堵した様子を見せる。
鹿の獣人は、自分の標的たるクラリスが目の前にいるのだが、手が縛られている以上は攻撃出来ない。
いや、鹿だけに強い脚力を持っているので、蹴りや頭部の角を使った攻撃といった真似も出来るのだが、探索者が側にいる状況でそのような攻撃をしようものなら、あっさりと見抜かれてしまうだろう。
そしてクラリスに攻撃が命中する前に止められる。
それが分かるからこそ、鹿の獣人はクラリスに攻撃することが出来ない。
ましてや、鹿の獣人はそれを理解しているのかどうかは分からないが、クラリスは鹿の獣人に対して恐怖を感じていない。
正確には恐怖を感じる云々よりも前に、レオノーラからの言葉を誤魔化すことが出来たというのが嬉しかったのだから。
考えようによっては、この件はクラリスにとって悪い話ではなかったのかもしれない。
本来なら、クラリスは鹿の獣人に対して恐怖を抱いていてもおかしくはなかったのだから。
「さて、ではそろそろ尋問を始めましょうか。クラリスさん、お願いします」
クラリスがリラックスしているのを見て、イルゼンはそう告げる。
イルゼンにしてみれば、クラリスの能力を見るには今がチャンスだ。
そうである以上、クラリスには出来るだけ万全の状態になっていて欲しかった。
そういう意味では、今の一連のやり取りはそう悪いものでもなかったのだろう。
「では……」
クラリスは鹿の獣人を前にして意識を集中する。
そんなクラリスの様子を見て、鹿の獣人は自分がこれから何をされるのかを理解したのだろう。
慌てたように首を横に振り、何とかこの場から逃げようとするも……当然だが、捕虜となっている現状で、そのような真似を出来るはずがない。
鹿の獣人をここまで連れて来た探索者が、逃げようとする鹿の獣人を決して逃がさないようにと、腕と一緒に縛っているロープで上手い具合にコントロールしていた。
「んんんんん!」
鹿の獣人はクラリスの存在や、周囲にいる者たちの様子から何をされるのか理解したのだろう。
何とかしてそれを避けようとするものの、今の状況でそのような真似が出来るはずがない。
「静まりなさい」
周囲に響くクラリスの声。
その声を聞いた瞬間、鹿の獣人は動きを止める。
(あれ?)
そんな鹿の獣人の様子を見ていたアランは、周囲の様子を見て疑問を感じる。
最初にクラリスと会ったときのことを考えれば、鹿の獣人だけではなく周囲にいる他の者たち……それこそ自分以外の者も、静まりかえっていなければおかしくなかった。
しかし、周囲の様子を見たアランの目には他の者たちがクラリスの影響を受けているようには思えない。
もちろん、クラリスが力を使っている関係上、それが一体どのようなものなのかというのを見たいという者もいるので、成り行きを見守っている者も多い。
しかし、鹿の獣人と他の者たちでは明らかに様子が違っていた。
(これって、もしかして鹿の獣人だけ言葉の力……言霊を使ったのか?)
声を聞いた者が全て言霊の力が作用するという訳ではないのだろうと、そうアランは理解する。
なら最初のときは? と思わないでもなかったが、最初のときはそれこそクラリスが混乱を鎮めるため、全員に声をかけたのだろうと、そう理解した。
「猿轡を外して下さい」
クラリスにそう言われ、鹿の獣人をここまで連れて来た探索者は、現在の状況に驚きつつも猿轡を外す。
鹿の獣人は、猿轡を外されても特に暴れるような真似はせず、黙ったままだ。
そこには自分の意思がないかのようにすら思える。
「私の質問に答えなさい。貴方をここに派遣したのは誰?」
「ゴールス様です」
「……そう……」
ゴールスという名前を聞いたクラリスは、やはりといった様子を見せる。
その人物が自分を狙っているというのを予想していたのだろう。
「ゴールスが襲撃をするために用意した人数は、今夜襲ってきた者たちで全員?」
「いえ、獣牙衆から何人か派遣するという話でしたが、時間までに合流出来ませんでした」
獣牙衆という単語の意味がアランには分からず、不思議そうな表情を浮かべて周囲にいる者たちに視線を向ける。
ほとんどの者が獣牙衆という言葉の意味が理解出来ていなかったが、それでも文脈から何となく予想は出来たのか、厳しい表情を浮かべている。
そんな者たちよりもさらに厳しい表情を浮かべているのは、ゴドフリーやロルフたちだ。
クラリスの護衛をしている以上、当然だが敵対しそうな相手についても調べている。
獣人について詳しいので、獣牙衆という存在についても知っていた。
獣人の中でも腕利きだけを集めた、少数精鋭の部隊。
その中から何人かがやってくるとなれば、それは間違いなくクラリスの護衛のゴドフリーやロルフたちだけでは、勝つことは不可能な相手だったのだから。
不幸中の幸いだったのは、自分たちがアランたちに保護されたことか。
そのことに安堵しつつ、鹿の獣人から情報を引き出されるのを眺めるのだった。




